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2008/08/20 (水)
米国では、学校の教師がSNSを通じて生徒たちと交流するケースをめぐり、「不適切な関係につながる恐れがある」との懸念が浮上しているとのこと。
通貨ジンバブエ・ドルを8月1日から100億分の1に切り下げる方針を発表。 「100億ドル」紙幣は「1ドル」相当となったとのこと。
2008/08/19 (火)
K 様 の新作スキンです。
とにかく小さいスキンです。でも、しっかり情報は表示してくれます。
コーヒーミルステージです。
負けてしまいました。
終盤の手を間違うと大打撃なので気を付ける必要があります。
ソース博士の独走続く。
光度博士は振り回されっぱなしです。
ソース博士の間の悪さで大ピンチに。
空気が読めないと、周りが迷惑します。
映画「エル・マリアッチ」のDVDを七月上旬に見ました。
1992年の映画で、監督・脚本はロバート・ロドリゲス。
七千ドル(約七十七万円)で、十四日間の撮影日数で撮り上げた作品です。九十分ぐらいの短い作品ですが楽しめました。
DVDには、“ロバート・ロドリゲスの映画講座”的な十分ぐらいの映像が収録されていました。
何かと言うと、どうやって低予算で映画を撮ったかの解説。
「アイデアさえあれば、安い予算でも映画を撮れるよ!」と、細かな解説をしていました。
だいたい要点は以下の感じでした。
1.物を買わない。買い出すと切りがないので、借りたり、作ったり、編集したりして誤魔化す。拳銃はかなりの数が水鉄砲。後は警察の知り合いに借りた。
2.撮り直さない。フィルムは失敗したところだけ短く撮る。あとは編集で誤魔化す。ぶつ切りで繋ぐ、繋ぐ。
3.カメラは一台を徹底的に使いまわす。同じシーンをカメラの位置を変えて撮って、あたかも数台カメラがあったように誤魔化す。
4.音を一緒に録音しない。ミスが多くなるから。声は別に録音して、合成で誤魔化す。ある程度ずれてても割り切る。
ともかく、低予算で乗り切るために、観客を誤魔化す手段を徹底的に使います。
上手いなあと思いました。あと、こういうのは思い切りが大切だなと思いました。取り敢えずやってみて、失敗したら誤魔化すという方針は大切だと思いました。
こういうのを見ると、ビデオカメラを買って短編映画を撮ってみたいなと思います。
さて、映画です。
主人公はエル・マリアッチ(歌手という意味)で、ギターケースを持った殺し屋に間違われて命を狙われます。
そのせいで、敵の組織は、殺し屋が神出鬼没に見えて、主人公は我が身を守るために必死に敵を殺して、殺し屋はよく分からない内に殺した人数が増えていきます。
ある意味、コメディーのシチュエーションです。それを、真面目なアクション映画風に取っています。
こういう巻き込まれ系は、短編的な話にはよく合いますね。
まあ、綱渡りのようなご都合主義的な話なのですが、娯楽として見るアクション映画は、これぐらいが楽しくていいと思います。
面白かったです。
以下、粗筋です。(中盤過ぎぐらいまで書いています。最後の方は端折っています。ベタベタのアクション映画なので、ネタバレは余り気にせず書きます)
刑務所でしのぎをしている一人の悪党がいた。彼は仲間の男と大きな仕事を過去にしたが、裏切りにより、刑務所に入る羽目になった。
今や町を牛耳るボスとなった裏切った男が、刑務所の男に連絡をしてきた。男を完全に始末し、自分の地位を安泰にするためだ。
だがその作戦は失敗に終わった。やって来た手下たちを殺した刑務所の男は、野に出てボスを狙う殺し屋となった。
しばらくして、ボスの町に一人の若い男がやって来た。ギター一本を持ち旅をする彼は、その町の宿に逗留する。
しかし、町では事件が発生していた。ギターケースの中にマシンガンを入れた殺し屋が、ボスの部下を次々に殺していたのだ。
殺し屋に間違われた歌手は、自分の身を守るためにボスの部下を殺して逃げる。
彼は、逃げた末に入り込んだ酒場の女主人に匿われる。そこで歌を歌い日銭を稼ぎながら、自分がなぜ狙われているのかを探る。そして、自分が殺し屋に間違われていることを知る。
歌手は、なんとか誤解を解く方法はないかと考える。しかし、ふとした手違いで殺し屋のギターケースを持つ羽目になる。
歌手はどんどん争いに巻き込まれていく。そして女主人との恋に落ちながら、戦いの中央へと突き進んでいく。
映画には随所にユーモアが入ります。ネタ自体がギャグのような話なので、そういった部分がしっくりきます。
いろいろな撮影上の誤魔化しは、映画を見ている間は気になりませんでした。
後で映像特典を見て、一番騙されたと思ったところは「ギターケースの秘密」です。
ある意味、二つのギターケースが話の核心なのですが、実はちゃんとしたギターケースは一つしかなかったそうです。お金がなかったから用意できなかったとのこと。
一つはちゃんとしたギターケースで、もう一つは張りぼてで、アップのシーンは二つのギターケースを使いまわしたそうです。
「ほら、ここを見て、同じところに傷があるだろう」
なるほど。
やられたなあと思いました。
2008/08/16 (土)
煎餅好きとしては大変興味あるのですが、最近顎関節症になったり、治ったり、また痛くなったりで、硬い物は避けた方がよいので、行くタイミングが難しそうです。 でも行きたい。
子どもの切符で自動改札を通ると、ランプや電子音が駅員に知らせるが、混雑時に防ぐのは難しいとのこと。
2008/08/13 (水)
2008/08/11 (月)
前後しますが、劇場で見た物優先で感想を書きます。
映画「崖の上のポニョ」を劇場七月末に見てきました。
2008年の映画で、監督・脚本は宮崎駿。
世間では賛否両論のようですが、私は楽しめました。
まあ、否定派の意見も分からないではないですが。
以下、それらのことについて、個人的な見解を書きます。
さて、まずは劇場用宮崎アニメ特有のお約束事があります。
それは、主人公=対象視聴者という前提です。
一応全年齢向けに映画を売っていますが、基本は「主人公=対象視聴者」というのが、宮崎駿の中ではあると考えています。
それは、これまで見てきたインタビューや、文章から考えたお約束事です。
でも、その相手だけに対象を制限すると商売にならないので、全年齢対象で売っています。
今回の「崖の上のポニョ」は、主人公とヒロインが五歳の男の子と女の子です。
つまり、対象年齢は五歳です。
なので、複雑なストーリーはないだろうと思っていました。絵が動いて、わーっとなって、わくわくしてそれで終わり。
映画を見に行って、本当にそうでした。ストーリーはあってなきがごとしでした。
予想通りでしたが、やっぱりそうだよなと思いました。
ちょうど、五歳向けの絵本をそのままアニメ魔術師宮崎駿の手で、これでもかとウネウネ動かしたような映画です。
そういう意味では、達人技術者宮崎駿のアニメートを見に行くつもりで見に行った私は十分楽しめました。
他人の感想では、子供のしでかしたことに対する罰がないことに憤慨している人もいましたが、まあそういった作品じゃないようだしなと思いました。
五歳だと、世の中の因果関係よりも、世界の手触り感を楽しむ年齢だと思います。
この映画の分かりやすいイメージとしては、絵本の中の小さなジャンルとしてある「動かせる絵本」です。
ペーパークラフト的な作りで、絵を動かせる絵本、この映画はそういった印象の作品です。こういった本はストーリーが主眼ではなく、動くことが主眼です。
対象年齢的に、そうなんだろうなと思いました。
ただ、宮崎駿が年を取り、説得力のある力強いストーリーを組める内的パワーがなくなってきているんだろうなという印象もありました。
私の中では、宮崎駿は“死ぬまでの作品の変化を観察する対象”に既に入っているので、それ自体は別に不満ではありませんでした。
宮崎駿は、“死ぬまでの変化”が“宮崎アニメという作品”になっていると、私は思っていますので。
次に、この映画は劇場用アニメではあるけれど、大作映画ではないということです。
プログラムに宮崎駿自身が書いていましたが、ジブリの博物館でやっていた小品の実験的延長だそうです。
時間も百分程度なので、宮崎駿の劇場用アニメとしては短い方です。
こういった背景もあるので、物足りなさを感じる映画だと思います。実際、物足りない印象がありました。
それに、五歳向けのためか“死を描かない”ので、カタストロフの落差が乏しく、そういった意味でも満足感が薄いです。
たぶん、十分削って九十分にして、値段を三百円から五百円下げると値段に対する満足感が高まるのではないかと思います。
劇場用アニメとしての満足感を与えてくれる作品ではありませんので。
そういう意味では、劇場モデルの商売でやる映画としては、作りがまずいと思います。端的に言うと失敗作です。だから悪い作品というわけではありませんが。
まあ、求めるものが得られなかった人は多いだろうなとは思いました。
クトゥルフ神話について。
まあ、言いたい人が多いのも分かります。私は気になりませんでした。
それよりも気になったのは、ポニョの父親と母親がどんな交尾をしたかです。
妹の数から考えると、魚のように卵を大量に出して、そこに掛けるというやり方です。
あと、妹が無数にいて、姉が一匹ということは、凄い勢いで食べられています。
そっちの方が激しく気になりました。
賛否両論についての個人的な見解はだいたいこんな感じです。
以下、映画自体に対する感想です。
一言で言うと、「崖の上のポニョ」は、「液体と幼女」のアニメでした。
まあ、幼女なのは今回に限ったことではないのですが、五歳の幼女が走って、はしゃいで、動き回ります。
お魚のポニョは、半漁人になり、幼女になり、映画の中盤以降は主に幼女として活躍します。
何を出しても幼女に行き着く辺り、期待を裏切りません。六十を過ぎて、なお盛んのようです。
そして液体。
今回のメインは液体のアニメです。海をウネウネ動かして、水を擬人化して蠢かせて、様々な方法で液体の表現をしまくります。
宮崎アニメと言えば「食事シーン」なのですが、ここでも徹底していて「液体」が中心です。
今回の食べ物のメインは「スープ」と「インスタントラーメン」です。
ポニョが使う魔法の源泉も生命の水です。
徹頭徹尾“液体”です。
まあ、小品の延長として、液体の実験がやりたかったんだろうなというのが個人的印象です。
液体も幼女も動きは、さすがによかったです。
さて、今回の作品で感心したところがあります。
「ゲド戦記」は飛ばしたので、一つ前に見たのは「ハウルの動く城」なのですが、「ハウル〜」では映像表現に違和感がありました。
金属質の乗り物などをCGで合成しているのですが、その質感が浮いており、アニメの整合性としていまいちだと感じました。
今回は、そういった部分がほとんど感じられずに、コンピューターを使った部分の整合性がよく出来ていると感じました。
今回の「崖の上のポニョ」の背景は色鉛筆調です。
この背景を動かすのに、控えめにCGが使われています。その使い方は、背景オブジェクトの枠線を動かし、その線を境にマスキングして、中の色鉛筆調の部分は別のアニメーションをさせるといった使い方です。
これが、なかなか雰囲気がよかったです。
何より、色鉛筆調の背景が絵本っぽくてよかったです。
これは上手くできているなと思いました。
ただし今回は、絵は基本的にシンプルに作ってあるので、劇場で見るレベルの金の掛かった絵を見に行った人は肩透かしを食うだろうなと思いました。
私も、その点では不満が残りましたので。
ストーリーについても少し書きます。
基本は人魚姫伝説にのっとったものです。
大筋はあれでいいだろうと思いましたが、ラストの老人ホームのおばあさんたち絡みの展開は、説明不足というか、そもそもいらないだろうと思いました。
あそこを切って、上手いエピソードを入れて調整すれば、もっといい作品になっただろうと感じました。
もう一つ、ちょっとなあと思った点があります。
主人公の母親の行動です。
中盤以降、母親として問題のある行動が散見します。
・水が溢れて危険だと忠告されている道を、家に早く帰りたいという理由で、子供を乗せた車で突っ切っる。
・五歳の息子と、誰だか分からない幼女を洪水真っ只中の家に残し、職場が気になると言う理由で、家を出て行く。
演出的都合で母親が動いていて(主人公は終盤に、家から母親の職場に移動(冒険)する)、本来あるべき母親の行動を大きく逸脱しています。
ここはさすがに頂けないなと思いました。
あともう一点。どうでもいい感想です。
主人公は、幼女に「ぽにょぽにょしているからポニョ」と言い、幼女は喜ぶのですが、これは五歳だから許される会話だなと思いました。
大人の女性に同じことを言ったら、たぶん叩かれます。
以下、粗筋です。(少しだけネタバレあり。中盤まで書いています。ラストに関わるネタバレはないです)
海の底に、かつて人間だった男が住んでいた。
彼は、偉大なる海の精との間に魚の子供を儲けていた。
その内の一匹が、家を離れて冒険に出る。そこで底引き網漁船の網に巻き込まれてあやうく捕らえられそうになる
彼女はガラス瓶に頭を突っ込んだ状態で岸まで運ばれた。その彼女を助けてくれたのが五歳の少年だった。
彼女は、ガラス瓶を割った時に怪我をした少年の指を舐め、その傷を治す。
不思議な金魚を助けたと思った彼は、その魚を飼い始める。
しかし、娘を探しに来た父親に取り返されてしまう。彼女は、人間の血を吸った影響で半魚人となる。
父の許に戻った彼女は、父親が集めていた生命の水を飲む。
そして完全な人間の姿になる。強大な魔法の力を得た彼女は、海を荒し、大洪水を起こしながら少年の許に向かう。
海面は上昇し、町のほとんどは沈んでしまった。
少年と、元魚の少女は再会する。
彼女の父親は世界の危機を知る。海面が上昇したのは、娘の強大な魔力に引き寄せられた月のせいだった。
このままでは月が落下する。
彼は海の精の妻と会い、この世界の危機を救うために一計を案じる。
私は楽しめましたが、万人が満足するタイプの作品ではないなというのが感想です。
あまり、うるさ方には受けないだろうなというのが正直なところです。
単純に動いているのを見て「わー」と言える人向きの映画だと思います。五歳向けですし。
なので、行こうか行くまいか迷っている人は、頑張って見に行かないでもいいと思います。
最近三作の個人的評価としては、以下の通りでした。
「千と千尋の神隠し」>>「崖の上のポニョ」>>>>>「ハウルの動く城」
故人にだけ通じる密室芸
↓Permalink(感想&トラバ投稿)
2008/08/08(月) 02:36:25
『「会場のどこか片隅のちょっと高いところから」見ると原稿が白紙だということがわかる。つまり故人にだけ通じる密室芸なのだ』と。 なるほど。
2008/08/10 (日)
2008/08/09 (土)
2008/08/08 (金)
映画「ゾラの生涯」のDVDを七月上旬に見ました。
1937年の白黒映画で、監督はウィリアム・ディターレ。脚本はノーマン・ライリー・レイン他。
系統としては裁判系です。
フランスの文豪ゾラが、晩年に軍の不祥事を暴いた「ドレフュス事件」(冤罪事件)を中心に扱った映画です。
□Wikipedia - ドレフュス事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83...
□Wikipedia - エミール・ゾラ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82...
映画は面白かったです。
そして、軍部が力を増すと起こる腐敗を、まざまざと見せ付けてくれました。
軍部は言論を弾圧し、無罪の人間を体面を守るために有罪にし、その証拠を捏造し、裁判になると軍に不利な行動をことごとく禁止し、反論を封殺していきます。
世論が言論弾圧に向かいつつある昨今、見ておいてよい映画だと思います。
話は少し飛びますが、今読んでいる三島由紀夫のエッセー集「三島由紀夫の美学講座」(編:谷川渥)に、言論弾圧に関する興味ある記述があります。
「政治問題に関する言論を規制しようとする動きがあるときには、必ず、これをカムフラージュするために、道徳的偽装がとられ、あわせてエロティシズムや風俗一般に対する規制が行われるのが通例である」
(五十四ページから五十五ページの一文を引用)
まさに最近の日本はこういった状態です。
本映画でも、軍部の攻撃は、ゾラの書く反体制的な文章だけではなく、娼婦を主人公にしたエロティックな文章にまでおよびます。
この符号の一致は興味深いです。
政治的弾圧と、風俗への弾圧は、人々をすり潰す戦車の両輪であることを理解しておいた方がよいです。
“青少年のため”などと、一見口当たりのよいことを言っている人も、それに迂闊に賛同してしまっている人も、歴史的に繰り返されている事実を認識しておくべきです。
以下、粗筋です。(中盤ぐらいまで書いています。ネタバレ的なことはありません)
ゾラは、画家のセザンヌと共同生活を送っていた。二人は貧しかったが、芸術に生きることを誓い合っていた。
ゾラの書く文章は、反体制的でで軍部から目を付けられていた。だが、彼は自分の目指す道を曲げようとはしなかった。
時代が経ち、ゾラは成功した。彼は豪勢な館に住み、残りの人生を謳歌しようとしていた。
彼の許にセザンヌがやって来て、絶交を告げた。セザンヌは、守りに入ったゾラを糾弾し、去っていった。
これまで散々苦労した。残りの人生を気ままに生きて何が悪い──。
ゾラはそう考える。
その頃、一つの事件が起こる。軍の機密情報を流した罪で、ドレフュスという軍人が裁判で有罪を受けたのだ。
ドレフュスは、無実を訴えていた。だが、異常な愛国心の高まりの中、彼の主張は聞き入れられず、島流しに遭う。
ドレフュス事件を調べ、無実を報告した将官も遠方に飛ばされた。
軍の首脳部は、軍の面子を守るために、ドレフュスの冤罪を黙殺した。
ドレフュスの妻は、ゾラに助けを求める。民衆のために戦ってきたゾラならば、立ち上がってくれると思ったからだ。
だが、ゾラはその助力を断る。
ドレフュスの妻は、失意の下、無実の証拠となる資料を残していく。ゾラはその資料を見て、ドレフュスの無罪を知る。
彼は新聞にドレフュスの無実を主張し、軍を弾劾する記事を載せる。
軍はゾラを訴える。そして、軍部対ゾラの裁判が始まった……。
ともかく、裁判は腐っています。
司法が完全に軍部の言いなりです。
裁判所には多数の軍人が入り、席を占領し、ゾラに対する野次と、軍部を称える言葉を叫びまくります。
証拠のほとんどは「軍事機密」を盾に出しません。自分に不利な論点は全て裁判官を通して、封殺します。
軍の腐敗も凄いですが、司法の腐敗も酷いです。
司法が全く機能していません。
社会は、少し目を離すと、すぐに腐敗してしまうという事実を目の当たりにできます。
あと、“愛国心”というものが、いかに民衆を甘美に酔わせ、思考能力を奪ってくれるのかも理解させてくれます。
軍部は、民衆を扇動するために人を派遣するのですが、人々は凄い勢いで踊らされます。
数年後には、こういった状態になる可能性があるということを理解するためにも、こういった歴史は知っておいた方がよいと思います。
2008/08/07 (木)
2008/08/06 (水)
今回は「ロボット」ステージです。
簡単めのステージですので、勝つのは楽だと思います。パーフェクトもでるかもしれません。
月到着。今回は大きな動きはなし。
次回は時間差でソース博士が来襲します。
映画「或る夜の出来事」のDVDを六月下旬に見ました。
1934年の白黒映画で、監督はフランク・キャプラ。脚本はロバート・リスキン。
フランク・キャプラの映画はいいですね、今見ても素直によいなあと思います。
これまで見た他の作品が割と社会派(というか、純真な正義対、大人の悪といった感じ)だったのに対し、この映画はラブロマンスでした。
系統としては「ローマの休日」なんかのイメージに近いです。
富豪の娘と、偏屈な記者の恋の物語です。
よかったです。
この映画には、物語が盛り上がる仕掛けがいくつか用意されています。
まずは、“移動要素”です。
アメリカ西部の富豪の娘は、父親の目を盗んで、アメリカ東部にいる婚約者(娘が一方的に決めた)に会いに行きます。
飛行機や電車だと、すぐにばれるので、敢えて長距離バスを使います。
なので、ロードムービー的な移動要素があります。そのために、事件(障害や予定外の事件)が次々と起こり、観客を飽きさせません。
次は、どちらに転ぶか分からないといった“不確定要素”です。
富豪の娘は、婚約者に会いに行こうとします。そこで同乗した記者は、彼女を無事に婚約者の許にたどり着かせる代わりに、その道程を独占記事にすることを提案します。
この二人が、恋に落ちそうな予感は映画的に必然なのですが、富豪の娘は婚約者に会いたい一心で親元を飛び出しています。
そのため、彼女がどちらに転ぶか分からないといった“不確定要素”が観客の興味を引きます。
あとは、“追跡劇”の要素も入っています。
娘の父親に雇われた探偵たちが、彼らを探していて、それを二人は出し抜いていきます。
このように、様々なエンターテインメント要素が入っており、観客を飽きさせません。
よくできているなと思いました。
また、主人公の記者も魅力的です。
新聞記者だが、偏屈で仕事一筋で、恋愛にはほとんど興味はなく、上とは絶えず衝突している。
世俗的な意味では出世とはまるで縁がない不器用者だが、現実的な問題解決能力はずば抜けている。
そして金に対する執着はなく、富豪の娘を「甘やかされて育った娘」「父親の教育が悪いせい」と言って叱り、懸賞金などは無視して、あくまで彼女を仕事の対象として扱う。
さらに、ユーモアのセンスもある。
なかなか魅力的な人物です。
そして、頼って惚れてくる富豪の娘に心が傾いていく。
当然、すんなり上手くいくわけでもなく、どちらに転ぶか分かったものではないので、そこはハラハラさせられます。
恋愛映画なのに、私が突っ込みを入れたくなるような場所もなく(たいてい、何らか突っ込んでいるのですが)楽しめました。
以下、粗筋です。(ある程度のネタバレあり。ただし、この展開は特に書かなくても予想が付くと思います。終盤に入ったところまで書いています)
主人公は新聞記者。彼は、アメリカ西部から東部に移動する長距離バスで、一人の娘と隣の席になる。
最初は少々の対立があったものの、彼女は旅慣れていない様子で、彼はそれとなく助け船を出す。
そして、主人公は、彼女が行方不明になっている富豪の娘だと気付く。彼女は、アメリカ東部にいる婚約者の許に行こうとしていた。彼女の父親はその婚約に反対だった。
主人公は、彼女の旅を助ける代わりに独占記事を書かせてもらう約束をする。
そして、紳士的に振る舞いながら、様々なトラブルを解決していく。
旅が進むにつれ、主人公の魅力に富豪の娘は気付き始める。
そして、いつしか恋に落ちる。
しかし、東部が近付いてきて旅が終わろうとしていた。
彼女は主人公に告白する。しかし、主人公はすぐには返事をしない。彼は一足先に新聞社に戻り、独占記事を渡して退職金をもらい、彼女に返事をするために車を飛ばす。
だが、二人は行き違いになった。主人公に逃げられたと思った富豪の娘は父親を呼ぶ。父親と婚約者は今回の件を切っ掛けに和解していたからだ。
そして、二人のすれ違いは続いたまま、結婚式の日が近付いていく……。
最後は、「富豪の親父さん、グッドジョブ!」という感じでした。
そして、締めのシーンもニヤリとさせられるユーモア溢れるものでした。
面白かったです。
これぐらい古い作品でも、今見ても面白い映画は時々ありますね。
時代で風化しないものを作るのは、凄いなと思います。
2008/08/04 (月)
2008/08/03 (日)
2008/08/02 (土)
2008/08/01 (金)
映画「シマロン」のDVDを六月下旬に見ました。
1931年の白黒映画で、監督はウェズリー・ラッグルズ、脚本はハワード・エスタブルックです。
オクラホマを舞台として、アメリカ開拓の歴史を、開拓時代(1889年)から現代(1931年。映画の公開年)まで描いた作品です。
なかなか面白かったです。
開拓者というと荒くれ者や無法者を想像しますが、この主人公はそういった枠に納まらない人物です。
一流のガンマンであり冒険家でありながら、開拓地に新聞社を起こし、先住民の権利保護のために戦うというのは、一筋縄ではいきません。
また、娼婦を迫害する裁判に、彼女らの人権保護のために弁護人を務めるなどといった活躍も見せます。
肉体的強者で英雄的存在でありながら、先見の明があり、その能力を虐げられている人々の保護に使う。たとえその時代に理解されなくても、妻に反対されても、自分の価値観を信じて実行する。
主人公は、真の意味での英雄のように振る舞います。
しかし、そうかと思えば一所に留まることができず、家を妻に任せて冒険に飛び出して数年戻ってこなかったりする。
主人公は、そういった二面性も持っています。
この映画を見て思ったのは、アメリカ的神話だなということです。
歴史の浅い国であるアメリカは、神話時代を持たず、そのために国民の中から英雄を求める傾向があるという話を読んだことがあります。
そういった、「自分たちの神話」として評価されるタイプの映画だなと思いました。
過去のアカデミー賞作品の中には、このタイプの「アメリカの神話」を描いた開拓物語がいくつかあります。
この映画は、そういった映画の一本だなと感じました。
映画は、開拓時代の風俗をいろいろと見られてよかったです。
その中でも特に面白かったのは、ゼロからの町の発展の仕方を描いている部分です(映画全体を通して描かれています)。
映画は、まず最初は土地獲得レースから始まります(Wikipediaによるとグレート・ランと呼ばれているらしい)。
□Wikipedia - シマロン (映画)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82...
レースの開始とともに馬や馬車で数千人が一斉に走り出し、地面に旗を立ててその場所を獲得します。
そして、テントや小屋が立ち並び、初期の町が出来ていきます。さらに町に鉄道が通ったりして、どんどん大きくなっていきます。
この映画では、その町の成長の様子(アメリカの発展の様子)が、単なる背景ではなく、きちんとした風俗描写の変遷として描かれていました。
こういった“町の発展”の物語は好きなので、そういった面でも楽しめました。
当然、主人公周りの人間ドラマも楽しめました。
以下、粗筋です。(あまりネタバレが問題になるような作品ではないので、普通に書いています。終盤に入ったところまで書いています)
開拓時代のオクラホマ。新たに解放された土地に、多くの入植者たちがやって来た。
ガンマンとして名を馳せていた主人公も、妻と子供とともに新しい町にやって来る。彼はこの町に新聞社を作り、先住民たちの権利保護を推し進めようと考えていた。
無法者との戦いなどを経て、彼はこの町の有力者の一人となる。
町の発展とともに新聞社も大きくなる。だが、新たな土地の解放とともに、主人公は旅に出る。彼は一つの土地に長く留まれる人間ではなかったからだ。
一人残された妻は、主人が帰ってくるまで新聞社を維持する。
時代は移り、油田ブームがやって来た。人々は先住民を追い出し、石油の利益を手に入れようとする。
帰って来た主人公は、新聞上で対抗する論陣を張り、アメリカ各地の新聞から賞賛を浴びる。
その後主人公は再び旅に出る。
時は移り現代になる。新聞社は巨大ビルとなり、年老いた妻は女性議員となっていた。彼女は議員就任のパーティーを開く。そこには、主人公以外の懐かしい顔ぶれが揃った……。
町が成長していくに従い、どんどん環境が変化していくので見所の多い映画でした。
Wikipediaの記事を読むと、アカデミー賞最優秀作品賞を獲得したにもかかわらず大赤字だったそうです(これには、大恐慌の影響だという説もあるそうです)。
出来はよいので、環境要因が大きいのではないかと思いました。
2008/07/31 (木)
久しぶりにソース博士登場。
今回のシリーズはソース博士が大活躍します。
映画「チャンプ」のDVDを六月下旬に見ました。
1931年の作品で、監督はキング・ヴィダー。
かつて世界チャンピオンだった酒びたりの男が、息子のために再びチャンピオンを目指すという話です。非常に王道の物語でした。
そして、子役のジャッキー・クーパーの演技が非常に上手かったです。
最初にも書きましたが、話は本当に王道です。
能力はある(元世界チャンピオン)けど、今はそれが発揮されていない主人公が、底辺の生活の中の唯一にして最大の希望(息子)が奪われそうになり、それをしっかりと放さないために困難な道(復帰戦)を目指すという話です。
もう本当に、ストライクゾーンど真ん中の直球勝負です。
短めの作品でしたが、よく出来ていて楽しめました。まあ、終盤のボクシング・シーンは、かなり大味で、前時代の戦い方(フットワークほとんどなし)だなと思いながら見ていましたが。
以下、粗筋です。(ある程度のネタバレはあり。それが問題になるような映画ではありません。終盤直前まで書いています)
主人公はボクシング重量級の元世界チャンピオン。しかしそれは過去の栄光で、今は酒とギャンブルに溺れる生活をしている。
彼にはまだ少年の一人息子がいた。その息子はよく出来た子で、酔った主人公を介抱したり、ボクシングの練習を促したりしていた。
主人公は、ある時、ギャンブルで大勝する。その金で、息子がかつてから欲しがっていた馬を買ってやる。
息子はその馬を競馬場で走らせる。そこで主人公と息子は、思いがけない人物に出会う。
その人物とは、主人公のかつて妻だった女性だ。彼女はチャンピオンだった主人公と結婚し、息子を産み、主人公が転落人生をたどった時に、息子を手放し、富豪と結婚していた。
主人公は彼女のことを息子に話していなかった。
彼女は久しぶりに自分の息子を見て、彼を自分の手元に引き取りたいと考える。
主人公は反対する。だが、金がないためにお金をもらって息子を会わせに行かせる。しかし、決して息子を手放そうとはしなかった。
だが、転機が訪れる。町で酔っ払って喧嘩をした主人公は牢屋にぶち込まれる。息子の将来を思えば、富豪に嫁いだ元妻に息子を引き取らせる方がいいのかもしれない。
主人公は泣く泣く息子を手放す。
だが、息子は主人公のことを愛していた。脱走した息子は主人公の許に戻ってくる。
この子のために、お金を稼がなければならない──。
そう決心した主人公は、再び世界チャンピオンを目指すためにトレーニングを始める。
以下、個人的な感想です。
この母親は根性捻じ曲がっているなと思いました。
金のために夫と息子を捨てておきながら、久しぶりに息子を見たからといって、再び自分の物にしようとするのはどうかと思います。
虫がよすぎます。
息子にとって何がいいかという問題は置いておいて、こういった身勝手なことをする人間は幸せになって欲しくないなと思いました。
2008/07/30 (水)
2008/07/29 (火)
2008/07/28 (月)
映画「ブロークバック・マウンテン」のDVDを六月中旬に見ました。
2005年の映画で、監督はアン・リー。脚本はラリー・マクマートリー他です。
よく出来た映画だとは思いますが、私はあまりぐっと来ませんでした。
たぶん、叙情性が高く、話の進展が比較的緩やかなせいだと思います。
盛り上がりどころがあまりなく、淡々と進んでいく感じの話でした。
さて、この映画は話題になりましたが、山で肉体関係になったゲイの話です。
一人は元々ゲイで、もう一人は元々ノンケの男です。
よく出来ているなと思ったのは、この二人の関係が、多元性を持っているからです。
単なるゲイの話として見なくても、男の友情の機微とも見られるし、恋愛の機微とも捕らえることができます。
「男の友情って、こういったところがあるよね」とも思いますし、「恋愛って、こういうところがあるだろうね」とも感じます。
見る人それぞれが自分の人生から、「そういった関係はあるかも」と思わせてくれます。肉体関係を除いてという意味ですが。
そういったことを思わせるという意味で、よく出来た映画だなと思いました。
映画には、二つ印象に残る演技やシーンがありました。
一つは、ゲイ役のジェイク・ギレンホールの目力です。誘っています。「アイ・アム・ゲイ、ウェルカム!」という感じの目付きをしています。
ゲイ・ビームというか、そういったものを目から放っています。「うわー、ゲイだ」と思いました。
もう一つは、元ノンケの男が、彼との関係を奥さんに見られるシーンです。
奥さんの困惑と、「行かないで」と言いたいけど、言ってしまうと今見たことを認めてしまうことになるという混乱が非常に印象的に描かれていました。
ちょっと奥さんがかわいそうでした。
そういった印象的なシーンはいくつかありましたが、全体的にテンポが緩やかなので、あまり私の好みではありませんでした。
もうちょっとサクサクと進む映画の方が好きですので。
まあ、大自然の雄大さや、それと対比させたままならぬ人生を描いているので、こういったテンポになるのは分かるのですが。
私個人の感想としては、そんなところでした。
以下、粗筋です。(中盤ぐらいまで書いています。ネタバレで困るような部分は書いていません)
一人の男が、ブロークバック山にやってきた。一冬の間、羊を放牧しながら山を移動させるという仕事をするためだ。
彼はそこで同じ仕事にやって来た男と生活を共にする。そして肉体関係に至る。彼は後悔する。彼には婚約者がいた。そして冬が終わり、彼らはそれぞれの生活に戻っていった。
主人公は結婚し、娘が生まれる。
平穏な家庭。だが、その生活は一通の手紙で壊れる。ゲイの男からの「山に行こう」という誘い。彼を求めていた主人公は、二人で山に行くことを決める。
ゲイの男が家にやって来た。迎えに行った主人公は、建物の陰で抱き合い口付けを交わす。だが、その様子を妻が窓から見ていた。
「行かないで……」
彼女は夫に恐る恐る頼む。だが彼は山に行った。そして家庭は崩壊し、養育費だけを稼ぎ続ける人生が始まる。
二人は、苦悩の原因が互いの関係にあることを知っていながら離れられなかった。相手のことを忘れられれば楽になることが分かっていながら辛い人生を歩み続ける。
そして、徐々に年を取り、彼らはそれぞれの日常を持ちながら互いの関係を続けていく……。
終盤は泣かせる話でした。
叙情を叙情で終わらせるには、ああいった展開が望ましいと思いました。
私個人は好みではありませんでしたが、映画の出来はよかったです。
2008/07/26 (土)
大掃除でテレビを処分したので、今私の家にはテレビはありません。 まあ、人と同じ物を見ないといけないわけでもありませんし。
2008/07/25 (金)
数ヶ月にわたって、ちびちびと作っていたサイトをようやう実験公開します。
「EXリバーシ」です。
□EXリバーシ
http://crocro.com/ex_rev/
「EXリバーシ」は何かと言うと、柳井が開発した初期配置付き、特殊盤面のリバーシです。
プレスリリース(来週の頭ぐらいに送付予定)からの引用で、特徴を説明します。
「EXリバーシ」は、初期配置付きの変形盤面で、コンピュータとリバーシの対戦を行うソフトウェアです。
どれだけ多くの石を獲得したかで成績が決まり、他のプレイヤーと成績を競い合うことができます。
「EXリバーシ」は、2000年に開発されてから8年の実績を持つJAVA製のプログラムです。
これまでダウンロード販売やネット上での成績ランキング、i-appli用ソフトのアルゴリズムとして利用されてきました。
さて、「EXリバーシ」の新サイトについてです。
「えー、今までずっとネットランキングで公開していたじゃないかー」と思うかもしれませんが、大きく変わっています。
CGIを1から全て書き直しました。JAVAのプレイ部分も一新しています。かなり別物です。
以下、特徴です。
・100以上の公式ステージを遊べる。(今後も増える予定)
・ユーザーが自由にステージを作って投稿できる。(ステージエディット機能あり。ステージには、検索用のタグを付けられる)
・成績ランキング機能。(各ステージの成績でランキングを表示)
・棋譜の閲覧機能。(成績記録と同時に棋譜が記録され、ネットから閲覧できる)
・コメント機能。(短文でコメントを付けることができる)
・管理者機能。(ステージを作った人は、コメントの削除や、ステージの修正などが行える)
・ブログパーツ機能。(タグをコピペすることで、自分のサイトにEXリバーシを貼り付けることができる)
・盤面が広くなった。(以前は13マスだったのが、16マスに拡大)
・COMを三人まで指定可能。(プレイヤーV.S.COMだけでなく、プレイヤーV.S.COM1+2+3が可能になった)
・中立石を利用可能。(プレイヤーV.S.COM1の場合に、COM2やCOM3の石を中立石として配置可能)
・石の色を選択可能。(黒白だけでなく、赤や青などを選択可能)
以前からやろうと思っていたことを、ほぼ全て入れました。
取り敢えずは1週間ほど実験公開という形で様子を見て、その上で正式公開としたいと思います。
実験公開中は、データを消したり、差し替えたりといった事が行われる可能性があります。なるべくないようにしますが、その際はすみません。