●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●           PBeM     猪槌城(いづちじょう)                第五回結果 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●                                     柳井政和 ver 0.01 2000.04.15 ver 0.02 2000.04.17 ver 0.03 2000.04.18 ver 0.04 2000.04.19 ver 0.05 2000.04.20 ver 0.06 2000.04.22 ver 0.07 2000.04.26 ver 0.08 2000.04.27 ver 0.09 2000.04.28 ver 0.10 2000.04.29 ver 0.11 2000.04.30 ver 0.12 2000.05.01 ver 0.13 2000.05.02 ver 0.14 2000.05.03 ver 0.15 2000.05.04 ver 0.16 2000.05.05 ver 0.17 2000.05.10 ver 0.18 2000.05.25 ────────── ver 0.19 2000.09.11 関西弁を修正 ver 0.20 2000.09.24 誤植を修正 第9、10、11話の結果です。第六回のシナリオは、また別にアップいたします。 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- ■ ■■■第9話「月組討伐」 ■ =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------  月河の木々に熱い日差しが降り注ぐ。婚礼の儀より一夜明けた昼。陽光の下では、町か らの避難民が列をつくり月河を渡っている。  はるか上空より月河を見下ろすと、月河の広がる大地には、川と人の流れで十字が描か れている。まだ、月の都人たちは現れていない。  ここでしばし、月河の地勢について触れておきたい。  猪槌の里の北にある鈍砂山。月河はその山に源流を持つ。  月河の源流は大きな一本の川である。だが、猪槌の里の東、中流地帯では多くの支流を 持つにいたる。月河を上空から見下ろせば、青々と茂る樹木の間を縫うように、北から南 に向かい網の目のような細流を見ることができる。  月河が多くの支流を持つのは、この土地の土の質に関係がある。月河の土はゆるい。葉 と枝の層の下には、腐葉土の地、泥濘地、そして月河の支流がある。どの土地も過分に水 を含んだいる。  これらの水を豊富に含んだ土地は農業に適している。  月河では、早くから農業が始まった。猪槌の地ができて以来、人々はこの土地の木々を 伐採し、その下にある腐葉土、泥濘でもって稲作をおこなってきた。  幸い水は豊富である。月河よりいくらでも引ける。水はけの問題は、田に土を盛り上げ ることで解決された。月河の水位より高くなるように土を盛り上げれば、根は腐らず、稲 は大いに成育する。  月河の地の田畑だけで、猪槌の里の全食料をまかなうことができる。実際のところ、こ の地は猪槌の人口に対しては過分に広く、まだ多くの土地が手付かずで残っている。猪槌 の城下町に近い土地ほど開発が進んでおり、月河の本流をこえた土地はほとんど手付かず と言ってよい状態である。  この月河本流より向こうの地は、水虎と呼ばれる一族が住んでいる。  月河の支流がつくる半月湖に、いくつもの集落をつくって暮らしている。月河本流をこ えた土地には田畑は少ない。彼ら水虎たちが食べていくだけの田畑しかない。水虎たちが 住んでいる土地は樹木の伐採が進み、その集落の周りには高木はなく、葦の原が広がって いる。  その水虎の土地に、今多くの難民が流れ込みつつあった。  彼らは月河の本流を渡り、水虎たちの土地に移りつつある。月河の本流を渡るには船を 使う。川の流れはそれほど急ではなく、泳いで渡ることも十分可能であるが、疲労した人 々は船を待った。橋はかかっていない。これは、防衛上の観点からであろう。  人々の多くは、城下町での大惨事を伝え聞いていた。実際に体験し、命からがら逃げ出 してきた者も少なくない。  人々は苛立っている。人々の数に対して船の数は足りず、既に混乱が起こり始めていた。 ────────────────────────────────────────  <大矢野一郎>(おおやのいちろう)は聖職者である。元々出身は西国であるが、その 頃については多くを語らない。彼が口にする言葉は、いつも聖書にまつわる言葉である。  大矢野は月河の岸辺にいる。周りには、見渡す限り城下町からの難民がいる。彼らは一 様に対岸に渡るための船を待っている。船の数は少なく、人の波は川の手前で塞き止めら れている。  彼らの中で、月河を泳いで渡ろうとする者はいない。多くの者が、家財道具とともに流 浪しているために、川で財産を失うのを恐れているからだ。  人の執着は恐ろしい。人々が財産を捨て、清貧の心で臨むのならば、事態はすぐに解決 される。いち早く全ての民が川を渡れば、月河を防衛線として敵への備えは万全となるだ ろう。  しかし、人の心は欲を捨てるようにはできていない。自らの財産を守るために船を待ち、 そのために人々の心は荒れ、そこら中で喧嘩や殺傷が起こっている。  船着場の入り口に、聖書を持った大矢野の姿がある。喉をからし、人々に声高に叫んで いる。乱れきった人々の心を救う術は一つしかない。信仰である。そう大矢野は思ってい る。  百人の民が百の心を持てば乱が起こる。百人の民を治めるには、一つの信仰でもって、 心を一つにするしかない。信仰でもって組織を作る。それが人々の混乱を静め、これから の苦難に立ち向かう方法である。  「敵が来る」昨晩の≪爪牙≫(そうが)の言葉が思い出される。昨夜半、薄い月明かり の下、この船着場の小屋に爪牙が尋ねてきた。外では川の音だけが聞こえ、小屋の中は、 青い闇の中ひっそりと静まり返っていた。 「敵が、猪槌の民の殲滅を考えているのならば、難民が列をなすこの月河に、遅かれ早か れ現れるであろう」  敵の、城下町での虐殺を思い出しているのであろうか。爪牙の目が、月明かりの中、淡 い蒼光をたたえている。  大矢野は窓から外の様子を覗く。月河の岸辺一面に難民たちの姿がある。  「半分は死ぬだろう」爪牙が口を開く。  「何とか、みんな救えないでしょうかね」大矢野が苦笑まじりに言う。 「無理だ。せめて川を渡らねば守ることはできない。川を背にし、開けた土地で、飛び道 具を持った敵を待つ愚はない。渡れぬ者は死ぬだろう」  爪牙が無情に言い放つ。それくらい分かっているさ。大矢野は心の中で呟く。人は、自 らの欲で自らの寿命を縮めるようにできている。人が最も愛するのは、自分の目の前にあ る欲望だ。  「もし人々が財産を捨て、泳いで川を渡るのならば」そんなことはない、と大矢野は思 いながら言葉を続ける。「全員助かるかな」 「生きる可能性は増えるだろう」  爪牙は答える。  景色が変わる。昼の月河が戻ってくる。暑さにやられたのか、一瞬立ちくらみをしたよ うだ。大矢野は陽の光の下、再び声を張り上げる。 「今こそ全てを捨て、神の愛に身をまかせ、川を泳いで渡るのです」  陽はじりじりと肌を焦がし、大矢野の頬に一筋の汗を作る。私がモーゼならば。大矢野 は乾ききった唇を噛む。  川は無情にも人々の流れを塞き止めている。最大の敵は人の心か。既に大矢野の体には 酒気はない。汗を流し、無心に声を張り上げている。 「大矢野のおっちゃん。こんな広い川なんか、泳げっこねえよ」  気がつくと大矢野の周りに子供たちが集まっている。どの子も貧家の子供たちである。 富裕の者は大矢野の言葉に耳を貸そうとしない。しかし、既に失う物もない、貧しい家の 者たちは大矢野の言葉を熱心に聞いていた。 「いや、渡れるさ。神の愛を信じて進めば、できないことなど何もない」  大矢野は、子供たちに向かい笑みを浮かべる。 「さあ、みんなの家族を連れてくるんだ。一緒に川を渡ろう」  大矢野はさらに声を張り上げ、財産を捨て、川を泳いで渡る者たちを募った。 ────────────────────────────────────────  月河を東に渡った向こうは水虎の地である。水虎は、月組とも呼ばれる忍びの者たちで ある。  月河の支流から分かれてできた月河最大の半月湖、睦月の周りには、月組最大の氏族、 青眼の集落がある。睦月の周りは、樹木の伐採のため高木はなく、葦の原が広がっている。 葦の丈は高く、視界を遮られた足元には突如川の細流があり、慣れた者でなければ足を取 られて身動きが取れなくなってしまう。  月河はその本流の西と東では人の気質が違う。月河本流の西の人々の気質は鷹揚で、人 に対しても温かい。それは、労せずして作物が取れるこの穀倉地帯におうところが大きい。  それに対して月河本流の東では、どこか人の性が暗い。忍びという生業に相応しい、自 分たちの組織に仕える篤実さは十分にある。しかし、どこか鬱屈した献身を示す。いつも 抑圧から抜け出そうとする雰囲気が水虎たちの中にはある。  また、彼らは変化を嫌う。同じ忍びでも、西の雪組は変化に敏感である。猪槌と外界と の間に居を構え、平素その貿易で稼いでいる彼らにとって、変化は当たり前のものであり、 どこかその性も明るい。  水虎たちは「この僻地に追いやられた」と言わんばかりの恨みを持って世の中を見てい る。彼らは変化を嫌い、彼らがこの地に来た原因「変化」を憎んでいるような素振りさえ 見せる。 ────────────────────────────────────────  月組の忍者は変化を嫌う。変化に対し鬱屈した憎しみを持つのが月組忍者の典型とも言 える。<曹沙亜>(そうさあ)の下につけられた下忍たちもそういった月組忍者である。  彼ら月組の下忍にとって、青鉢巻として突如地位を得た曹沙亜は、悪以外の何者でもな い。修行時代に最も能力のなかった曹沙亜が、にわかに神通力を得て彼らの上に立つ。心 よく思われないのも仕方がない。曹沙亜には人望を得るだけの過去がない。  自然部下は卑屈にならざるを得ない。  曹沙亜の下につけられた忍者は三人である。名は<嵐>(らん)、<崇>(すう)、 <幹>(みき)と言う。年は曹沙亜より幾分上で、修行時代には曹沙亜を叱責したことも 少なくない。月組の忍者に多いのだが、独立した動きを好み、しばし上官の命令を無視す るため、出世はひどく遅い。月組では、上司に対して篤実であるか、目を見張るような功 績を立てない限り、出世の道はない。 「曹沙亜殿、我らに指示を」  三人のまとめ役である嵐が尊大な態度で曹沙亜に臨む。曹沙亜は、睦月の葦の原で、 <鯨州丸>(げいしゅうまる)に棍の手ほどきを受けている。嵐の言葉に振り向こうとし た曹沙亜の足を、鯨州丸の棍がすくう。  「どうした曹沙亜」鯨州丸が声を上げる。  倒れた曹沙亜の姿を見て、嵐、崇、幹が失笑する。あの程度の棍もかわせないのかと言 わんばかりである。  昨夜、青鉢巻たちは爪牙の屋形に呼び出された。 「部下を持たせる」  爪牙はそう告げ、各面々に名前の書かれた紙を手渡す。命令は出す。が、その部下を従 えることができるかは、各人の力量による。爪牙の言葉を受け、青鉢巻たちは、それぞれ の氏族のもとに戻った。  曹沙亜の命令書に書かれていたのは、彼より年上で、彼より腕の立つ三人の下忍の名前 であった。果たして従えることはできるのか。  彼らは曹沙亜の命令に、うわべだけは従っている。しかし、命令に心から服従している わけではない。  それに、曹沙亜にはまだやるべきことが多く残っていた。銃を使いこなせるようになら なければならない。個人の戦闘能力も磨く必要がある。神通力の修行も必要だろう。部下 の心の掌握に全ての時間を使うわけにはいかない。  曹沙亜の心の中で焦りが生じている。 「曹沙亜、そんなことでは青鉢巻が泣くぞ」  鯨州丸の叱咤が飛んでくる。曹沙亜は素早く立ちあがる。嵐、崇、幹の三人は、暇そう にその様子を見ている。 「特訓は進んでいるようだな」  鯨州丸と曹沙亜の間に、いつのまにか青い目の爪牙が立っている。曹沙亜の三人の部下 たちは、慌てて居住まいを正す。 「曹沙亜よ、今夜の軍議にはお前も参加するのだ」  曹沙亜はうなずく。嵐、崇、幹の三人は、顔を見合わせる。軍議といえば、族長会と同 じ面々が出るはずである。曹沙亜の地位はそれほど高いのか。彼ら三人の、曹沙亜を見る 目が変わる。 「鯨州丸、お前もだ」 「応」  爪牙がわざわざ足を運んだのには訳がある。水虎の気質は爪牙自身も良く分かっている。 青鉢巻たちは、月組においては異例の抜擢と言ってよい。自然、部下もその上官を侮り、 なかなか従わない。こうして爪牙自身が足を運ぶことにより、彼らの人望を上げる一助と なしている。 「待っているぞ」  爪牙はそう言い残し、次の青鉢巻のもとに向かった。 ────────────────────────────────────────  月河の本流を横切る一筋の人の群れがある。家財道具を捨て、川を渡っている一群の先 頭には大矢野の姿がある。大矢野に率いられた貧者の群れは、緩やかに流れる月河を泳ぎ 渡っている。  その中に、ぼろをまとった男がいた。  <三畳>(さんじょう)である。≪黒鬼≫(くろおに)として城下町を跋扈していた三 畳は、城下町の壊滅後、難民に紛れ月河に来ていた。三畳は考えあぐねていた。船で渡ろ うにも順番待ちがはなはだしく、かと言って泳いで渡れば目立ち過ぎる。  三畳が狙うのは、妻を殺した氏族の族長、≪赤髪≫(せきはつ)の命である。暗殺に向 かう者が、目立った行動をとるわけにもいかない。しかし、好機が訪れた。大矢野という 男が人々を扇動し、川を渡らせ始めた。この中では、三畳の姿も目立つことはないだろう。  三畳は月河の本流を泳ぎ渡り東の岸につく。人々は、大矢野のもとに集まっていく。そ の光景を横目で見ながら、三畳は林の中に消える。  三畳は林の中を駆けていく。日差しが照り付けていた月河の西と違い、木々が大地を覆 う東の空気は涼しい。体を濡らす水が、三畳の体温を奪っていく。  着物の水を絞らねば。三畳は歩をゆるめ、腰の紐を解く。木々の間から白刃がきらめき、 襲いかかってくる。月組の見張りであろう。三畳は寸でのところでかわし、林の中に逃げ 込んだ。  ここは敵地である。赤髪の命をとるまでは死ねぬ。三畳は走りながら抜刀する。 ────────────────────────────────────────  陽が落ち、暮色が辺りを覆いはじめる。月河の東、月河最大の半月湖、睦月に月組の族 長たちが集まり始めている。  各々の氏族の族長たちは、青い目の爪牙の屋形に入っていく。屋形の周りでは、青眼の 下忍たちが警備をしている。 「鯨州丸だ」  見上げるような巨漢が屋形の入り口を抜けていく。今回の軍議から、参加を許された鯨 州丸だ。これまでの功績を認められ、あれよあれよと出世した出世頭である。 「<白眉>(はくび)だ」  顔色の悪い男が入り口を通る。<信光>(のぶみつ)の失態のため、月組での白眉の立 場は弱くなっている。声は小さく、目立たぬよう屋形に入る。 「曹沙亜です」  青鉢巻たちも族長会に現れる。曹沙亜は、会議の部屋のふすまを開け中に入る。既に幾 人かの族長たちが集まってる。曹沙亜は、鯨州丸と同じく末席に座る。  全ての族長が集まった頃、上座に爪牙が現れた。青い目が灯火できらめいている。 「思うところを話せ」  爪牙はその一言を言うと口を閉じた。爪牙は、瞬時の判断を要される戦の場以外では、 即決しないことが多い。各族長に十分の議論をおこなわせ、その中から意見を採用する。 多くの場合は、族長たちの総意を爪牙がくむという形で議論が終わる。  それは、爪牙が年若いことに関係している。年少の爪牙が、全ての事柄を独断で決定す ればすぐに不満が噴き出す。そのことは爪牙にも分かっている。そのために、各族長の意 見に重きを置き、その中から自分の考えに最も近いものを採用するようにしている。 「あっしならとりあえず殴りに行きます。強ければ引きますし、相手が弱いならそのまま 叩きつぶします。それじゃだめなんですかい」  末席から鯨州丸が大声を上げる。上席にいる白眉が「この成り上がり者め」と言いたげ な表情を作る。爪牙は表情を変えない。 「はっはっは、面白い奴め。我ら水虎の考え方では、そうするのが正しかろう」  上席に座る赤髪が、ひざを叩いて笑い声を上げる。赤髪は言葉をつぐ。 「そもそも我ら月組は、猪槌の里を≪千重≫(せんじゅう)殿が見つけられた時からの先 住の民だ。我々がこの猪槌の里を興してきたと言っても過言ではないだろう。  今は月組は氏族単位で集落を作っているが、昔は組制をとっており、新月、三日月、半 月、十六夜など多くの組があった。しかし、外部からの侵入者により多くの組がつぶされ、 今はその名残を猪槌城警備隊の十六夜に残すだけになっている。  我らが先祖は、西からの侵入者により徐々に東に追いやられ、今では月河の東という辺 境の地に至っている。今の月組は、残った組が合わさり、住む場所により氏族として分か れたものに過ぎない。それも全て、外からの侵略者たちのせいだ。戦わずして何とする」 「そうだ」  一同が爪牙を仰ぎ見る。 「覚えているだろう。外からやってきた雪組のことを。雪組は次々と殺戮を重ね、我らが 先祖をこの地に追いやった。今また、新たな侵略者が来た。手をこまねいて、ただ見てい れば次はどこに追いやられるだろう」 「逃げ場はないな」  白眉が弱気な声を上げる。 「戦うべし」  赤髪が激しい声を上げる。 「問題は、いかにして戦うかだ。みなの者、議論を尽くせ」  そう言い残すと爪牙は立ち上がり、会議の大部屋を後にした。爪牙は長い廊下を渡り、 葦の原にたたずむ離れに立つ。月が空に浮かぶ。月は欠け、暗い面が勝りつつある。夜の 霧が、昼の陽で焼けた草を柔らかく濡らしている。風が爪牙の脇を過ぎ去っていく。  月を見ると、なぜか懐かしくなる。爪牙の目には、青い光が揺らめいている。  廊下を踏む音がする。「曹沙亜か」爪牙は声をもらす。廊下の先には曹沙亜の姿がある。 「軍議はどうした」  爪牙の声に曹沙亜はかぶりを振る。 「俺には、あの場で話せるほどの意見がない」  爪牙が笑いを忍ばせる。 「どうだ、部下は」 「三人。たとえその数でも俺には難しい」 「将器は、生まれつきのものだ。駄目なら駄目であきらめる」  曹沙亜が複雑な顔をする。今はまだ戸惑っているだけだろう。 「爪牙、敵はどこから来たのだろうか」 「月組の族長の間には口伝がある。こうべより分かたれた青い目、仙人と共に異土を目指 す。仙人は、故郷を思い彼らに月の名を与える。彼らは子を産み増やし、異土に根付く」  曹沙亜は爪牙の言葉に耳を傾ける。 「猪槌の里を最初に開いたのは、千重と我ら月組だ。そして、過去の青い目たちの記憶は、 奴らのことを月からの侵略者だと言っている」  「月からの侵略者」曹沙亜は考え込む。そして、思いついたように顔を上げる。 「どうだろう爪牙、月を隠すのは。彼らが本当に月からやってきたのなら、その本国であ る月を隠し、連絡を絶てば混乱するかもしれない」  「ふむ」爪牙は、思案する。 「爪牙、提案してくれ」 「お前の考えた案だ。お前が自分で言うんだな」 「えっ」 「だいたいお前は、会議に出られるようになったのに下ばかり向いている。そろそろ族長 たちの前で自分の意見を言ってみろ」  爪牙は、ゆらりと姿を廊下から消す。  大広間で曹沙亜が意見を言い終わった頃、爪牙は軍議に戻ってきた。 「どうなった」  爪牙の問いに赤髪が答える。 「月河本流を防衛線とし、天然の堀とします。また、月河本流の渡河を困難にするために、 鈍砂山で雨を降らし、川を増水させます。さらに、月河本流の決戦予定地点では、厚い雲 を呼び視界を遮り、かつ月を隠し闇にします」  爪牙は満足げに頷く。 「城下町の難民は、開戦前までに渡河させろ。開戦時点で月河より西にいる者たちは死ん だものとする。今度の戦は攻める戦いではなく、守る戦いだ。月河を渡られれば後はない」  各々配置につけ。爪牙の指示に従い、各族長たちがあわただしく動き始める。 「曹沙亜、お前は俺についてこい」  睦月の端に爪牙は走る。曹沙亜は後を追う。大きな老木に登り眼下を見下ろすと、月河 一帯が目に入る。  月明かりの中、無数の水面がきらめいている。目をはるか西に向けると、城下町の辺り に光の柱が揺らめいている。  「曹沙亜。念じろ」爪牙が空を見上げて口を開く。 「爪牙、何を念じるのだ」 「雨を呼べ」 「俺にそんな力は」  「ある」爪牙が、曹沙亜の言葉を遮る。「雪組の天井屋敷を攻めるとき、お前が天の気 を変えた。お前には天の気を変える力がある。この古木の中に玄室がある。月組の代々の 青い目の骨を入れている木の洞だ。この玄室で念じろ。お前の神通力で、この古木と心を 通わせ天の気を変えるのだ。必ず雨は降る」  爪牙は、決然とした口調で言う。 「古木と心を通わせるなど、俺にできるだろうか」 「できる。既にお前は鍵を持っている」  「鍵」曹沙亜が首をひねる。 「ちはやだ。ちはやを持ち玄室に入れ。命を削り、雨を呼ぶのだ」  爪牙が枝から飛び降りる。古木の傍らに、軽い草を踏む音が聞こえる。爪牙は去った。  曹沙亜は古木の幹に手を触れる。木の声が心に谺する。木の幹に洞の入り口が見える。 曹沙亜は手を伸ばし、その木の中に滑り込む。 「良いか、守るのだ」  古木を見やりながら、爪牙は嵐、崇、幹に声をかける。「御意」そう言うと、三人は古 木を囲むように散開した。 ────────────────────────────────────────  白眉は自分の氏族の館に戻ってきた。表情は暗い。白眉の部隊は、赤髪と同じく先鋒で ある。通常の戦なら、戦果を上げる絶好の位置である。しかし、このたびの戦ではそうは いかぬであろう。  死にに行くようなものだ。白眉はうめく。早く月組を掌中に収めねば、死地に送り込ま れて殺されてしまう。  白眉は震える手で酒をあおる。 「いくら戦さ前でも、深酒は良くないでしょう」  ふすまが開く。羽織をつけ、帯刀した女人が入ってくる。眉目整い、匂い立つよう麗し い。男装はしているが、佳人であることは一目で知れる。 「<鱗>(りん)殿か」  白眉の前に鱗は腰を下ろす。 「今日は先日お話ししたことの返事をいただきに参りました。決断はしていただけました でしょうか」 「確かめておきたい。鯱は間違いなく立つのだな」 「ええ、間違いなく」  白眉の顔が下卑た表情になる。 「爪牙を殺し、青眼が混乱した隙に月組を支配する。その暁にはもちろん、わしを重臣と して迎え入れるのだな」  鱗は頷く。 「もちろん重臣の一人としてお迎えいたしますわ。あなたがその有能さを発揮していただ けたらですが」  白眉の目に怒気がこもる。 「何をお悩みですの。大事な部下に先立たれ、先ほども手駒の一つを自ら手放したばかり。 後がないことはあなた自身がよくおわかりでしょう」  鱗は白眉の目をじっと見据える。白眉はたまらず目をそらす。このような戯言も、月組 があっての話だ。早晩月組は滅ぶやもしれぬ。 「わかった。申し出を受けよう。だが約束は」 「もちろん、わかっています。約束を違えるような真似はいたしません。それでは、今日 はこれにて。刻がきましたら改めて参りますわ」  鱗は優雅に立ち上がり部屋を去る。  白眉は再び唇を酒で濡らす。酒が鉛のように苦い。 ────────────────────────────────────────  眼下には、針山のようになった矢の野が広がっている。猪槌の城下町の中央にそびえ立 つ銀の尖塔の中から、≪千幻≫(せんげん)は猪槌の里を見渡している。  とてつもなく広い異土だ。都一つぐらいは入るだろう。現に千幻が襲撃するまで、この 足元に十万人規模の都市があった。何より驚くべきは、この里の存在感である。  通常の異土は、霧とも霞とも分からぬ極めて不安定な存在である。しかしこの猪槌では、 木の葉一枚一枚までもが現実の存在感を持っている。 「大層な呪だ」  千幻は呟いた。 「あんたでも、独り言を言うんだな」  同室にいる≪火野熊≫(ひのくま)が口を開く。狩りの準備はできている。幸いなこと に、十六夜は当日城下町外壁の警備をおこなっていた。そのため、ほとんどの者は婚礼の 儀に参加していない。千幻との約束には抵触していないため、存分に使える。今の所かき 集めた数は数十名。数は少ないが腕は立つ。  千幻の脇には、水晶の髑髏が青く輝いている。 「明日の朝に発ってもらう」 「準備が整ったか」  火野熊が苦笑する。千幻たちの戦さの準備は、火野熊の知っているどのやり方とも違っ ていた。空から光の玉が降りてきて、そこから人があらわれる。その者たちに、武器を持 たせ、再度光の玉の中に振り分けていく。  これが、月の都人の戦さの準備である。銀の尖塔の周囲では、ひっきりなしに光の玉が 往来している。 「猪槌の里をどうする」  火野熊が口を開く。千幻は無表情のまま窓の外を見ている。 「元の姿に戻す。白濁とした混沌の世界、ただの異土に戻す」  異土が消える前に外に戻らねば死ぬということか。千重の呪を解くことは、一つの行為 に過ぎない。狙いは猪槌の民の殲滅。猪槌の存在を消し去ろうという腹か。火野熊はしば し考え込む。 「事が終われば、俺の部下たちは外の世界に逃がしてもらう」 「よいだろう。お前はどうする」 「月の都につれていってもらう」  千幻は無言で頷く。奇妙な沈黙が流れる。 「ところで千幻殿。千重殿とは、どういう関係なのだ」 「弟の一人だよ。不肖のな。愚かにも月の都を飛び出し、今一度地上に戻ると言って消え た。ただ消えるだけなら良いものを、多くの月の都の秘宝を盗んで逃げ出した。おかげで 我らが一族は、肩身が狭い思いをした」 「そうか」火野熊は笑みを漏らす。「一つ分かったことがある」 「なんだ」 「あんたらにも感情があるってことさ」  火野熊は立ちあがる。 「俺は子分たちの様子を見てくる。出発は明日の朝だな」  千幻は、部屋から出て行く火野熊の姿を無言で見送った。 ──────────────────────────────────────── 「親父殿。いったいどうなっているんですか。白子の軍勢によって城下町はあらかた占拠 されちまいましたぜ。俺たちゃあ、これからどうすりゃいいんで」  銀の尖塔の内部に、十六夜のための一室が用意されている。その部屋の中で、<烈風の 植刃>(れっぷうのうえば)は声を上げた。  他にも多くの生き残りがいる。南側の警備をおこなっていた者以外は、ほぼ十六夜は生 き残っている。町の外縁にいたため脱出は容易だった。今も人を放ち、生き残りをかき集 めている  彼らは火野熊の指示のもと、この銀の尖塔に集っている。植刃以外の子分たちも、不安 そうに火野熊の指示を待っている。 「心配するな。お前たちは俺についてくればいい。これからやるべきことを言う。よく覚 えておけ。昨日、千重様の婚礼の儀がおこなわれた。この婚礼の儀の参加者を見つけ出し 全員殺す」  一同に動揺の声が上がる。その様子を火野熊は無表情に見ている。植刃が震えを押し殺 しながら尋ねる。 「親父殿。挙式に出ていたってことは、街のお偉方とか、警備の雷神とか、見物の町人と か全部ですか。それに、十六夜の何人かはあの場にいたはず」 「そうだ。そいつら全部だ。それに忍者どももだ。幸いお前たちは、俺同様婚礼の儀には 参加していない。だから無事だ。話しておかねばならぬだろう。猪槌の里は、早晩消滅す る」  火野熊の言葉に一同は度を失う。 「無事に猪槌の里から出るためには、この仕事をこなす必要がある。俺たちが手を下さな ければ、月の都人たちがおこなうだけだ。奴らのやり方は知っているだろう。無差別だ。 奴らに任せておけば、俺たちもまとめて殺される」  部屋に沈黙が下りる。 「これは仕事だ」  そう言い、火野熊は一同の前に袋を投げ出す。重い音が響く。 「火野熊の親父。これはなんですか」 「開けて見ろ」  火野熊の言葉に従い、男が袋の口を開ける。 「おっ、黄金だ」  部屋にざわめきが戻る。 「これは支度金だ。猪槌の外に出るときには、この数倍の黄金をもって送り出してやる」  座に活気が戻る。これは有意義な仕事だ。心を売るに値する。そういった気運が部屋に 満ちる。 「へ、何をいまさらびびってんだ。俺たちは所詮、人を斬って何ぼのもんだぜ。親父、も ちろん多く切った奴ほどいい目は見られるんですよね」  当然だと、火野熊は告げる。 「やるぜ。俺は火野熊の親父に命を預けたぜ」  男の声を合図に、他の者もときの声をあげる。一人、植刃だけが口をつぐんでいた。だ が、部屋の中にそれに気づく者はいなかった。 ────────────────────────────────────────  陽が落ちてきて、視界は赤く染まり始めている。城下町は無人である。野には矢が立ち 並び、矢の下は瓦礫と死体が折り重なっている。  緋と黒の景色の中、女が矢の下を掘り返している。矢の下には建物の屋根が見え、その 下には摺物を作るための道具や版木がある。 「良かった、無事やったわ」  <観影>(みかげ)は声を上げる。既に宵闇が近づいている。風呂敷を広げ、最低限の 道具だけを包み、運び出す。紙はどうするか。多くは持ち運べないだろう。紙は非常にか さばる。一度摺ればなくなる程度の枚数しか持ち運べない。この先、紙はもう手に入らな いかもしれない。 「最後の版になるやろな」  紙と版木を油紙で包む。風呂敷を背負い、沈みゆく太陽を背に観影は歩き始める。夜が 眼前から迫ってきている。猪槌の先はどうなるのであろうか。夜のように暗いのか、陽は また昇るのか。  夜が訪れる。 ────────────────────────────────────────  天はにわかにかき曇り、雷鳴が低く鳴りはじめた。夜明けがそろそろ近づこうという時 分である。人の群れの中、観影は眠れぬ一夜を過ごした。 「雨が降る」  観影は空を見上げる。雷光が竜のように空を駆けている。大粒の雨が降り始め、観影の 頬を濡らす。既に鈍砂山では、豪雨が始まっていた。厚い雲が鈍砂山を覆っている。  月河の前にはまだ多くの人たちが残っている。観影も船を待つ列に並んでいる。大人た ちの顔は暗く沈みきっており、子供たちは押し黙っている。徐々に川の音が変わってきた。 流れが強くなり、水かさが増している。  「増水のせいで船の往復に時間がかかるようになっている」と、前に立っている老人が 教えてくれた。 「このまま、川を渡れずに死ぬかもしれんのう」  雨に打たれながら、老人が声を漏らす。観影は今一度空を見上げる。暗闇の中、稲光だ けが閃いている。そのとき、はるか西に淡い光の群れが現れた。 ──────────────────────────────────────── 「出立の準備をしろ」  夜明け前。火野熊は十六夜の子分たちに指示をだす。十六夜というより、今は火野熊党 と呼ぶほうが適切かもしれない。  各々武器を持ち、具足を着込む。火野熊党には鉄製の馬が与えられた。どういう仕掛け で動いているのか分からないが、滑らかに足を動かしている。  空には暗雲が垂れ込めており、地には闇夜が広がっている。 「親父、珍しい奴が戻ってきやしたぜ」  声をかけられ、火野熊は振り向く。灯火の光の中、身の丈七尺五寸の大男が立っている。 「<土亘>(どせん)か、どこに行っていやがった」  口調の割には顔はほころんでいる。何にせよ、部下が生きていたのは嬉しい。 「斬りに行くのか」  土亘の顔に表情はない。喧騒の中、土亘の口数は少ない。良く見ると口元はゆるく開き、 うっすらと唾液が垂れている。 「腹が減った。いつ人を斬れるんだ」  土亘の目の焦点は定まらず、宙をさ迷っている。 「ついてこい。いくらでも斬らしてやる」  火野熊は、鉄の馬を一頭土亘にあてがった。「腹が減った」そう言う土亘の口からは、 ゆっくりと唾液が滴り落ちている。 ────────────────────────────────────────  爪牙の屋形に急報が入る。敵が来た。いよいよかと思い、爪牙は立ちあがる。  屋形を抜け、葦の原を過ぎ、緑林を抜けると月河である。既に月河の岸辺には月組忍軍 が陣を布いている。  まだ川の向こうには多くの難民がいる。その向こうの空、暗雲を背に、淡い光の群れが 飛来してくる。  稲妻が閃く。  世界が青と白の二色になり、すぐに闇が戻ってくる。月組の武器で戦えるのか。爪牙の 心に一瞬不安がよぎる。  辺りは闇である。大粒の雨が川を打っている。淡い光を放つ球体は、徐々に月河に近づ いてくる。  光の下には鉄馬に乗り込んだ騎馬武者の姿がある。先頭の男は朱塗りの具足を着込んで いる。火野熊である。火野熊の兜の前立物は、燃え盛る炎をあしらっている。光の群れと 騎馬武者隊は、整然と月河に向かう。  城下町に屹立する銀の尖塔から、千幻が遠方の様子を見ている。小脇には水晶の髑髏を 抱えている。千幻は言葉を漏らす。 「月との交信は不能か。よもや負けることはあるまい。しかし、もし負けるようなことが あれば、この髑髏を使い、片割れを呼ぶ必要があるだろう」  再び雷が閃く。月河では既に戦闘が始まっている。 ──────────────────────────────────────── 「これはまずいぜ」  降りしきる雨の中、赤髪が声を漏らす。光の球体は、宙に浮かんだまま難民たちの上空 で口を開く。光の中に闇が現れ、その穴から無数の槍が降り注ぐ。にわかに空がかき曇り、 難民たちは槍の雨を浴びる。川向こうに叫び声が起こる。  音はすぐに止んだ。月河の向こうに槍の野が現れる。  槍の野の背後には、火野熊の軍勢がいる。  光の飛来に危険を感じ、難民たちから離れていた観影は、震える体でその様子を見てい る。難民の殲滅は一瞬であった。観影は、その場に力なく座り込む。雨が、観影の体を芯 から冷やす。  火野熊が采配を振る。鉄馬の軍勢が前進を始める。  「土亘。水の神通力を得たとは本当か」火野熊が、眉庇の下で声を出す。朱塗りの具足 に炎の前立てが、火野熊の姿を一際目立たせている。  土亘は、口から締まりなく唾液を滴らせながら、そうだと答える。土亘の口から垂れた 唾液が、足元の草を立ち枯らせる。 「では、川を割れ。我らの先陣を切り、お前がまず敵の肉を食らえ」  応と叫ぶと、土亘は月河に向かい馬を走らせる。火野熊の軍勢が、地響きを立て野を駆 ける。  光の球体の速度は遅い。月組の頭上に動き、槍を降らせようとすれば、たちどころに逃 げられてしまう。機動部隊が必要である。火野熊たち一団は、月の都人の機動部隊の役を 果たそうとしている。  火野熊たちが野を駆ける。槍を踏みしだき、鉄馬の蹄で死体を蹴上げる。その背後で、 光の球体から、無数の白子の兵士たちが現れる。後方支援の長弓部隊である。無数の白子 の兵士たちは方形に陣を布き、火野熊の軍勢を支援するべく矢を射かける。  火野熊たちの頭上を超え、矢が月河の向こうに降り注ぐ。 「盾を上げろ」  月組から声が上がる。敵が無数の矢を放つことは、既に月組の面々は知っている。彼ら は、長柄の盾を用意しており、その盾を頭上に掲げる。矢が盾で防ぎ止められる。いくつ かの盾は割れ、その下の忍者たちの額を割った。 「敵が突撃してくる。川を渡るときの速度の衰えをつき、一斉に襲いかかるのだ」  前線指揮官の一人、赤髪が声を上げる。遅れて白眉も指示を出す。爪牙はその様子を本 陣から伺っている。 「土亘、川を割れ」  火野熊の声が軍勢に響き渡る。土亘は鉄馬で川に乗り入れる。川の水が、土亘の掌に触 れる。その掌に吸い付くように川が大きく割れ始めた。  鉄馬の速度は止まらず、川底に向け速度を増しながら一気に駆け下りる。川は鉈で割っ たように真っ二つになり、その割れ目を縫って火野熊の軍勢は進む。川が割れるという天 変地異と、意外な敵の行軍速度に気圧されて、月組の先陣が浮き足立つ。  火野熊は、鉄馬の背で冷静に敵の陣を見渡した。右手の陣の方がもろい。兵の士気低く 将の才気なし。そう判断を下す。 「土亘、右手の陣に向かえ」  火野熊の声で、軍勢は右手の岸に駆けあがる。白眉の軍が算を乱して崩れる。 「踏みとどまれ、踏みとどまるのじゃ」  白眉の声がむなしく響く。白眉には、潰走しはじめた軍を立てなおすほどの能力はない。 「一当てして右手に抜ける」  火野熊の命令が短く告げられる。  まず、土亘が月組の陣に入った。馬を捨てる。徒歩で駆ける。土亘は刀を抜き雑兵の首 を薙いだ。倒れる死体に覆い被さり、その肉を食らう。火野熊は、その様子を冷たい目で 見、自らの刀、焦熱で敵の頭を割る。 「誰ぞ将を討ち、首を持て」 「あい」  <ななえ>(ななえ)は鉄馬の背から白眉めがけて飛ぶ。銀の光が白眉のもとへ弧を描 く。ななえは左右の刀を一閃させた。白眉が声を上げたとき、既にその首は落ちていた。 月組の多くが、鉄馬の蹄で潰される。 「南へ走れ」  その様子を確かめ火野熊は指示を出す。 「待て、逃がしはしねえ」  鯨州丸の切り込み隊が火野熊の軍勢を追う。再び鉄馬の群れが動き始める。 「敵にも神通力の使い手がいる」  爪牙は、苦々しく声を漏らす。火野熊の軍勢は南に走り、その後を鯨州丸の切り込み隊 が追う。  白子の兵は矢を放つ。矢はたちどころに無数の矢に分かれ、白眉の守っていた陣に降り 注ぐ。既に盾を捨て潰走していた雑兵たちは、次々と死体に変わる。  鯨州丸は矢の音に驚き振り返る。背後は屍の山になっている。火野熊の軍勢が反転し、 切り込み隊に突撃してくる。深追いしていた下忍が、鉄馬の蹄で蹴散らされる。鯨州丸は、 朱具足の将に向かい長刀を振るう。  雨の音の中、鈍い金属音と共に長刀がはじき返される。馬をよけながら、鯨州丸は金棒 で将の馬を突く。鉄の塊を殴ったような手応えがして金棒がはじき返される。 「あの馬は何だ」  鯨州丸は声を上げる。激しい雨で気づかなかったが、普通の馬ではない。金属製の馬。 「まるで、千重殿の兵器のようだ」  鉄馬は地を踏み鳴らし、赤髪の軍に向け駆ける。 ──────────────────────────────────────── 「弓隊を南に向けろ。矢は水平に射かけ、馬上の兵を射落とせ。南の兵は盾を捨て、槍ぶ すまを作れ。三段目の兵は南に移動、槍ぶすまの頭上を盾で守れ」  赤髪が次々と指示を与えていく。騎馬の突撃を退けつつ、白子の兵の矢も避けねばなら ない。これは至難の技である。爪牙は、騎馬隊を包囲するべく予備隊を動かす。火野熊は 舌打ちする。思ったよりも対応が早い。 「駆けぬけるぞ」  手綱を引き締め馬の腹に蹴りを入れる。そのとき、赤髪の陣で異変が起こった。  下忍の一人が赤髪の背を斬りつけた。指揮に集中していた赤髪の虚をついての一撃であ る。下忍の装束の下に、憎悪に燃える目がある。赤髪の傷は浅い。「何奴」赤髪は刀を抜 く。 「城下町での雪組狩り。そのとき、我が妻を殺したかたき、今こそここで取る」  口上を述べた男が赤髪に再び斬りつける。赤髪は刀を弾き返し、男の胸を刺し貫く。胸 を貫かれた男、三畳はそのまま地に倒れた。 「槍ぶすまが破られました」  南から声が上がる。敵の動きが速すぎる。突然の裏切りのせいで指示が一呼吸遅れた。 鉄騎馬隊は赤髪の陣の奥まで侵入している。矢を防ぐ盾の壁に穴が開く。騎馬は、赤髪の 陣を横に貫き北へ抜ける。すぐに矢が雨のように飛来する。前線が崩れる。崩れたところ に再び矢が降り注ぐ。赤髪の部隊は壊滅した。赤髪も、全身に無数の矢を受け死んだ。  爪牙は無言でその様子を見ている。敗けた。誰もがそう思った。  爪牙の周囲の者が、頭上を指しながらざわめき始める。何だ。爪牙は空を見上げる。天 には、闇の球体が黒々と浮いている。  白子の兵の上にあった光の球体は無くなっている。暗雲の下、闇の球体は爪牙たちの頭 上まで移動していた。開いた闇の面だけを爪牙たちに向けここまで来たのだろう。 「逃げろ」  爪牙は声を張り上げる。闇の球体から、槍が降り注ぐ。爪牙は青い目を光らせる。辺り 一帯の木々が急成長し、槍の防ぎとなる。しかし、月組の多くの者は槍に刺し貫かれて死 んだ。  腕が確かな者たちは、各々その場から逃げ去る。爪牙も逃げた。月組は壊滅した。 ────────────────────────────────────────  月河の東の林の中、腕に覚えのある生き残りたちは爪牙のもとに再び集まった。顔はい ずれも疲れきっている。一方的な戦いであった。 「話にならねえ」  鯨州丸が手近の木を殴る。族長、上忍の顔が多い。腕に覚えのない者はいずれも死んだ。 「このままだと、蹂躙されるだけだ。敵から姿を隠し、かつ攻撃に出る」  青い目の爪牙が毅然と言う。 「敵は、すぐに各集落を落とし始めるでしょう」  上忍の一人が言う。 「俺が森になる」  爪牙の目が青く輝く。 「森っていったいどういうことだ。それにどこから攻めるんだ」  鯨州丸が、わからねえという表情で問う。 「ここにいる者は、月組の残党を組織し城下町に向かえ。城下町には地下がある。そこに 潜れば戦えるだろう。敵は俺がこの林で防ぎとめる。その間に敵の陣を内部から落とせ。 鯨州丸。お前はよほどのことがなければ死なないな」 「当たり前だ」  当然のことを聞くなといった表情で鯨州丸は答える。 「ならば、睦月に伝令に行け。その他の者は城下町に向かうのだ」 「はっ」  鯨州丸以外は西に散った。爪牙はその姿を見送った後、大きく息を吸いこむ。爪牙の目 から激しい光が漏れる。 「伝令に行け、鯨州丸」  鯨州丸も慌てて東に行く。爪牙の肌が粟立つ。次第に爪牙の体のそこここから芽が出始 める。芽は枝になり、枝は幹になり、付近の木々と融合し始める。木々はお互いに枝を絡 ませ、藻のように絡み合っていく。  火野熊は、白子の軍勢たちが渡河するのを待っている。光の球体に乗り込み、彼らは悠 然と川を渡る。川の両岸にはおびただしい量の死体があり、雨に流された多量の血が、月 河の水を赤く染めている。 「この奥が月組の本拠地か。しかし、もう多くは残っていないはず。あれだけの死者を出 せば月組も終わりだ。戦ではなく、殺戮だな」  火野熊は兜の中の表情に、暗い陰を落とした。 「あい」  細くなってきた雨の中、ななえはいつもの調子で答える。その横で、土亘は屍肉を漁り 食っている。火野熊は東を見た。林が音を立てて動き始める。 「何事だ」  火野熊党が声を上げる。木々は枝を伸ばし、絡み合い、厚く高い壁を作り始めている。 呆然と見上げる火野熊たちの前に、雲まで届く森の壁が現れる。  白子の兵士たちが火野熊たちの横に並ぶ。 「火野熊殿。これはいったい何ですか」  白子の指揮官が火野熊に問う。 「千幻殿にでも聞いてみてくれ」  森の壁が出来上がった頃、雲の切れ間が見え、空が晴れてきた。 ────────────────────────────────────────  月組の諸氏族の間を、この敗報の報せは電撃のように駆けぬけた。月組の氏族の一つ、 鯱にも報せが届く。鯱の族長は雪組討伐で戦死したために、今は女族長が代わりに立って いる。名は鱗という。氏族の人数は少ない。  壊滅したという報を聞き、鱗は兵の生死が心配になった。これからことを起こすとき、 直接の手勢がいなければ話にならない。彼女は、鯱の館に置かれていた文に目を通す。  しばらく留守にする。後は任せる。  相変わらずだ。あの男はいつもそうである。事態は急変しているのに。  鱗は文を懐にしまう。生き残る策が必要だ。無策では死を待つのみである。 ────────────────────────────────────────  まだ雨が残っている。火野熊たちは森の壁の前で呆然としている。  月河のほとりに一人の男が現れた。火野熊は、部下たちに刀を抜かせる。  「敵ではない。その証拠に月組の族長の一人の首を持ってきた」どこから拾ってきたの か、男は赤髪の首を足元に転がす。確かに赤髪のものである。 「お前は誰だ」  火野熊は、男の姿を見る。細身の長身で、両頬に傷がある。目つきが気にいらねえ。あ れは蛇の目だ。火野熊は男のことを、そう断じる。 「<錐鮫>(きりさめ)と言う者だ。私が見たところ、貴様の手勢には軍師がいない。策 をおこなう者がいるだろう。私が貴様の足りない部分を補おう」  錐鮫は赤髪の首の前で火野熊の返答を待つ。返事は早かった。 「斬り捨てよ」  あれは悪心の徒である。何より態度が不遜である。狭隘な佞人であろう。  火野熊はこの手の者を好まない。代わりに朴訥で磊落な人物を好む。知恵あり、その知 恵を誇らしげに掲げる者は必ず裏切るからだ。  ななえと土亘が向かう。錐鮫は慌てて森の壁に逃げ込む。 ────────────────────────────────────────  雲が晴れ、陽が地上に降り注ぎ始める。雨で濡れた月河の地が、陽を受け眩しく輝いて いる。  睦月のほとりの古木にも陽の光が降り注ぐ。木の洞の中で曹沙亜は目を覚ます。洞は狭 く、その狭い中に多くの骨壷が並べてある。体を動かすと、節々が痛い。服が至るところ で破れている。曹沙亜は木の洞から外に出た。  日差しが熱く肌を焼く。木々の緑が目に痛い。嵐、崇、幹の三人が木を守るようにして 立っている。彼らは、木から出てきた曹沙亜の姿を見て驚く。  何事であろうかと思い、足元の水溜りを覗きこむ。そこには、青年の姿があった。髪の 色は青く染まり、顔かたちは二十歳過ぎの男の姿に成長している。木の洞の中で過ごした 一晩の記憶はない。が、数年の時を経たような気もする。  鯨州丸が駆けてきた。姿の変わった曹沙亜の姿を見て驚く。既に諸氏族の間を回ってき た後である。 「敗けた」  鯨州丸の言葉に、嵐、崇、幹が取り乱す。 「爪牙はどうなった」  曹沙亜は、詰め寄り鯨州丸に問う。 「森になると言って、あの壁になった」  曹沙亜は西を見た。月組の集落全体を覆うように、巨大な森の壁が天を突き、広がって いる。あれが爪牙。曹沙亜は絶句する。 「他の忍者たちは」 「敵を内部から崩すために、城下町の地下に向かった」  そうか。曹沙亜は短く言った。 ────────────────────────────────────────  雨は既に上がっている。銀の尖塔を背に、とぼとぼと矢の野を歩く男がいる。植刃であ る。  火野熊の説明したことは、言い換えれば、千重を裏切り、十六夜の仲間を裏切るという ことである。そんな火野熊は信用できない。植刃の足は、自然と雷神道場に向かう。あの、 気のいい連中と殺しあいたくはない。  彼らと戦って勝てるだろうか。その不安もある。歩を止めて道場を見る。無人である。 いるはずもない。そう思い、再び歩き出す。  遊廓街にも人の気配はない。矢の野の中、腐臭が辺りに満ちている。ふと漫遊館の美代 のことが気になったが覗くのはやめておいた。生きているならここにはいないだろう。死 んでいるなら変わり果てた姿に会いたくなかった。そうだ、奴らは美代ちゃんを殺してい るのかもしれないのだ。奴らに屈するなどもってのほかだ。  扇屋も他と同じようにもぬけの殻である。  あきらめて他を探そうと考えたとき人影が現れた。もう何年も会っていないかのような 懐かしさが込み上げてくる。 「≪鍬形≫(くわがた)殿」 「おおっ、生きておったか」  ≪蜻蛉≫(とんぼ)の頼みで遊廓街に立ち寄った鍬形である。他の面々は割れ目の近く で待たせているらしい。互いにこの数日のことを語り合う。 「二重が見込んだだけのことはある。息災で何よりだ」  「実は大変なことが起こっているんです」植刃は銀の尖塔の中でのことを、鍬形に告げ る。鍬形は渋い顔で話を聞く。 「おぬしは、蜻蛉にこのことを告げろ。蜻蛉は、鈍砂山のタタラの民の集落にいる。蜻蛉 は頭の切れる男ゆえ、なにかうまい策を講じるだろう」 「分かった」  植刃は北に向かって駆けだした。敵は月の都人だ。俺は猪槌の里を救うため、奴らと戦 う。植刃は、タタラの民の集落に向かった。 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- 今回の結果 ■神通力の獲得 ゲームが進んでいく中で、キャラクターは「怪異」(超常的な不思議な現象)に巻き込ま れることがあります。キャラクターは「怪異」に出会うと、「五行の神通力」を身につけ ることができます。どの五行の神通力を身につけたかはマスターから宣言します。 ■能力の成長 ゲームが進んでいく中で、特に成長の認められる行為をおこなったキャラクターは、プレ イヤーがマスターに申請してください。プレイヤーからの申請によって、マスターはキャ ラクター能力の上昇を認めます。 ■負傷 キャラクターは、マスターより負傷段階を宣言されることがあります。負傷には、重症、 致命傷、能力減退の3種類があります。 三畳:死亡 ■アイテムの獲得 キャラクターは、マスターよりアイテムの獲得を宣言されることがあります。アイテムは、 通常の行動の中で使用することができます。 観影:摺物の道具と紙 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- ■ ■■■第10話「同盟」 ■ =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------  ≪真鉄≫(まてつ)の家に急に住人が増えた。地下の部屋も含めて多くの部屋を持つ真 鉄の家だが、一軒では収容しきれず、タタラの民の家々に分宿して逗留している。逗留し ている者は、雷神道場の者および≪明光院≫(めいこういん)の一党が多い。  真鉄の部屋では緊急の合議が開かれている。真鉄、<山嵐>(やまあらし)に、≪蜻蛉 ≫(とんぼ)、≪鍬形≫(くわがた)、それに明光院と<吉野>(よしの)の六名である。  時は夜。空には暗雲が垂れ込め、雨が降り始めている。時折間近で雷鳴が轟く。 「敵に対抗するための方策が必要じゃのう」  明光院が茶をすすりながら言う。敵の力は強大だ。敵の圧倒的軍事力に対抗するには、 こちらもそれなりの軍事力、情報が必要だろう。しかし、真鉄は全てを語っていない。 「今は、猪槌の里存亡の危機じゃ。我らは力になりたいと思っている。そのためには、全 てを語ってもらいたい」  実のところ、猪槌の里が滅んでもかまわないと思っている。元々支配するか滅ぼすか。 そのためにこの地にやってきているからだ。そのことは、吉野たち、直属の部下たちも心 得ている。  しかし、真鉄の才と、猪槌の呪の力は手に入れたい。  察するに、この異土は≪千重≫(せんじゅう)の呪でもっている。これ程までに強大な 呪を維持するには、相当な数の人間が必要になる。この地があって当然だと思う人の数が、 この異土には十万人以上はいる。たいそうな呪の使い手だ。徳川政権という強大な呪に比 しても、決して劣ってはいない。  真鉄がためらいがちに蜻蛉の方を見る。蜻蛉は静かに頷く。 「何を語れば満足なされるかな」  真鉄が不承不承口を開く。 「敵を知りたい。その後、なぜ敵が来たかを知りたい。そしてそれを知っていた千重殿や 真鉄殿が、何を準備していたかを知りたい」 「話そう」  一同は身を乗り出して真鉄に耳を傾ける。一人、蜻蛉のみは元の姿勢のまま、茶を飲ん でいる。 「敵は月の都人である。月の都人は、天人、天女とも呼ばれる。  彼らの伝承を一度は聞いたことがあるだろう。彼らは、脱走を許さない。たとえ地上に 降り、人に紛れて生活していても、ある日突然連れ戻しにやってくる。彼らには、外には 漏らせぬ秘密があるからだ」 「秘密とは何じゃ。それに、真鉄殿の話をそのまま受けとれば、猪槌の里に月の都人がい るということになる。察するに、それは千重殿か」 「ご明察」  蜻蛉が口を挟む。 「その後は、私が語りましょう」  蜻蛉は湯のみを盆に戻す。 「そもそも、猪槌の里は千重様が開かれた土地。千重様は月より出奔し、遍歴された後、 この地に猪槌の里を開かれた。そして、いつか訪れる追跡者たちへの対策も取られてきた」 「秘密とは」 「月が巨大な怪異であることです」  蜻蛉は静かに言った。一同はその意味を測り兼ねている。 「月は、この地上の間近にあり、最も大きな怪異です。月は通常の怪異と同様、淡い光を 放ち、そして時折闇を覗かせる。あの闇の中に都市があるのです。都市の名は蓬莱と言い ます」 「蓬莱とは、大陸の神仙思想で説かれる仙境のことじゃな。東方の海上にあり、仙人が住 み、不老不死の地と信じられている場所。蓬莱山、蓬莱島とも言うな。しかし、東方の海 上と天空は違うであろう」 「全ての伝承には秘密があります。蓬莱を探す者が、海上に蓬莱島を求めて進み、水平線 上に都の姿を見たらどう思います。海上に島があると思うでしょう。その実、水平線上に 浮かぶ月の姿だとしたら」  あっ、一同は声を上げる。確かに見える。だが、誰もたどり着けない。 「境界ではまやかしが暴かれやすくなります。古来より黄昏時に妖怪の姿が良く見えると 言われるのはそのためです。  また、この伝承には続きがあります。日本では、富士山・熊野山などの霊山が、蓬莱山 と呼ばれることがあります。霊山には堂や洞があり、その中には淡い光を発する場所があ るとも言われています。その中には、時に天に向かって光を発する場所もあるそうです。  それは、月に通じる道が開くためです。だから、そういった山の周りでは、よく仙人が 目撃される。名も蓬莱山と呼ばれる」  蜻蛉は口を閉じる。続きを真鉄が継ぐ。 「月の都は元々誰も住んではいなかった。だが、大陸で仙人が多量に増え、その命を永ら えさすために巨大な怪異が必要とされたとき、月の都計画が持ち上がった。  計画自体は突飛な物ではない。普段見ている月に移住するだけだからな。しかし、その 計画を成就させるためには、不老不死に近い体を持つ、仙人だけが移住する必要があった。 寿命の短い普通の民草が紛れ込めば、月の時間は早く流れ、仙人たちの寿命も短くなる。 月の都の存在が知れれば、不老不死を望む多くの者たちが、月を目指し動き始める。  仙人たちは、自らの命を守るために情報操作をした。全ての蓬莱の情報、月の情報を架 空の物語に仕立て上げ、その存在を信じる者は愚か者であると思わせた。また、月の都か らの脱走者を逃がさず、月の都に誤って入ってきた者には記憶操作をおこない地上に追い 返した。月は、仙人という魔物が住む都だ」  「千重殿が、もし月に連れ戻されればどうなるのじゃ」明光院が問う。 「猪槌の里の呪は解け、この世界は霧となり消えるでしょう」  稲光が閃き、一同の姿に暗い影を落とす。 「兵器が必要じゃな」 「そのために、真鉄殿に巨鉄兵の開発を依頼したわけです」  蜻蛉は静かに語る。山嵐が口を開く。 「雷ぐらい威力のある兵器があればよいのではないでしょうか。例えば、雷雲を呼び、雷 の力で弾を打ち出す砲などはどうでしょう」  山嵐は、外の雷を見ながら自案を述べる。 「駄目だな。月の都人の方が何倍も空には造詣が深い。何より、雷程度の破壊力では歯が 立たない。もっと強力な力が必要だ」 「もっと大きな力ですか」  山嵐は自案が退けられて、不機嫌な顔をしている。 「山嵐よ、雷とは何だと思う」  真鉄の問いに、山嵐はしばし考え込む。 「空の神が鳴っているのでしょうか」 「違う。あれは、雲と地上の摩擦で発生する電気だ。言うならば、大地の表面をこする程 度で発生する力だ。その程度の力では月の都人と戦うには力不足だ。  お前は奴らを見て、弓で戦う敵だと思ったであろう。あれはその力の一端にしか過ぎな い。本気の奴らはもっと恐ろしい。この戦いに勝つには、大地の力を全て結集して利用で きる兵器が必要だ」 「それが竜王砲じゃな」 「そうだ。地上のあらゆる力を結集させて、月を破壊する」  山嵐は呼吸を忘れて息を呑む。戦いの桁が違う。山嵐は、部屋の一同を見渡す。どの顔 もこの話の大きさを平然と受け止めている。自分一人だけが、話の大きさに取り残されて いる。  明光院が口を開く。 「大地の力を引き出すには、竜脈を開く必要がある。そして、より大きな力を引き出すに は、開いた竜脈をつなぎ、一箇所に集中させる必要がある。外の世界との接点がいるな。 外につながりさえすれば、わしが日本に作り上げた一大竜脈網がある。その竜脈を猪槌に 引き込めば、月を打ち壊すことも可能じゃろう」 「猪槌には、外との接点は二箇所あります。一つは万字賀谷、もう一つは清水」  明光院の言葉に蜻蛉が応える。 「もう一つ、弾の問題があるじゃろう。以前、真鉄殿に聞いた話では、核には、神の血族 が必要だと言っていた」  私が答えましょう。と蜻蛉が受ける。 「そもそも、千重様はこの地で神になろうとしていました。そして婚礼の儀によって、神 となる呪を施した」 「それでは既に神に」 「いえ、いずれ神となり、再び現れるとおっしゃっておりました。千重様には、いく人か の子がおります。名には全て重の字を当てていると聞いています。その千重様の子を弾丸 にして、月に向かって撃ち出すのです。地上で生まれた神にこそ、最大限に大地の気力を 込められるからです」 「原理は渡りじゃな。渡りとは竜脈の風に乗り宙を飛ぶ技。大地の気力を一点に集中させ、 強力な渡りをおこなわせて月を貫く。竜王砲とは、そのための発射台兼、竜脈収束装置」 「その通りだ。そして、巨鉄兵はそのための移動要塞」  真鉄が竜王砲を装備した巨鉄兵の絵図を広げる。 「では、名に重のつく者を集めねばならぬな。そして、外との接点を探し、竜脈をこの猪 槌に引く必要がある」 「明光院様。では我々は、外との接点から竜脈を引きましょう」  吉野が口を開く。 「重の名を持つ者に関しては、私の方で心辺りがあります」  蜻蛉が口を開く。  それぞれの役割分担が決まる。真鉄の一党は竜王砲の準備。明光院の一党は外から竜脈 を引く役。雷神は千重の血族探し。話し合いは終わった。  廊下を歩き部屋に戻る途中、吉野が小声で明光院にささやく。 「明光院様。どうなさるのですか」  辺りに誰もいないことを確認して、明光院も口を開く。 「もちろん、最終的には全てもらうさ」  二人は、暗い廊下に消えていく。 ────────────────────────────────────────  タタラの民の集落のあちこちで、怪我人の治療がおこなわれている。婚礼の儀で傷を負 った者は多く、手当てをする人手は足りていない。  大粒の雨の中、<白梅>(しらうめ)は真鉄の家に駆けてくる。入り口で蓑を脱ぎ、裾 の水を払って中に入る。薬も不足している。白梅は近くの家で薬草をもらい帰ってきたと ころだ。その足で山嵐の部屋に向かう。 「山嵐さん、じっとしていてくださいね」  白梅は、まだ子供の舌足らずさを残した口調で山嵐の動きを制する。薬が傷に染みる。 白梅は手際よくさらしを巻いていく。傷薬は、もらってきた薬草を元に白梅が調合した。 雪組秘伝の調合である。効き目はあるが傷にひどく染みる。 「すまぬ」  山嵐は申し訳なさそうに礼を言う。白梅は無邪気な笑顔を浮かべる。部屋は夜の闇で暗 く、弱い蝋燭の灯りだけが部屋を照らしている。  灯の明かりに白梅の肌が紅く染まる。闇の中、ふとした仕草が山嵐の心をかき立てる。 傷の手当てで体を触れさせすぎたと山嵐は後悔する。  白梅が立ちあがり、部屋から出て行こうとする。山嵐も立ちあがる。戸を背にして白梅 は振り返る。  山嵐は、白梅に覆い被さるように壁に手をつく。白梅の顔に、蝋燭の光を背にした山嵐 の影が落ちる。山嵐の傷が痛む。痛みの中、山嵐は白梅の目を見つめる。  雨の中を駆けてきたせいだろうか。白梅の髪は、艶やかに濡れている。短く刈り込んだ 髪が、柔らかい頬に数本張りついている。蝋燭の明かりが静かに揺れている。  しばし沈黙が続き、山嵐が口を開こうとする。  「すみません、失礼します」白梅は、顔を紅く染め、背後の戸を開け廊下に消えた。  山嵐の視線の先には、暗い廊下だけが残された。山嵐は壁に手をついたまま、苦笑しな がら目を閉じる。 ────────────────────────────────────────  夜の闇の中、雨が続いている。真鉄の家から少し離れた木立の中に、<修羅>(しゅら) と<鴉問>(あもん)はいる。頭上の木の枝から、滝のように雨が流れ落ちている。修羅 の顔にも、雨の滴が降り注いでいる。  修羅は、かつて<寿羅>(じゅら)から借りた手ぬぐいを燃やしている。その様子を、 木の枝の上から無言で鴉問が見下ろしている。二人に言葉はない。  まさかこんな物が最後に残した物になろうとは。死ぬときは一瞬である。今まで死なな かったことの方が不思議に思える。急に死が間近になったような気がした。死とは、他人 にしか降り注がないものだと思っていた。  手ぬぐいは灰に変わる。この雨の中、灰は山に混じり土となっていくだろう。 「死ねば土に帰る」  鴉問がぽつりと言う。 「行こう」  修羅は、タタラの民の集落に向かい歩き始める。その後を追うように、鴉問も木立から 降りた。 ────────────────────────────────────────  明け方、真鉄の部屋に明光院が来た。まだ雨は降っており、時折雷が閃いている。部屋 の戸を叩き、明光院は真鉄の起床を確かめる。  「起きている」中から声があった。明光院は戸を開ける。部屋の中で真鉄は本を読んで いる。その横では、真鉄の妻がまだ寝息を立てている。  明光院の後ろには、修羅、<金梟>(きんふくろう)、<光>(みつ)がいる。信光は、 鈍砂山に来てからは、光と名乗り、年相応の娘の姿をしている。 「朝早くから何だね」  真鉄は、妻を起こさないように部屋から出る。雨はだいぶ落ち着いてきたのであろう。 朝の明かりで窓の外はわずかに明るい。 「頼みごとがあるんじゃ」  こんな明け方からか、と真鉄が本を閉じる。「物事をやると決めたときは、迅速である べきじゃからな」明光院が屈託のない笑みを浮かべる。 「この者たちに、真鉄殿の力を貸してやって欲しいのだ」  明光院は趣旨を手短に述べる。敵との戦いに備えるために、それなりの準備が必要であ ろう。それに今後月の都人と、いつ遭遇戦があるやもしれぬ。備えが必要である。それが 明光院の話の趣旨である。 「光には、真鉄殿の所蔵する文献を学ばせたい。修羅、金梟には、武器を持たせたい。あ と、巨鉄兵の動かし方を習いたいと金梟が言っておってのう」  そんなことかと言い、真鉄は明光院たちを連れて地下に向かった。 ────────────────────────────────────────  真鉄の家の地下には様々な部屋がある。かつて土亘が穴に沈められた部屋もその一つで ある。  真鉄は、階段を降り、部屋の一つの鍵を開ける。中には古今東西の様々な文物がうずた かく積み上げられている。 「ここが書庫だ。持ち出さずに読んでくれ」  光は部屋を見渡す。何から読めば良いのか分からない。 「どれが重要な書物なのですか」 「全てだ。足りないぐらいだが、後は実地で学んでいくしかないだろう」  真鉄がにべもなく返事を返す。数日で読める量ではない。 「敵の、月の都人のことが書いてある本はどこでしょう」  光には分からないことだが、本には漢籍ばかりでなく、蘭語、仏語の本も多い。 「そうだな。あの棚あたりを一通り読めば良いだろう」  それだけでも膨大な量である。  「必要そうなものだけ選んで読むのじゃ」明光院が指示を出す。  「何かあれば、私か妻を呼べ」そう言うと、真鉄たちは光を残して部屋の外に出た。 真鉄が鍵をかける。  さらに階段を降り、別の部屋に入る。 「どんな武器が欲しいんだ」  真鉄が明光院たちを外に待たせ、希望を問う。修羅は破壊力のある銃に近い武器、金梟 は鳥用の武器を希望する。真鉄は部屋に入り、何やら色々持ってきた。 「では、お主にはこの短筒を貸そう。銃身を短く切り詰めて持ち運びを容易にしている。 引き金を引けば、火打石が回転して火花を散らす。火縄なしで弾を撃てる」  修羅は一寸ほどの短い銃を手渡される。筒の基部は六本の筒になっており、あらかじめ 詰めた弾を六発まで撃てるようにしているという。 「鳥用の武器とはまた変なことを言う」  真鉄は部屋から持ち出した武器の一つを金梟に手渡す。 「昔、鷹野の時に思いついた武器だ。鳥にくくりつけておき、相手に触れれば爆発する。 鳥も相手も粉微塵になる便利な武器だ。巨鉄兵の動かし方に関しては、山嵐に聞くがよい。 山嵐が死ねば、その者が乗り手になるからな。自分が殺されないよう、自分で信用できる 相手を選ぶ権利ぐらいはあるだろう」  金梟は言葉を詰まらせる。  武器に関しては、自分が梟に変身して使う武器だとは言いだせない。そうすれば、かつ て真鉄を見張っていたことがばれるやもしれない。巨鉄兵に関しては山嵐を説得できない だろう。明光院は横で苦笑する。  「他の武器はいったいなんじゃ」と、明光院が問う。 「どうせ、みな武器を欲しがるのだろう。そのたびに倉庫に行くのは面倒だ。欲しがる奴 には、皆同じ武器を与える」  真鉄は部屋に鍵をかける。 ────────────────────────────────────────  朝が来た。鈍砂山は、前日の雨で薄く霧が立ち込めている。霧の中、鴉問は木立の上で 周囲を警戒している。この混乱の中、どのような者がこの地に紛れ込んでくるかわからな い。「怠らず見張っておけ」そう明光院に告げられている。  霧の中に微かな動きが見える。足音を立てずに老人が歩いている。老人は静かに歩を進 め、タタラの民の集落に入ろうとしている。 「止まれ」  鴉問が声をかける。老人は聞こえていない様子で先に進む。鴉問は木立から飛び降り、 老人を追う。 「これ以上進むな」  老人は、ここに至り初めて鴉問に対して振り返る。老人は、雪組の<五伏>(いぶせ) である。だが名は告げない。鴉問に軽く会釈して、何事もなかったかのように先に進もう とする。  鴉問が追いつき、老人の腕をつかむ。 「あっ」  老人は声をあげ、鴉問に怯えた表情を見せる。 「野菜を運んできたんじゃがのう」  五伏の背には菜を入れた篭がある。だが、もしや忍びの者か。 「お主は、里者ではないようじゃのう。外から来た者か」  五伏は珍しいものでも見るかのように鴉問を見ている。鴉問は黒い外套に身を包んでい る。「そうだ」と答え、「忍びの者か」と鴉問は問い返す。 「外の者は、里者全てを忍びのように言う」  五伏は不満げに言い捨てる。  ともかく、明光院様の裁量を仰ぐのが良かろう。そう決めた鴉問は、老人を取り押さえ、 真鉄の家に泊まっている明光院のもとを尋ねた。部屋には吉野がおり、明光院の身の回り の世話をしている。  明光院は五伏の顔を見る。これは忍者であろう。だが明光院は口には出さない。お互い 立場もあろう。五伏は、恐縮した表情を作っている。 「どうやら、最近この猪槌の里にこられたお方のようですな」  五伏が口を開く。なぜそう思うと、明光院が問う。 「黒い外套の方がそう言っておったんじゃ」  わざわざ自分たちの素性を振れまわる者があるかと、吉野が鴉問をにらむ。 「猪槌の里がこんなことになって。あんた方は、どうやって猪槌から帰るつもりかのう」  「万字賀谷からのつもりじゃが」明光院が涼しい顔で答える。  知らぬのか。万字賀谷が閉じていることを。五伏は明光院の表情を伺う。狸め。表情か らは何も読み取れない。 「それより、名はなんという。わしは明光院じゃ」  どうせ偽名であろう。忍びの名も偽名に近い。 「五伏という。以後お見知りおきを」  名を聞き、明光院は相好を崩して語り始める。 「例えばじゃ五伏殿。お主が忍びの者であったとしよう。猪槌の里の忍びの者がどう考え るのか、わしにはどうも難しくてのう。猪槌の里で齢を重ねてきたであろうお主の知恵を、 拝借したい。もし、猪槌の里の忍びの者であれば、この話をどう考えるのか、猪槌の里に 住むお主の考えでよい。聞かせて欲しいのじゃ」  明光院は、五伏の耳元まで寄る。 「白子の軍勢が猪槌に来た。わしには、彼らが猪槌の民の殲滅を狙っているように見える。 敵は圧倒的な軍事力を持っている。この状況の中で、猪槌の中の人間が相争っていても無 意味じゃ。一つ力を合わせて、この脅威に当たらねばならぬと思う。  そのための計画が、この集落の真鉄殿を中心に進められている。このタタラの民の集落 に集まった者たちは、そのために奔走していると言っても過言ではないだろう。しかし、 一つだけ足らぬものがあるのだ」  「足らぬもの」五伏が興味を示す。 「盾がない。このタタラの集落に来る敵を防ぐための軍事力がないのじゃ。この地に集っ た者は少ない。敵が来れば一晩で滅ぶだろう。敵の進軍を防ぐことのできる忍軍の協力が 必要だ。そうすれば、敵を打ち砕くことも可能であろう」  五伏はしばし考え込む。 「猪槌の里の忍びの者たちの考えでございますか。いや、難しい難しい。ところで、こち らに集まっているお歴々は、どのような方々でしょう」 「真鉄殿、わし、それに城下町にあった雷神道場の者がここに避難しておる」 「分かりました。猪槌の里の忍びの者ならどう考えるか、しばらく野でも耕しながら考え てみたいと思います」 「そうか。よい作物が実ればいいのう。その折には、ぜひわしも食してみたい。早い馳走 を期待している」  五伏は軽く頭を下げ、部屋から出て行く。追おうとする鴉問を明光院は制する。 「追えば遠回りをせねばならなくなる。返事が遅くなろう」  吉野が部屋の戸を閉じる。  戸の外では白梅が一部始終を聞いていた。明光院は、雪組と通じようとしているのか。 もしそうならば、白梅、蒼竹がここにいるのが知れてしまう。このつながりを断たねば ならない。白梅は、辺りを伺いそっと明光院の部屋を後にした。 ────────────────────────────────────────  白梅は真鉄の部屋に急ぐ。戸を叩き、中の真鉄を呼ぶ。辺りには誰もいない。部屋から 出てきた真鉄に、白梅は明光院のことを告げる。 「真鉄さん、明光院さんに気をつけてください。忍軍と結び、真鉄さんを亡き者にしよう としています。月の都人を退けた後、きっとあの人は猪槌の里を支配しようとするはずで す」  明光院が忍軍と結んで真鉄を殺す、自分に都合の良い話をこうも簡単に言えるとは。白 梅は少し胸が痛んだ。  「大丈夫だ」真鉄は無表情に口を開く。「彼らには、いずれ弾になってもらおう」そう 言うと、真鉄は白梅を自分の部屋に帰らせた。 ────────────────────────────────────────  誰も後をつけていないことを確かめながら、五伏は鈍砂山の山林を駆けぬける。山のひ だに隠れて奥まった場所に、雪組の仮陣営は築かれている。無論、外からその姿はようと して知れない。  五伏は草の覆いを静かに上げ、中に入る。奥には雪組の忍者たちが数多くいる。全ての 雪組がここにいるわけではない。山の中に無数に散らばっている。連絡は小動物や式神を 通しておこなわれている。鈍砂山一帯が、網の目状の雪組の砦と化している。  五伏はその足で≪豪雪≫(ごうせつ)のもとに向かう。  豪雪は床机にすわり、その足元に地図を広げている。猪槌の里の地図である。詳細に書 き込まれた地図の書き様は、豪雪と≪深雪≫(みゆき)の兄弟に共通した気質であろう。 豪雪は、五伏の前で地図の二つの場所に印をつける。 「ここはどこでしょう」  一つは雪組の地下屋敷があった場所である。いま一つは清水の中であろうか。 「怪異のある場所だ」  豪雪は筆をしまう。かつて雪組が調べた怪異の場所である。この二箇所以外にも、猪槌 城、月河、鈍砂山にも怪異はあるらしいが、正確な場所はわかっていない。 「今は緊急時だ。あの敵に対抗するには、神通力が必要だ」  豪雪は渋い顔をする。今まで己が否定していた神通力に頼らねばならない。 「怪異に入るには心得がいる。必ず二人以上で当たらねばならぬ。一人が怪異に入り、残 りの者が怪異の中からその者を救い出す。外の者がすぐに助け出さなければ、そのまま怪 異に入った者は死ぬ。兄、深雪のときは俺が助け出す役をおこなった。  外に信頼できる者がいなければ、怪異には到底入ることはできない。運に期待すれば、 万に一つの賭けになる」  兄上は、自分に命を預けた。果たして逆を自分がおこなえたかどうか。  「わしが行く」<紗織>(さおり)が口を開く。「わしなら、信頼すべき兄もいる。じ ゃからわしが行く」紗織は豪雪の前に進み出る。 「命を落とすやも知れぬぞ」 「無論承知の上じゃ」  豪雪は<玖須>(くず)の顔を見る。全てを承知の上。そう表情は語っている。 「怪異に入り、神通力を得るのがなぜ難しいか知っているか」  豪雪の言葉に、紗織と玖須はかぶりを振る。 「存在が消えるのだ。怪異の中に入った者が存在したということが、全ての人の心から消 えてしまう。だから、神通力を得ようと入った者は、その存在を忘れられ、そのまま助け 出されずに死んでしまう」 「豪雪様はどうされたのですか」  紗織が問う。 「二度目は完全に忘れようと思っていた。しかし、生活の後や、書いた物まで消えるわけ ではない。そのうち、そういう人間がいたということを思い出した。  初めのときは、一連の行動を儀式として繰り返し習得し、その通りにおこなった。儀式 とは、そもそも行動の様式を獲得するためにある」  何を為すべきか、それを忘れなければよいと豪雪は言う。 「西と南。二箇所の怪異、どちらに向かう」 「西へ。近い場所から参ります」  豪雪は、地図を投げて紗織に渡す。紗織と玖須はすぐに駆け出す。二人は、山林に出、 そのまま西に向かう。 「豪雪様。お耳に入れておきたいことが」  五伏が豪雪に近寄り、先ほどの明光院との件を告げる。 「分かった。協力しようと答えておけ。ただし、相手方にはこちらの実態がつかめないよ うにしておくのだ。人数、陣容、行動、全て謎のままにしておけ。お前は相手方の内情を 調べろ。そして何気ない素振りで居座れ。居座れなくとも定期的に伺うようにはしろ」 「御意」  五伏はその場を辞す。豪雪は、続けて城下町から帰った偵察の報告を受けた。 ────────────────────────────────────────  雲が晴れた。青い空が見え、強い日差しが降り注ぎ始める。<魅遊>(みゆ)は遅い朝 を迎えた。昨晩、城下町に向け放っておいた式神たちが戻るのを待ち、ようやく眠れたの が明け方である。そのまま力尽き、ついつい寝過ごしてしまった。  魅遊は、身支度を整え急ぎ蜻蛉のもとに向かう。蜻蛉は、珍しく朝早くから起きていた ようだ。蜻蛉は外で空を眺めている。 「昨晩、式神を使い、城下町の様子を調べてきました。その報告をいたします」  蜻蛉はそのまま天を仰いで聞いている。 「敵は廃墟となった城下町の中央に銀の尖塔を作り上げています。銀の尖塔の周囲には、 糸のような淡い黄金の光が舞っています。その糸のような光は、触れればたちどころに消 えてしまいます。その光の向こうには、全身白い肌の人々がおり、みな一様に羽衣をつけ ております。  銀の尖塔には入り口らしき場所が一箇所あり、その他の入り口は見つかりません。また、 銀の尖塔の傍らには無数の淡い光の球体があり、その中から、多くの白い肌の人々が出入 りしておりました」 「それは怪異だな」  蜻蛉の言葉に魅遊は身を硬くする。あれが、不老不死に至ると言われる怪異なのか。敵 はその怪異を自由に操っている。 「勝てるのでしょうか」  魅遊は言葉を漏らす。 「勝てぬのなら、既に逃げ出しているよ」  蜻蛉は笑顔で魅遊に答える。魅遊は、安心してその場を去った。  魅遊の姿が消えたのを見届けて蜻蛉は歩き出した。表情は険しい。千重様は、我々に大 変な宿題を残してくれたものだ。蜻蛉は、真鉄の部屋に向かった。 ────────────────────────────────────────  城下町の矢の野を<蒼竹>(あおだけ)は駆ける。幸いなことに、月の都人の姿は見え ない。出払っているのだろうか。蒼竹は、銀の尖塔の近くに陣取り、月の都人が銀の尖塔 から離れるのを待つ。  銀の尖塔の周囲には、囲いのように淡い光の糸が舞っている。鳴子のようなものかも知 れない。触ると侵入が知れるやもしれない。光の糸は、尖塔の周囲一帯を籠のように取り 囲んでいる。  雨は止みかけ、雲が徐々に晴れてきた。蒼竹は待つ。ほどなくして、一人の月の都人が 光の糸の近くまできた。見回りであろうか、手には武器を持っている。蒼竹は、念を凝ら して都人を呼んだ。  月の都人の耳に何かが聞こえたようだ。確かめるように、光の糸の外に出てくる。近く まで来るのを待ち、蒼竹は一気に襲いかかり相手の自由を奪う。口を手で押さえ、瓦礫の 影に引きずり込む。首筋に刃を当て相手を威嚇する。  初めて間近で敵の姿を見た。白磁のような肌に血管の浮き出た赤い目をしている。蒼竹 は、相手の耳に口を押し当て小声でささやく。 「お前たちの狙いは何だ」  無言のまま答えはない。言葉が通じないのか。蒼竹は、月の都人の目をにらみ、毒蛇の ような念を送る。 「無駄だ。我らにまやかしは通じない」  月の都人は答えた。言葉は通じている。 「殺したくば殺せ」  月の都人が蒼竹の目を見据えている。 「死ぬのが怖くはないのか」 「死なぬ」  月の都人は蒼竹の刃を払いのけようとする。蒼竹ともみ合ううちに、蒼竹の刃が月の都 人の首筋を切り裂いた。血が流れ、月の都人は絶命する。 「死なないって嘘かよ」  蒼竹は当惑した。あまりにもあっけなく死んだ。信じられないといった風情で、蒼竹は 死体を調べる。確かに死んでいる。調べているうちに、月の都人の体が光り始めた。  いや、正確に言うならば、体を覆っている羽衣が光り始めた。  光は強くなり、天に向かい一筋の光が立ち上る。光が消えたとき、死体に羽衣はなかっ た。にわかに銀の尖塔が騒がしくなる。気づかれたか。蒼竹は、急いでその場を後にした。 ────────────────────────────────────────  夜が来れば猪槌城に行こう。金梟は、鈍砂山から城下町を見下ろしている。明光院から 先ほど話があった。猪槌城を見張れと。あの城にはまだ多くの秘密が残されている。そう 明光院は告げた。  ただの城に見える。この男にしては珍しく、陽が昇っている時刻に起きている。昨晩は 雨のためすることもなく、久しぶりに夜に寝たからだ。金梟は、日中は真鍮製の遮光器を 付けている。夜目を鍛えるために、日ごろから闇の世界に生きている。  金梟は猪槌城を見ているうちに、城から定期的に光の柱が立ち上っているのに気づいた。 微かな光である。他の者たちには見えないのであろう。誰も気にしていない。  遮光器を通して世界を見ると、様々なものが見えるのを金梟は知っている。ちょうど、 霧の中や、黄昏時のように、世界の境界があいまいになるのだろう。  見える。  ときに強く、ときに弱く。それは律のように規則正しく、定期的に立ち上っていた。 ────────────────────────────────────────  紗織と玖須は、再び万字賀谷の入り口までやって来た。天高く岩が積まれ、先に進む障 害となっている。たとえ渡りであろうとも、この岩を越えることは難しいだろう。  しかし、道はある。大きな岩の隙間には、わずかに通れる隙間がある。この隙間を通り、 岩壁を抜けるのだ。岩の平衡を崩せば、たちどころにその下敷きになる。  紗織は岩の肌に触れ、その堅牢さを確かめる。少々のことでは崩れそうにない。玖須が 岩肌にくないを近づける。くないが吸い付けられるように岩肌に張りつく。磁鉄鉱。この 岩それぞれが、磁力を帯びた鉄鉱石なのかもしれない。 「兄者、どこか通りやすそうな場所はあるかのう」  玖須は首を横に振る。玖須はくないをしまい、縄を取りだす。  玖須と紗織は手近な木の幹に縄の先を結わい、岩の隙間に入りはじめた。玖須が先に進 む。玖須が通れる場所ならば紗織も通れる。二人は半刻ほど岩の間を這いずり、ようやく 岩の壁を抜けた。帰りのために、縄の端を木の幹に結び付けておく。  久しぶりの万字賀谷には人の気配はなく、ただ風の音だけが鳴っている。 「時間を浪費した。急ぐのじゃ」  紗織の言葉で、二人は銀の光になり雪組地下屋敷に急いだ。 ────────────────────────────────────────  二人は雪組地下屋敷の階段を駆け下りる。最下層に降りてきたところで足を止める。地 下屋敷は静まり返っている。  文献が収めてある一室の前を急ぎ通りすぎ、奥の洞に入る。時間はない。一刻も無駄に したくはない。敵はいつ攻めてくるか分からないのだ。  奥の洞は、普段、上忍にしか許されていない場所である。玖須と紗織は、冷気の漂うそ の穴に足を踏み入れていく。  洞穴の奥には深い泉がある。泉の中央には石の鉢が据え付けられており、鉢の中央には 淡い光が揺らめいている。 「あれが怪異じゃな」  紗織は息を呑む。玖須は、くないを取り出し、洞の岩壁に成すべきことを書き連ねる。 例え紗織を忘れても、この文の通りに行動をすればよい。  二人は冷たい泉に身を投じる。泉は深く、足は底を探し当てない。緩やかに泳ぎ、二人 は鉢の下までたどりつく。淡い光が兄妹の顔を浮かび上がらせる。 「兄者、頼んだぞ」  紗織は鉢に手をかける。玖須は素早く刀を抜き、淡い光を両断した。  光に裂け目が生じ、暗い闇が姿をあらわす。突風が吹く。紗織は両手に力を入れ、体を 水から引き上げる。そして一気に怪異の中に消えた。  闇が閉じ、再び光が揺らめきはじめる。  玖須は刀を持ったまま、ぼんやりと水の上で浮かんでいる。何か、大切な者を失った気 がする。玖須は水から上がった。岩壁に、何かするべきことが書かれているが、今はそん な気にはなれなかった。大きな喪失感が心を覆っている。しかし、何を失ったのか彼には 分からない。  玖須は地下屋敷を駆け上がる。石をくりぬいて作られた廊下、布で仕切られただけの部 屋、戦いのための武器、火薬。あらゆる物が以前のままにある。しかし、何かが遠くに行 ってしまった気がする。  地上に出た。  東には石の壁がそびえ立ち、北と南には万字賀谷を囲む峻険が広がっている。西には先 の見えない霧が見える。玖須は、銀の光となり西に飛んだ。 ────────────────────────────────────────  紗織は闇の中、ひたすら底へ底へ沈んでいく自分自身を見ている。そこでは闇に溶け、 消えゆく自分の姿を、客観的に見ることができた。  いくつかの光が過ぎ去っていく。光の中には景色が浮かんでいる。紗織は消え行く意識 の中、その一つに目を止めた。光の中には、まだ若い豪雪と深雪がいた。 ──────────────────────────────────────── 「兄上。兄上が雪組の頭領になってから、始めての千重殿との謁見。いかがだったでしょ うか。父を討って以来、今まで沈黙を守り続けた千重殿は、いったいどんな話をされたの でしょう。ぜひ、私にもお聞かせ下さい」  豪雪が深雪ににじり寄る。二人共にまだ若い。深雪が神通力を得る前、まだ父を豪雪と 共に倒した直後のことである。雪組の頭領が変わって以来、沈黙を守り続けてきた千重が、 始めて深雪を猪槌城に呼んだ。  帰ってきた深雪の表情は暗い。深雪は豪雪の問いに答えぬまま部屋に座る。部屋には豪 雪と深雪だけである。豪雪は、深雪が語り始めるのを待っている。 「雪月花の頭領が呼ばれていた」  深雪がようやく口を開く。 「千重の寿命が近づきつつある。千重が死ねば、猪槌の里はなくなるから、千重を生かす ために協力しろとさ」  深雪が苦笑する。このときの深雪は、まだ知恵長け、思いやりのある青年であった。豪 雪との仲も悪くない。豪雪にとっては、唯一この世の中で尊敬できる兄であった。その兄 が、思い悩み沈んでいる。 「雪月花だけではない。主立つお伽衆にもこの話はいっているらしい」 「なぜ千重殿が死ねば、猪槌の里がなくなるのでしょうか」  豪雪は、得心がいかぬという表情を浮かべる。 「分かるまい。だが俺は知ってしまった」  深雪はそれ以上言わない。思いつめた表情のまま、虚空をにらむ。そのまま一刻ほどそ うしていただろうか。豪雪もただじっと兄を見つめている。 「千重が死に世界が滅びるのならば、滅びる前に俺が新しい世界を作る」  深雪の声は小さい。 「豪雪。俺は神通力を身につける。お前は、自分自身の体に、儀式を徹底的に覚えこませ ろ。俺が怪異に入り、お前が俺を救い出す。お前の儀式が失敗すれば、俺はたちどころに 死ぬ。俺の命をお前に預ける」  その日から、深雪と豪雪の儀式の練習は始まった。約一ヶ月。例え目をつぶっていよう が、無心であろうが、全ての動きを滞りなくできるまでになる。  深雪と豪雪は、雪組地下屋敷の洞の中に入る。二人は泉の前に立つ。儀式が始まる前で ある。泉の上に浮かぶ淡い光を見ながら並んで立っている。深雪が口を開く。 「豪雪よ。遺言になるやも知れぬ。忘れるな。俺が死んだら、我が妻<姫百合>(ひめゆ り)を頼む。あれは不幸にしたくない女だ。俺が死ねば、お前が雪組頭領の後を継ぎ、姫 百合を娶れ」  深雪は知っている。弟の豪雪が、自分の妻に思いを寄せていることを。そのとき、豪雪 の胸中に暗い殺意が芽生えた。  儀式が始まる。深雪と豪雪は、船で泉に向かう。何度も練習した通りの動きである。豪 雪は刀を抜く。雪組棟梁の家に伝わる、神無月と呼ばれる太刀だ。神通力の儀式に用いる。 一太刀目でシテを怪異に沈め、二太刀目でシテを救い出す。儀式のシテは深雪であり、ア ドは豪雪である。  船の上で、豪雪は一太刀目を振るう。 「後は頼んだぞ」  深雪が闇の中に消える。豪雪の頭の中が真っ白になる。「よいではないか」心の声が、 豪雪に語らいかけてくる。二太刀目が出ない。白濁した意識の中で、豪雪の心の闇が、豪 雪の手を引きとめている。豪雪は、必死に己の心と戦っている。 「豪雪様」  紗織は思わず叫ぶ。豪雪は、何かに気づいたように二太刀目を振るう。怪異の光は割れ、 再び深雪が姿をあらわした。  豪雪は再び兄のことを思い出す。自分が為そうとしたことを思い口をつぐむ。 「悪い夢を見ていた」  深雪と豪雪は、淡い光を受けながら船の上でたゆたっている。 「豪雪。お前が二太刀目を振らない夢を見た。最も信じる者に裏切られる夢を見ていた」  豪雪は無言のままである。深雪は、眉根を寄せ口の端を上げた。憫笑の表情である。そ の日より、徐々に深雪は変わっていった。 ────────────────────────────────────────  玖須は霧の中、万字賀谷を抜けるべく空を渡っている。いくら渡っても、いっこうに霧 の向こうにはたどりつけない。まるで、元々そこには何もなかったかのようにたどりつけ ないでいる。  玖須は、ついに銀の光を解いた。  落下に身をまかせ、ただひたすらに下へ下へと落ちていく。そこには上も下もない。切 れかかった境界があるだけである。元々、猪槌の里など存在しなかったのではないか。玖 須の頭の中に、ふとそのような考えが浮かぶ。  戻ろう。そう思い、再び銀の光となる。どちらに向かっているのかも分からず、ただひ たすらに霧の世界を渡る。  かつて聞いたことがある。外の世界では、異土に迷い込むと、必ずそこには霧が立ち込 めているという。  時の感覚をなくし、玖須は空を渡りつづける。霧が晴れた。眼下に木枠で囲まれた箱庭 が見える。自分が戻ってきた。俺は玖須だ。猪槌の里の雪組忍者玖須だ。  玖須は地に足をつける。銀の光を解き、地下屋敷に向かい走り始める。誰かが待ってい る。一途な心で玖須は駆ける。迷いはない。石造りの階段を駆けぬけ、最下層に下りる。 洞穴に飛び込むなり刀を抜く。  石壁にはやるべきことが書かれている。玖須は泉に飛び込む。冷たい水が玖須の体を濡 らす。一刻も早くたどりつかねば。玖須は、淡い光の前で刀を一閃させる。光が避け、風 が吹き、中から闇がこぼれ出す。 「紗織」  玖須の口から、ついぞ漏れたことのない言葉が発せられた。玖須は聾唖であり、話すこ とはおろか、聞くことすらできない。玖須の声に呼応するかのように、闇の中から少女の 姿が現れる。  水飛沫が上がる。冷たい水の中、玖須は紗織を抱きしめる。水の中、肌だけが温もりを 伝える。紗織の髪は、白く色が抜けていた。恐怖のためか、金の神通力を得たためかは分 からない。その髪を通して、紗織の濡れた目が伏目がちに覗く。  「豪雪様と深雪様に会った」と紗織は玖須に告げる。 「私の声が、豪雪様を不幸にしたのかしら」  紗織は呟く。あそこで豪雪を呼ばなければ、深雪は消え、豪雪のその後の不幸はなかっ たかもしれない。紗織は豪雪と深雪の戦いの日々を想像する。互いに尊敬し、信頼しあっ ていた兄弟が、骨肉の争いを繰り広げるその様を。  紗織は玖須の胸に顔をうずめる。  玖須の耳には紗織の言葉は聞こえない。玖須の世界に音はない。ただ、悲しみを浮かべ る紗織の体を、玖須は強く抱きしめた。 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- 今回の結果 ■神通力の獲得 ゲームが進んでいく中で、キャラクターは「怪異」(超常的な不思議な現象)に巻き込ま れることがあります。キャラクターは「怪異」に出会うと、「五行の神通力」を身につけ ることができます。どの五行の神通力を身につけたかはマスターから宣言します。 紗織:金の神通力 ■能力の成長 ゲームが進んでいく中で、特に成長の認められる行為をおこなったキャラクターは、プレ イヤーがマスターに申請してください。プレイヤーからの申請によって、マスターはキャ ラクター能力の上昇を認めます。 ■負傷 キャラクターは、マスターより負傷段階を宣言されることがあります。負傷には、重症、 致命傷、能力減退の3種類があります。 山嵐:重傷より回復 修羅:重傷より回復 鴉問:重傷より回復 ■アイテムの獲得 キャラクターは、マスターよりアイテムの獲得を宣言されることがあります。アイテムは、 通常の行動の中で使用することができます。 修羅:短筒 金梟:自爆装置 紗織:怪異の地図 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- ■ ■■■第11話「猪槌城と鏡城」 ■ =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------  雨が上がった。雨の中、一人蓑をまとい城下町に逗留していた男がいる。既に老人であ る。あごには白髭をたたえている。「なに。雨の日の野宿は、旅の生活で慣れておる。旅 籠を使えない身分でのう。幕府の役人にでも見つかれば、寝首をかかれるやもしれん」老 人に、雨に打たれて大丈夫かと問えば、そのような答えが返ってくるだろう。  老人は<雲行飛>(うんこうひ)と言う。徳川政権下では弾圧されている組織の者だそ うだ。なぜか今、猪槌の里にいる。「何、追っている者がおってのう」まだその相手は見 つけ出していない。  雲行飛は蓑の滴を払い、空を見上げる。見事な空だ。陽が肌を焼くように熱い。 「猪槌。いづちとは良くいったものよ。何方、何処とも書ける。どこへ、どちらへ、どの 方角へといった意味か。言葉自体が呪に満ちておるわい。元々定まらぬ場所の呼び方じゃ。  それにその漢字。猪は十二支最後の干支。初めと終わりの境界の干支。槌は土の隠し名 か。土は天の反語。思わせぶりじゃのう」  雲行飛は軽口を叩く。しかし表情はこわばっている。猪槌の呪が強くなってきている。 万字賀谷が閉鎖されたことをこの老人は察している。外からの気の流れが途絶えている。  通常なら、接点が一つ途絶えたところで、その異土の存在は緩くなる。外の世界の安定 が途絶えるからだ。いうならば、異土とは川面に浮かんだ水の泡。川から離れればその形 を失ってしまう。  それが、どうだろう。猪槌は違う。この景色を見る限り、まったく存在は緩くなってい ない。これでは、相対的に呪が強くなっているとしか考えられない。  雲行飛は蓑をしまう。 「わしは、わしの仕事をするまでじゃ」  そう言うと、雲行飛は城下町の廃墟を歩き始めた。 ────────────────────────────────────────  元遊廓街。扇屋のあった場所の地下に<鈴蘭>(すずらん)は向かっている。扇屋には、 無数の地下室がある。敵の矢も、その地下室までは貫いていない。地下に網の目のように 走っている道を抜け、扇屋の地下の入り口にたどりつく。  地上の者たちの知らぬ入り口である。この道はそのまま土蜘蛛たちの住む道にも通じて いる。  陰の国の鈴蘭は、扇屋に入る。鉄の扉が並ぶ岩壁を抜け、階段を駆けあがる。道は複雑 に折れ曲がっている。例え侵入者があったとしても、方向感覚を狂わされ、思うところに 抜けられぬように作られている。  何度か道を折れ、岩のくぼみを押す。仕掛けも多い。正面の壁に隙間が開き、岩戸が開 く。鈴蘭は部屋の中に入る。 「もうそろそろ迎えに来てくれると思っていたわ」  <向日葵>(ひまわり)の言葉に鈴蘭が驚く。向日葵は唖であったはずである。  「しゃべれるようになったの」鈴蘭は怪訝な面持ちで向日葵を見る。  「教えてちょうだい、いったい何がおこったのか。ずっとこの部屋にいたから、何も知 らないの」向日葵が言葉を続ける。 「≪千重≫(せんじゅう)様が死に、≪花扇≫(はなおうぎ)様が地下で陰という国を興 し、地上では謎の一団が城下町を壊滅させたわ」  鈴蘭は口早に答え、手短に陰の国への道を教える。 「あなたは」 「地上で敵を見張りに行く」  鈴蘭は、部屋から出てそのまま地上に向かった。  向日葵は身繕いをして、部屋から持ち出すべきものを布に包む。ずっと自室にいたため に情報が不足している。早く合流しなければ。そう思い、向日葵は扇屋を後にした。 ────────────────────────────────────────  鈴蘭は階段を駆け上がり、倒壊した地上の扇屋を抜け、陽のもとに出る。北西に銀の塔 が見える。鈴蘭は、瓦礫の影に身を沈め、銀の塔の様子を観察する。  銀の塔から、光の柱が立ち上る。青く晴れた空に、吸い込まれるように光は消えていく。 「あの光は何かしら」  鈴蘭は空を見ながら呟いた。 ────────────────────────────────────────  向日葵は地下を駆け、陰の国の御所につく。入り口を警備している土蜘蛛と花魁に用件 を告げ、玉座の間の花扇のもとに行く。 「祝賀の辞を述べるのが遅くなってしまいました」  向日葵の言葉を初めて聞いた者たちは、軽い驚きを顔に浮かべる。花扇は冷ややかな目 で向日葵を見下ろしている。 「鈴蘭とは会えたようね」  おかげさまでと向日葵は答える。 「来る途中に鏡城を見てきました。あの城は無人の城ではなくなっているようですね」 「あの城は放っておきなさい。そのうち消えてなくなるでしょう」  城が消える。向日葵は不思議な気がした。花扇は冗談を言っているのだろうか。いや、 そんな素振りはない。 「千重様は本当に死んだのでしょうか。千重様が死んだとなれば、≪滝川≫(たきがわ) 様はどうなったのでしょう」  共に死んだと花扇が答える。 「これから猪槌の里は新しく生まれ変わる。そのときまで、我々は地下でひっそりと生き 長らえなければならない。子を産み、増やすのは女の役目だから」  花扇はそう言葉を結んだ。 ────────────────────────────────────────  朝、まだ地面を雨が濡らしている頃。  ≪真鉄≫(まてつ)の家に雷神道場の関係者が集まっている。所々に雷神とは縁のない 者も混じっているが、≪蜻蛉≫(とんぼ)は彼らのことを詮索しない。  一癖も二癖もある人物が多い。どういう経緯か知らぬが、雷神とは縁なくこの場に参集 している者もいる。  <風幻>(ふうげん)がいる。かつて、蜻蛉に接触しようとした風幻は、雪組を離れこ の集まりに参加している。<ジョン・義理>(じょんぎり)もいる。<東雲>(しののめ) もいる。集まりの中心には、蜻蛉、真鉄、≪鍬形≫(くわがた)がいる。  集まりの目的は≪二重≫(ふたえ)救出である。「門弟が、生きて捕らえられているの ならば救うべし、殺されたのなら仇を討つべし」先代雷神道場頭主、≪螳螂≫(かまきり) がかつて言った言葉だ。  昨晩、鍬形は一人で発とうとしたが、それを蜻蛉が制した。「一晩待て。待たねばなら ぬ理由がある」そして二人だけで話をし、幾つかの事実を告げた。その時より、蜻蛉と鍬 形の仲はどこかぎこちない。 「二重救出に行く者を募る。数は多くはせぬ。隠密行動になるからな」  鍬形が一同を見渡す。鍬形の顔は、いつもにまして固い。 「まずは俺だろう」  ジョン・義理が立ちあがる。誰も異存はない。ジョンは決定であろう。 「私も行きます」  東雲が立ちあがる。 「まっ、待て。お前の腕では」  足手まといになる、そう言いたい。鍬形が東雲を思いとどまらせようとする。 「絶対に行きます。二重様は、私の目の前でさらわれたのです」  東雲は頑として諦めようとしない。東雲は、懇願するように蜻蛉の目を見る。 「鍬形。連れていってやれ」  しかし。鍬形がため息をつく。東雲は死ぬかもしれぬ。そう思った。 「俺も行くつもりだ」  風幻が立ちあがる。蜻蛉以外には、この男の姿を見た者はいない。皆が声を潜めて憶測 を漏らす。 「蜻蛉。あの男は」  鍬形が蜻蛉に耳打ちをする。 「役に立つだろう。刀だけではできぬ仕事もある。わざわざ死地に赴こうと言うのだ、腕 さえあれば問題はあるまい。幸い腕はある。以前遊廓街で会ったことがある」 「またその手合いか」  鍬形が渋い顔をする。蜻蛉の知り合いには遊廓街で会ったという者たちが多い。数は四 人。これくらいがよいだろう。 「では、四人で行く」  鍬形が二重救出の人数を打ち切る。 「少し良いですか」  部屋の住みで学者風の壮年の男が手を上げる。雷神道場に出入りしている食客の一人だ。 名は<安倍孔明>(あべのこうめい)と名乗っている。元は外の者だが、猪槌の里に居つ いてだいぶ長くなる。名前からして人を食っている。安倍晴明の安倍に諸葛孔明の孔明。 普段は雷神の道場で、会計の雑務をしながら本ばかり読んでいる。  名の通り呪術、陰陽の技に長けている。名ばかりというわけではない。小脇に抱えた子 犬を撫でながら、安倍は鍬形に告げる。 「鍬形師範代、気をつけてください。ここに来てから、鈍砂山に大量の式神が跋扈してい ます。行きと帰りは気を抜きやすい。特に帰りは危ないでしょう」  確かに。もし無事に二重を救出できれば帰りは気を抜くやも知れぬ。その隙をつかれれ ば危うい。鍬形は頷く。 「蜻蛉さん。なぜ骸骨武者が二重様をさらったのか、どこに連れ去られたのか、そもそも 千重様と二重様との間にどんな関係があったのか教えてください」  東雲が蜻蛉に問う。 「そう何でも聞くものじゃないよ東雲。二重は地下に連れ去られたのだろう。骸骨武者は 猪槌城から出てきて地下に消えた。猪槌城の地下には、鏡城という名の逆さの城があると 聞いたことがある。二重が連れ去られたとしてら、行き先はそこと考えるのが妥当だろう。 二重は鏡城にいる」  確かに。そう考えればどこにいるかは一目瞭然である。だが、なぜ骸骨武者が二重様を さらったのか、千重と二重の間にどんな関係があったのか、その疑問の答えにはなってい ない。東雲が口を開こうとしたとき、ジョンが真鉄に話しかけた。 「真鉄殿。あんたは、巨鉄兵を作るほどの武具師だろう。二重救出のために、何か画期的 な武器とかはないのかよ」  用意してあると言い、真鉄は組み立て式の筒を引きずってきた。組み立てれば、人が一 人入りそうな筒である。畳んだ状態では、背負える程度の大きさになっている。 「小竜砲という武器だ。組み立てて、筒を敵に向け、中に人が入り、敵に向かって渡りを おこなえばよい」  真鉄はそれ以上細かいことは言わない。「何だ、簡単だな」ジョンは小竜砲を背負う。 「蜻蛉。あとは頼んだ」 「まかせておけ。あと、もし遊廓街の近くに寄ることがあれば、扇屋がどうなったか見て きて欲しい」 「わかった」  鍬形が部屋を出る。ジョン、東雲、風幻は慌ててその後を追う。  鍬形たちは、つむじ風のように鈍砂山をくだった。 ────────────────────────────────────────  真鉄の家は崖の上に建っている。その谷の底を、蜻蛉と真鉄は歩いている。鍬形たちを、 送り出した後、二人は連れ立ち、この谷底を奥に進んでいる。  谷は、鈍砂山を切り裂くように続いており、滝の口でその先端を終える。その滝の奥に は洞窟の入り口がある。蜻蛉と真鉄は滝壷の縁を周り、滝の裏に消える。  洞窟の中は暗く冷たい。真鉄は背嚢より松明を取りだし、その先端に火を入れた。洞窟 の壁面が赤々と照らされる。 「行くか」  二人は奥へと進む。  「私たちは外道ですね」ぽつりと蜻蛉が声を漏らす。「まき込んでしまってすみません」 蜻蛉はすまなさそうな顔つきになる。  蜻蛉と真鉄は歩いている。滝の音が遠ざかり、火のはぜる音のみが洞窟を覆う。  真鉄を千重に引き合わせたのは蜻蛉であった。真鉄という、傑出した天才を得たとき、 千重の計画は途端に現実を帯びた物になった。いま一歩足りなかったものが千重の手に入 ったのである。  千重が恐れていたのは、月の都人の軍事力である。千重の呪は完璧であろう。しかし、 その呪を完成させるためには、月の都人の妨害を食い止めなければならない。そのために は、例え万人の軍があったとしても無駄である。月の都人の存在そのものを消し去るよう な、圧倒的な軍事力を得なければならなかった。  真鉄がその突破口を開いた。「では、月の都そのものを消し去ればよいでしょう」真鉄 はその計画に熱中した。怪異を調べるうちに、その特性の多くが解明された。怪異を消し 去るには一つの方法しかない。怪異とこの世の接点を断つ。それだけだ。怪異をより大き な怪異の中に落とせば良い。この世との接点を断った怪異は、この世から消える。しかし、 地上近くに月より大きな怪異はない。  ここで真鉄は一度行き詰まる。しかし、月を消す必要はない。目的は、月の都を破壊す ることだ。真鉄の考えはそこに至った。圧倒的な火力でもって、怪異の光、この世との接 点を吹き飛ばしてしまえば良い。闇の界面を完全に剥き出しにすればよいのだ。そうすれ ば、支えを失った月の都は地上に落ちる。月は滅ぶ。  そして、竜王砲を作った。竜王砲自体は、だいぶ前に完成している。その計画を完璧に するために、移動要塞としての巨鉄兵を作った。計画は、そろそろ大詰めの段階と言って よい。  洞窟の天井が高くなる。広間に出た。広間には淡い光が満ちている。広間の奥には鉢が あり、鉢の中には淡い光が揺らめいている。鉢の上の光に照らされて、人の背よりも太い、 黒く大きな筒が二本並んでいる。二つの筒は、蛇腹の管でつながっている。 「俺はちゃんと妻子を持ち、人並みに暮らしているんだぜ。蜻蛉殿がこんな仕事にまき込 まなければ、まっとうな生涯を送っていただろう」真鉄の顔に表情はない。「そして、猪 槌の里が滅ぶと共に、消えてなくなっていただろう」  真鉄はそう言うと言葉を止めた。松明の音だけが部屋にこもっている。 「すみませんねえ」  蜻蛉が口を開く。真鉄はため息を漏らして言葉を続ける。 「俺はくすぶっていた。俺の人生はこんなものではない。もっと違う生き方が俺にはある。 俺の人生はこの程度のものなのか、と絶えず思っていた。  まるで、夢物語の主人公になろうと思う子供のようなものだよ。どこかでこういう戦い を願っていたのだろう」  真鉄は壁の握り棒を下げる。竜王砲が、滝の水車の駆動で動き始める。真鉄と蜻蛉は筒 に飛び乗る。筒は洞窟の外に向け動き出す。外では、そろそろ山嵐が巨鉄兵を運んできて いるだろう。  二人は無言で洞窟の外に向かう。 ────────────────────────────────────────  昼の陽の光の中、猪槌城は銀の尖塔と対決するかのようにそびえている。敵は城には手 をだしてこない。しかし、いずれくるだろう。猪槌城の門の脇、通用門の閂を<蝉雨> (せみあめ)は外す。傍らには覆面につぎはぎの体の<式鬼>(しき)がいる。  今死ねばこうなってしまう。蝉雨の頭に≪深雪≫(みゆき)の姿がよぎる。いや、考え るのはよそう。  蝉雨の仕事は死体漁りである。日没までの間に、猪槌城の前に転がっている死体の中か ら、比較的損傷の少ないものを選び、集めることだ。  昨晩大雨が降ったために、道はぬかるんでいる。この泥の中で、死体を漁るなど考える だけでも身の毛がよだつ。涙が出そうであった。蝉雨は橋の向こうを見る。橋の上には矢 は刺さっておらず、橋を渡り終えた先は一面の矢の野である。  蝉雨は通用門を抜ける。背後で閂が下ろされる音がする。蝉雨はとぼとぼと歩き始めて、 橋の上に人がいるのに気づいた。  橋の欄干にもたれるように女が座っている。無表情で、まるで人形のように見える。生 きているのか。生きているならば、こんなところに座っていれば殺されてしまう。蝉雨は 女に近づいていく。  女を覗き込んでみる。 「雪姫様」  <氷雨>(ひさめ)は小さな声を漏らす。  この女、雪組の者か。雪姫様の死をここで弔っているのか。このまま捨てても置けない がどうする。蝉雨は女の手を引き、橋の向こうに引いていく。せめて、猪槌城の周囲にい なければ殺されはしないだろう。  蝉雨は、矢の突き刺さった死体の山を見た。 「深雪様が、比較的損傷の少ない死体を探してこいと言った意味はこれか」  見渡す限り、矢が刺さり、肉が削げ落ちた死体しかない。黄金蟲で操るにも、これだけ 損傷の大きい死体では実用には耐えなさそうだ。これでは仕事にならないと、蝉雨は途方 にくれる。損傷の少ない死体なんて。蝉雨の頭に先ほどの女がよぎる。ここで殺せば死体 の損傷は少ないはず。  蝉雨は頭を振る。駄目だ、頭がおかしくなってきてやがる。蝉雨は死体を探しながら、 とぼとぼと廃墟を歩き始めた。 ────────────────────────────────────────  猪槌城の城壁。堀との境の排水溝を、一匹の蛇が進んでいる。蛇は排水溝をさかのぼり、 城の水牢に出てくる。蛇は姿を変え鷲となり、水牢を抜けた後、銀色の毛並みの狼となる。  狼の嗅覚で白雪を探す。<銀狼>(ぎんろう)は城の奥へと駆け出す。城にはまだ、無 数の死体が残されている。どの死体も無残に馬蹄に踏み荒らされ、原型をとどめていない。 銀狼は、ふすまを額で開け、奥へ奥へと進む。  匂いが次第に近づいてくる。 ────────────────────────────────────────  <銀華>(ぎんが)と式鬼は、深雪から城内警備の命令を受けている。警備にあたり、 銀華は城の四方の鉄像を修復して回った。深雪よりもらった黄金蟲を鉄像に移しかえ、黄 金蟲に鉄像を修復させていく。今日の明け方頃にはその作業も終わっていた。  銀華は、今は城内を警備している。損傷の少ない死体があれば連れて来いと深雪に言わ れているが、城内の死体はどれも細切れの死体ばかりである。  式鬼はその死体を片付けながら城内を巡回している。作業の手が足りないため、腕を数 本増やしている。爆薬を持った式神を周囲に浮かべながら城内をうろつく姿は怪物そのも のである。  深雪は城の奥で、床に転がした≪白雪≫(しらゆき)を見ながら酒を飲んでいる。姿は ≪姫百合≫(ひめゆり)に似ているが、中身は俺に似ている。深雪は酒を飲みつづける。 白雪は、黄金の枷に抗い続けている。まるで芋虫のようだ。羽を持たず、葉の上でさ迷い 続ける虫のようだ。  怪異の中での俺がそうだった。初めて怪異に入ったとき、≪豪雪≫(ごうせつ)の太刀 を待ち、永劫とも思える時間をさ迷った。二回目の怪異は、弟が自分を滅するために閉じ 込めた。 「最も信頼できるのは兄弟だと思っていた。しかし、それは違っていた。もし、何か事を 成し遂げようとすれば、信頼できるのは己のみ。  己がもう一人いれば事はなるだろう。俺と同じ考えを持ち、俺と同じ力を持つもう一人。 人は一人では事を成せぬ。枷をはめられたとき、無条件でその枷を外してくれるもう一人 が必要なのだ」  白雪は、独白ともとれる深雪の言葉に耳を傾けた。枷への抗いを緩める。 「お前には、もう一人の自分がいるか」  深雪は白雪に問う。白雪は無言のまま考える。この男は何を考えているのだろう。父、 豪雪とは違った心の憂いがこの男にはある。姿は父と似ているが中身は違う。  「男よ、名は何と言う」白雪は口を開く。 「深雪だ」  深雪は酒を飲む。そのときふすまが開いた。銀の毛並みの狼が唸りを上げ、部屋に入っ てくる。銀狼は、深雪と、黄金の枷をはめられた白雪の姿を見る。 「出会え」  深雪が鋭く叫ぶ。襲いかかる狼の額を刀の柄頭で弾き返す。銀狼は、壁を蹴り再び深雪 に襲いかかる。  ふすまが開き、黒髪の長身の女が飛び込んでくる。居合で刀を抜き、銀狼に斬りつける。 銀狼は、牙で刀を噛み受け止める。牙で刀を受けた銀狼を、女はそのまま床に叩きつける。 床の板が割れ、銀狼の牙が数本折れる。  銀狼は、女と深雪に対して距離を取る。口からは血が流れている。口元を拭いながら変 身を解き、人の姿に戻る。銀狼は塩の鎧で再び身を覆う。 「姉さん」  銀狼は声を上げる。土気色の姉の顔が、銀狼を見据えている。なぜこんなところに。銀 狼の動きが鈍る。 「ほう、姉弟か」  深雪が眉根を寄せ、口元の端を上げる。 「銀華よ、その男を斬り殺せ」  銀華はこくりと頷き距離をつめる。銀狼は腰から塩の刀を抜き、姉の刀を受ける。その まま刀を押し下げられ、肩口を切られる。刀の勝負では姉さんの方が上。銀狼は塩の鎧の 肩口をつかむ。そのまま肩当の一部を握りつぶし、塩の目潰しを銀華に放つ。  塩を目に受け、銀華の動きが止まる。銀狼は、塩の刀の切っ先を銀華の胸に突きたてる。 刀は銀華の胸を貫き、背に抜ける。  手応えがおかしい。銀狼は銀華の体を見る。銀華の着物を、無数の式神たちが支えてい る。着物だけがそこにあった。  銀狼の胸を冷たい刃が貫く。銀狼は、自分の胸に生えてきた刀の切っ先を見た。銀狼は、 首をよじり振りかえる。そこには、肩から胸にかけて斬り傷のある、裸身の姉の姿があっ た。銀華は、刀を銀狼の死体から抜く。銀華は血振りをし、刀を鞘にしまう。  深雪が笑い声を上げる。 「兄弟とはこのようなものだ。親子もそうだ。肉親でさえ信用はおけぬ。新しい世界を作 るために、俺は己の分身を探していた。人は一人では何もできぬ。お前は俺の分身になれ るか」  深雪の声が白雪の胸を貫く。  深雪は立ち上がり、銀狼の胸の上に黄金蟲を置く。 「たとえ死んでも人は人だ。人さえいれば国は滅びん。新たな呪を作り、永劫に持たせる だけの死者を俺は作らねばならない」  深雪の言葉が終わった後、銀狼が血の気のない顔で立ち上がった。 ────────────────────────────────────────  晴れ晴れとした青い空の下、蝉雨はとぼとぼと歩き続けている。せめて一人でも新たな 死体が手に入らないと、深雪様の雷が落ちるだろう。しかし、ないものはない。蝉雨は、 ぶつぶつと呟きながら。矢の野を歩き続けている。  気づくと、婚礼の儀の前に泊まっていた家の近くまで来ていた。  あの頃は、生者は俺だけじゃなく、<紫>(むらさき)もいたからまだましだったな。 蝉雨はそこに座り込む。歩くのも馬鹿らしくなってきた。どうせ見つからないのだ。  蝉雨はぼんやりと空を見上げる。何でこんなことになったのだろう。体の中には黄金蟲 がいる。雪組から抜け、自由の身になることを夢見ていたのに、死後も続く奴隷になって しまった。 「どいつもこいつも、死ぬのがそんなに楽しいのかねえ」  蝉雨は倒壊した建物に視線を移す。蝉雨の手の中には、一枚の大紫の羽があった。ほん の少し前の城下町の賑わい、仲間たちとの談笑、この羽の持ち主の活気。全てが今となっ ては幻のようだ。  そう言えばあいつ。蝉雨は思い出して廃屋の中を探した。ほどなく袋に入った竜神丹の 小瓶を見つけだす。 「たしか、<一純>(いずみ)様とか言っていたな」  猪槌の外の人間なら、もう死んでいるいるかも知れない。この猪槌の里は、外より時間 の流れが緩やかだ。だが、届けてやらねばならぬだろう。  「ちきしょう」蝉雨は竜神丹の小瓶を懐に入れつつ呟く。「またひとつ、死ねない理由 が出来ちまった」 ──────────────────────────────────────── 「戻ってきたか」  殺される。深雪の声を聞きながら蝉雨は思った。結局死体は一つも見つけられなかった。 「申し訳ございません」 「いや、よい」  深雪はひどく上機嫌である。その傍らには、新たな死体が立っている。塩の鎧を着た男 だ。どうやら上機嫌の原因はこれらしい。 「深雪様、準備ができました」  ≪氷室≫(ひむろ)が部屋に入ってくる。氷室は昨晩より、猪槌城の底の蔵で何やら作 業をしていたようだ。何の準備ができたのであろう。 「式鬼、蝉雨、行くぞ。ついて来い。俺がいない間は氷室が指揮を取れ」  深雪は歩き出す。慌てて蝉雨は後を追う。どうやら、まだ殺されないで済みそうだ。三 人は連れ立って猪槌城の底に向かう。何やら、軋みを上げるような金属音が、蝉雨の耳に 聞こえてくる。  猪槌城の基底部にある蔵の戸を深雪が開ける。突風が蝉雨の顔を洗った。吹き飛ばされ そうになる蝉雨の体を式鬼が支える。  深雪は平然とその風の中を進んでいく。式鬼と蝉雨が後を追う。  蔵は広く、洞窟のような岩壁に囲まれている。蔵の天井には巨大な鉄の風車が備え付け てあり、けたたましい音を上げながら回転している。蔵の四方にはそれぞれ巨大な鉄の杭 があり、天井の風車の回転に合わせて中央に向かいその先端を伸ばしている。  部屋の中央には鉢が備え付けられており、鉢の上には淡い光が揺らめいている。鉄の杭 は交互にその淡い光を刺し貫き、暗闇と共に強風を発生させている。 「どうやら、うまく整備できたようだな」  深雪は笑みを浮かべる。時折淡い光より、天井に向かって細い光の柱が立ち上る。 「これはいったい」  蝉雨は声を上げる。 「猪槌城の動力源だ。千重め、城を改築してこんなものを作っていたとは」  深雪はさらに先に進む。 「どこに行くのですか」  蝉雨が問う。 「目的はここではない。地下だ」  深雪は、蔵の奥の扉に向け歩いていく。蝉雨と式鬼はその後を追う。 ────────────────────────────────────────  猪槌の里の地下には、広大な地下空間が広がっている。特に城下町の地下ではその面積 は広く、猪槌城の地下に至っては、広大な野のようにひらけている。地下の空間の高さは 猪槌城ほどもあろうか。鎌井の眼前には、猪槌城とそっくりな、天守を地面に向けた城が 建っている。  その逆さの城は、城下町の噂で聞いたことがある。鏡城と呼ばれていた。  <鎌井>(かまい)は傷を焼酎で洗う。幸い骨は折れていないようだ。だが、ひびは入 っているかもしれない。皮が破れ、肉が覗いている場所には軟膏を塗り、さらしを巻く。 千重との対決を予期していたために、色々と用意はしていた。 「また、式神は全滅したか」  鎌井は治療の間、何度か鏡城の様子を探るべく式神を放っていた。しかし、周囲に陣取 る骸骨武者たちに全て退けられている。この包囲を突破できるとすれば、相当な達人だな。 鎌井は道具を仕舞い、立ちあがる。そろそろ花扇さんのもとへ向かおう。  鎌井は歩き出す。 ────────────────────────────────────────  地下には壮麗な邸宅が作られていた。その表には金銀が散りばめられ、瑠璃や玻璃を埋 め込まれた扉が竜宮城のような輝きを放っている。入り口には、数人の花組忍者と土蜘蛛 たちがいる。 「止まりなさい」  まだ少女の甲高さを残した女の声が鎌井を遮る。 「俺は鎌井だ。花扇さんに会わせてもらいたい」  土蜘蛛たちが鎌井を取り囲む。 「そこで待っていなさい」  <彩花>(あやか)は、花扇の住まう玉座の間に駆けていく。御所はきらびやかに輝い ている。ここだけが、地上の惨事と関わりのない別世界のようであった。 「花扇様。鎌井という者が来ております。いかがいたしましょうか」  彩花は花扇の前に進み出て指示を仰ぐ。彩花は玉座に座る花扇の姿を見る。黄金と宝石 を散りばめた装身具を身につけ、絹一枚だけをまとっている。花扇は物憂げに玉座に座っ ている。陰の国を興して以来、花扇の口数は少ない。どこか心ここにあらずといった風情 である。 「通しなさい」  まるで鶴が羽を伸ばすように、しなやかな動きで花扇は彩花の前に手を伸ばす。花扇は 立ちあがり、彩花の肩に手を触れた。花扇の手は羽根のように軽い。  花扇様は変わられた。滝川を討って依頼、まるで心の糸が切れたかのようになられた。 彩花は玉座の間を辞し、再び御所の入り口まで行く。  入り口では、鎌井が土蜘蛛に囲まれて立っている。 「ついてきなさい」  彩花は鎌井を御所に上げた。  彩花につれられて、鎌井は御所の廊下を進む。廊下にも金銀が使われている。  鎌井は玉座の間に通された。  玉座ではかがり火が焚かれている。炎に照らされ、金や銀の壁が部屋の中できらめいて いる。その部屋の中央に、花扇は横を向き立っている。  黄金と宝石に散りばめられた花扇の姿が、天女のように輝いている。体にまとった絹は、 ゆるやかな肢体の曲線を描いている。 「花扇さん」  鎌井が話しかけようとしたとき、花扇が鎌井の方をゆっくりと向いた。花扇の目元は黄 金の光で潤み、物憂げな表情の輪郭は部屋の輝きの中に溶け込んでいる。  鎌井は言葉を止めた。  花扇がわずかに微笑む。 「身の上話を聞いてもらおうと思い、花扇さんを探していた」  なぜこの女に身の上話を聞いてもらいたいのか鎌井には分からなかった。花扇は向きを 変え、玉座の奥に歩いていく。手を静かに動かし、鎌井にもついてくるように促す。 ────────────────────────────────────────  玉座の奥の部屋は瑠璃で覆われた部屋だった。部屋全体が、瑠璃の色である青に統一さ れている。部屋の壁の一面は取り払われており、その壁の向こうに地下の暗闇の中、青く 輝く海が見えていた。  海は視界一面に広がている。左手の方角には白く糸を引く滝が流れ落ちている。地上か ら微かに降り注ぐ光が、水飛沫の霧に虹をかけている。  青く静かな世界であった。 「悲しみの青」  花扇は静かにささやく。花扇の手が動き、鎌井に玻璃の盃を手渡す。御所の南から見え る海は、静かな波音を奏でている。  足元には、絨毯が敷かれている。花扇は盃を持ち、海を見ながら座っている。鎌井も座 る。 「俺は仇討ちをしようとしていた」  鎌井は、誰に言うでもなく語り始める。盃の中の酒を一気に飲み干すと頭の中が軽くな った。目は海を見据えている。 「かつて俺の氏族は千重によって滅ぼされた。俺はその氏族のただ一人の生き残りだ。俺 は氏族の仇を討つために十六夜に入った。より千重に近い位置にいき、復讐の機会を狙う ためだった。だから、千重の新兵器、巨鉄兵のことも調べた」  花扇は盃を持ち、静かに海を見つめている。 「千重は本当に死んだのだろうか」  生きる目的を失った。鎌井は花扇に首を向ける。花扇は無言のままである。鎌井は慌て て弁解する。花扇が嘘をついているとは思っていない。 「滝川は死んだわ」  花扇は口を開く。花扇の装身具が金属の音を立てる。 「今度は私の身の上話を聞くのはどう」  花扇は鎌井の盃に酒を注ぎ足した。波の音を聞きながら、花扇は語り出す。 ────────────────────────────────────────  花組の禿として、花扇と滝川が迎えられたのは同年同月同日。この日禿となったのは花 扇と滝川の二人のみであった。  数年後、二人は楼に上がるとすぐにその頭角をあらわす。二人は互いに姉妹のように振 るまい、その実、血のつながった肉親よりその絆は深かった。  花組の先代頭領は老い始めていた。この時代、老いはすぐさま容貌を衰えさせる。頭領 は、次代の頭領を決めるべく花扇と滝川を競い合わせた。  ちょうど、二十年前ほどのことである。二人の花魁は女の盛りを迎え、遊廓街だけでは なく、千重の宴にも呼ばれて城に上がるようになっていた。その頃、花組先代頭領と千重 の間である密約があったことを、花扇は事が終わってから知ることになる。 「滝川、あなた最近千重様のところばかりに行っているじゃない。見世にも上がらずどう したの」  花扇の何気ない口振りに、滝川は悲しそうな笑みを浮かべて見世を出る。今日も千重の もとに行くのだろう。花扇は、何か解せぬものを感じた。見世での忙しさが、花扇に滝川 のことを忘れさせた。  数週間後、花扇は頭領に呼ばれる。いよいよか。花扇には、それが次代の頭領を告げる 一件であろうと推測がついている。頭領の部屋に行く。部屋には既に滝川がいる。花扇は、 滝川の横に座り、頭領が来るのを待った。 「滝川。最近どうしたの。ずっと見世にも出ずに」  滝川は、微笑するだけである。頭領が部屋に入ってくる。既に、頭領の容色は衰え、往 年の面影もない。 「私は、花組頭領の座から引こうと思います」  やはり、継承の話である。 「次の頭領は花扇。あなたです」  花扇は慎んで受ける。滝川は、花扇に賀辞を述べる。 「ところで先代様。滝川はどうなるのでしょう」  花扇はそのことが気にかかっている。この大事な時期に見世にも出ず、千重のところば かりに通っていた滝川は、どういう了見なのであろう。 「滝川は、千重様の子を産みます」  花扇は驚き、滝川の姿を見る。確かによく見れば体つきが以前と違う。心なしかお腹も 脹らんでいる気がする。 「しかし、花組は土蜘蛛の子以外は産まぬ掟」  滝川は悲しそうに微笑する。花扇は、その微笑に嫉妬の炎を燃やした。  継承の儀式が済み、正式な花組の頭領となった花扇は、最初の命令を皆に告げる。花組 の全構成員が、花扇のもとに参集した。いや、滝川だけは来なかった。 「花組に反逆の徒がいる。組の掟を破った者は死でもってその罪をあがなうべし」  既にお腹を大きくし、千重のもとに向かう用意をしている滝川の部屋を、花組忍軍が取 り囲んだ。 「滝川」  花扇は滝川の部屋のふすまを開ける。滝川は、微笑を浮かべて花扇を見上げる。花扇は 懐刀を取り出し、滝川の首を切り落とした。首が無くなり、小さく痙攣する体から皮をは ぎ、その体を見世の窓から投げ捨てる。肉に犬が群がる。滝川は窓を閉める。部屋には、 微笑を浮かべたままの滝川の生首が残った。  「惨いことを」窓の外で、滝川を迎えにきた剣士が呟いた。鞘のまま、犬たちの頭を叩 き、追い払う。男は羽織を脱ぎ、首のない死体を包む。せめて死体だけでも持って帰ろう。 後は千重様がどうにかするだろう。螳螂は扇屋を後にした。  先代花組頭領が、血相を変えて花扇の部屋に飛び込んでくる。花扇は、何事もなかった かのように座って髪を結っている。そろそろ客のくる時分だ。 「何てことをしてくれたの」  開口一番、既に老婆となった先代頭領は叫ぶ。花扇の顔は涼しいものである。 「花組頭領は私です。組の仕事をしたまでです」  花扇は立ち上がろうとする。 「滝川は、あなたの代わりに死の道を選んだのよ」  先代頭領が叫ぶ。 「どういうこと」  花扇は、先代頭領をにらむ。 「一年ほど前、花組の次代頭領を決めようと私が動き出したとき、雪月花の頭領が千重様 に呼ばれたの。組の頭領には、それぞれ別々の命令が下ったわ。花組からは、次代の頭領 に相応しい器量の女を出せとの仰せだった。目的は、千重の子を孕み、陰陽合一の呪を凝 らした子を産ませるため。そしてその後、母となったその女を殺すため。  滝川は、たまたまそのとき猪槌城に居残っていたために、その話を聞いてしまったの。 その夜、あの子は私の部屋に来て言ったわ。私こそ、次代の頭領に相応しい器量の女です と」  花扇は目の前が真っ暗になった。あの頃、扇屋では花扇が一番、滝川が二番と言われて いた。順当に行けば、花扇が千重のもとに嫁ぎ、殺されていた。 「花扇。実の姉妹以上の仲であった滝川を殺すなんて、あなたは鬼よ」  先代頭領が叫ぶ。花扇は、膝を立て先代頭領に素早く近づき、手刀でその胸を貫く。 「花扇」  先代頭領は、かすれるような声を出して絶命した。  花扇の心の時は止まった。止まった時を動かすために、花扇は滝川を憎むことにした。  醜く染まっていく心の中に時の流れを感じたとき、花扇は竜神丹を飲み始めた。若さを 保ち、記憶を保ち、死のうとしないのは自分への責めである。  その責め苦の果てに、花扇は再び滝川を殺した。 ──────────────────────────────────────── 「そうしなければ、私のこれまでの時が嘘になってしまうから」  海は青く輝き、波の音は絶えることなく続いている。 「涙も枯れました」  花扇がつぶやく。鎌井はその場で海を見続けた。 ────────────────────────────────────────  彩花は、花扇の新たな命令で鏡城を見張っている。鏡城を遠まきに見る岩場の上で、彩 花は辺りの様子を伺う。 「鏡城に近づく者がいる」  彩花の視界に四人の人影が入る。  鍬形、ジョン、東雲、風幻は一直線に鏡城に駆けている。この広い野で戦っても敵の数 が多すぎる。一体ニ体は倒せても、いずれ力尽きて包囲され終わる。唯一の方法は、気づ かれるぎりぎりまで近づき、素早く鏡城に入り敵の数を制限することだ。早さが全てを決 める。幸い辺りは地上から漏れてきた光がある。松明を持たなくて済む。  既に骸骨の騎馬武者たちが鍬形たちに気づき始めている。声を押し殺して四人は地下の 野を駆ける。鍬形が抜刀するのを合図として、各々自分の刀を抜く。  一騎目の騎馬武者を、すれ違い様に鍬形が切り伏せる。ジョン義理が左右の刀で巧みに 骸骨の骨の付け根を叩き折っていく。東雲は、走るだけで精一杯である。刀を振るい戦っ ていれば、一人取り残されてしまうだろう。  風幻が懐から火薬玉を取りだす。火をつけ、鏡城に向け投げつける。骸骨の騎馬武者た ち数体を吹き飛ばし、城の壁に穴が開く。 「飛び込むぞ」  鍬形の言葉で四人は次々と城に飛び込む。騎馬武者たちが、列をなしその後を追う。 「鍬形殿。このままではいずれ追いつかれるやも知れぬ」  風幻が階段を駆け上がりながら言う。騎馬武者の蹄は地を踏まず、宙を駆けて追ってく る。鍬形は、視線をジョンに向ける。 「ジョンぎり、ジョンぎり」  ジョンはその場で立ち止まる。ジョンを残して他の三人は一気に階段を駆け上がる。ジ ョンは素早く背中の荷を解く。筒を引き伸ばして組み立てる。筒の先を騎馬武者に向け、 その中に飛び込む。  騎馬武者が列をなしジョンに迫る。ジョンは銀の光になる。  彩花は鏡城の異変を察知した。地下洞窟に無数の銀の光が浮かび、その光が鏡城の一点 に凝集する。筒の中の基底部に無数の銀の光が吸い込まれていく、筒の中が、白銀に輝い ている。  先頭の騎馬武者が筒に迫る。筒から、まばゆい閃光が撃ち出される。  騎馬武者たちが、乾いた枯れ葉ように砕け散る。光は鏡城の側面を貫き、光線となり地 下の地面に大穴を開ける。銀の光が消え、彩花の目が慣れてきたときには、辺りは静まり かえっていた。  鏡城の側面には無残な大穴が開いており、鏡城の足元には、くすぶり続ける穴が残され ていた。 ────────────────────────────────────────  まばゆい光が階下で閃いた。鍬形と東雲、風幻は走る。東雲は、ジョンのことが心配に なり振り返ろうとする。 「振り返るな」  鍬形の鋭い声が東雲をいさめる。最上階に辿りつく。骸骨の騎馬武者は追ってこない。  階段の上には蔵の扉があった。風幻が扉を調べる。鍵がかかっているようだ。風幻は、 慣れた手つきで鍵を外す。部屋の中は暗闇である。奥から人の息づかいが漏れている。 「二重様」  東雲が走り出そうとする。「静かに」鍬形が東雲を抑え先頭に立つ。風幻は龕灯を取り だし、中の蝋燭に火をつける。部屋に明かりが灯る。  部屋の中央には、腕と足に枷をはめられた人物がいた。枷は鎖で壁につながれている。 体を動かすたびに、闇の中で鎖が引きずられる音がする。  その人物のお腹は大きく突き出て、胸は豊かにふくらんでいた。息づかいが荒い。鍬形 は、その人物に近づき刀で鎖を断ち切る。続けて枷を断ち切り、両手両足の戒めを解き放 つ。  鍬形は無言でその人物を背負い、先を急いだ。東雲は、わけもわからずその後を追う。 風幻も追った。東雲は鍬形に追いつき、背負われた人物の横顔を見た。見間違えるはずも ない。この顔は二重様のものだ。東雲は頭の中が困惑した。一体何が起こったのだろう。 分からない。  そのとき前方の扉が開いた。扉の奥からは、白髪の美しい青年と、腕の四本ある怪物、 一人の忍者が現れた。深雪と式鬼と蝉雨である。 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- 今回の結果 ■神通力の獲得 ゲームが進んでいく中で、キャラクターは「怪異」(超常的な不思議な現象)に巻き込ま れることがあります。キャラクターは「怪異」に出会うと、「五行の神通力」を身につけ ることができます。どの五行の神通力を身につけたかはマスターから宣言します。 ■能力の成長 ゲームが進んでいく中で、特に成長の認められる行為をおこなったキャラクターは、プレ イヤーがマスターに申請してください。プレイヤーからの申請によって、マスターはキャ ラクター能力の上昇を認めます。 ■負傷 キャラクターは、マスターより負傷段階を宣言されることがあります。負傷には、重症、 致命傷、能力減退の3種類があります。 銀狼:死亡 鎌井:重傷より回復 ジョン・義理:重傷 ■アイテムの獲得 キャラクターは、マスターよりアイテムの獲得を宣言されることがあります。アイテムは、 通常の行動の中で使用することができます。 式鬼:腕数本 ジョン・義理:小竜砲 蝉雨:竜神丹の小瓶 銀狼:黄金蟲