●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●           PBeM     猪槌城(いづちじょう)                第六回結果 ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●                                     柳井政和 ver 0.01 2000.06.03 ver 0.02 2000.06.04 ver 0.03 2000.06.05 ver 0.04 2000.06.06 ver 0.05 2000.06.07 ver 0.06 2000.06.11 ver 0.07 2000.06.13 ver 0.08 2000.06.14 ver 0.09 2000.06.15 ver 0.10 2000.06.16 ver 0.11 2000.06.17 ver 0.12 2000.06.18 ver 0.13 2000.06.19 ver 0.14 2000.06.20 ver 0.15 2000.06.23 ver 0.16 2000.06.24 ver 0.17 2000.06.25 ver 0.18 2000.06.28 ver 0.19 2000.06.29 ver 0.20 2000.06.30 ver 0.21 2000.07.01 ver 0.22 2000.07.02 ────────── ver 0.23 2000.07.05 アイテムの獲得を修正 ver 0.24 2000.07.06 誤植を修正 ver 0.25 2000.09.11 関西弁を修正 ver 0.26 2000.09.17 誤植を修正 第12、13話の結果です。第七回のシナリオは、また別にアップいたします。 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- ■ ■■■第12話「猪槌城と鏡城 其の二」 ■ =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------  猪槌の里の中央、城下町の地下には、広大な地下世界が広がっている。  その洞窟の中央、ちょうど猪槌城の真下に鏡城はある。鏡城の名前の由来はその姿にあ る。鏡城は、地上の猪槌城と対象になるように、洞窟の天井から逆さまに生えた城である。 その天守閣の頂点は地下の洞窟の底部につき、まるでその先端でもって直立しているよう に見える。  辺りは闇。鏡城の周りでは、骸骨の騎馬武者たちが厳重な警備をおこなっている。  鏡城を遠まきに見る岩場の上で、<彩花>(あやか)は地面に穿たれた穴を観察してい る。この穴は、先ほど銀の閃光と共に作られた穴である。  鏡城の中で異変が起こっている。彩花はその異変の源を確かめるべく、鏡城に向かおう と岩場から身を乗り出す。  しかし、彩花の動きに呼応するかのように、鏡城の周囲の骸骨の騎馬武者たちが向きを 変える。 「これじゃ近づけないわ」  彩花は岩場の上で躊躇する。不意に彩花の視界に光が入る。  地面に穿たれた穴より、一条の光が漏れてくる。  光の主、<ジョン・義理>(じょんぎり)が穴の縁まで這い上がってくる。その体の端 々には穴が開き、銀色の光が漏れ出している。小竜砲の力に耐え切れず、気力の奔流が体 内で駆け巡っているのだ。ジョンは、憑かれた顔で鏡城に向かう。まだ足取りのおぼつか ないジョンを包囲すべく、骸骨の騎馬武者たちが集まってくる。  ジョンは抜刀し、鏡城に向かい駆け始める。骸骨の騎馬武者たちが一斉に襲いかかる。 ジョンは骸骨の騎馬武者たちを斬り伏せながら、鏡城に突入していく。ジョンの駆けた後 には、銀の光の軌跡が残されている。 「あの男、肉体が滅びかかっている」  彩花も鏡城に入るべく身を乗り出す。しかし、すぐに骸骨の騎馬武者たちが復活して彩 花の行く手を塞ぐ。彩花の力では、騎馬武者たちの囲みを抜けることはできない。彩花が 見つめる中、鏡城は小刻みに振動を始めた。 ────────────────────────────────────────  鏡城の最上階で、≪鍬形≫(くわがた)たちは、白髪の美青年と四本の腕を持つ怪物、 一人の忍者と対峙している。鍬形の記憶の片隅に、白髪の青年の姿がある。  四本の腕を持つ怪物が一歩前に出る。「待て」≪深雪≫(みゆき)が<式鬼>(しき) の体を制する。 「式鬼、話を聞こうではないか」  深雪は鍬形たちに「敵意はない」と笑みを浮かべる。その笑顔につり込まれるように、 鍬形たちは少しばかり安堵する。しかし、深雪の真意は別にある。  深雪は≪千重≫(せんじゅう)の計画を知っている。そもそも深雪の反発は、千重の呪 を聞かされたことによって始まっている。  その千重の呪がそろそろ熟す頃である。だが、いまだ深雪の呪の準備はできていない。 だから千重が呪を凝らした子、≪二重≫(ふたえ)を殺すわけにもいかず、城の中央にい る二重の存在を黙認してきてのだ。今二重を殺せば猪槌の里は消滅する。この陰陽合一の 半陰陽の腹の中に、千重の呪の結晶が宿っている。  いわば二重は深雪にとって、事態の核心そのものである。その核心を手放す訳にはいか ない。  今渡せば、千重を滅ぼす機会を失う。  現在<銀華>(ぎんが)が、深雪の呪のために新たな任を受けて活動している。深雪と しては、ここは時間を稼ぎたい。そのための「話を聞こうではないか」である。深雪とし ては、その性格にあるまじき、寛大な態度でもって鍬形たちに臨んでいる。 「深雪様、話を聞くのですか」  <蝉雨>(せみあめ)が拍子抜けしたように深雪に問う。 「いや、事と次第によっては殺さねばならぬだろう」  深雪が刀を抜く。部屋に緊張が走る。  蝉雨の言葉で、鍬形は白髪の男の名を思い出す。確か過去において猪槌城で姿を見たこ とがある。先代雪組頭首深雪の姿だ。  深雪という言葉に、<風幻>(ふうげん)も反応する。 「貴方様は、先代雪組頭首深雪様でしょうか」 「先代は余計だ」  深雪の目に冷ややかな光が走る。風幻は身を小さくする。風幻は、意を決して口を開く。 「深雪様。これだけの用意をしている千重が簡単に死ぬわけがありません、それに月の都 人という新たな敵もおります。月の都人は深雪様の願いの障害になるのではないでしょう か。ここは共に月の都人と戦うべきではないのでしょうか」  深雪の眼に怒気がこもる。 「小僧が、聞いたような口を利くでない」  深雪の声に、風幻は押し黙る。深雪が一歩前に出る。鍬形も抜刀する。その鍬形の前に <東雲>(しののめ)が飛び出す。 「二重様を抱えている以上、私がいては足手まとい。何とかして援護しますから鍬形さん は二重様を連れて逃げてください」 「馬鹿もん」  鍬形が、慌てて東雲を引き戻す。 「それは俺の役だぜ」  階下の闇の中よりジョンが姿を表す。暗闇の中、ジョンの体はあちこち崩れ、銀の光を 漏らしている。鍬形は背の二重を、東雲に背負わせる。その時、鏡城が大きく揺れ動く。 二重の体の奥から、淡い光が周期的に発せられる。  激しい振動が起こり、部屋の天井が崩れ始める。 「部屋の端に逃げろ」  鍬形が声を張り上げる。鍬形たちも深雪たちも、各々自分たちが入ってきた部屋の入り 口まで引き下がる。  次第に振動は激しくなり、天井が抜け落ちてくる。  振動が少し穏やかになる。  崩れた天井の上、部屋の上部中央には、石の鉢と鉄の杭が浮いている。その鉄の杭が勢 い良く前後運動を繰り返し、鉢の上にある淡い光の球体を刺し貫いている。  激しい風が部屋に吹き荒れ、体が風で舞いあがる。鍬形たちは必死で壁をつかみ、ヤモ リのように壁に体を張りつかせる。 「千重は既に神になったのか」  深雪が当惑の声を上げる。鉄杭が激しく動き、部屋の中央の怪異が大きく膨らみ始める。 「逃げろ」  深雪が声をあげる。鍬形たちは手近な戸を開け外に、猪槌城の中に踊り出る。深雪たち も壁に穴を開け、外に飛び出す。猪槌城から上空へ向け、一本の光の柱が立ち上る。  東雲は二重を背負い、部屋からできるだけ遠くへ向かい走り出す。東雲の前には鍬形、 風幻がおり、しんがりはジョンが務めている。その後を、息を潜めて蝉雨が追っている。 一行は階上へ向かい走り出す。 「鏡城は猪槌城とつながっている。ある程度上へ行けば、外への出口も見つかるだろう」  鍬形の言葉に励まされながら、一同は猪槌城の階上へと向かう。 ────────────────────────────────────────  月河の水量はまだ多く、濁った水は轟々と音を立てながら流れている。  既に月の都人や≪火野熊≫(ひのくま)の軍勢は城下町に引き上げている。  辺りには、泥にまみれた死体が折り重なり広がっている。  これが貴方を信じた結果なのですか。<大矢野一郎>(おおやのいちろう)は、心の中 で神に向かい叫ぶ。 「だとすれば神よ、貴方は残酷すぎる」  死体の臭気が大矢野の鼻を突く。炎天下にさらされ続けた死体は既に腐敗が始まってい る。大矢野の周りには数人の子供たちが集まっている。その回りには、大矢野と共に川を 渡った人々の群れがある。 「おっちゃん。神様って本当にいるんだね。だって、おっちゃんの言うとおりにしたら、 おいらたち助かったもの」  大矢野はその場に屈み、子供たちから表情を隠す。こんな状況になり、これからの至難 を思うと生きていることが幸せなのかどうか。  大矢野は子供たちの頭の上に手を乗せ優しく抱き寄せる。 「違うよ。おまえたちは信仰をもって困難に立ち向かえるから、生き残って辛い目に遭う のさ。信仰を持てなかった人たちの魂は、天に召された。これこそが、神の愛さ」  そうだとも。今の内に死ぬ者こそ幸せなのかもしれない。  大矢野の胸中に先の見えない世界への不安がよぎる。大矢野の眼に一筋の涙がこぼれる。 「おっちゃん。あれは誰」  子供の言葉で大矢野は我に返る。子供の指差す先に、一人の長身の女がいる。肌は死人 のように白く、対照的な漆黒の髪を腰まで伸ばしている。  女は、式神が寄り集まって作った船の上に立ち、こちらを目指している。 「誰だ」  味方には見えない。大矢野は鋭く女人を睨み付ける。船を作っていた式神たちが、突如 苦悶の声を上げ川底に沈んでいく。女人は船から跳び、川岸に着地する。 「銀華」  銀華は右腕を大矢野に向ける。子供たちは大矢野に体を寄せ小さくなる。  銀華の右の掌が裂け、中から黄金の剣が現れる。黄金の剣の表面は、微かに蠢き、さざ なみ立っている。 「お前たちに命ずる」  口を開いた銀華の後ろから無数の式神が飛び出し、人々の首筋に取り付く。手にはそれ ぞれ毒針を持っている。 「忍者か武士の死体を一人一体探して私の下まで運んで来い。さもなくば、お前たちが代 わりに死体になってもらう」  銀華はさらに、死体を選ぶ場合には五体満足の腐敗の少ない死体を選ぶようにと、付け 加える。  逃げ出そうとした数人が、式神に首筋を刺され絶命する。銀華は死んだ町人の側に歩み 寄り、黄金の剣でその胸を貫く。黄金の剣の先端が黄金蟲に変じ、死体が起き上がる。 「言われた通りにしろ」  銀華が凄みを利かせた声で命ずる。  ここにいる全員を殺しても良いが、黄金蟲に取りつかれてすぐの人間は判断力が鈍る。 余程精神力のある者でなければ、複雑な命令を解するまでには時間がかかる。この場にい る町人たちでは、さほどの働きは期待できない。できるなら有能な死体が欲しい。 「おっちゃんどうするんだよ」  子供たちが大矢野にしがみつく。幸い大矢野の周りには、銀華の式神はいない。大矢野 の眼光に恐れをなし、近づいて来ないのだ。  子供たちだけでも逃がすしかないか。大矢野は唇の端を噛む。  今大矢野が戦って勝てる見込みはない。悪戯に死体を増やすだけだ。子供たちだけでも 率いて森に逃げるしか道はない。  そう決めた大矢野は子供たちを率いて森に逃げ出す。その姿を見送り、銀華は再び町人 たちに死体集めの命令を告げる。銀華としては、子供に興味はない。 ────────────────────────────────────────  大矢野は森の中を急ぐ。森の中までは敵は追ってこない。なぜかそういう安心感がこの 森にはある。  その森は、森と呼ぶには奇妙な容貌であった。木々はその枝をもって複雑に融合し、ま るで筋肉の繊維のようになっている。その、網の目のような木々の間を抜け、大矢野は奥 へ奥へと向かう。  森の奥で、青い光が見えたような気がする。  大矢野は青い光に向かい駆け出す。子供たちや、無事逃げ出せた難民たちが大矢野の後 を追う。  そこには、一際太い巨木があった。太い幹は、まるで背骨のように森の中心にそびえ立 ち、その根元には、二つの青い水晶が埋まっている。その木の前に、青い髪の青年が立っ ている。  「誰だ」大矢野は子供たちの前に一歩出て、青年に問う。 「<曹沙亜>(そうさあ)だ。確か、あなたは大矢野殿」  大矢野は曹沙亜と名乗った青年の姿を見る。<爪牙>(そうが)と共にいた少年の名か。 だがこの青年とは別人であろう。 「故あって成長した」  曹沙亜は、木砲のちはやを大矢野に見せる。月組の中では、曹沙亜と言えば木砲使いと して名が知られている。 「爪牙さんはどうなりました」  大矢野が問う。曹沙亜は、しばし無言で巨木を見上げ答える。 「月組の集落を守るために、この森になった」  曹沙亜の言葉を肯定するように、巨木の幹に埋め込まれた二つの青い水晶が緩やかに光 る。 「これから、どこに行けば良いのでしょうね」  大矢野が言葉を漏らす。 「ここに留まれば良いのでしょうか」  大矢野の言葉に、青い水晶は何の反応も示さない。「それとも、森の東に行くのが良い のでしょうか」二つの水晶は、大矢野の言葉を肯定するように輝く。 「どうやら、森の背後が安全のようだ」 「ええ、そのようですね。曹沙亜さん。あなたはこれからどうするのですか」 「城下町に行き、爪牙の仇を討つ」  曹沙亜の言葉に、青い水晶が緩やかに輝きを増す。 「どうやら、連れていけと言っているみたいですよ」  大矢野は、曹沙亜を青い水晶の前に促す。  曹沙亜は木の幹の前に立つ。青い水晶から光が溢れ、一条の青い光線が曹沙亜の右目を 貫く。焼けるような痛みが曹沙亜の脳に走り、曹沙亜は悲鳴を上げる。右目が光線で焼き 潰される。 「これは」  大矢野は曹沙亜の顔を覗きこむ。曹沙亜の右目に青い目が埋め込まれている。木の幹の 青い水晶の一つが、曹沙亜の右目に移っている。  曹沙亜が泡を吹いて倒れる。 「大丈夫ですか」  曹沙亜の耳に、大矢野の声が遠く聞こえる。曹沙亜の意識が途絶える。曹沙亜の目に、 数多くの青い目の記憶が流れ込む。 ────────────────────────────────────────  曹沙亜の心に景色が浮かび始める。ここは、猪槌の里ではない。水墨画で見たような奇 岩、奇山の光景が眼の前に広がる。薄い霧は辺り一面を白と灰の世界に変えており、眼下 には緩やかな川の流れが広がっている。  ここは日本ではない。曹沙亜は思う。大陸のどこかであろう。そうだという声がどこか らか聞こえる。  曹沙亜は歩いている。山に沿い、わずかに人が通れるほどの道を、一歩一歩足元を確か めながら歩いている。  これは、青い目の記憶なのだろうか。しかし、こんな記憶は爪牙にも聞いたことがない。 よほど古い記憶なのかもしれない。猪槌の里より古い記憶なことだけは確かであろう。少 なくとも猪槌の里にはこのような景色はない。  曹沙亜の前には、二人の男が歩いている。いずれも若い。その後ろに、少年の姿をした 曹沙亜が付き従っている。 「≪幻≫(げん)兄様、≪重≫(じゅう)兄様。桃源郷はまだ先なのですか」  少年が二人の兄に向かい、道程の長さに不平を言う。既に、数日この道を歩きつづけて いるのだ。不平の一つも言いたくなる。 「まだだ、辛抱しろ」  幻と呼ばれた兄が冷たい口調で幼い弟を諌める。 「何、心配するな。よいか、≪念≫(ねん)よ。桃源郷につけば、この世の物とも思えな い、甘い、甘い桃を腹いっぱい食べられるぞ」  重と呼ばれた兄が、笑い声を上げながら陽気に答える。  山の中で突如風が吹く。風の壁を抜け、その先に進むと風が止んだ。  その地に足を踏み込んだ三人は、驚きの眼差しで辺りを見まわす。  その地は甘い空気で満たされている。これが桃源郷か。その地は今までの灰白色の世界 とは変わり、極彩色の常春の世界であった。  幻、重、念の三人の兄弟は、仙人たちの住む土地、桃源郷に足を踏み入れたのだ。  三人の兄弟は、この地で「仙」の一字を与えられ、≪仙幻≫(せんげん)、≪仙重≫ (せんじゅう)、≪仙念≫(せんねん)と名を変えることになる。  曹沙亜の心の中に闇が訪れる。景色が飛ぶ。長い長い暗闇の中、無数の記憶の糸を手繰 りながら永劫とも思える時間の中を過ごす。  再び新しい記憶が曹沙亜の中に訪れる。  視界に広がる景色は夜の桃源郷である。  桃源郷の家々にはかがり火が焚かれており、道や畑には、方々より集まってきた仙人た ちがひしめき合っている。辺りは仙人たちの交わす言葉で騒々しいほどである。  月は大きく丸く中天に差し掛かっている。  月の都計画の合議がおこなわれている。  曹沙亜は、仙念の目を通してその話し合いを見ている。末席である。新参の仙人である 彼ら三兄弟の位置では、話の内容が分かるほど明瞭に声は聞こえない。  仙人の一人が天に浮かぶ月を指差す。桃源郷の仙人たちが沸き立つ。耳一杯にその歓声 が広がる。  闇。  再び、曹沙亜の心の中に闇が訪れる。今度の闇は晴れず、闇の中、声だけが聞こえてく る。 「≪千念≫(せんねん)が月の都での最初の死者となるとは」 「≪千幻≫(せんげん)。月の都では、死者は出ないのではなかったのか」  次兄の、千重の声が聞こえてくる。 「出ない。だが、それも延命槽に入っていればの話だ。延命槽に入ることを拒んだ千念は、 月の都の不老不死を享受できなかったのだ」 「馬鹿な。延命槽だって。あれは延命槽なんかじゃない。棺だよ。あの棺の中で、死体の ようにただ眠るだけじゃないか。あの棺に入り、ただじっと過ごすだけのどこが不老不死 だと言うのだ」 「時を止めるためだ。仙人の体も老いることは知っているだろう。その老いを防ぐために は、肉体の時間を完全に止める必要がある。そのための延命槽だ。  その代わり、手術を施した白子の体を遠隔操作できるようになる。自らの体の時を止め、 白子の体を操作することにより無限の命を得ることができるのだ」 「千念はそれを拒んだがために、このように水晶の骨を残すだけになったと言うのか」 「そうだ」  千幻が冷たい声で言い放つ。扉が閉まる音がする。千幻は部屋から出て行き、その部屋 には、千念の死骸と千重だけが残される。 「千念よ。お前はとうとう水晶の骨と目だけになってしまったか」  部屋には沈黙の中、千重の息遣いだけが聞こえる。 「人は、地にあるべき存在だ。それが、こんな異界に来てまで延命を図ろうとしたことに そもそもの間違いがあったのだ。千念よ。地上に帰ろう。だが、我らは仙人。人には戻れ ない。地上の異土に、我々だけの故郷を作ろう」  千念の水晶の目に、千重の手が触れる。千重は、二つの青い水晶を持ち、その部屋から 立ち去った。 ──────────────────────────────────────── 「大丈夫ですか」  曹沙亜の耳に、大矢野の声が聞こえる。曹沙亜の意識が再び戻る。曹沙亜の右目は完全 に潰れ、眼球があった場所には青い目が埋まっている。血が右目のあった場所から滴り落 ちる。 「行くのだ曹沙亜」  森の葉がさざめく。爪牙の声がどこからともなく聞こえて来る気がする。 「大矢野殿。睦月のほとりに子供たちを」  曹沙亜は、そう言い残すと城下町に向け駆け出した。 ────────────────────────────────────────  城下町の中央には、婚礼の儀の日以来、銀の先頭が屹立している。この尖塔の中に、火 野熊たちの軍勢は駐屯している。  月組との戦の論功行賞は既に終え、火野熊は自室に戻り、窓より猪槌城を眺めている。  猪槌城が今の姿になったのは、火野熊が猪槌の里に来て後のことである。それ以前の猪 槌城は天守閣を持つ城ではなく、砦と言った程度のものであった。しかし、火野熊には、 過去にあの城を見た記憶がある。  どこでだったかはしかと覚えていない。ただ、盗賊をおこなう前、戦場を駆けまわって いた頃であることだけは覚えている。  猪槌城は微かに振動し続けている。 ────────────────────────────────────────  城下町。銀の尖塔の見える瓦礫の陰で、<鈴蘭>(すずらん)は敵の様子を観察してい る。銀の尖塔の周囲では、黄金の光の糸がまるで尖塔を守るかのごとく舞っている。  幾度か白子の兵士たちが、黄金の糸の外に出てきそうになるが、そのたびに踵を返して 塔の中に消える。 「来ないわね」  鈴蘭は長い時間同じ姿勢で待っている。その姿勢に疲れてきたのか、ため息まじりの言 葉を漏らす。  いっそ、このまま飛び込もうか。そう思い、鈴蘭は瓦礫の外に出ようとする。  鈴蘭の動きを制するかのように、誰かが鈴蘭の肩をつかむ。鈴蘭は手の主を見る。 「<向日葵>(ひまわり)じゃない」  鈴蘭は驚き、小さく声を上げる。  向日葵は鈴蘭の唇に指を当て、声を下げるように身振りで示す。向日葵はどこから奪っ てきたのか、白子の兵士たちがいつも身に付けている羽衣を持っている。 「それを貸して」  鈴蘭は向日葵の持っている羽衣を奪い、自分の身に付ける。 「この羽衣があれば塔の中までいけるかもしれない。向日葵、後は頼んだわ。私が帰らな かったときのために報告をお願いね」  鈴蘭は、向日葵の制止も聞かず飛び出していく。向日葵は冷然とその様子を観察してい る。  鈴蘭は光の糸が舞う領域を抜け、塔に近づいていく。塔の入り口近くまで進んだ所で、 体中に矢を受けて地に倒れる。  銀の塔の入り口が開き、白子の男と朱具足の男が現れる。白子の男は水晶の髑髏を小脇 に抱えている。  髑髏を抱えた白子の男は、死体を簡単に調べていく。その間、朱具足の男は辺りを伺っ ている。他に侵入者がないのか調べているのであろう。向日葵は、その二人の男の名が千 幻と火野熊であることは知らない。  向日葵が、鈴蘭の絶命と同時にその場で嘔吐する。  胃の腑に矢が刺さったような痛みを感じる。鈴蘭が矢を受けたのと同じ場所に、針を刺 したような痛みが走る。白子の兵士たちが、苦悶の声を上げる向日葵を発見し、弓に矢を つがえ走ってくる。  向日葵は痛みをこらえながら必死に走る。地下に達した頃、敵はようやく姿を消した。 「どうやら、塔に侵入しようとしたのはこの一人だけだったようだな。逃げた者は見張り だろう」  銀の尖塔の入り口の前で、火野熊が死体を見下ろしながら呟く。鈴蘭の死体には無数の 矢が突き刺さり、上半身と下半身が千切れかかっている。 「ああ、そのようだ。組織だった行動ではないだろう。我らが検分するほどのことではな かった」  千幻と火野熊の背後で塔の入り口が開く。白子の兵士が急ぎ千幻に歩み寄る。 「千幻様、塔の内部に侵入者です」 「そうか、見つけ次第捕殺せよ」  千幻と火野熊は塔の内部に戻る。どうやら一人だけでもないようだ。猪槌の里の者たち も、この塔を目指して散発的な攻撃を始めたようだ。しかし、まだ組織的行動には至って いない。  千幻と火野熊は互いに階上へ向かう。侵入者たちは塔の情報を持っていない。その中で どこかを目指すとすれば、きっと塔の上へと向かうはずだ。 ────────────────────────────────────────  <魅遊>(みゆ)は銀の尖塔の中にいる。正確に言うと、その壁面の通風孔の内部を体 を折り曲げながら進んでいる。  式神を使って偵察を繰り返し、少しづつ銀の尖塔に近づき、ようやく通風孔に達したの だ。  ともかく上へ向かおう。魅遊は狭い通風孔の中で考える。塔に関して余りにも情報が不 足している。このまま通風孔の中を進みながら、重要そうな部屋を探していくしかないだ ろう。  この銀の尖塔に怪異を操る者たちがいる。魅遊の目的は、怪異の力を手に入れ不老不死 を目指すことである。奴らを出し抜き怪異の力を手に入れるためにここに来た。  しかし、なんとも無謀な賭けである。普段の魅遊ならこのような危ない橋は渡らないだ ろう。だが、今の猪槌の里にはどこにも安全な場所は無い。むしろ目の前に転がった好機 を逃さず捕らえるべきなのだ。魅遊はそう思い、銀の尖塔への侵入を決意した。 「ここにいる」  壁の向こうより、野太い男の声が聞こえてくる。鋭い金属の音と共に魅遊の体に焦熱 の刀身が滑り込んで来る。壁の向こうでは、火野熊と千幻がいる。  そもそも侵入など、忍びの術を会得していない魅遊には無理なことなのだ。  火野熊は、刀身をひねり、傷口を開かせ刀を抜く。壁の中で魅遊の鮮血が溢れ出す。火 野熊は血振りをして、焦熱を鞘に収める。  千幻は兵士たちを呼び、壁に穴を開け侵入者の体を引きずり出させる。既に魅遊の息 は荒く顔に死相が浮かんでいる。 「お前の名は何と言う。何故ここにきた」 「私は魅遊。怪異の力を手に入れたくてここに来ました」  口を開くと、血が泡となり魅遊の口元を濡らす。 「手に入れてどうする」 「私はこの世の理を全て知りたいと願った。しかし、人の寿命は短すぎ、とても全てを知 ることはかなわない。怪異。怪異。怪異。ああ、それさえあれば不老不死の力を得ること ができる。そうしたら、大陸の仙人のように俗世間を離れ、ゆっくりと研究に打ち込める。 この世の理を知るために十分な時間が得られる」 「そんな便利な物か」  千幻が無表情のまま声を漏らす。 「火野熊よ、お前は不老不死を望んでいたな。その不老不死の仕掛けというものを見せて やろう。この女もお前と同じように不老不死を望んでいるらしい。だが、傷が深すぎる。 不老不死を享受する間もなく死んでしまうだろう。  だが、ここまで忍び込んできたことに敬意を表してやる。お前の体に、不老不死にまつ わる手術だけは施してやる」 「ありがとうございます」  魅遊は消えかかる表情の中、涙をこぼす。  息耐えた。千幻は兵士たちに魅遊の死体を運ばせる。 「完全に死んだ者は生き返らない。せめて肉体だけでも再利用してやろう」  千幻を先頭に一行は廊下を進む。 「この部屋だ」  部屋の入り口には鉄の扉があり、一見して他の部屋と違うことが分かる。火野熊は、千 幻たちと共にその部屋に入る。 ────────────────────────────────────────  その塔の一室は奇妙であった。部屋の中央には巨大な浴槽があり、その中央には寝台が ある。天井にはまばゆい明かりが灯り、部屋の床は白磁のように白く滑らかである。  その部屋に数人の白衣の月の都人がいる。千幻は魅遊の死体を寝台の上に運ばせる。千 幻自身は火野熊と共に隣室に移る。隣室からは、窓を通して寝台の部屋の様子が伺える。 「何が始まるのだ」  火野熊が千幻に問う。 「お前はこの仕事の後、仙人に加わり月の都に来るという。だから、仙人の秘密を見せて やろうとしているのだ」  窓の向こうの白衣の者が、魅遊の体から衣を剥ぎ取っていく。既に死体となった魅遊の 体が顕わになる。部屋には数人の白衣の者がいる。そのうちの一人が細い銀の刃を取りだ し、魅遊の四肢の筋肉に沿い刃を入れ始める。腹には鋏を入れる。へその下を横切るよう に腹を切り、へその下から喉にかけて皮を切っていく。  たちまち魅遊の体が開かれ、内部の骨が見えるようになる。魅遊の赤い肉の中に、白い 骨が剥き出しになる。  白衣の月の都人たちは筋肉と骨の間に刃を入れ、骨を体から取り除いていく。 「千幻様。死体は少し小柄ですので、筋肉を引き伸ばし骨格に合うように加工いたします」  わかった。千幻が答える間も作業は進む。その内、寝台を取り囲む浴槽に粘液質の液体 が満たされ始める。  寝台の上まで液は上がってきて、魅遊の開かれた死体を完全に覆う。 「千幻殿、あの金属製の骨は何なのだ」  火野熊は、先ほどより気になっていた問いを発する。寝台の傍らに、人間一人分の骨格 が置いてある。しかし、その骨格は普通の骨ではない。金属でできた骨である。 「仙骨だ。仙人は不老不死の命を目指すにあたり、その骨を脆く砕けやすい生物質の骨か ら、長く形をとどめる金属の骨に変える。あの骨は、先ほど銀の尖塔の近くで殺された者 の仙骨だ」 「殺された。では、その者は死んだのか」 「いや、死なぬ。殺されたのは仮の体だけだ。本体は猪槌の里にはない」  魅遊の手術は、白衣の月の都人により黙々と進められていく。魅遊の体に金属の骨が埋 め込まれる。白衣の者たちは丹念に肉を縫合していく。 「では、どこにある。月か」  火野熊が手術の様子を見ながら問う。 「そうだ。月の都の延命槽の中に本体はいる。仙骨はそれぞれ異なる金属の組成で作られ ている。仙骨を埋め込み仙人となった者は、延命槽の中で永遠の命を享受するのだ」 「では今、猪槌の里に来ている月の都人たちは、いかなる者たちか」 「その答えを今見せてやる」  白衣の施術者たちは、鋏を使い、魅遊の皮膚を丹念にはがしていく。そして代わりに白 い皮膚を縫い付けていく。 「月の都人は自らの体を動かすことなく、もう一つの肉体を動かしてその生活を送る。自 分と同じ仙骨を埋め込んだ肉体を、仙骨同士の共振現象によって操り、永遠の生を生きる のだ。  あの白い肌は、仙骨の共振をより伝えやすくするための受信被膜だ。だから仙人本人の 体はあのように白くはない。そして月より遥か遠くにいるときは、羽衣をつけて共振効率 を高める。羽衣は仙骨共振の増幅器だ。また、仙人同士の通信装置の役割も果たす。羽衣 が無くなれば共振は弱くなり、仮の体を通して使える神通力の力も衰える。  操縦するべき肉体は地上でいくらでも調達できる。仙骨さえ回収すれば何度でも蘇るこ とができるのだ。必要ならば仙骨を作りなおせば良い。火野熊よ。これが月の都人の不老 不死の秘密だ」  浴槽の中の液が消え、元魅遊の肉体であったものが起きあがる。新たな白子の兵士が誕 生した。いや、復活したと言うべきだろう。 「どうだ気分は」  千幻が白子の兵士に問う。 「忍者に殺されてからだいぶ時間が経っています。その間ひどく退屈でした」 「服を着ろ。軍務に戻れ」  白子の兵士は頷き、部屋を退出していく。 「仙人になるということは、その肉体すらも元の人間ではなくなるということだ」  千幻が無表情な顔を火野熊に向ける。 「千幻殿のときはどうだったのだ」 「私たちのときは、仙人になるということが、どういうことなのか良く分かっていた。そ もそも発端は、我らが一族に仙骨を持った子供が生まれたことにある。私と千重の弟、千 念が仙骨の一部を持って生まれたのだよ。  千念の仙骨は目に表れていた。目が青い水晶だったのだ。千念が生まれたことにより、 我々一族は仙人の実在を確信し、先を争い仙人になろうとした。我ら兄弟はそのために、 桃源郷を求め大陸中をさ迷い歩く羽目になった。  最終的に、千念の死をきっかけに千重が月の都を裏切り、下界に消えることになるのだ がな」  千幻の表情は暗い。千幻と火野熊は階上に向かう。二人は最上階の千幻の居室に入る。 「その後始末がこの戦いというわけだ。裏切り者を許さぬのが月の都人の流儀だ。その裏 切り者を殺すために、地上の民が幾人死のうがそれは関係ないことだ。  火野熊よ、何があっても月の都人を裏切るな。お前が裏切れば、お前の周りにいる多く の者共が死に至るであろう」 ────────────────────────────────────────  鈍砂山のタタラの民の集落には、まだ朝の霧が立ち込めている。≪真鉄≫(まてつ)の 家の前には清水に向かう≪明光院≫(めいこういん)の一行がいる。彼等を見送るのは、 真鉄と≪蜻蛉≫(とんぼ)の二人である。まだ朝の早い時間だが、各々抱えている仕事が 山積しており、寝る暇もなく朝を迎えている。 「それでは竜脈を引きに行ってくる」  明光院が真鉄と蜻蛉に一礼する。供の数は少ない。<鴉問>(あもん)、<修羅>(し ゅら)、<吉野秀華>(よしのひでか)の三人のみである。あとの者は鈍砂山で真鉄、蜻 蛉の指示に従うように言い含めてある。 「明光院様。此度の南行の目的をお聞かせ下さい」  明光院の側付きの吉野と違い、鴉問、修羅は多くは聞かされていない。明光院は、かい つまんで今回の清水行きの目的が外の世界からの竜脈の牽引だと教える。  竜脈牽引の仕事自体は、鴉問、修羅も外の世界で何度か明光院を手伝っている。異存は ない。 「猪槌の里は、千重の呪で成り立っている。この呪を維持するには敵、月の都人を退けな けねばならない。そのための巨鉄兵、そのための竜脈牽引じゃ。しくじりは許されぬぞ。 詳しい話は、道すがらおいおい話してやる」  明光院の一行はタタラの民の集落を去る。四人は風のように鈍砂山を下り、そのまま南 の地へと消えて行く。 ────────────────────────────────────────  猪槌城に異変が始まっている。周期的に振動や怪光を発しており、尋常ならざる様相を 呈している。 「やはり容易ならざる事態が迫っておる」  城下町の近くまで訪れ、猪槌城を監視していた<金梟>(きんふくろう)が呟く。遮光 器をつけた顔が猪槌城の変化を観察している。  猪槌城の周囲に次第に光の糸が現れ始める。銀の尖塔を取り囲む黄金色の光の糸と同じ 物に見える。その糸が、猪槌城を中心に激しく旋回を始める。 「大きな気力の奔流を感じる」  金梟が遮光器の中で目を凝らす。気力の奔流は徐々に上へ昇っているようだ。 「異変が起こる」  金梟の動物的直感がそう告げる。いや、猛禽類の直感と言った方が良いかもしれぬ。金 梟は猪槌城の気力の奔流に巻き込まれぬよう、急ぎ渡りでその場を離れる。  猪槌城の周囲の気力の奔流は次第に高まり始めている。 ────────────────────────────────────────  地下。陰の国の御所。  闇の中、燦然と輝く黄金の光を背に、<鎌井>(かまい)は≪花扇≫(はなおうぎ)に 別れを告げている。まるで、この御所で百年の時を過ごしたかのような気がする。  宿命を失ったとき、人はまるで自らが生きる屍と化したような気持ちになる。  花扇も同じなのであろうか。他人の心まで分かるほど、鎌井は人の世にすれていない。 「また来る」  鎌井は花扇にそう告げる。さしたる確証のある言葉ではない。感情が、鎌井にそう告げ させただけである。花扇は微かに笑みを浮かべ、御所の中に消えていく。  表で警備をしていた花魁や土蜘蛛たちも御所の中に消えていく。篝火も消され、扉が固 く閉ざされる。  鎌井の目の前で御所の光が消える。後に残されたのは闇ばかりである。暗闇が全てを支 配する。  鎌井はその場でしばし呆然とする。次第に目が慣れてくる。遥か頭上に大地の割れ目が 見える。  火の消えた御所は、まるで死んだように静まっている。そこに御所があったことさえ夢 のように思えてくる。 「行こう」  鎌井は銀の光に包まれ、地上を目指した。 ────────────────────────────────────────  明光院、吉野、鴉問、修羅は風のような足取りで城下町を抜け清水へと向かう。途中、 銀の尖塔の近くを通ったが、その姿を確かめるのみで無用に立ち止まりはしなかった。  今は時が惜しい。月の都人たちが真鉄を殺せば、明光院としては大きな誤算となる。甚 だ都合が悪い。  真鉄たちが月の都人を退け、最も油断しているときに、真鉄と巨鉄兵を外の世界に連れ 出すのが最上の策と言える。  月の都人との戦いが終わった後、猪槌の里にはさしたる軍事力は残るまい。数百の兵で 簡単に落とせるだろう。  その最上の策に至るためには、真鉄の策に乗り、月の都人を退けなければならない。  明光院の一行は清水の塩の原に足を踏み入れる。  塩の結晶を踏みしだき進もうとする明光院たちの前方に一つの影が見える。影の主は老 人である。その老人が明光院の行く手を塞ぐ。老人はあごに白髭を豊かに蓄え、目に激し い憎悪の炎を燃やしている。  老人が大喝を持って明光院を呼びとめる。その声に明光院たちは足を止める。 「ここで待っておって正解だったようじゃ」  白髭の老人、<雲行飛>(うんこうひ)は明光院に向かい歩を進める。五体には、老人 とは思われぬほどの気迫が満ち溢れている。 「明光院様」  修羅が鉄砲を構え、雲行飛を討つべく前に出る。 「いや、良い。わしが相手をする」  明光院が修羅を下げる。「因縁があるのじゃ」明光院は、さも迷惑そうな顔を雲行飛に 向ける。 「因縁か。確かにそう言えば長いな。豊臣様の治世からの因縁じゃからな」  雲行飛が、獲物を狙う飢狼の目で明光院の挙動を伺う。明光院は不快そうに雲行飛をね めつける。  雲行飛が、明光院へ言葉を発する。 「明光院、いやさ≪南光坊天海≫(なんこうぼうてんかい)。豊臣家を滅ぼし、今また徳 川家を操り何を成そうというのか。我ら豊臣家生き残りの家臣は幕府の転覆を狙い動いて きた。しかし、調べれば調べる程、その背後に必ずお主の存在が浮びあがってくる。  初代将軍徳川家康に仕え、その後二代将軍秀忠、三代将軍家光と仕え、全国の寺社を統 制し、日光東照宮を建造し、江戸に新たな寺社を起こし、日本全体を舞台に一大呪術を施 している。一体何を目論んでいるのだ。  いや、我らはその目的を推測し、お主の野望を止めるべくこの地まで追ってきた。お主 は、天下を欲そうと言うのか。天海。いや、昔の名で呼ぼうか。≪明智光秀≫(あけちみ つひで)よ」  明光院は沈黙したまま深沈とした目つきで雲行飛をにらんでいる。修羅、鴉問、吉野の 三人は、意外な名前の出現に驚きの色を浮かべる。 「天海。本能寺の変後、徳川家康に匿われ、その後全国を回り、幕府のために全国の寺社 の呪術網を作ったお主のことだ。猪槌の里の呪術の仕掛けを見越し、この地の力を得る気 になったのか」 「わしは、この猪槌の里は滅びるべきだと思っている。わしが必要な力を取り出した後は、 他の者が同様の力を引き出せぬように、後々の禍根を断つのが上策だ」 「明光院。お主の狙いは何じゃ」 「文武霊による、日本の完全支配」  明光院は暗く沈んだ目で雲行飛を見つめる。文とは、幕府が進めている朱子学による思 想支配。武とは旗本八万騎による武力支配。霊とは日本の呪力を江戸に集中させることに よる呪術支配。  この呪術支配は巧妙と言わざるを得ない。天海による竜脈操作で、日本の竜脈はことご とく江戸に流入するように寺社が配置されなおされている。  元々日本では、竜脈呪術の終着点は京都であった。この終着点を、天海は数十年を費や し江戸に変えた。  また天海は、家康が死んだとき異例と言うべき位の神に家康を祭り上げた。東照大権現 である。そして、関東の霊山である二荒山(ふたらさん)にその神殿を作った。二荒山は、 奈良時代天平神護二年に勝道によって開山され、それ以後、空海、円仁によって、様々な 寺社が建立された場所である。各人、その時代第一級の呪術師である。その霊場を、天海 が東照宮を機能させる霊的装置として利用した。  勝道によって二荒山と命名された日光は、名前の由来を辺境の神域を現す補陀落山(ふ だらくさん)に持つ。これがなまり二荒山となる。  そして二荒をニコウと読み替え、日光となったのがこの土地の名前の由来である。幕府 は、いつか起こるであろう反幕府の反乱を見越し、この東照宮に呪術的大仕掛けを用意す る。  日光には、東照大権現だけでなく、歴代の天皇の親族も置かれることになる。西で反乱 が起こった場合、敵は京都の天皇を推戴するだろお。その賊軍を迎え撃つために、関東に も天皇たりうる血を配置したのである。  ここに天海の呪術の完成を見る。名実ともに、日本の霊的中心を京都から江戸に移し代 えてしまったのである。  だが、明光院の言う「文武霊による日本の完全支配」には、一つだけ弱点がある。それ は武の支配である。  幕府の武の力は絶対ではない。旗本や、幕府に味方する外様による相対的な力で均衡を 保っている。幕府は、政権を覆す可能性のある大名たちを日本の端へ端へと追いやり、力 を殺ぎ、連絡を取れないようにした。間には数多くの関所も用意した。  しかし、幕府の目の届かないところで連絡をとり、兵を移動させる方法がある。それが 異土である。日本中の異土を封鎖し、幕府の武の力を圧倒的に優位にする。それが、文武 霊による完全支配の体制を磐石にするための条件である。 「異土を封鎖し、巨鉄兵という圧倒的武力を手に入れれば、我が構想の天下は磐石なもの になるだろう」  明智光秀の支配は、徳川家に深く根をおろしている。明智光秀の呪は、将軍の名前を持 って既に完成している。二代将軍秀忠、三代将軍家光の名には、「秀」「光」の字が分解 されて使われている。幕府を影から支配しているのは、天海その人であると言って良い。 「お主の目論み、達成させるわけにはいかん」  雲行飛が明光院を激しくにらむ。明光院の周囲の塩の結晶が振動して細かく砕ける。 「ふん。お主ごときの呪の力で、わしと渡り合えると思うか」  明光院は手をゆっくり目の前で降り、雲行飛の視線を遮る。明光院の周りの塩が振動を 止める。 「邪眼も、神通力を得たものが使えばどうなるか見せてやろう」  明光院が雲行飛をにらむ。今度は雲行飛の周りの塩が激しく振動する。塩の結晶が形を 変え、無数の針となり天に向かって伸びる。雲行飛の肉体が剣山のようになった塩に貫か れ血飛沫を上げる。 「因果応報、いずれお主にも死が訪れるだろう」  絶命寸前の雲行飛の口から、呪いの言葉が吐かれる。 「わしは自らの野望のために死者すら蘇らす男。死など克服して見せる」 「輪廻の鎖を断ち切ることはできない。死は絶対だ」 「くくく。世の中そうでもないらしい」  塩の針がさらに伸び、雲行飛の肉体を引き千切る。風の音だけが聞こえる清水に、雲行 飛の断末魔の声が響く。声が途切れると共に、塩の針が風化し始める。雲行飛の体を支え ていた塩の剣山が音を立てて崩れ去る。 「先を急ぐぞ」  明光院が再び走り出す。修羅、鴉問、吉野もその後を追い、再び弾丸のように駆け始め る。 ────────────────────────────────────────  それを始めに発見したのは修羅であった。一行は清水の塩の原を駆け続けている。 「明光院様、南方に赤い光が見えます」  明光院は駆けながら、その視界を南方に広げる。明光院の脳裏にはるか南の情景が浮か ぶ。千里眼である。おぼろげな景色の中に無数の炎の光が見える。 「猪槌の里で不知火と呼ばれている炎の光じゃ。月の都人が清水に出現させた水の怪異が 猪槌の里の中央に移動した。水の怪異のせいで力を弱めていた火の怪異が力を取り戻し始 めたようじゃ。  炎の中心に石の鉢が見える。鉢の周囲が泉になっている。この泉が怪しい」  明光院たちが南に向かって駆けている間にも、炎は次第に大きくなる。  天に銀の彗星がきらめく。銀の光は北から現れ南に向かい、明光院たちの頭上を追い越 していく。 「明光院様、何者かが我々の先を」  吉野が空を見上げながら口を開く。 「不知火の地を目指しているのだろう。すぐに追いつく」  南の炎が次第に近づき、明光院たちの前に泉が姿を見せ始める。 ────────────────────────────────────────  泉の中心には石の鉢があり、その鉢から無数の炎が踊り出している。その泉の前で炎を 見つめている男がいる。先ほどの銀の光の主である。その男、鎌井の心の中には、既に生 きる目標はない。その思いが、月の都人に見つかる危険を顧みず渡りをおこなわせた。  明光院たちは泉の前にたどり着く。せっかくの隠密行がこの者のせいで破られねば良い が。明光院が舌打ちをする。 「何奴」  吉野が刀を抜き鎌井に襲いかかる。鎌井は吉野に振り向き、両刀を抜き吉野の刀を受け る。数合刀を交えお互いに距離を取る。剣技は互角である。吉野の方が若干太刀筋が早い が、鎌井は両手の刀を繰り、吉野の太刀をいなす。膂力は鎌井が優れている。  鎌井に殺意はない。目は沈み光がなく、人生に迷い失望した者特有の絶望感が漂ってい る。 「吉野、刀を引きなさい。この者に害意はない」 「しかし」  明光院が進み出る。吉野はしぶしぶ刀を引く。このように、人生に絶望した者ほど取り 込み易い者はない。忠実な部下となるだろう。剣の腕は吉野と同じ。使い道は幾らでもあ る。 「お主、名は何と言う」 「鎌井」 「鎌井よ、何をしようとしてここに来た」 「何をしようと」鎌井はしばし考え込む。「そういう目的はない」  やはり読み通りだ。この者は人生の目的を見失っている。 「今猪槌の里は滅亡の危機に瀕している。月より来訪した月の都人たちが、城下町の人々 を滅ぼし、残りの猪槌の里の住人たちをも殲滅しようと目論んでいる。  我々は、その月の都人を撃退するための戦いをおこなっている。そのために、一人でも 多くの腕の立つ者を求めている。お主は猪槌の里を守るために死ぬが良い。わしがお主に 死に場所を与えてやろう」  死こそが生を意味付ける。意義ある死が、本来何の意味も持たない生の輪郭を浮かびあ がらせていく。  鎌井の目に、にわかに光が灯る。今の鎌井には、死に場所という言葉が甘美な響きを持 って聞こえてくる。  生きる目標を見失い、この後どう生きるべきか分からないという悩みが、死に場所のた めに生き、死ぬという美に昇華される。 「俺は何のために生き、死ぬのだ」  鎌井は自分に聞きただすように問う。 「猪槌の民のためだ。人は他人のために死ぬとき、美しい光彩を放つ。  一世の生を捨て、万世に語り継がれる死を選べ。鎌井よ、わしのために働け。わしはお 主に死に場所を与えてやろう」  鎌井は頷く。 「俺の命をあんたに預ける」  鎌井は刀を納める。ふと懐に火野熊よりもらった斬人許可証が見える。民のため死を選 ぶ。もう、このような紙切れは俺には必要ない。鎌井は許可証をつかみ、不知火の炎に向 けて放つ。紙に火が移り、一瞬で炎の渦に飲み込まれる。過去は捨てた。明光院が満足気 に頷く。 ──────────────────────────────────────── 「明光院様。外の世界との接点を探す役、ぜひこの私に」  鴉問が明光院に進言する。この一行の中で、鴉問が最も渡りの手練れである。この任に は適している。 「外の世界とつながる場所があるならば、そこには必ず激しい気の流れがあるはずじゃ。 それを見つければよい。鴉問。お主の渡りの技量でもって、気の流れを探り出せ」 「承知」  鴉問は短く答え、銀の光に包まれる。その場に立ったまま、竜脈の風を受ける。いつも ならば目的地を定め、そこへ流れる風に乗るのだが今回は違う。気の流れに乗らず体を固 定して、竜脈の風を風見鶏のように全身に受け、その向きを探るのだ。  明光院たちの前で、鴉問の銀の光が彗星のような尾を引き始める。猪槌の外から中に吹 き込んでいる風である。その尾は長く伸び、水銀のような鈍い光をたたえる。鴉問は竜脈 の風に逆らうように一歩、一歩前進を始める。鴉問の体が軋み、骨が悲鳴を上げる。  風を感じる。初めて飛んだときのことを思い出す。  鴉問の胸に、遥か昔の思い出が蘇る。渡りを制御できず、流れのままに飛ばされた時の ことが。  風は泉の中から漏れ出してきている。しかし、穴が小さいのか、鴉問の目には非常に小 さな穴しか見えない。 「明光院様。穴は泉の奥です。ですが穴が小さ過ぎ、人が通れる大きさではありません」  明光院は頷き右手を上げる。右手は固い拳を握っている。明光院は泉に近づき、憤怒の 形相で水面を殴りつける。 「喝っ」  水面が激しい衝撃で爆発する。水面が球形に歪み、泉の四方の地面を一撃のもとに吹き 飛ばす。泉から水が消え、土砂が天に向かい跳ね上がる。泉の底に暗い穴が開く。急激に 開いた穴から、これまで塞き止められていた竜脈の風が一気に流れ込む。  風が鴉問を襲い、気の奔流が鴉問の骨を砕く。衝撃で銀の光が吹き飛ぶ。鴉問が血を吐 きその場に倒れ込む。鴉問の黒い外套が赤く血で染まる。 「大丈夫か鴉問」  修羅が駆け寄ろうとする。 「行くぞ、修羅」  明光院が修羅を大喝する。目的は外の世界の竜脈を引き込むことである。役目が終わっ た者は捨てて置け。明光院の鋭い視線が修羅を射抜く。 「行こう」  吉野が枯れた泉に向かい歩き出す。 「頼んだぜ」  鴉問がうずくまったまま修羅に告げる。  枯れた泉に足を踏み込もうとした吉野が足を止める。激しい熱気が泉の周りに渦巻いて いる。 「周囲の水がなくなり、炎が強くなったか」  火勢を増した炎は、まるで巨大な壁のようにその炎の先を天まで伸ばしている。泉の周 りは灼熱地獄と化す。 「これでは近寄れない」  修羅が兜の下の汗を拭う。 「良いか、わしが大風を興す。その隙にこの熱気を抜け、泉の底に飛び込むのじゃ」  明光院が右手を広げ、大きく振りかぶる。精神を統一し右手に気力をみなぎらせる。 「せいっ」  明光院は右手を大きく振り抜く。凄まじい突風が巻き起こる。炎が大きく揺らぎ、泉の 周りの熱気が消し飛ぶ。 「今じゃ」  明光院、吉野、修羅、鎌井が水の枯れた泉の穴に飛び込む。穴は暗く深く、長大な洞に なっている。一行は駆ける。闇の先に月明かりが見えてくる。 「先ほどまで昼だったのに」  鎌井が驚きの声を漏らす。 「異土の中と外では時の流れが違う。異土の中の時は緩やかに過ぎ、浮世の時は速やかに 過ぎる。浮世は夜か」  明光院たちは闇を抜け、月明かりの下に立つ。そこは海上の小島であった。その島の洞 が猪槌の里につながっているらしい。これまで小さな穴しか開いていなかったのだろう。 明光院の一撃で大きな穴が開き、外の気が一度に流入してきたようだ。  明光院は辺りを見渡す。月明かりは新月に近づいており、月だけは猪槌の外と中で一致 しているかのように見える。いや、時の流れが違うはずだ。たまたま同じ月が見えている だけだろう。  視線の先に人家の明かりが見える。無数の明かりが海の向こうにある。 「明光院様。あの建物は」  吉野が海の向こうを見ながら指差す。吉野の指の先に五層の天守閣が見える。江戸城で ある。 「やはり、猪槌の里は江戸の近くにつながっていたか」  明光院が笑みを浮かべる。京都と江戸をつなぐ最短の経路がどこかの異土にある。その ことは伝承で知り得ていた。もし、西方の大名が反旗を翻したとき、その最短の経路を通 り江戸に兵を送ればどうなる。  明光院は、知り得ている異土の中で、最も可能性の高い異土として猪槌の里を選んだ。 読みは当たっていたようだ。 「明光院様。竜脈を引き入れるための指示をお願いします」  吉野の問いに明光院は振り向く。 「今、日本の気力はことごとく江戸に流れ込むようにしている。全ての竜脈上の寺社を結 界でつなぎ、日本の竜脈の力が江戸城目掛けて流れ込むようにしているのじゃ。この結界 に新たな流路を作り、この島に江戸城の気力を一時的に注ぎ込む」 「しかし、一時的とはいえ、どうやってこの島に江戸城の気力を引き込むのですか。既に 明光院様の手で、江戸の呪は完成しているはずです」 「何、一時的にと言ったであろう。一時的に江戸の呪を解き、仮の社をこの島に作り、溢 れる江戸の気力を受ければ良い。わしは社を作る。吉野、お前は江戸の町を燃やすのじゃ。 そうすれば一時的に江戸の気力は行き場を失いその出口を探す。わしはここで、その出口 を作っておく」 「なるほど。江戸の町を焼き尽くせば良いのですね」  吉野の瞳が濡れ、唇が綻ぶ。まことに、このような仕事にはうってつけの女じゃ。明光 院は穴の方に振り返る。  吉野は一礼して海に向かう。服を脱ぎ捨て裸になり海に飛び込む。吉野は魚に姿を変え、 江戸に向かう。  江戸に火を放つという明光院の言葉に、鎌井が抗議の声を上げようとする。その鎌井を 制して明光院は島を見渡す。岩だけの島で木は生えていない。ふと鎌井に目を向ける。鎌 井の背中に、無数の刀が背負われているのに気づく。 「鎌井、その背中の刀をもらうぞ」  明光院は、鎌井の背の刀を抜き、縄でその刀を縛り簡易の鳥居を作り出す。 「鳥居とは、元々境界の出入り口を表す門を具象化したものだ。俗世間と神の領域を隔て る結界にして、その出入り口となる。  また、神の止まり木であるという説もある。神が地上に下りるとき、その止まり木とし ての目印が鳥居というわけだ。この場合の神とは何か。鶏という説もある。鶏は夜と朝を 隔てる境界の神というわけだ」  明光院は、修羅と鎌井に語りながら鳥居を組み立てる。すぐに鳥居が出来上がる。明光 院は組み立てた鳥居を穴の入り口に立てる。 「ここが江戸の気力の出口となるためには、もう一つの細工がいる。竜脈は水とは逆に、 より気力が密集した場所に流れ込む性質を持っている。そうやって集まった気力は、人間 の作る巨大な都市で消費されたり、地震、造山、火山の噴火といった自然現象によって消 費される。  これは大気の流れに近いものじゃ。空気が集まったところでは上昇気流が発生し、竜巻、 台風といった激しい大気の怪獣に変化し、消滅する。  今、江戸で火事を起こせばどうなると思うか。一時的に江戸が気力の真空状態になる。 その時に、江戸の近くに大きな気力の集積場があれば、その場所に滝のように気力が流れ 込む。江戸の火事が収束するまでの一時的な竜脈の操作だが、この程度で十分であろう。 後はこの場所に気力を溜めるだけだ」  明光院は穴に向かって拳を振るう。穴が崩れ、猪槌の里への道が閉ざされる。 「元々ここは浮世と猪槌の里の接点。竜脈の道筋の一つだ。しばらくこの穴を塞ぐことに よってここに気力を溜める。火事が盛んになり、江戸の気力が流れ込み始めた時点で再度 穴を開く。穴を開けた後、我々は猪槌の里に戻り真鉄と合流する」  修羅と鎌井は頷く。三人は海の向こうの江戸の町の変化を静かに待つ。  江戸の町に、わずかながら火が灯り始める。火は次々に江戸の町に現れ、次第にその面 積を広げ始める。 ────────────────────────────────────────  清水の塩の原を一羽の梟が飛んでいる。眼前には、激しく燃え盛る炎の壁があり、その 炎の手前には黒い外套を着た男が倒れている。  梟は外套の男の側に降り立つ。 「鴉問、明光院様はどうなされた」  梟が人語を発する。 「金梟か。大丈夫だ。明光院様は外の世界に抜けられた。それより、猪槌城はどうだ」  金梟が猪槌城の偵察を切り上げ清水に来た。何か変化があったということだ。 「動き始めている」金梟は梟の姿のまま答える。「明光院様にお伝えしようとして、急ぎ 追ってきたところだ」  鴉問は頷く。 「そうか。だが当分は無理だ。俺たちの力ではこの炎の下にある穴は抜けられまい」  炎は黒煙を上げながら燃え盛っている。その勢いは徐々に増しており、明光院たちが穴 を抜けた頃よりもその火勢は強まっている。 ────────────────────────────────────────  城下町の地下。明光院の開けた大地の亀裂から注ぐ明かりの下に、月組残党の忍者たち が集まりつつある。敵に気づかれぬようにするため、それぞれ別の経路を辿りこの地下に 集まっている。場所は銀の尖塔のほぼ直下である。  忍者たちは各々息を潜め、数が集まるのを待っている。  彼らが動かないのには理由がある。  彼らは爪牙より「城下町の地下に向かえ」と言われたが、具体的な指示は何ら得ていな い。  恐らく、彼らが集まった時点で何らかの指示があるに違いない。皆そう考えている。  人は徐々に集まりつつある。だが、誰一人としてこの場で指揮を取ろうとする人物は現 れない。それは現状において、彼等の中に強力な指導者がいないことにも原因がある。  爪牙ほどでないにせよ、各氏族の族長ほどの人物であれば彼らの指導者となり得たかも しれない。しかし、その族長の多くは、先の月河河畔での戦闘で死ぬか怪我を負っている。 残された族長はいずれも小族の族長でしかない。各々自らの分をわきまえ、指導者となる 者が来るのを待っている。  この状況を密かに喜んでいる人物がいる。鯱の氏族長代理である<鱗>(りん)である。 既に鯱の氏族長は、先の雪組戦にて行方不明になっている。恐らくその戦中において屍と なっているのであろう。  その血縁である鱗が族長代理になるや、氏族の論を一つにまとめ私軍とも言うべき集団 を作り上げてしまった。  そもそも鯱の氏族は小族であるがために、月組の中で黙殺されてきたという鬱屈がある。 その鬱屈が鱗をして、私軍を作らせしめたのであろう。  その私軍を扇動するにあたって鱗が唱えたのは、「月組頭領の暗殺による月組権益の奪 取」である。この小規模な反逆集団が月組の中で処分されなかったのは、立て続けに戦い が続いたため、そのような小族の小集団に関わっていられなかったというのが本音であろ う。実際、月組内で鱗の私軍が何か活動をおこなったという形跡は何もない。そんな暇も 無く戦いが続いた。噂が数人の口の間に流れたに過ぎない。  鱗は月組残党を見下ろす地下洞窟の岩の上に立つ。衆目が集まる。一人一人の顔を見る ように、鱗は辺りを見まわす。鯱の氏族の生き残りも多くはない。わずか十数人しかいな い。しかし、月組の残党自体百人もいない。この中にあっては、鯱の氏族は一つの勢力と 言えるであろう。 「皆のもの、よく聞け。月組の指揮は今より鯱の氏族長である鱗がとる。これは爪牙殿が 戻られるまでの一時的なものと考えられても良い。不服があるものは前にでられよ」  他の氏族の族長たちの反発を覚悟しながら、鱗は周囲に呼びかける。一同の怒気を含ん だ視線が鱗に寄せられる。憎悪の目と言っても良い。このときまで、誰も月組残党の指揮 を取ることを放棄してきた。しかし、にわかにその指揮権を主張する者が表れたとき、そ の感情は露骨にその指揮権を主張した者への憎悪に変わった。  だが、戦端と同じで始めに口火を切った者に一日の長がある。  きわどい発言である。月組の転覆を狙う発言とも取れるし、指揮者がいないことへの建 設的主張とも取れる。しかし、その場にいる氏族長や上忍たちの幾人かは、鯱が反月組的 活動をこの戦時下でおこなっていたことを知っている。 「何を持ってその根拠とする」  地下の空間に青年の声が響く。洞に辿りついたばかりなのであろう。月組残党たちより 離れた場所から三人の青年が駆けてくる。  <嵐>(らん)、<崇>(すう)、<幹>(みき)である。曹沙亜の三人の部下は、曹 沙亜とは別行動をとり、城下町の地下に先行していた。 「月組の指揮は、爪牙様の意思の下でおこなわれる」 「爪牙様の意思なき指揮を望むは、叛意であろう」 「いずれに爪牙様の意思があるか明らかにせよ」  嵐、崇、幹がそれぞれ口舌を鋭く鱗を攻撃する。 「今は危急の事態である。聞けば爪牙殿は、月組の民、城下町の難民を守るべく、大いな る慈愛をもってその姿を変えられ、身を挺して民を守っておられるとのこと。今こそ我ら 月組忍軍、大いに奮発してこの難事にあたらねばならぬ。  だが、悲しいかな。この難事にあたり、士気を高揚させ、敵を打ち破るに足る指揮を為 す者が一人もおらぬ。だからこそ、私は自らの氏族が卑小であることも省みず、月組志士 たちの統制、掌握をおこない、白子の軍勢を打ち破らんがために大いにその権を振るわん とするのだ」  鱗の声が地下に響く。 「有事を利用しての反逆であろう」 「措辞を並べ立てたところでその意図は変わらぬ」 「爪牙様の意思下るまで待機せよ、さにあらば反逆の徒とみなす」 「これより我ら月組は白子の軍勢に対し戦いを仕掛ける。これは爪牙殿の意思あり、我ら の意志でもある」  嵐たちの言葉を遮るように鱗が声を発する。地下に潜んでいる鯱の氏族たちが立ちあが り、嵐たちを囲むように動く。 「この者たちを取り押さえよ」  鱗が鯱の忍者たちに命ずる。鯱の忍者たちが、嵐、崇、幹に襲いかかる。その時、銃声 が響いた。弾丸が鱗の額を貫通する。  鱗の体が宙に舞う。額から吹き出す血が弧を描きながら地に落ちる。鱗の体が地に沈み 込む。  月組残党たちの遥か背後、銃声の先には鉄砲を構えた青年が立っている。曹沙亜である。 髪は青くなり、右目には青い目が煌いている。 「沈まれ。我こそは爪牙殿の代理。この青い目が何よりの証拠である」  曹沙亜の右目が青く鈍く輝く。月組残党が曹沙亜に対し臣下の礼を取る。鯱の氏族は怒 りを顕わに立ち尽くしている。  月組において青い目は頭領の証。青い目自体が意思を持ち、その持ち主を選ぶ。青い目 が一つ。この青年が、月組頭領である青い目の爪牙の代理人であることは疑いもない。 「曹沙亜様」  嵐、崇、幹が、曹沙亜の登場に意気高揚して刀を抜き、手近の鯱の忍者に斬りつける。  曹沙亜という名に、月組残党の氏族長は少なからず驚きの色を浮べる。あの、爪牙が目 をかけていた青鉢巻の少年か。ただ、その姿は以前と大きく変わっている。 「姐さん」  曹沙亜とは反対側の地下の入り口より、<鯨州丸>(げいしゅうまる)が走り来る。目 には怒気を浮べ、両の腕には金棒と長刀を握っている。鯨州丸は鱗の傍に立ち、その骸を 見下ろす。頭蓋の骨を木弾で割られている。曹沙亜の手によるものに間違いない。  来るのが遅かったか。鯨州丸は悔いる。  鯨州丸は錐鮫の指示を受け城下町の地下にやって来た。鱗の月組支配の後ろ盾となるた めである。鱗が窮したときに現れ、大喝でもって場を鎮める役回りであった。  しかし、曹沙亜がここまで苛烈に対抗し、そしてここまで早くこの地に来るとは思って いなかった。曹沙亜とその部下たちを侮り過ぎていた。  もう、ここに至っては策を弄しても仕方がない。  鯨州丸には、悪戯に策を弄して自らの命に固執するといったところがない。男子の本懐 とは、不退転の前進にあるといった心事の爽やかさがある。 「曹沙亜、姐さんの仇だ。その命を貰い受ける」  鯨州丸が曹沙亜に向かい走り始める。 「曹沙亜様」 「ここは我らに」 「お任せあれ」  嵐、崇、幹が鯨州丸に向かう。 「裏切り者を処断せよ」  曹沙亜の毅然とした声が月組残党を突き動かす。地下の闇の中で乱戦が起こる。鯱の忍 者と月組残党が衝突する。  嵐、崇、幹は銀の光をまとい、一直線に並び鯨州丸に向かう。鯨州丸は速度を上げ、両 手の得物を振りかぶる。  三つの銀の光と鯨州丸が激突する。勝負は一瞬であった。先頭の嵐の頭を鯨州丸の金棒 が潰し、二人目の崇の肩口から腹にかけて長刀が切り下げる。その屍を踏み越えるように して襲いかかった幹の刀が鯨州丸の首筋を切り裂く。  幹が岩の上に着地する。鯨州丸、嵐、崇の死体が折り重なって倒れる。  地下の洞に血風が舞う。 「嵐、崇」  幹は急ぎ二人の親友のもとに駆け寄る。突如鯨州丸の死体が立ちあがり、二、三歩幹に 向かい歩を進める。  幹は身構える。  鯨州丸の背後では、なおも鯱の忍者と月組残党の戦いが続いている。だが、鯱の忍者の 数は少なくなっており、鯱の忍者が全滅するのは既に時間の問題のように思われる。  再び銃声が鳴り、鯨州丸の喉元に穴が開く。幹の目の前で鯨州丸が倒れ、完全に動かな くなる。幹は再び二人の友人のもとに駆け寄る。既に嵐、崇は息を失っている。  ほどなくして反逆者の掃討は終わる。  一同が曹沙亜を仰ぎ見る。闇の中、青い目が光り、曹沙亜は口を開く。 「白子の軍勢の陣が銀の尖塔であることは分かっている。我々の作戦は、この銀の尖塔を 破壊することを主眼に置く」  曹沙亜の口から爪牙の声が発せられる。声は曹沙亜の意思とは無関係に、天啓のように 涌いてくる。この奇現象を、曹沙亜は甘んじて受け入れている。  爪牙の意思が、月組を支配するのだ。自分はその代弁者に過ぎない。曹沙亜はそう信じ ている。  だがその声は、青い目の記憶を受け継いだ曹沙亜本人の意思による声かも知れなかった。 真実は知れない。爪牙の声は続く。 「この場所がいかなる場所かは皆知り得ていると思う。この頭上には銀の尖塔がある。我 々が今からおこなうのは、この頭上、銀の尖塔の立つ地面を破壊し、銀の尖塔をこの地下 に叩き落とすことである」  一同が頭上を見上げる。黒く頭上を覆う洞の天井が見える。天井は猪槌城ほどの高さが ある。この天井を破壊すると曹沙亜は言う。  敵と正面から渡り合わず、その拠点を壊滅せしめる作戦。武力ではなく、土木でもって 敵を倒す作戦。 「曹沙亜様。しかし、どうやってこの人数で大地を割るというのです」  幹が絶望の色を成し、曹沙亜に問う。 「これを天井に仕掛けるのだ」  曹沙亜の手には、木砲ちはやの種が無数に握られている。 「この種をもって、銀の尖塔の地下を輪のように取り囲み、一気に爆発せしめて、銀の尖 塔もろとも大地をくりぬく」  曹沙亜は全員に説く。屋形に侵入するとき、鋸でもって天井に穴を開ける技を「天切り 」と言う。それと同じやり方だと言う。  曹沙亜は、各人に木弾を配り、地下の天井に向かわせる。仕掛け終わった後、種ちはや でもって、木弾を連鎖的に爆発させれば事は成る。 ────────────────────────────────────────  地上では、火野熊たち鈍砂山攻略軍が戦備を整えている。その様子を千幻は、銀の尖塔 の最上階より見下ろしている。  火野熊の密偵の多くが鈍砂山に放たれていたが、そのほとんどが帰ってきていない。今 度は月組の掃討のときほど簡単に事は運ばないだろう。  月河での戦は、敵は月組だけであった。だが、鈍砂山には多数の勢力が逃げ込んでいる。 火野熊が語るところ、その勢力として上げているのは、雪組忍軍、真鉄の巨鉄兵、雷神の 剣士たちである。  特に真鉄の巨鉄兵が危険であると火野熊は見ている。巨鉄兵は、千重が月の都人対策に 用意した兵器の一つである。  千重の用意した兵器が、どれほどのものか千幻には分からない。しかし、月の都人の軍 事力を知っている千重が用意した兵器である。侮るわけにはいかない。 「最大限の準備が必要だろう」  千幻は既にその準備を進めている。その第一段階として、月に通信を送っている。そろ そろ第二段階の準備をおこなう時期だ。  千幻は部屋の中央に進み、机の上に水晶髑髏を置く。そしてその髑髏の上に両の掌を置 き精神を統一する。  水晶の髑髏が青い燐光を発し始める。内部より光る髑髏の光が、水晶の表面に無数の回 路を浮びあがらせる。  水晶の髑髏は、千幻が月の都で作らせた装置である。元々この水晶髑髏は千幻の弟、千 念の頭蓋骨であった。千念の頭蓋骨は仙骨である。その表面に気力で振動を制御する回路 を施し、仙骨の共振現象を操作できるようにしてある。  千重は月の都を出奔するときに、数々の月の都の機器と共に、千念の青い目を持ち出し た。千重はこの猪槌の里を興すときに、必ず千念の青い目を、仙人の仙骨を使い、自らの 爪牙を生み出したはずである。なぜなら、青い目には千念の神通力の全てが宿っているか らである。  千重は呪の一角に、必ず青い目の力を使っている。千幻はそう確信している。  千幻の目的は千重の呪の破壊である。千重の力の一角を、そのまま自軍に引き込むこと ができれば圧倒的有利になる。千幻はその策を用意してきた。それが、この水晶髑髏であ る。 「今こそ、この水晶髑髏を使う時であろう。我が片割れ、我が弟千念よ。我が呼びかけに 応えよ」  水晶髑髏を使い、青い目の神通力を乗っ取る。千幻は精神を水晶髑髏に集中させる。  千幻の精神統一に応じて、水晶髑髏が青い光を増す。銀の尖塔の頂に、青い微かな光が 渦巻き始める。 ────────────────────────────────────────  地下では曹沙亜が忙しく月組忍者たちに指示を出している。皆手練れの忍者たちである。 仕事は正確で速い。曹沙亜の指示が追いつかないほどの早さで準備は整いつつある。  曹沙亜の目に、突如青い光が灯る。  その光がみるみる曹沙亜の頭を覆い尽くし、まばゆい閃光を放つ。 「曹沙亜様」  幹が声を上げる。曹沙亜が突如倒れる。曹沙亜の木砲である種ちはやが、地下の固い岩 の上に転がる。  青い光は曹沙亜の体を侵食し、その体を網の目のように覆い始める。再び地下に青い閃 光が満ちる。  同時刻、月河のほとりの森の中でも、不思議な青い光が瞬いていた。 ──────────────────────────────────────── 「くそっ、奴等は猪槌城の中に逃げ込んだか」  猪槌城の廊下を走りながら深雪が怒声を発する。突然の怪異の膨張により、侵入者の一 行を捕り逃してしまうとは。とんだ不覚だ。 「深雪様。蝉雨が奴等の後を追っておりました」  傍らで駆けている式鬼が囁く。「でかした」深雪がその場で立ち止まる。精神を集中し て蝉雨の中の黄金蟲の所在を探る。 「こっちか」  深雪が廊下の角を曲がる。深雪と式鬼は疾風のように猪槌城の中を抜け、窓を飛び出し 屋根瓦の上に立つ。 「くくく。猪槌城の外を目指しておるのだろう。しかし、出てきたところで我が懐の中に 変わりはない。よもや先周りをしているとは思うまい。猪槌城を抜けたとき、希望が絶望 に変わるのだ」  深雪の笑い声の下、猪槌城が鳴動を続けている。黄色の淡い光が猪槌城の中央より天に 向かい、柱のように立ち上っている。  猪槌城の周りの空気が、微かながら上昇気流に変わりつつある。砂が、小石が大地から 巻き上げられつつある。笑いを上げる深雪の白髪が、まるで鬼神のように逆立っている。 「深雪様。ただいま戻りました」  屋根の上に女の声が響く。 「良く戻った銀華」  深雪の口許に笑みが浮ぶ。銀華の背後には、無数の死者の軍団が控えている。 「事は成った。後は千重を猪槌の里から滅し、銀の尖塔の敵を去らしめるのみだ」  深雪の哄笑が猪槌城に響く。 「銀華。お主の次の使命を言い渡す。この猪槌城に近づく者、この猪槌城から立ち去る者、 そのことごとくを葬り去れ」  銀華は頷くと、屋根を蹴り、風力を増しつつある上昇気流の中に飛び込んだ。 「式鬼、お前は城内の警備をおこなえ」  式鬼は頷く。 「深雪様は何処に」 「≪白雪≫(しらゆき)のもとだ。あれほど俺に気質が似ている者は他にはいないだろう。 神通力も使える。条件はこれ以上はない」深雪は眉根を寄せ、口の端を微かに上げる「あ の者の魂と交わり、我が魂の一対と成す」  深雪は城内に消える。  式鬼はその場で佇んでいる。深雪は式鬼の変化に気づいていない。式鬼の口数が多くな っていることに。  式鬼の中で、眠っていた自我が次第に目覚めつつあった。長い死の眠りの中で眠ってい た自我が、時と共に緩やかに回復しつつある。式鬼は城内に戻らず、猪槌城の屋根を辿り 階下に向かう。 ────────────────────────────────────────  深雪が猪槌城の地下にいたとき、深雪の気づかぬところで一つの変化が起こっていた。  これは、深雪の預かり知らぬところであろう。それは<銀狼>(ぎんろう)の件である。 銀狼の中にある神通力が芽を吹き出し始めていた。  そもそもは深雪が白雪のいる部屋を離れ、地下に行ったことが原因である。単純な力関 係と言ってよいだろう。深雪と銀狼の距離が離れ、強烈な怪異の膨張が起こったことによ り、銀狼の黄金蟲の拘束が一時的に弱まった。  銀狼が身に付けている塩の鎧に劇的変化が起こる。その鎧が姿を変え、触手を伸ばし銀 狼の体を貫く。変化を起こさせたのは白雪である。同じ部屋にいる白雪が、自ら作った塩 の鎧に新たな変化を与えた。  塩の触手が銀狼の背を突き破る。その先端で黄金蟲が体を蠢かしている。  白雪が念で塩の触手を繰る。塩の触手が黄金蟲の体液を吸い取る。  黄金蟲は干からび砕け散る。と同時に銀狼が深雪の呪縛から解き放たれる。  銀狼の目に命の火が灯る。銀狼の神通力が目覚め、銀狼の体内に力の奔流が駆け巡る。 「銀狼。私の黄金の枷を断ち切りなさい」  白雪の声が銀狼の心を呼び覚ます。銀狼は塩の剣を抜き、白雪の黄金の枷を一刀の下に 両断する。白雪が立ち上がる。銀狼は白雪の手を力強く握る。  今や自分は白雪様と同じである。共に神通力を持った同士である。銀狼の心に、これま での銀狼とは違った自信が溢れている。銀狼は、今までの主従の関係ではなく、一人の男 として白雪を守る決意を深める。  銀狼は白雪の手を引き、部屋から出ようとする。 「成りませぬよ。白雪様、いや≪雪姫≫(ゆきひめ)様と言った方が良いでしょうか。あ なたがどこに逃げるつもりかは知れませんが、どこに逃げようとも、あなたが深雪様の物 であることからは逃げられぬのです」  銀狼の前に≪氷室≫(ひむろ)が立ちはだかる。氷室の目は氷のように冷たい。銀狼の 目には、氷室の双眸に蒼い火が灯っているように見える。  氷室は両腕を伸ばす。その手には無数の手裏剣が握られている。手裏剣に毒は塗ってい ない。既に互いに毒の効かぬ体になっているからだ。しかし、その代わりに手裏剣には爆 薬が仕込まれている。 「深雪様も雪姫様も気づいていないとは滑稽としか言い様がないですな」  氷室が冷めた顔で薄笑いを浮かべる。 「何が滑稽なのだ」  銀狼は白雪をかばうように塩の剣を構える。 「深雪様は、白雪様をもって自分の魂の片割れと見ている。そして、その魂を一つのもの にするために契りを結ぼうとしている」 「ホホホ。あれ程の者であれば、我が身を委ねるのも良いでしょう」  銀狼の背後で白雪が笑い声を発する。冗談じゃない。銀狼はそう叫びそうになる。俺が いるじゃないか。銀狼は叫びそうになる。白雪には、いまだ銀狼は下僕にしか見えていな いのか。銀狼の中で怒りと悲しみが交錯する。 「親娘でか」  氷室が静かに言う。白雪の笑い声が止まる。 「雪姫様の真の父親は深雪様ですよ」  氷室の言葉に白雪と銀狼の動きが止まる。その隙を逃さず氷室が手裏剣を放つ。銀狼は、 爆薬付きの手裏剣を身に受けつつ、氷室に向かい突進する。爆薬で塩の鎧が吹き飛ぶ。  氷室の眼前に、爆炎の中から銀狼が踊り出る。 「覚悟」  銀狼の塩の剣が氷室の首を両断する。そして、首筋に覗く黄金蟲の体液を塩の剣で吸い 取る。氷室の首が床に転がる。  部屋にはまだ煙がこもっている。氷室の口が何かを告げようと動いている。銀狼は警戒 を怠らず氷室の首に近づく。氷室は銀狼の耳にだけ聞こえるように囁く。 「私は間違っていた。やはり、深雪様ではなく豪雪様を立てていくべきだった。私の一生 涯の不覚であった。この過ちは、到底償いきれるものではあるまい。我が死に際して銀狼 殿、お主に頼みがある」  氷室の声が徐々に小さくなっていく。銀狼は氷室の首に耳を近づける。 「雪姫様を頼む。深雪様の手から遠ざけ、豪雪様のもとに送り届けて欲しい。豪雪様は仁 者である。雪姫様が深雪様の子であることを知り、その上でなお、我が子として育ててお られた。豪雪様に何と言って詫びれば良いのであろう。この上、さらなる過ちがあっては ならない。銀狼殿。後はお任せしましたぞ」  氷室の首が木乃伊のように干からび砕け散る。銀狼は振りかえり白雪を探す。煙が晴れ る。 「行きましょう銀狼。一旦この猪槌城より抜け出なければならないでしょう。このまま城 にいても、我々は深雪に囚われた駕籠の中の鳥でしかない」  白雪と銀狼は再び走り出す。その廊下の向こうに深雪の姿が現れる。 「見つけたぞ白雪。お主を我が妻とし、その魂を互いに交わらせ、我が魂の一対と成して やろう」 「そうはさせない」  銀狼が塩の剣を構える。既に氷室との戦いで塩の鎧はない。身を守るものは、この一振 りの塩の剣と、体にみなぎっている神通力の力だけである。  深雪、銀狼の二人の間に緊張が走る。  不意に猪槌城が大きく揺れる。揺れは続き、銀狼と深雪の自由を奪う。白雪が城の壁に 穴を開け、新たな道を作る。 「銀狼、こっちよ」  白雪と銀狼は、転がるように穴に飛び込む。部屋の先に窓が見える。白雪と銀狼は窓の 外に飛び出し、猪槌城の屋根の上に身を翻す。  猪槌城の外は激しい風が吹き上げている。猪槌城の周りの石や樹木が舞い上がり、竜巻 の中にいるかのような状態である。猪槌城の中心、その風の芯では、黄色く淡い光が柱の ように立ち上っている。  猪槌城は、まるで台風に抗っている大木のように地面から引き剥がされそうになってい る。風が白雪と銀狼の体を洗う。二人は、吹き飛ばされないように、懸命に屋根にしがみ つく。 ────────────────────────────────────────  猪槌城の廊下を、鍬形、ジョン、東雲、風幻は進む。東雲の背中には二重がいる。その 少し後ろを蝉雨が追っている。 「しまった行き止まりだ」  先頭を進んでいるジョンが廊下を曲がったところで叫ぶ。 「うむ。壁を斬り、穴を開けるか」  鍬形が壁に向かい刀を振り上げる。 「外はこっちだ」  鍬形たちの背後より声が響く。振り向いた一同の視界に、先ほど深雪と一緒にいた忍者 が立っている。 「敵か」  ジョンが身構える。 「違う。ここに外への抜け道がある。ここを通れば外に抜けられる」  深雪と一緒にいた忍者、蝉雨が必死に訴える。 「信用できん」  鍬形が刀を振り上げ蝉雨に向かう。猪槌城が再び激しく振動する。蝉雨が急ぎ壁を押す。 壁に継ぎ目が現れ外の風が流れ込む。猪槌城の屋根に抜ける抜け穴のようだ。 「どけっ」  鍬形が抜け穴に向かう。蝉雨が転がるように逃げる。鍬形は穴の前に立つ。どうやら外 への抜け道というのは本当のようだ。 「お前の名は」 「蝉雨」 「蝉雨、お前も来い」  鍬形は蝉雨の首筋に刀を押しつけそのまま外に飛び出す。吹き上げる風が鍬形の視界を 遮る。砂嵐が猪槌城を取り巻いている。丁度砂嵐の柱の中心に猪槌城がある。  ジョン、東雲、風幻も鍬形の後に続く。  そこは猪槌城の正面門に近い屋根の上であった。鍬形は風の中、目を細めて周りを見渡 す。どうやら、このまま屋根を伝って下りれば猪槌城より出られそうだ。 「行くぞ」  鍬形は刀を蝉雨の首筋に当てたまま、屋根を伝って下に向かう。  風幻が猪槌城を振り返る。猪槌城の上空には、無数の雷雲のような妖球が浮んでいる。 漆黒の怪異の球が、光の柱から溢れ出るように涌き出ている。 「早く離れなければ危険だな」  風幻の言葉にジョンも頷く。怪異の球は、猪槌城を取り囲むように降りてきている。 「どうした東雲」  鍬形が振り返り声をかける。東雲の足が震え、顔が蒼白になっている。東雲は、漆黒の 怪球を見ながら呆然としている。 「早く来い」  大声で鍬形が東雲を呼ぶ。 「東雲兄さん」  東雲はその場で震えている。漆黒の怪球を見たとき、東雲は全てを思い出した。彼女の 兄、東雲が猪槌城で殺された日のことを。  恐怖が東雲の心を覆う。  <山吹>(やまぶき)。自分の名も思い出した。  猪槌の里を、千重を調べるという目的で、猪槌の里に進入し、情報を集めていたときの ことを。暗い漆黒の球が兄の体をえぐり、兄を死に至らしめたことを。  千重に兄が殺された後、雨の日に二重に出会ったことを。その時に口から出た言葉が 「東雲」であったことを。  全てを思い出した。  今、背中には子を孕んだ二重がいる。 「東雲。目を覚ませ」  ジョンが大声を上げる。  東雲が我に返る。まだ足が震えている。だが、もう怖がることはない。兄の仇の千重は もうこの世にはいないのだから。東雲は再び進み始める。  鍬形の足が猪槌城の庭につく。続けてジョン、東雲、風幻も地上に辿りつく。眼前に見 えている門を抜ければこの砂嵐から出られる。  早く門から出なければ。  砂嵐はますます勢いを増している。 「がんばれ、後もう少しだ」  鍬形の声が砂嵐の中でか細く響く。鍬形たちは門を目指して走る。その行く手、門の影 に一人の長身の女が現れる。銀華である。既に手には抜き身の刀が握られている。 「新たな敵か」  鍬形は蝉雨を放し刀を構える。いつのまにか、周囲は死者の群れが取り囲んでいる。銀 華が連れてきた黄金蟲の死者の軍団である。 「師範代。ここは俺に任せて欲しい」  ジョンが微笑を浮かべながら鍬形に声をかける。 「一人では無理だ」  鍬形はジョンの姿を見る。ジョンの体から無数の微光が漏れ出している。 「いや、俺を囮に東雲と二重を逃がしてくれ。東雲と二重がいれば足手まといだ。このま まじゃ俺たち二人でかかっても全滅するだろう。それに、死地に向かうときは身軽な方が いい」  ジョンの額には、大粒の汗が滲んでいる。小竜砲の傷を癒さぬままここまで来たのだ。 もうとっくに体が限界を向かえている。鍬形が無言で頷く。 「東雲ついてこい」  鍬形が死人の囲みに向かって駆け出す。風幻も鍬形と共に死人に向かう。二人して数人 を斬りつけ突破口を開く。しかし、二重を背負った東雲と蝉雨が死人に絡まれ敵地に取り 残される。  その時、無数の式神が東雲と蝉雨の周囲に降り注ぎ、にわかに爆発音を上げる。死人の 囲みが崩れ、煙で視界が遮られる。今しかない。蝉雨は東雲の手を引き城外に向かい駆け 出す。背後からは死人の群れが追いすがってくる。 「東雲、蝉雨。風幻について行け」  鍬形が死人の群れとの間に入り、しんがりを勤める。退いては斬り、斬っては退き、鍬 形は鬼神のように刀を振るう。その背後で、ジョンが残りの死人たちを一人で食い止めて いる。 「女、子供を守れないのは雷神の剣士としては恥だからな。早く行け」  ジョンが煙の中、渾身の笑みを浮かべる。既にジョンの刀はなまくらになり、その刀技 だけで敵を防ぎとめている。  ジョンを残し、二重救出隊は猪槌城より脱した。  爆発の煙が晴れる。城門の壁を背にしてジョンが立っている。ジョンの背後の壁を登り、 仲間たちは逃げたのだろう。死者の群れがジョンを包囲する輪を徐々に縮めていく。  砂嵐が猪槌城を取り囲んでいる。砂塵が銀華の長い黒髪をなびかせる。その目は城の屋 根の一点に注がれている。砂嵐の吹きすさぶ屋根にぶら下がっている者がいる。銀華の憎 悪の視線の先には、薄汚れた白い忍装束の中に、つぎはぎの体の覆面の怪物、式鬼の醜怪 な姿がある。  式鬼の目は、蝉雨たちがいる城門の外に据えられている。  式鬼はぎこちなく、覆面の下の口を動かす。 「命は大切にしろ。死ねばすべてが終わる」  式鬼は銀華に視線を移した後、物憂げな仕草で城内に姿を消した。 「どこを見ているんだ。お前の相手はこの俺だぜ」  鞘を杖にしたジョンが、なまくらの刀を銀華に向ける。ジョンの体からは無数の光が吹 き出しており、光が吹き出ているあたりから、体が乾いた泥のように崩壊し始めている。  銀華が刀を構える。無言でジョンに向かい駆け出す。 「ジョンぎり、ジョンぎり」  ジョンも鞘を捨て、両手で刀を持って駆け出す。砂塵が二人の間に舞う。銀華は上段か ら、ジョンは下段から刀を振るう。  ジョンの刀が銀華の脇腹から胸を切り上げる。銀華の刀はジョンに達していない。銀華 の刀がジョンに振れる前に、ジョンの体は光の渦と共に崩壊し、砂塵と共にこの世から消 えた。  勝負は銀華の刀がジョンに達する前についた。  風が銀華の前を通り過ぎ、再び視界が蘇る。猪槌城の周囲の砂嵐は音を立て相変わらず 唸りを上げている。  銀華は姿勢をただし、ゆっくりとジョンの刀を抜く。刀をジョンの捨てた鞘のもとへ投 げ捨てる。その刀を男が受け取る。男の目には殺意がみなぎっている。 「門弟が、生きて捕らえられているのならば救うべし、殺されたのなら仇を討つべし」  既に東雲たちは風幻に預けてある。鍬形は左手でジョンの刀、右手で自らの刀を握り締 め銀華に向かい凝然と立っている。しかし、その五体には渾身の気力が満ち溢れている。 「キエーイ」  鍬形が銀華に向かい駆け始める。銀華もその刀を振り上げ鍬形に向かう。銀華が鍬形に 向かい刀を振り下ろす。その刀を鍬形はジョンの刀で叩き折り、自らの刀で銀華の両腕を 斬り下げる。銀華の両腕が地に落ちる。すぐさま鍬形は振り向き、二太刀、三太刀、四太 刀と、執拗に銀華の体を細切れに砕く。 「雪組先代頭領深雪が操る死人の話は聞いたことがある。黄金蟲という蟲を取りつかせ生 き返らせるそうだな。見つけたぞ、これが黄金蟲か」  砂嵐が一段と強くなる。城の庭の塀が紙くずのように砕かれ舞いあがる。鍬形は、黄金 蟲の巣食っている銀華の死体をつかみ、力任せに砂嵐に向かって投げる。砂嵐に巻き込ま れた銀華の死体と黄金蟲が砂嵐の中で無残にすりつぶされていく。 「これで仇は討った」  鍬形は周囲を見渡す。  砂嵐の径が次第に狭まってきている。それに、上昇する風も一段と強まっている。死人 の群れは、既に城内に引き上げ始めている。砂嵐が、全てのものを飲み込みながら、鍬形 に迫ってくる。  猪槌城が軋みを上げて地面から引き剥がされ始める。砂嵐は鍬形に迫る。鍬形は、猪槌 城に向かい跳躍する。窓の一角を斬りつけ猪槌城の中に飛び込む。  猪槌城が激しく揺れる。  地面は猪槌城をつかむのを止め、猪槌城はその巨体を風の中に浮びあがらせる。猪槌城 の根元には、鏡城が逆さまに貼り付いている。猪槌城と鏡城。二つの表裏一体の城が、砂 嵐の柱の中に出現する。 「鍬形様」  東雲が砂嵐の柱の中に向かい声を上げる。 「やめろ。この砂嵐に巻きこまれれば、何人たりとも生きては帰れぬ」  風幻が東雲の体を引きとめる。砂嵐の柱は、地を轟かす音を発しながら天まで高くそび えている。 「これでは、猪槌城に戻れない」  蝉雨が呆然と砂嵐を見つめる。  蝉雨は狼狽しながら辺りを見渡す。その蝉雨の目に、かつて猪槌城正門の橋で見た女の 姿が入る。女は砂嵐の近くに立っており、何かに憑かれたように猪槌城に向かい歩いてい く。 「危ない」  蝉雨が声をかけたときには遅かった。女の姿は砂嵐の中に消える。すぐに死体は粉微塵 になる。やはり何人もこの砂嵐は抜けられないのか。 「行こう。俺が道案内をする」  風幻が鈍砂山に向かって歩き出す。風幻、東雲、蝉雨は、いまだ意識のない二重を抱え、 北にある鈍砂山へと向かった。 ────────────────────────────────────────  風幻の案内で一行は鈍砂山に入る。鈍砂山では、至る所で雪組の検問が敷かれている。 風幻はその検問にいる忍者たちの案内を受け雪組の仮陣営を目指す。  二重が苦しそうに息をしている。東雲は、二重の額の汗を拭きながら心配そうな顔をし ている。一行は豪雪のいる陣営につく。風幻は一行を連れ奥に進む。奥では≪豪雪≫(ご うせつ)が、地図を前に床机に座っている。 「豪雪様、この者たちは」  風幻が豪雪にこの一行の説明をしようとする。 「久しぶりだな豪雪。雪組頭領として、わしの最後の呪に協力してもらおう」  東雲たちの背後で二重が立ち、声を発する。腹は今にもはちきれんばかりに膨らんでい る。 「我が母体を水の怪異のもとまで運ぶのだ」  その顔は目を閉じたままでありながら、声には強い意思がこもっている。 「千重様か」  豪雪が怒りのこもった声で応える。 「今この呪を完成せねば、月の都人の手により猪槌の里は滅びる。お前に選択権はない」  豪雪が苦い顔をする。 「しかし、どこに水の怪異が」  二重は東雲の腰の刀を抜き、豪雪の足元に投げつける。豪雪の周りの忍者たちが一斉に 刀を抜く。 「待て」  豪雪が忍者共を制する。刀は地図の一点を刺し貫いている。タタラの民の集落の西にあ る谷の基点である。確かここには滝があったはず。 「そうだ。滝の奥に洞窟があり、その奥に怪異を湛えた鉢がある」  豪雪は無言のまま頷く。  心まで覗く相手にこれ以上何の言葉が必要であろうか。豪雪は刀を東雲に返し、地図を 懐にしまい二重の体を抱える。二重の全身の力が抜け、そのまま豪雪の腕に身を委ねる。 「お前たちはここで待て。俺が一人で行く」  抗議の声を上げようとする東雲たちを、雪組忍者たちが取り押さえる。 「風幻、お前は恐ろしいものを運んできたな。これが何者なのかを知って運んできたのか」  豪雪は風幻の返事を待たずに駆け出す。二重を抱えた豪雪は、陣営を抜け、鈍砂山の森 に入る。森の木々が豪雪の体に緑の影を投ずる。  雪組頭領豪雪は、二重の体を抱え水の怪異へと急ぐ。 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- 今回の結果 ■神通力の獲得 ゲームが進んでいく中で、キャラクターは「怪異」(超常的な不思議な現象)に巻き込ま れることがあります。キャラクターは「怪異」に出会うと、「五行の神通力」を身につけ ることができます。どの五行の神通力を身につけたかはマスターから宣言します。 銀狼:系統能力 五行の神通力+1 ■能力の成長 ゲームが進んでいく中で、特に成長の認められる行為をおこなったキャラクターは、プレ イヤーがマスターに申請してください。プレイヤーからの申請によって、マスターはキャ ラクター能力の上昇を認めます。 ■負傷 キャラクターは、マスターより負傷段階を宣言されることがあります。負傷には、重症、 致命傷、能力減退の3種類があります。 鈴蘭:死亡 魅遊:消滅 雲行飛:死亡 鴉問:重傷 鱗:死亡 鯨州丸:死亡 嵐:死亡 崇:死亡 ジョン・義理:消滅 銀華:消滅 氷雨:消滅 ■アイテムの獲得 キャラクターは、マスターよりアイテムの獲得を宣言されることがあります。アイテムは、 通常の行動の中で使用することができます。 曹沙亜:青い目 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- ■ ■■■第13話「鈍砂山攻防戦」 ■ =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------  猪槌の里の北に位置する鈍砂山。その山の中腹にタタラの民の集落はある。  ≪蜻蛉≫(とんぼ)は既にその集落に返ってきている。≪真鉄≫(まてつ)とは谷で別 れた。谷では真鉄と<山嵐>(やまあらし)が竜王砲の準備を続けている。  集落では真鉄の家が作戦本部となっている。真鉄が谷で竜王砲の準備をし、明光院が南 に向かっている今、事実上の指揮は蜻蛉が取っている。  蜻蛉のやり方は雷神道場の頃から変わらない。その場に合う人材を見つけては仕事を割 り振っていく。  彼自身は実務を担当しない。実務はその道に才のある者に任せる方が効率が良い。自分 自身は一段高い位置からその判断を下す役に徹する。  判断者が実務を兼ねれば、その視野が狭隘になり正しい判断が下せなくなる。蜻蛉は常 々そう思っている。  蜻蛉は真鉄の家の居間で茶をすすっている。今回蜻蛉は、策を練る者として二人を選び、 その準備の大部分を任せきっている。  一人は雷神の<安倍孔明>(あべのこうめい)である。安倍が得意とする式神や呪詛を 用い、敵を足止めするのが目的である。  今、安倍は鈍砂山の森の中でその準備をしている。どちらかと言えば安倍の役は前哨的 意味合いが強い。安倍の式神や呪詛だけで敵の進軍を留めることはできないだろうが、そ の後の進軍の向きを誘導することは可能である。安倍の役目は、敵をほんの少しの間足止 めすることである。  この後の策は、蜻蛉が実務を委ねたもう一人、<光>(みつ)の策になる。  集落にいる人々の顔を思い浮かべたとき、将として一軍を率いた経験のあるものは非常 に僅少であった。その中で光がその経験を持っていることを知った蜻蛉は、光の力を計る つもりもあり、その策を述べさせてみた。 「敵の攻撃を正面から受け、持ちこたえることのできる唯一の軍事力は巨鉄兵です。この 巨鉄兵で敵を食い止め、かつ戦況を有利にしなければ勝ち目はないでしょう」  光の策を汲み、最終的に蜻蛉、安倍、光の間で決まった策は以下の通りである。  安倍が敵の進軍を束の間止める。その場所で敵から見える位置に巨鉄兵を配備する。安 倍は巨鉄兵の方角へと撤退し、鈍砂山の本営が巨鉄兵のもとにあると敵に思わせ誘導する。  巨鉄兵の配備場所はタタラの民の集落の西の崖の下である。ここに敵を誘い込めば、敵 の軍事力、飛び道具の威力を半減できるであろう。そして、谷に入った月の都人を四方よ り要撃する。もちろん罠も仕掛ける。  むろん、この策には敵との戦闘地点を非戦闘員のいる場所から逸らすという目的もある。 今回の戦で最も避けたいのはタタラの民の集落を奪われることだ。鈍砂山には、ここ以外 に兵站基地となりう場所はない。  ただ、寡少の兵力で圧倒的軍事力を持っている敵軍を破らなければならない。そうであ る以上この策は奇策にしか成り得ない。  むろん、戦争では軍事力が圧倒的に多い者が勝つことは三名とも知っている。いざ、前 線が瓦解したときには、各々身一つで森を伝い逃げ出す覚悟がいるだろう。そのとき、巨 鉄兵だけは死守せねばならない。  実際の兵員の配置は光の指示のもと決められた。大方は光の案の通り配備は決められた が、ただ一点、明光院が残していった僧たちは、蜻蛉の指示により巨鉄兵と同じ前線に配 備された。 ────────────────────────────────────────  鈍砂山での防衛戦の準備が始まる。  真鉄と山嵐は谷底で巨鉄兵に竜王砲を装備させており、その他の者はそれぞれの部署に 割り当てられている。  鈍砂山の森の中、安倍孔明は敵の進軍予想経路を徒歩で調べている。  この経路の途中、巨鉄兵のいる谷への見晴らしが良い場所を襲撃点に選ばなければなら ない。ここで月の都人を足止めすることにより、谷へ向けて進軍方向を曲げさせる必要が ある。またそのために、他の経路を全て罠や隠蔽工作で塞がなければならない。その役は、 真鉄党の中でも忍者出身の者たちがおこなっている。  安倍は数匹の式神を放つ。山には、至る所に雪組の放った式神たちがいる。月の都人と 戦う前に、雪組と接触して激発してしまっては、準備どころではなくなってしまう。安倍 は慎重に式神たちの包囲網をかいくぐり進んでいく。  ほどなく適地が見つかる。城下町からタタラの民の集落に至る途中、集落を見下ろすこ とができる丘がある。その丘から、半里ほど下った山道の途中に幾ばくか開けた土地があ る。ちょうど木々が丈低く、谷の入り口を見とおすことができる。  位置も良い。これより先に進まれてしまえば、タタラの民の集落が一望できる丘に辿り ついてしまう。 「丘の上を占拠しておく伏兵が必要だな。それも、最悪の場合ここを前線にすることがで きるだけの兵力が欲しい。敵が巨鉄兵の囮に乗らなかった場合、ここで敵を足止めし、巨 鉄兵からの投石を実施する必要があるだろう」  安倍は辺りを見廻す。 「何よりまず、ここで小競り合いを起こし、あの谷の奥に潜む巨鉄兵を発見させなければ ならない。擬装が必要だな」  安倍は懐紙を取り出し、この場の地形と必要な手配を筆で書きつける。蜻蛉に向かって、 懐紙を持たせた式神を放つ。必要な人員は蜻蛉が手配してくれるだろう。  安倍は近くの窪地を探し自分の姿を隠す。敵が来れば式神が知らせてくれる。それまで 少し仮眠を取ることにしよう。鈍砂山軍の多くは、一睡もせずに敵の襲撃に備え活動を続 けている。休めるときに休んでおかなければ体が持たない。 ────────────────────────────────────────  <蒼竹>(あおだけ)と<白梅>(しらうめ)は敵の進路を絞るための罠を仕掛けてい る。  敵の軍事力は大きい。その力の多くは飛び道具に因っている。  今回の作戦の主眼は、月の都人を狭隘の場所に誘い込み、飛び道具を封じることである。  城下町での戦闘は最悪の状態であったと言えるだろう。月の都人は、飛び道具を広く放 てる布陣でもって、雨のように激しい矢を降らせた。この状態になれば、いかに策を弄そ うとも勝つことはできないだろう。ただ矢を満身に受けて死ぬのみである。  敵の前線を長大にして討つという手はどうであろうか。この案も検討された。しかし、 この手で月の都人を倒すことは難しいだろう。蜻蛉の元に、既に月組惨敗の報がもたらさ れている。敵は徒歩でもって進軍してくるわけではない。戦闘地点になったところで怪異 より兵を出し展開してくる。敵と接触できるのは兵を展開した後。もしくは行軍時の怪異 を直接叩くしか手はない。  結局は光の案を汲むこととなった。狭隘に誘い込み、巨鉄兵でもって敵を膠着させる案 である。  蒼竹は鈍砂山の絵図を示しながら、罠を仕掛ける位置を白梅に教えている。作るのは罠 だけではない。どちらかと言うと山路の擬装が主である。先ほども述べたが、敵は徒歩で 来るとは限らない。罠は作らないよりはましと言った程度であろう。それよりも、他の道 への入り口を巧妙に塞ぎ、敵を誘導することにこの作戦の成否がある。 「よし、あとは二手に分かれて作業をしよう」 「はい兄上様」  蒼竹と白梅は散る。  真鉄党の抜け忍たちは黙々と作業を続けている。  半刻ほど経ち作業が終わりかけようとする頃、森の中から叫び声が上がる。  森に潜んでいる雪組の式神たちが襲い掛かってきたのである。雪組の忍者たちも集まっ てくる。真鉄党のこの一隊には抜け忍が多い。雪組忍者たちは先を争い白刃を振るう。  白梅は短刀を振るい追撃を必死で逃れ、一路、巨鉄兵のいる谷へ向かう。  乱戦の音が遠ざかる。  白梅は足を止め背後を降りかえる。蒼竹の姿がない。あの乱戦に巻き込まれたのだろう か。再び森が静寂に戻る。この後に及び、雪組との連絡が取れていないことは致命的だと 言える。 「こんなときに、同じ里の者同士が争ってどうするの」  白梅はいつの間にか泣いている。静寂が蒼竹たち抜け忍の死を雄弁に物語っている。  やはり忍者は死の世界に生きている。例え抜けてもそこから逃げ出すことはできないの か。白梅は涙を拭き、その場から逃げるように谷へと向かう。 ────────────────────────────────────────  谷底にて、巨大な鉄の兵が二本の筒を持ち上げている。その二本の筒は、管でもってつ ながっている。竜王砲である。  真鉄と山嵐は巨鉄兵の操縦席にいる。真鉄の指示のもと、山嵐は巨鉄兵に竜王砲を装備 させていく。まず右の小手に筒を装着し、管を背に回す。次に左の小手に筒を装着する。 ちょうど管を背に、二本の筒が両腕から伸びている姿になる。 「真鉄殿。これでよろしいのですか」 「後は、この索気盤を稼動させれば終わりだ」  真鉄が、山嵐の腰の辺り、ちょうど覗き穴の下あたりから表示盤を取り出す。表示盤の 裏についているつまみをいじると策気盤に淡い光が灯る。 「真鉄殿。索気盤とは、何を見るものなんですか」 「竜王砲の弾を表示するためのものだ。竜王砲を稼動させれば、ここに竜王砲の弾の状態 が見えるようになる」  真鉄は黙々と作業を続ける。 「竜王砲の稼動はいつおこなうのです」 「敵を十分に引きつけてからだ。竜王砲を稼動させると非常に目立つ。今ここで稼動させ るわけにはいかない。すべてぶっつけ本番だ」真鉄は手を休める。「山嵐、戦いまで今し ばらくあるようだ。少し休んでいろ。わしも少し寝る」  真鉄は操縦席の中で大あくびをして、そのまま寝息を立て始める。山嵐も眼下にいる仲 間たちに少し休むことを伝え、軽い仮眠を取ることにする。二人は連日の疲れのため、す ぐに眠りに落ちる。 ────────────────────────────────────────  真鉄はまだ眠っている。  山嵐は、巨鉄兵の頭部にある操縦席の覆いをのけ、谷に流れる風を受けている。谷に隠 れるように巨鉄兵を置いているので、城下町の様子は見えない。雷神の道場を離れて数日。 既に数年経ったかのような気がする。もう、あの頃の町はない。全てが夢幻のような気が する。 「山嵐さん」  気がつくと、巨鉄兵の肩の上に白梅が登って来ている。風で髪がなびいているせいで表 情は見えない。だがどことなく暗く、落ち込んでいるように見える。何かあったのであろ うか。 「白梅どうした」  山嵐の問いに白梅はかぶりを振る。 「万字賀谷を出て数日。既に数年経ったかのような気がするのに、現実は何も変わらない。 全てが過去のまま」  白梅の声が風の音の中、か細く山嵐の耳に届く。世界は変わったのだろうか、変わって いないのだろうか。変わったのは心なのだろうか、それとも現実なのだろうか。  少なくとも、白梅の世界は変わっていな。いまだ雪組忍者という過去のままである。白 梅は過去と同じ世界に生きている。  山嵐が白梅に声をかけようとする。 「山嵐さん。何か手伝えることはないですか」  白梅が山嵐に振り向く。その目には、うっすらと涙が浮んでいる。この戦いが終わり、 再び猪槌の里が平穏になればどうなるのであろうか。今は全て消え、再び雪組忍者の抜け 忍という現実が待っているのかも知れない。白梅は蒼竹の死を思う。 「山嵐さん。今手伝えることをしたいんです」  白梅は涙を目に浮かべたまま、山嵐に向かって微笑する。 ────────────────────────────────────────  まだ真鉄は目を覚ましていない。次の仕事まで少し間がある。  山嵐は、白梅の手を借りて渡りの実験を試みることにする。竜王砲が渡りの仕組みを使 った兵器であるというならば、渡りそのものについてもっと知識がいるであろう。山嵐は、 少しでも真鉄との知識の差を埋めたいと考えている。真鉄の知る世界を少しでも自分で理 解したい。しかし、その差は非常に大きい。  渡りをもって弾を飛ばす。それが竜王砲という兵器だという。  山嵐は渡りをおこなえる。  この渡りで弾が飛ばせるだろうか。もし自分でも飛ばせるのなら、真鉄の兵器の仕組み の一端を理解できるかもしれない。山嵐は手拭を取りだす。 「白梅。今からこの手拭を飛ばそうと思う。受け取ってくれ」  山嵐は、巨鉄兵の肩口にいる白梅に向かい、自分の持っている手拭いを飛ばそうとする。 無論、渡りという銀の光でもってである。しかし、手拭は山嵐の手を離れず、銀の光は空 しく山嵐の周りで輝くだけである。 「山嵐さん。手拭を飛ばすんじゃなかったの」  白梅が怪訝な顔をする。 「手拭は飛ばせんよ」  いつの間にか目を覚ました真鉄があくびをしながら起き上がる。 「手拭は生き物じゃないから渡りはできん」  真鉄は天蓋を開けた操縦席の上で体を伸ばす。狭い操縦席で寝ていたせいで、体の節々 が痛い。 「生き物でないと渡りはできないのですか」  山嵐が銀の光を解く。 「そうだ。そもそも渡りといのは、竜脈の気の流れに乗り、その気の奔流を使い高速で移 動する術だ。気の流れに乗るには、気の流れに触れるべき何物かが必要だ。端的に言えば、 それは気の流れを体の中に持ったものということになる。  気の流れを持ったものとは、すなわち体に血脈の流れる生き物ということだ。生き物は この大地と同じでその体内に気脈の流れを持っている。生物がその体内の気を銀の光とい う形で物質化させたとき、気の奔流を浴び、凧のように空に舞いあがることができるとい うわけだ。  つまり、大地と同質で生きているものでなければならないということだ。手拭は飛ばん よ」 「では、竜王砲の弾とは」 「人間そのものだ」  山嵐は谷の西側の崖を見渡す。 「山嵐、巨鉄兵を動かせ。あそこに爆薬をしかける。敵を誘い込んだ後、落石を起こし、 一気に敵を押しつぶす」  山嵐は巨鉄兵の兜状の天蓋を閉め、再び作業に取り掛かる。白梅は巨鉄兵が動き出す前 に、その足元まで下り急いで離れる。谷に巨鉄兵の足音が響く。 ────────────────────────────────────────  猪槌の里の中心に立っている銀の尖塔の前では、猪槌城が激しい砂嵐に包まれ浮遊して いる。ちょうど銀の尖塔から鈍砂山を見やると、砂嵐が山の峰を覆い隠しているように見 える。  東では木の壁、西では鉄鉱石の壁、南では炎の壁、中心では砂の柱。 「まるで、我らが馬首を北に向けるかのように、他の土地が閉ざされている」  ≪火野熊≫(ひのくま)が、鈍砂山攻略の準備の手を休める。唯一、北だけが何の変化 も見せていない。北で何かが起こる。そんな予感が火野熊の心にはある。  周りでは、火野熊の部下たちが鉄馬に松明を積み込んでいる。火野熊の命によるものだ。 鉄馬の馬首をめぐらせ、<ななえ>(ななえ)が火野熊のもとに来る 「今度の戦のことで話がございます」  ななえの顔には生気がない。月河の戦いで血の匂いをかぎ過ぎたのか。  だが、体調が悪いせいで正気に戻った気もする。  火野熊は、鉄馬のあぶみに足をかけ騎乗する。 「大丈夫か、ななえ。顔色がよくないぞ」  ななえは顔を鈍砂山に向ける。 「鈍砂山は月河と違い見晴らしの利かない地形です。敵はその陣容もようと知れなければ、 風変わりな兵器も用意しています。前の戦いより難しいものになるでしょう。何か作戦は おありでしょうか」 「鈍砂山を土に帰す」 「火でございますか」  このたびの戦の目的は皆殺しである。通常の戦であれば、敵の主力を打ち砕き、降伏さ せれば事は足りる。しかし今回は違う。敵を一兵残らず殺すことが目的である。 「火でもって鈍砂山を取り囲む。火付けの別働部隊は機動力を生かして鈍砂山に火をつけ る。月の都人を中心とした主力部隊は、俺を含め数人が道案内をして、共にタタラの民の 集落を攻める」 「なぜタタラの民の集落に」 「敵で最も恐ろしいのは巨鉄兵だ。巨鉄兵はタタラの民の真鉄の作ったものだ。タタラの 民の集落を突けば必ず姿を表す。そうして引きずり出した巨鉄兵を月の都人の武力で倒す。 それ以外の敵は火でもって焼き殺せば事足りるだろう」  そのために部下たちに松明を積み込ませている。幾人か放った間者たちの報告によれば、 鈍砂山一帯に雪組の忍者たちが潜んでいるという。そんな場所で、まともに戦えばこちら が不利になる。戦はまず、自分にとって圧倒的有利な環境を作るところからはじまる。 「では、私はその別働隊に」 「いや、俺と共に主力部隊にいろ。目の届く範囲にいるんだ」 「前にも申しましたが、この命は火野熊さまに拾って頂いたものです。火野熊さまのもの ですから如何様にでもなさってください」 「私のものなら、大事に使ってもらわなければ困る」 「申し訳ありません」  ななえの顔に微かに生気が差す。  そろそろ出発する。準備をしろと火野熊が言う。 「戦をすると思い出す。猪槌の里に来る前。盗賊を始める前のことをな」 「聞かせていただけないでしょうか」  ななえが鉄馬を繰り、火野熊と並ぶ。 「下らぬ話だ。あの日蝕さえなければ、今ここにはいなかったであろう。俺はあの日蝕か ら人生が変わったのだ」  火野熊は鉄馬を歩かせ始める。準備を終えた火野熊の部下たちがその後に従う。頭上で は、淡い光の群れが進軍を始める。 ────────────────────────────────────────  銀の尖塔の頂で、≪千幻≫(せんげん)は進軍の様子を見ている。脇には青い光を発し ている水晶の髑髏がある。複雑な回路が刻まれた髑髏の光が千幻の顔を青く染め上げてい る。  銀の尖塔からは、一条の光が天に向かい伸びている。その光の先には月がある。  千幻は空を見上げる。月が大きく空にある。 「月への通信は届いたようだな。月での作戦も始まったようだ」  新月に近い月は、その闇の面を猪槌の里に向けている。  月の都の軍勢は、粛然と鈍砂山に歩を進める。 「第一の策、月は動き始めた。第二の策、仙骨も動き始める」  水晶髑髏の青い光が一際輝く。猪槌の里の東では異変が始まっていた。 ────────────────────────────────────────  月河の向こう、爪牙の森を抜けた葦の原を駆ける男がいる。男の両頬には刀傷がある。 <錐鮫>(きりさめ)である。錐鮫は月組の集落を離れ、≪爪牙≫(そうが)の森に向か っている。  月組の主立つ者たちが不在になった集落で、錐鮫は文献を当たっていた。しかし、この 状況を打開するための情報は得られなかった。重要な情報は文献ではなく、口伝で伝えら れている。失念していたわけではない。可能性を追っていたのだ。だが時間を費やし過ぎ た。急がねばならない。  そろそろ鯨州丸や鱗が決起している頃だろう。急ぎ城下町に行き、合流しなければなら ない。錐鮫の足が自然早くなる。しかし、この時点で既に両名が曹沙亜の手によって始末 されていることを錐鮫は知らない。  錐鮫は森に入る。木々の枝が複雑に融合し、あたかも森全体が一つの大樹であるかの様 相を呈している。  森が微かに震えている。  何かおかしい。錐鮫は、周囲から受ける気配を感じ立ち止まる。森の中央から、青い光 が漏れ出ている。青い光ということは爪牙か。錐鮫は周囲の気配に気を配りながら、青い 光に向かい歩き出す。  森が揺れ動いている。木々の幹が蛇のようにうねり、根が錨を上げるように地から解き 放たれていく。木々の幅は狭まり、鞭のように錐鮫を襲う。  錐鮫が鈍い叫びを上げる。  枝が万力のように錐鮫を締め上げる。木々はうねりを増し、森はその姿を変えていく。 錐鮫は短刀を抜き、必死で枝を斬り付ける。骨が軋みをあげ息ができない。  東の空を広く覆っていた森は、次第に密度を増し一つの形をとり始める。  枝が切れた。錐鮫は枝の間を駆け、森から抜け出ようとする。森の外が見えてくる。森 の縁で錐鮫は立ち止まる。足元に月組の集落が見える。落ちれば即死するほどの高さであ る。  木の幹が激しく動き、錐鮫の体が宙に投げ出される。  悲鳴と共に錐鮫は落下する。森は形を変え、幹の間に隙間が無いほどに密度を増してい く。落ちていく途中、錐鮫は空を見た。森の先、雲の辺りに青い光が見える。爪牙の青い 目の光であろうか。  斬鮫の体が地面に激突する。墜落。  銀の尖塔の頂で千幻は東の森を見ている。雲間に姿を成している森は、巨大な人型に姿 を変えていく。その頭部に、微かに光る青い光が見えている。  雲をも越える巨大な森の兵の姿を見て、千幻は満足げに頷く。 「≪千重≫(せんじゅう)よ。千念の青い目は我ら月の都人のために使う。千念の青い目 を盗み、地上に下り、自分の徒としてきた日々はもう終わりだ。千念の神通力は、千重、 お前を滅ぼすために使う。我が爪牙として青い目はお前の命を刈るのだ」  千幻が持つ水晶の髑髏が輝く。その輝きに呼応するかのように、巨森兵の頭部に、青い 光が瞬いている。 ────────────────────────────────────────  鈍砂山の森の中を≪豪雪≫(ごうせつ)は駆ける。両手には腹を膨らました≪二重≫ (ふたえ)がおり、時折苦しそうに声を上げている。  豪雪は一直線に谷に向かう。谷はタタラの民の集落の西にある。ちょうど真鉄たちが巨 鉄兵を隠している場所である。  谷の入り口に来る。谷の奥には巨鉄兵の姿が見える。そこでは真鉄の配下の者たちが戦 いの準備を進めている。  豪雪は、そのまま谷の奥を目指し走りつづける。何人かが風を感じたような気がして振 り向くが、そのときには既に豪雪の姿は過ぎ去っている。  豪雪はそのまま巨鉄兵の脇を通り過ぎ、谷の奥へと向かう。  豪雪は頭の中で情報を整理する。情報は少なくない。  この女が、千重の声を通じて語ったこと。かつて豪雪が≪深雪≫(みゆき)より聞き知 ったこと。豪雪が千重自身の口から聞いたこと。  そして陣営を出る少し前に入った種々の情報。  情報は立て続けにもたらされた。豪雪は谷を駆けながら今一度その情報を思い出す。 ────────────────────────────────────────  一つ目の情報は雪組の忍者、<五伏>(いぶせ)からもたらせれた。  明光院との接触を報告した後、五伏は再びタタラの民の集落に潜入した。その二度目の 潜入で五伏が接触したのは蜻蛉である。既に明光院は南に発ち、真鉄は谷で竜王砲の準備 を進めており、集落で会える実力者が蜻蛉しかいなかったからである。  蜻蛉は五伏に幾つかの情報を教えた。  敵が月の都人であること。蜻蛉たちは、敵を巨鉄兵を囮にして谷に誘い込むこと。  そして蜻蛉は五伏に「雪組は敵が他の経路に逸れないように援護して欲しい」と依頼した。 「五伏さん。我々としては雪組と手を組みたい。手を組むと言っても、綿密な打ち合わせ が必要な作戦は、この急場には相応しくないでしょう。そこで、一つだけお願いがありま す。月の都人に対し本格的な攻撃を仕掛けるのは、敵が谷に完全に入ってからにしていた だきたい。ちょうど巨鉄兵と雪組で、月の都人を閉じ込めてしまいたいと思います」  蜻蛉の言葉使いは慇懃である。五伏は、小人数での襲撃および持久戦になることを想定 していた。 「閉じ込めてどうなさる」  五伏は蜻蛉に、圧倒的軍事力の差を埋められるのかと問う。 「谷を爆破して落石を起こします」  一網打尽にする。だから、この策に協力して欲しい。蜻蛉は静かに言う。  蜻蛉の言葉に五伏は異存はない。この話し合いの経緯は五伏の口より豪雪に伝えられた。 豪雪の得た最初の情報である。 ────────────────────────────────────────  二つ目の情報は豪雪にとってはいささか不利を感じさせるものであった。<紗織>(さ おり)が怪異を一つだけ得たところで戻ってきたことである。  万字賀谷の金の神通力だけでは足りないかも知れない。豪雪の心に不安がよぎる。何よ りも、紗織が何かに臆しているのが気にかかる。  紗織は豪雪に対して万字賀谷で見聞きしたことを全て話す。<玖須>(くず)も同じく 手話でもって豪雪に報告をする。 「なぜ、清水も行かなかった」  豪雪の声は低い。不機嫌の原因は、清水に行かなかったことにあるわけではない。紗織 の変化にある。紗織は落ち着かない目で豪雪の顔色を伺っている。これは、戦のできる人 間の目ではない。豪雪の顔に落胆の色が浮かぶ。 「豪雪様。紗織は恐ろしゅうございます」  紗織の口から漏れてきた言葉は、およそ忍びの者には似つかわしくない台詞であった。 「深雪様のように絶望して狂うのではないか。豪雪様に疎まれるのではないか。それが、 恐ろしゅうございます」  豪雪の表情は暗く、紗織の変化に失望しているのがありありと分かる。 「紗織には信頼する兄者がおります。兄者も私も豪雪様を裏切る事はありませぬ。疎まれ ても、憎まれても、裏切りませぬ。死ねと言われれば死にましょう。でも、それは、恐ろ しゅうございます。悲しゅうございます」  紗織がその場に泣き崩れる。  豪雪が玖須に向かい口を開く 「士気が下がる。玖須、紗織を連れてこの本陣を去れ。鈍砂山を守るのだ。お前たちの死 に場所は、この戦だと心得よ」豪雪の態度は冷たい。紗織は泣きながら本陣を出ていく。 「玖須。早く去り、守りに行け」  豪雪の唇を見て玖須が頷く。玖須の耳には言葉は聞こえないが、豪雪の唇を読みその言 葉の内容はわかる。玖須は外に出る。  紗織は森の中で泣いている。豪雪に不要の者として捨てられた事に絶望しているのだ。  しかし、玖須だけは豪雪の心遣いに気づいている。本陣で、豪雪の唇を読んでいる者は 玖須だけである。その玖須だけに分かるように、豪雪は真意を伝えてある。  耳が聞こえる者には「去り」と聞こえた言葉は、唇を呼んでいる玖須には「紗織」と聞 こえていた。  唇だけ動かし、「お」の音を発音していないのだ。「早く紗織を守りに行け」と唇は語 っていた。  怪異のために変じてしまった紗織を哀れんでの言葉であろうか。  玖須は紗織を立ちあがらせ、山の麓に向かう。  神通力をもって、敵への備えの一助とするという豪雪の目論みは外れた。怪異は、人の 心を容易く曲げてしまう。紗織の心もそうなのか。豪雪の胸に、兄深雪の姿が浮かんだ。 ────────────────────────────────────────  三つ目の情報は、<風幻>(ふうげん)が<東雲>(しののめ)たちを連れて来る直前 にもたらされた。それは、雪組の検問に引っかかった一人の男が漏らした情報である。  既にこの時期になると、雪組の諜報の結果、敵の白子の軍勢の中に十六夜の者たちが多 くいることが確認されている。  その者たちが手引きをして、この鈍砂山を襲うことは多いに予想できる。現に既に数人 の十六夜の間者が、雪組の手で囚われている。その都度、豪雪のもとにも報告が入ってい る。  新たな報告が豪雪に入る。  それは、一人の元十六夜隊員を捕らえたという報告であった。正確には包囲したと言っ た方が正しい。雪組の下忍が取り囲んだは良いが、腕ずくで捕らえるまでには至らなかっ たのである。  その元十六夜の隊員、<烈風の植刃>(れっぷうのうえば)は、タタラの民の集落行き を半ば強制的に足止めされされていた。  結局は幾人かの上忍が植刃の言葉を聞き、豪雪に取り次ぐことになる。  豪雪は仮の本陣で上忍の報告を聞く。以下、上忍が取り次いだ植刃の言葉をまとめる。 「くそ。隠れていないで出てきやがれ。こっちは急いでいるんだ」  植刃は鈍砂山の斜面を駆け、忍者たちの囲みを抜けようとする。しかし、森の中に姿を 隠した忍者たちが、その行く手を遮るように妨害し続ける。  腕は植刃の方が勝る。しかし、忍者たちは、手裏剣やくない、縄でもって、巧みに植刃 の行く手を阻む。忍者たちは姿をあらわさない。そのため、植刃は反撃の糸口をつかめな いまま無為に時間を過ごしている。 「俺は植刃と言う者だ。鈍砂山の真鉄殿に急いで知らせたいことがある」  何度この言葉をかけているであろうか。鍬形と別れ、寸暇を惜しみ駆けてきた時間が悪 戯と費やされる。植刃の顔に焦りの色が浮ぶ。 「何用だ」  ようやく声が返ってきた。豪雪の使いの上忍が様子を伺いに来たのだ。ようやく、話の 分かる奴が出てきた。植刃は安堵する。 「町を占拠した連中のことで重要な情報がある。それを早く知らせたい。あんたらが雪か 月か知らんが、俺たちがここで争っても何の意味も無い。黙ってここを通らせてくれ」 「ここで話せ。その内容如何による」  これ以上無為の時間を過ごすべきではない。植刃は口を開く。 「町は月の都人とやらに占拠された。猪槌城警護隊十六夜の大親分火野熊はそいつらの側 についた。奴らの目的は俺たちの抹殺だ」 「抹殺?」  姿を見せぬ上忍が問う。 「そうだ。本当は、千重様の婚儀に参加し、それを見た者全員を殺したいだけのようだが な。連中は細かい芸当が苦手でね。猪槌の里の住人を全て抹殺する勢いだぜ」 「なるほど。それを伝えに行くというわけか」 「そうそう、連中とはまともにやったら勝てっこねえ。空は飛ぶし、一人が矢を射れば何 百本にも増えやがる。  全員そろって、怪異の中から出てきやがったしなあ。戦うなら、なんか準備をしておい たほうがいいぞ」  しばし待て。そう言い残すと上忍はその場を立ち去る。仮の本陣で豪雪はその報を受け る。 「通してやれ」  豪雪の言葉を受け、潮が引くように雪組の忍者たちは引いて行く。植刃の周りから気配 が消える。 「なんだ、いなくなったのか」  植刃は、確かめるために石を投げてみたりして周りを確認する。どうやら大丈夫なよう だ。植刃は再び走り始める。 ────────────────────────────────────────  豪雪の心の中で以上の三つの情報が思い出される。そして、千重の声を発するこの妊婦 の登場。  豪雪は谷の底を一陣の風のように通り過ぎる。  次第に前方から滝の音が聞こえてくる。谷の基点部の滝が見えてくる。豪雪は歩をゆる め、滝の裏に回る。果たして洞窟が見つかる。  豪雪は二重を背中に背負いなおし、龕灯に火を点ける。洞窟の中を豪雪は進む。  龕灯の明かりが岩壁にゆらめき、二重の粗い息遣いが豪雪の耳にかかる。滝の音は次第 に遠ざかっていく。  前方に淡い光が見え始める。怪異の光である。視界が開け、広間のような場所に出る。 先刻まで竜王砲が隠されていた広間である。その広間の奥に鉢があり、その鉢の中で淡い 光が揺らめいている。 「ここか」  その部屋の雰囲気は、雪組地下屋敷の深奥の洞窟に似ている。淡い光が豪雪の面を照ら す。忌まわしい怪異の光だ。  豪雪はゆっくりと二重の体を地に下ろす。名も知らぬ女だが不幸なことだ。千重の呪に よりその体を使われるとは。 「良いのだ。元々その目的のために作った体だからな」  再び千重の声が聞こえる。二重は空ろな目で置きあがり怪異に向かい歩き出す。豪雪が 見守る中、二重は怪異に手をかざす。  怪異の光が膨らみ広間の中に満ちる。豪雪は数歩退き通路まで下がる。その豪雪の横を 無数の光の帯が通過する。光は洞窟の外に抜け、滝壷に吸い込まれる。豪雪は光の中、微 かな産声を聞いた。 ────────────────────────────────────────  植刃は森を抜ける。その背後で、忍者たちに取り囲まれ捕縛された者の声が響く。 「ちっ、今はかまっている暇はない」  植刃はその声を無視し、先に進む。  ここに来るまで、何人か捕縛される城下町の住人たちを見ている。ここが軍事上の作戦 地域である以上、人が自由に通れる訳がない。 「俺が通れたのは、伝令の役を果たしているせいか」  森を駆けあがりタタラの民の集落に入る。忍者たちとの追跡劇があったために、道を大 きくそれて森の中を突っ切る形になってしまった。思ったより時間を食っている。  集落には幾人かの警備兵が立っている。警備兵の誰何を振りきり、蜻蛉の姿を探す。 「蜻蛉殿、蜻蛉殿はいらっしゃらぬか」  植刃の声が集落中に響く。程なく、真鉄の家から蜻蛉が姿を見せる。 「おおっ、蜻蛉殿。植刃です。鍬形殿に会い、ここだと聞き、駆けつけてきました。敵に 関する重要な情報を持って来ました」  蜻蛉は植刃を囲んでいる手勢を下げ、真鉄の家に招じ入れる。 「まずはお茶でも一杯」 「かたじけない」  蜻蛉の差し出した湯のみのお茶を植刃は一気に飲み干す。山を一気に駆け上がって来た ため、喉が焼けるように熱かった。茶が喉を潤す。 「敵のことです。敵は月の都人です。奴等は城下町を占拠しています。それに、奴等に十 六夜の大親分、火野熊が加勢しています。奴等の目的は、猪槌の里の住人を全て抹殺する ことです」 「抹殺」  蜻蛉の顔が緊張を帯びる。 「そうです。本当は、千重様の婚儀に参加し、それを見た者を全員抹殺したいだけのよう ですが、連中は非常に大雑把でしてね。猪槌の里の住人を、全て抹殺するつもりです」 「恐らく、最終的には猪槌の里の住人を全て殺すつもりでしょう」  蜻蛉が頷く。 「最終的にって、婚礼の儀の参加者だけでなくってことですか」 「ええ、彼等は自分たちのことを秘するためには、何のためらいもなく人を殺せる者たち です。そして、この猪槌の里の住人は、大なり小なり彼等の姿、力を知ってしまっていま す。そんな者たちに彼等が与えるものは、死以外にはありえません」 「ってことは」 「この鈍砂山を攻めてくるときも、全滅させる覚悟で攻めてくるでしょう」  「それともう一つ」植刃は蜻蛉の顔を食い入るように見る。「俺をこの戦いに参加させ てくれ。町の人々を殺した奴等を許しちゃおけねえ」 「ぜひ、我々と共に戦いましょう」  蜻蛉はそう言うと、ふくよかな手を差し伸べ植刃の手を取った。 ────────────────────────────────────────  雪組の検問にかかった者たちは、一様に鈍砂山の山中にある坑道の中に押し込められて いる。その中に<観影>(みかげ)もいる。真鉄に会おうとして鈍砂山に登って来たが、 その途中で雪組忍者に捕らえられ、ここに連れてこられた。  元より戦のことを何も知らぬ観影は、この検問の存在を想像することなどできなかった。  手足は縛られている。背負っていた版木等も押収されている。口には猿ぐつわをはめら れ、坑道には監視がいる。式神使いの脱出を妨げるために、式神の見張りもいる。  坑道は暗い。暗い坑道の中に、篝火の明かりだけが揺らめいている。  捕らえられた者たちは、次々と雪組忍者に尋問を受け、斬首にされている。少しでも月 の都人側の間者らしいと思われる者はその場で殺される。  この暗闇の中にいる間も、外では目まぐるしく情勢が変わっている。それを思うと観影 はいてもたってもいられない。尋問の番が刻々と迫る。 ────────────────────────────────────────  事件が起こる。  鈍砂山の裾野を見張っていた雪組の忍者が突如襲われる。忍者に取り付いた大男は、そ の長い手でもって忍者の顔を押さえつける。忍者の皮膚がみるみる乾き、木乃伊のように 干からびる。  忍者は、音も立てず絶命する。 「よし、油をこの辺り一帯に撒け」  火野熊の部下の一人、水の神通力を操る<土亘>(どせん)が部下たちに命じる。土亘 は、先の月組戦での功により、別働隊の統率役を任じられている。何よりこの任には、土 亘の能力が不可欠である。  土亘は油の撒かれた木々に向け手を差し出す。木々の間に霧が発生し、土亘の掌の中に 吸い込まれていく。木々は枯れ、からからに乾燥する。 「火をつけな。盛大に燃え上がるぜ」  土亘は鉄馬の手綱を繰り、先に進む。油の中に松明の火が投ぜられる。火はすぐに広が り木々を赤く染め上げる。 「この調子で鈍砂山全体を火の海に変えてやる」  土亘は笑い声をあげながら、次の発火点に向けて鉄馬を走らせる。 ────────────────────────────────────────  時をほぼ同じくして、月の都人の本体も進発した。先頭は火野熊の一隊。その後ろに複 数の光の球体が続く。 「火の混乱に乗じて、一気に敵の主力を叩く」  進発前に火野熊が全軍に言い渡す。敵は所詮寄り合いの軍団である。その象徴となるも のが無くなれば、自ずと瓦解する。  それに、その象徴となる巨鉄兵には潜在的弱点がある。乗り手が無ければ動かないこと である。もちろん火野熊は、乗り手の位置がどこであるかも知っている。  火野熊の今回の苦心の点は、敵に対する情報が圧倒的に少ないことである。こと情報に 関しては鈍砂山の軍勢の方が勝っている。火野熊の出した間者はことごとく、雪組の警戒 網に捉えられ帰って来てないからだ。  そのために火野熊は、乏しい情報の中で目標地点を決めなければならなかった。  最終的にタタラの民の集落に巨鉄兵があるだろうと判断したのは、単に巨鉄兵の整備が そこでしかできないだろうという推測に基づいたものでしかない。  ともかく火野熊たちは進発した。 ────────────────────────────────────────  最初の戦闘は前述の通り、月の都人の別働隊と雪組警備陣との間で起こった。その報は 式神の通信網により、たちどころに雪組の全軍の知れるところとなる。雪組忍軍は活発に 動き出す。  雪組の頭領豪雪はこの時期不在である。だが、手筈は事前に整えられ上忍に徹底されて いる。そのため、さしたる混乱は起きなかった。雪組忍軍は各々の場所を警護しながら、 すぐに敵を迎撃する遊撃隊を送り出した。  土亘の隊が襲った場所には、急遽消火部隊が編成され送られる。だが、山火事の消火に 関わる知識もない一隊は、ただ呆然と現場で立ち尽くす。火は山の木々の上を這うかのよ うに徐々に広がり始める。  敵の動きを封じる遊撃隊には、紗織、玖須の他、手練れの者たちが配備されている。こ の部隊の指揮は五伏が取っている。 「燃やせ、燃やせ。燃やし尽くせ」  前方、森の中から土亘の声が響いてくる。 「敵だ。これ以上火を拡大させぬためにも討つぞ」  五伏が小声で隊の者に伝える。皆無言で頷く。雪組の忍者たちは森を駆け抜けながら次 々と銀の光となり敵に向かい飛んでいく。  突如森の中から複数の銀の光が現れ、土亘たちに襲いかかる。土亘は拳で銀の光を叩き 落とす。叩き落された忍者が、内臓を破裂させ死んでいる。  瞬く間に土亘の部下たちが殺される。残りは土亘を含み数人にまで減る。  銀の光となった忍者たちは森の木を蹴り、再び土亘たちに襲いかかる。 「俺の後ろに隠れろ」  土亘は残った兵士たちを自分の背後に下がらせる。土亘は気合を入れ、銀の光に向かい 両手を突き出す。銀の光が散じ、干乾びた忍者たちが木に激突して砕け散る。  雪組忍者たちは、渡りを解き、土亘たちを包囲にかかる。 「無駄だぜ。神通力を得た者と、神通力を得ていない者では、その力に天と地ほどの開き がある」  土亘が口を大きく開く。口の中の涎が糸を引く。 「紗織、お前の出番じゃ」  五伏が叫ぶ。紗織と玖須が前に出る。 「ふん、女か」  土亘が下卑た笑いを浮かべる。紗織は意識を集中させはじめる。世の中には、人の気づ かぬ無数の理がある。その理を見ぬき、操作できる者こそが神通力の使い手となる。  目の前にあるが見えぬもの。触れてはいるが触れられぬもの。万物の中に自らがいるこ とを感じ、世界の澱を汲み上げるのだ。  玖須が土亘を遮るように紗織の前に立つ。紗織の目は虚空を見つめている。 「その女、怪異に触れたな」  土亘が猛然と走り出す。玖須は忍び刀を抜き土亘の攻撃に備える。今ここを退くわけに は行かない。避ければ紗織が殺られる。  土亘の右腕が玖須に襲いかかる。玖須は左手でその腕を受け止める。  土亘の口許に笑みが浮ぶ。玖須の左腕から蒸気が上がり、皮膚が、肉が干乾びていく。  玖須は喉の奥から息を搾り出しながら右手の刀で自らの左腕を切り落とす。  玖須と土亘の距離が開く。その一瞬の間に玖須は土亘の胴を斬り付ける。手応えがおか しい。水を斬っているようだ。  土亘の傷口は波紋のように体中に広がり、すぐに水面が閉じるように塞がる。 「無駄だ。言ったはずだ。神通力を得た者と、神通力を得ていない者では、その力に天と 地ほどの開きがあるとな」  哄笑しながら、土亘は玖須の左腕を握りつぶす。水気を失った腕が、枯木のように砕け 散る。  土亘はその長い腕を伸ばし紗織に触れる。玖須は荒い息のまま斬りつける。しかし、土 亘の衣を裂くばかりで傷一つつけられない。  土亘の指が紗織の喉を掴む。紗織が宙吊りになり泡を吹く。  まずい。五伏が土亘に向かう。紗織は言霊使い。喉を封じられては成す術もない。駆け つける五伏より速く、玖須が土亘に斬り付ける。玖須の刀が、紗織を閉めつける土亘の腕 を断つ。 「無駄だ」  再び土亘の腕が水面のように閉じる。その水面の切れ目に玖須は自らの体を投じる。  土亘の腕が、玖須の体によって分断される。紗織の喉を締めていた腕が、水飛沫となっ て弾け飛ぶ。紗織の体が下生えの上に落ちる。 「貴様」  土亘の腕は、玖須の体に溶けこむ。  土亘は腕を玖須の体の中に押し込み、直接血を吸い取る。土亘の体が玖須の地で見る見 る紅く染まっていく。  玖須の体が蒼白になる。土亘は不浄のものを捨てるように、玖須の体を振り払う。  血が新しい力を与えてくれる。土亘は気合と共に新たに腕を生やす。今度の腕は、先ほ どより短い腕である。 「血が足らぬ」  土亘は再び紗織に向かう。 「禁」  咳をしながら紗織が呪言を唱える。金行の神通力を「きん」という言葉で言霊化する。 その言葉の鎖で土亘の体を縛る。土亘の足が硬直し、先に進めなくなる。 「ふんっ。同じ神通力使いなら、俺の方が一日の長がある。この程度の鎖では俺を縛るこ とはできぬわ」  土亘の体が霧に変じ、森の中に溶け込んでいく。土亘の気配が消える。  紗織はその場に膝を付く。まだ喉が焼けるほどに痛い。 「玖須、大丈夫か」  五伏が玖須に呼びかける。玖須は何かを喋ろうとして、そのまま息絶える。 「兄者、死ぬな」  紗織の声が空しく山に響く。紗織の神通力では、玖須の死を「禁ずる」ことはできなか った。 ────────────────────────────────────────  鈍砂山の麓で火は燃え盛り始めている。雪組の必死の消火も空しく、山火事は鈍砂山の 緑の衣の裾を、赤く染め上げている。  その山火事の混乱の中、月の都人の本隊は山を駆け上っている。本隊の周りだけは火は ない。進入路には火を点けぬように命じてある。  火野熊は鉄馬に鞭を入れる。このまま一気に巨鉄兵に寄り、敵の主力を叩く。  火野熊たちの頭上には、淡い光の球体が複数浮んでいる。当初この球体が頭上にあるこ とで不安を覚えていた兵士たちも、今では慣れきってしまっている。  山の中腹ではその様子を、真鉄が望遠鏡でもって観察している。敵は光の球体を擁して いるために、隠密行動は取れない。遠くからでもその姿を伺い知ることができる。 「うまくこの谷に誘い込めるでしょうか」  山嵐が真鉄に問う。 「何、駄目なときはここから攻撃するだけだ」  真鉄が遠眼鏡で南の清水の様子を見る。 「明光院の一行は、果たして竜脈を呼び込めるのでしょうか」  そのとき、はるか南の地平線で爆煙が上がる。南の炎の壁の辺りである。真鉄は遠眼鏡 を畳む。 「急ぎ、巨鉄兵まで戻ろう」  真鉄と山嵐は巨鉄兵の足元まで駆け、素早く操縦席に乗り込む。  鈍砂山からは無論見えるはずがないが、清水では、明光院の一党が猪槌の里に戻って来 ている。  明光院たちの手により、当初の目的通り、新たな竜脈が開放された。気力の大奔流が猪 槌の里に流れ込む。にわかに猪槌の里の竜脈に気力が溢れる。 「うまく行ったみたいだ」  山嵐の腰の辺りにある索気盤が突如明るく輝き出す。 「いよいよ、戦闘開始だ」  真鉄は忙しく巨鉄兵の装置をいじる。巨鉄兵が不気味な唸りを上げ始める。  月の都人の本隊は、鈍砂山軍の思惑通り、予定の経路を北上している。予定地点まで後 わずかである。安倍は敵の接近を察知し、無数の紙幣を地面に置く。紙幣は何れも人型に 切りぬかれ、兵の字が書かれている。短い呪文を唱える。すると、その幣の兵は幻の軍勢 となり迎撃の布陣を整える。  月の都人の本隊が予定交戦区に入る。  一斉に安倍の幻の軍勢が火野熊たちに襲いかかる。  火野熊たち一隊は抜刀し、馬上で兵を迎え討つ。幻の軍勢は猪突し、鉄馬の群れに斬り 込んでいく。すぐに乱戦になる。 「隊を乱すな。前衛でもって敵を防げ。他の者は前衛を支援しつつ、伏兵に警戒せよ」  火野熊の声が全軍に響く。瞬く間に安倍の兵士は斬り殺され紙幣に戻る。 「式神か。術者がいるはずだ警戒せよ」 「火野熊の親分、あちらの谷に巨鉄兵の姿が」  火野熊の部下の一人が声を上げる。火野熊も視線を移す。確かに巨鉄兵の黒金の体が、 鈍く陽光で照らされている。 「手筈通り行くぞ」  火野熊たちの駆る鉄馬の群れが森を抜け、谷の巨鉄兵に向かう。淡く光る球体は、動き を速め巨鉄兵の頭上に向かう。  巨鉄兵の中には山嵐と真鉄がいる。巨鉄兵の足元には堀と堡塁が築かれ、その内側から は明光院の残した僧兵たちが呪詛の言葉を吟じている。  巨鉄兵の背後にもう一段高い陣地が作られている。その陣地の土壁の内側には、鉄砲、 大砲を持った部隊が配備されており、巨鉄兵を含み小規模ながら要塞の体を成している。 「真鉄殿。敵はこちらに向かい鉄の馬で駆けて来ます。また、淡い光、月の都人の怪異が 巨鉄兵の頭上目掛けて迫ってきます」  山嵐は声を上げる。 「大丈夫だ。竜王砲を使いこの場は凌ぐ」 「しかし、千重の血族はいまだ」 「神の血族でなければ月を直接攻撃できるほどの破壊力がないだけだ。あの程度の小規模 な怪異なら、普通の弾で倒せる。その程度の破壊力はある」  真鉄は巨鉄兵の出力を全開にする。巨鉄兵の胸の風車の音が轟然と谷に響く。山嵐が巨 鉄兵の左手を地に向けて下げ、右手を怪異の球体の一つに向ける。  山嵐は腰の辺りにある索気盤を覗く。巨鉄兵の足元に十数個の銀の光が見える。 「吸引開始」  真鉄の声が巨鉄兵の操縦席に響く。山嵐が竜王砲始動の制御盤を強く押す。巨鉄兵の左 手に取りつけられた筒が銀色に輝く。  その瞬間、猪槌の里全体に竜のうねるような銀の帯状の光が走る。猪槌の里の野山が銀 の光で照らし上げられる。光は長い尾を引きながら渦を巻き、巨鉄兵の左手の筒に吸い込 まれていく。  猪槌の里に刹那、闇が訪れる。  巨鉄兵の足元で悲鳴が上がる。数人の僧兵が、竜王砲の吸引口に吸い込まれる。吸い込 まれた僧兵たちは、いずれも渡りのできる者たちである。  竜王砲では、渡りのできる弾丸に適した人間を索気盤で見分け、左手に取りつけた吸引 口からその人間を吸い込む。吸い込んだ人間は背中に回した管を通し右手の筒に運び、右 手の筒から竜脈の気を詰め込んだ砲弾として発射する。 「吸引成功」  山嵐が大声で真鉄に告げる。真鉄は満足そうに頷く。 「竜王砲発射」 「竜王砲発射」  山嵐が真鉄の言葉を繰り返す。山嵐は、発射と書かれた制御盤を押す。巨鉄兵の右手が 銀の光で覆われる。辺りの空気が震え、竜王砲から、銀の光弾が発射される。  巨鉄兵の周りにまばゆい光が満ちあふれる。巨鉄兵の右手から発射された光弾は、幾つ かの怪異の球体を一瞬で消滅させる。消滅した怪異があった場所に、歪んだ空気の壁が残 る。まだ、月の都人の一部を傷つけたに過ぎない。  その間に、火野熊たちの鉄馬の一隊が谷の堡塁の間近まで迫る。再び巨鉄兵は僧兵を吸 い込む。辺りが銀の光で包まれる。火野熊たちの一隊に向け竜王砲が咆哮する。  光弾が地をえぐる。谷の先に一文字の新たな谷ができる。 「やったか」  山嵐は光で眩んだ眼を細めて外の様子を伺う。巨鉄兵の足元を見る。巨鉄兵の足元では、 恐慌した僧兵たちが右往左往している。火野熊たちの姿はない。 「正面だ」  真鉄の声が上がる。朱具足の火野熊を先頭に、鉄馬の群れが空を駆け、巨鉄兵の頭部目 掛けて迫ってくる。  鉄馬の飛行能力は、対巨鉄兵用の秘密能力である。一隊は、巨鉄兵の間近に来るまでこ の能力を使うってはならないと、火野熊の厳命を受けていた。  巨鉄兵の眼前に鉄馬の群れが迫る。 「爆破」  真鉄の声と共に、谷の側壁に爆音が響く。岩盤が谷より剥落し、火野熊たちの頭上に落 ちてくる。 「退け」  宙を駆ける鉄馬の手綱を強く引きながら火野熊が叫ぶ。だが、間に合わず多くの部下た ちが落石に巻き込まれる。 「ななえ」  落石の中にななえの姿が消える。火野熊は、鉄馬の姿勢を立て直しながら叫ぶ。谷に土 煙が上がる。谷の形が変わり、巨鉄兵の視界が開ける。  煙の向こうで、竜王砲の銀の光が再び煌く。 「散開」  火野熊が叫ぶ。複数の銀の光線が空を焼き焦がす。幾人かが光から逃げ遅れて消滅する。  光線はそのまま鈍砂山を抜け、遥か城下町の銀の尖塔に直撃する。  尖塔の周囲に浮ぶ金の糸が障壁となり、光線の直撃を逸らす。  だが竜王砲の全ての力を逸らすことはできず、銀の尖塔が衝撃で激しく揺れる。尖塔の外 壁に亀裂が入る。  巨鉄兵の中で山嵐が声を上げる。 「三発連射で銀の尖塔に向け竜王砲を発射しました」  照準は真鉄が合わせている。予め計算していた銀の尖塔に向けての弾道である。  煙が晴れる。谷の前に浮ぶ鉄馬は数頭まで減り、淡く光る怪異の球体も数個まで減って いる。 「くそっ、全滅させられなかったか」  真鉄が悔しさを口にする。 「真鉄殿。山が火事になっています」  鈍砂山の各所で山火事が広がっており、火は中腹まで駆け上がろうとしている。鈍砂山 全体が火を上げ、山に上昇気流が発生している。 「まずいな。敵は空を飛べるから逃げられるが、わしらは逃げられない」 「巨鉄兵は空を飛べないのですか」 「残念ながらな」  火を食い止めることのできなかった雪組は、火に追われるように山を登って来ている。 このままでは、敵を倒す前に火で焼け死んでしまう。 「渡りで逃げられるやつは、そろそろ逃げ始めるだろうな」 「一気に吸い込みますか」  真鉄と山嵐が敵を見ながら声を交わす。真鉄の一番の心配は、火がこのまま上がってき て、石神油の精油所に引火することだ。巨鉄兵の背後で陣営の者たちが声を上げる。 「どうした」  真鉄が背後の覗き穴から外を見る。谷の奥で巨大な水柱が上がっている。水柱は天高く 上がり、雲の上に消えていく。  耳の鼓膜を痛めつける程の甲高い音が空間に溢れる。真鉄と山嵐だけでなく、全ての猪 槌の里にいる人々が耳を覆う。  猪槌の里に、まるで空間が割れたかのような激しい炸裂音が起こる。  と同時に、里に異変が起こる。西に聳え立っていた鉄鉱石の壁が瓦解する。南でひるが えっていた炎の壁が消える。北の水柱が爆発する。中央の猪槌城を取り囲んでいた砂嵐が 止む。鈍砂山では滝のような雨が降り注ぎ、山火事の大部分を消していく。  ただ唯一、東の森、巨森兵だけはその場に残っている。 「どうやら、千重殿の呪が成ったようだ」  真鉄が静かに声をこぼす。 ────────────────────────────────────────  鈍砂山の洞窟の中で発せられた光は次第に強さを減じ、再び洞窟の中に闇が訪れる。豪 雪は静かに眼を開ける。どうやら無事のようだ。洞窟の奥の広場に見えていた淡い光は、 再び元の大きさに戻りゆらめいている。  女はどうなったのであろうか。豪雪は広場の中に視線を走らせる。  鉢の横に、逆光に照らされた倒れた女の姿が見える。その横で小さな何かが動いている。 その小さなものはゆっくりと浮びあがる。赤子である。  宙に浮んだ赤子はゆっくりと空を滑り、豪雪の方、広場の出口に向かって飛んでくる。 豪雪は身構える。 「心配するな。お前など相手にしてはいない」  生まれたばかりの赤子が声を発する。 「お前は、千重殿か」 「いや、違う。千重という男はもう死んだ」  淡く揺らめく光の前に人影が浮ぶ。先ほどまで気を失っていた女が眼を覚ましたようだ。 「≪一重≫(ひとえ)いらっしゃい」  女が赤子に声をかける。赤子は宙をゆるやかに滑り、女の両の腕の中に収まる。 「お前は何者だ」  豪雪が女に向かって問う。 「我が名は二重。千重の子にして、一重の母であり父である」  二重の眼は今だ空ろであり、夢の中にいるように表情は鈍い。それに対し、その両手に 抱かれている赤子、一重の眼はまるで炎のように輝いている。 ──────────────────────────────────────── 「真鉄殿、索気盤が」  巨鉄兵の操縦席の中で山嵐が声を上げる。山嵐の腰の辺りにある索気盤が幾つかの激し い光点を表している。 「千重殿の呪が完成した。だから千重殿の血族が覚醒し始めたのだ。いよいよ月が破壊で きる」  光点は猪槌の里に散在するように散らばっている。山嵐は索気盤の拡大率を変える。  「真鉄殿」山嵐が驚いたように告げる。「巨鉄兵の足元にも反応があります」  しばし真鉄は沈黙する。 「十六夜の残党が月の都人に加勢しているという伝言が蜻蛉殿よりあった。以前わしの家 にきた十六夜の大親分は、ななえという女を連れていたな。先ほどの爆破の時に巻き込ま れた鉄馬の騎乗者の中にその女がいたような気がする」 「漢字は七重ですか」  山嵐は谷底の落石に巨鉄兵の左腕を向ける。まずは第一弾の装填開始だ。竜王砲の真の 威力を試せるときがようやく来る。  上空では火野熊が焦熱を抜き、巨鉄兵への特攻の準備を始める。 「吸引開始」  竜王砲から発せられる銀の光が、猪槌の里の人々の姿を、銀と黒に染め上げる。 ────────────────────────────────────────  坑道の見張りの忍者は山火事のため既に逃げ出している。  坑道の中は闇である。しかし、その入り口に見える赤い光が徐々に強さを増し、この坑 道の間近にも山火事が迫っていることを告げていた。  忍者たちの式神も既に引き上げている。熱気を帯びた煙が坑道にも流れ込み始めており、 このままでは蒸し焼きになるのを待つのみである。観影は必死に猿ぐつわをはずそうとも がく。  芋虫のように坑道の泥の上を這っていき、篝火に顔を寄せ猿ぐつわを焼き切る。大きく 息を吸う。顔に火傷を負ってしまっているが、今はそんなことをかまっている時ではない。 「頼むで、この縄を解くんや」  観影は自分の式神たちに命令を出す。瞬く間に縄は解かれ観影の体は自由になる。  すぐに版木の入った風呂敷を背負う。商売道具は忘れるわけにはいかない。他の囚われ 人たちの姿をちらりと見る。助けている場合ではない。今は我が身が危ない。観影はその まま坑道から飛び出す。  辺りは火の海であった。木々は火を吹き、岩は赤々と燃え上がり、天には黒い煤が激し く立ち昇っている。熱風が、火傷を負った観影の顔を照らす。 「こりゃあかん。逃げられへん」  観影は絶望する。にわかに空に炸裂音が走る。観影の鼓膜の奥で、何かが弾けたような 音がする。その刹那、滝のような雨が降り始める。  雨粒は森の木々を叩き、火を洗い流すかのように消していく。観影の頭にも大粒の雨が、 つぶてのように降り注ぐ。雨が地に跳ね霧を作り、辺りの景色を埋めていく。 「雨や。助かったんや」  観影の声も、雨の音にかき消される。雨が止む。空が晴れる。だが、空は青く晴れず、 銀の光が空を覆っている。  観影の小さな体の影が、銀色に照らされる大地に漆黒の輪郭線を描く。  観影は本能的に辺りを見まわす。何が起きているのか、銀の光の基点はどこなのか。観 影はふと天空に眼を止める。  地上が銀の光と漆黒の影に覆われており気づかなかったが、空に異変が起こっている。 「あれは、月」  観影は頭をよぎった不可解な疑問を口にする。  それは、月と呼ぶには余りにも大き過ぎ、まるで、地上を食らわんとするかのように、 漆黒の巨大な口を地上に向けて降りてきていた。 =---------=---------=---------=---------=---------=---------=---------=--------- 今回の結果 ■神通力の獲得 ゲームが進んでいく中で、キャラクターは「怪異」(超常的な不思議な現象)に巻き込ま れることがあります。キャラクターは「怪異」に出会うと、「五行の神通力」を身につけ ることができます。どの五行の神通力を身につけたかはマスターから宣言します。 紗織:系統能力 五行の神通力+1 ■能力の成長 ゲームが進んでいく中で、特に成長の認められる行為をおこなったキャラクターは、プレ イヤーがマスターに申請してください。プレイヤーからの申請によって、マスターはキャ ラクター能力の上昇を認めます。 ■負傷 キャラクターは、マスターより負傷段階を宣言されることがあります。負傷には、重症、 致命傷、能力減退の3種類があります。 蒼竹:死亡 錐鮫:死亡 玖須:死亡 ななえ:重傷 観影:重傷 ■アイテムの獲得 キャラクターは、マスターよりアイテムの獲得を宣言されることがあります。アイテムは、 通常の行動の中で使用することができます。