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2006年04月20日 13:55:43
 映画「笑の大学」のDVDを三月中旬に見ました。

 演劇版を先に見ていて、そちらで既に書いたので粗筋は割愛します。

 以下、比較を中心に見ていきます。

 比較もネタばれだ〜!という人は見ないで下さい。



● 比較1:音声

 さて、まずは映画版公開のときによく言われていた「役所広司と稲垣吾郎の演技力のレベルの差が大き過ぎる」という件に関してです。

 私は何を持って演技力というのか、その方面に関しては目利きではないので分かりません。

 ですので、それとは違う、映画とテレビの「音声のダイナミックレンジの違い」という面から、この二人の演技について考えて行こうと思います。



 まず、映画とテレビでは音声のダイナミックレンジが違います。

 映画は閉鎖空間で大音量で集中して見る観賞形態を取っています。そのため、音声のダイナミックレンジが広いです。

 小さい音から大きな音まで使えるということです。

 これは当然演技にも反映されます。声一つとってみても、小さく喋る演技から、大きく叫ぶ演技まで、すべての音量を使って演技ができます。



 対してテレビは、生活の場という開放空間で、他に注意を奪われながら見る観賞形態を取っています。

 また、日本の家庭事情もあるのでしょうが、小さなボリュームでもきちんと言葉が聞き取れることが前提となります。

 これは何を意味するかというと、音量の幅を狭くしなければならないということを意味します。

 「大きな音に合わせて音量を調整すると、小さな音が聞こえない」では困るわけです。

 ここに、映画とテレビの音量の作り方に関して決定的な差が出あります。

 これは何を意味するかというと、映画の演技とテレビの演技は音量の使い方が全く違うということです。

 映画では「1〜10までの音量の全てを使って演技をする」のが求められるでしょう。対してテレビでは「4〜6ぐらいの音量で演技をする」ことが必要です。

 まあ、これは役者の側で調整するのではなく、音声ミキサーが調整するのかもしれません。

 私は現場の人間ではないので分かりませんが、視聴環境によって、音声や映像の作り込みの方向が違うという事実はあるでしょう。



 さて、「役所広司と稲垣吾郎の演技」についてです。

 役所広司は1〜10の音量で演技を行なっており、稲垣吾郎は5の音量で演技をしています。

 つまり、役所広司は映画館向けの演技をしていて、稲垣吾郎はテレビ向けの演技をしているとも言えます。

 この映画は基本的に二人劇です。

 映画館で見たならば、“映画の演技”をしている役所広司と、“テレビの演技”をしている稲垣吾郎が同じ画面に存在しているわけですから、それは違和感があると思います。

 私は演技に関してはド素人ですが、声の使い方から、映画館で人々が感じたことを想像しました。



 それではDVDで見たときどうなのかと言うと、奇妙な逆転現象が起きます。

 私の部屋の貧弱な環境で、近所迷惑を気にしながらあまり大きな音で聞かなかった場合、稲垣吾郎の声の方が聞きやすいのです。

 え〜〜〜〜っ、まあ、そうなるよなあと思いました。

 役所広司は1〜10の音量で、稲垣吾郎が5の音量で、喋る分量がほぼ同じなら、音量調節は稲垣吾郎の5を基準に合わせます。

 すると、役所広司の声はやたら大きくなったり、小さくなってたりして聞きづらいわけです。

 ぐふはっ。

 なんと言うか、防音処理を施した、映画専用ルームが欲しくなりました。

 敗北。



 まあ、そういう比較とは関係なく、役所広司という俳優は好きですね。

 真面目なところと飄々としたところの両方が出せて、そのそれぞれが味のある役者なので。

 彼が出て来るだけで、楽しくなります。そういう役者は貴重だと思います。



● 比較2:台詞の改変

 さて、二つめの比較「台詞の改変」についてです。

 細部については分かりませんが、二つ大きな変更点があります。

 一つめは、“烏の武蔵”の話が、映画版では丸ごとカットされていることです。

 二つめは、エンディングが変わっていることです。

 まずは、一つめから説明していきたいと思います。



 一つめの、「“烏の武蔵”の話が、映画版では丸ごとカットされている」件についてです。

 私は、演劇は基本的に台詞による表現であり、映画は基本的に映像による表現であると思っています。

 これはどういうことかというと、映画は演劇と違い、映像により間を持たせたり、情緒を与えたりできるということです。

 そして、演劇では物語を進行させるのは台詞だけれど、映画だと物語を進行させるのは映像ということです。

 つまり、同じ時間で同じことをしようとすると、映画のほうが演劇よりも台詞が少なくなるということです。

 映画では、喋らなくても見て分かることは見て分からせるべきだし、そうすることが映画の正道だからです。

 そのため、「笑の大学」の映画版では、台詞がいくつか大胆にカットされています。“烏の武蔵”のネタは丸ごとカットされているよい例です。

 また、映像的におかしみが出せるネタ(“チャーチルの寿司”等)を、他のネタよりも優先的に強調するようにしています。

 本作は、映画としては映像表現の少ない作品ではあるものの、映画には違いありません。

 というわけで、そういった媒体の違いによる台詞の刈り込みや、映像表現への差し替えが行なわれています。

 比較して見てみるとなかなか面白かったです。



 二つめの、「エンディングが変わっている」件です。

 この点に関しては、演劇と映画の違いというものを強く感じさせられました。

 演劇で“間を持たせる”ということがいかに困難であり、映画では“間で感動を盛り上げる”ことが意図的に行ないやすい、というのがよく分かる演出上の差になっていました。

 映画のラストと同じことを演劇でやるのは非常に難しいだろうと感じました。

 また同様に、演劇のラストと同じことを映画でやることの困難さも分かりました。

 これは適切な改変だと思いました。

 それぞれの媒体の特性を活かした改稿がなされている、よい仕事だと感じました。



 さて、最後に個人的な感想です。

 演劇版も面白かったですが、映画版も面白かったです。

 両方見ていいんじゃと思いました。
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