● 本のお話 ●

● 2003.11.09(日)01 明治政府の萌え元勲 天才ドジッ娘風紀委員長 江藤新平

江藤新平という人物をご存知でしょうか? 倒幕が行なわれ、明治の新政権が出来た後、司法卿となった人物です。新政府の要となった、薩長土肥の内、肥前佐賀藩の代表的人物です。

司馬遼太郎の小説「歳月」は、この江藤新平が主人公の小説です。


江藤新平は天才である。その才は、法治国家を創る才である。

江藤新平は法律至上主義者である。ルールに厳しく、ルールこそが全てであると考えている。

江藤新平は正義感に溢れている。貪官汚吏には鉄槌を下さずにはいられない。

江藤新平はうっかり者である。日常生活に関してははなはだ心もとない。

江藤新平を語ったこの小説を読み始めて思ったことは、江藤新平を萌え擬人化すると、「天才ドジッ娘風紀委員長だなあ」ということでした。これは萌えキャラです。

こういう視点で司馬遼太郎の「歳月」を読むと、「明治政府の風紀委員長である江藤新平が、張り切り過ぎて、影の総番であるヒゲの大元勲大久保利通の逆鱗に触れ、過激にネチネチといじめ抜かれる物語」ということになるわけです。

いやもう、この設定だけ読むと、司馬遼太郎あんたは一体と問い詰めたくなるような内容です。

そういうわけで、司馬遼太郎の「歳月」は、「天才ドジッ娘風紀委員長 江藤新平」の物語なわけです。


さて、冗談はこのぐらいにして、司馬遼太郎の「歳月」について触れたいと思います。

司馬遼太郎の描く小説には、数々の才を持った人物が出てきます。軍事の才、政治の才、外交の才、才にも大小あって、天才、秀才、様々な人物が出てきます。

江藤新平はまぎれもなく天才です。その才とは、先ほど述べたとおり、法治国家を創る才です。当時の日本人の考えの根底は儒学でした。その時代、日本人には馴染みのない法を根底とした考え方を練り上げていたのが江藤新平です。

まだ江戸時代が終焉を迎えていない鳥羽・伏見の戦いの時に、既に江藤新平の頭脳には、国は法によって人民を守る物という確固たる国家像がありました。そして、彼にはその法治国家を創るための溢れるほどの才がありました。

では、司馬遼太郎の「歳月」は、そのような法治国家を創る才の話なのか。

違います。この「歳月」のテーマは「鬱懐」です。少なくとも私は、そう断じてよいのではないかと思いました。

江藤新平の生まれは、肥前佐賀の鍋島藩です。この藩の藩主は鍋島閑叟。幕末、気狂いしたかのように学問偏重の藩となり、藩の機械化、工業化に全精力を注いだ藩です。鍋島藩の二重鎖国と当時呼ばれており、秘密主義の閉鎖環境の中、その軍事力を幕末最後の段階まで温存していた藩です。

この極めて閉鎖的な鬱屈した藩の下層武士、手明鑓(てあきやり)の階級に江藤新平は生まれました。彼の父は能吏ではあったが娯楽好きで、そのため一家は極貧環境におちいります。

藩の閉鎖性、生活の困窮、その中で江藤新平は飛躍を求め、単身藩を脱して京に上ります。そして時勢の動向を記した文書を書き上げ藩に戻ります。無論、脱藩は死刑。しかし、この完全閉鎖の藩から脱した重大な政治犯の書いた文書を、藩主鍋島閑叟は必ず読むはず。そのたった一点の可能性に全生命をかけて江藤新平は飛躍を望みます。

果たして鍋島閑叟は江藤新平の表わした文書を読み、永年蟄居を申し渡します。殺してはならない。時勢が変わった時、この男が必要になる。時は移り、6年の歳月を経て、鍋島閑叟は江藤新平と初めて対面します。

よくぞ耐えたな。

この時より、江藤新平という男が世に出ることになります。既に歳は35。鳥羽・伏見の戦いが起こるほんの直前。江藤新平は、極貧の永年蟄居の環境から世に出て、明治国家を創る法律を創案する司法の最高位、司法卿になり、明治政府の最高位である参議の1人となり、正四位を授けられ、大久保利通との政争に破れ、佐賀の乱を起こし、敗北し、士族を剥奪され、さらし首になる。この間たったの6年。死は46歳。

この「歳月」のテーマは「鬱懐」である。そう書いたのは、江藤新平のこの人生を支配していたのは、35歳までにためこんだ鬱懐であると思うからです。

人間の行動や運命は、その才能ではなく、性格によって決定する。同本の作者司馬遼太郎が他の作品中で語っていたことです。

人間には、固有の才能があります。

才能というのは、時勢の流れに合致しなければ使われることがありません。

才能というのは、たとえ使わずとも、磨き続けなければなりません。

才能というのは、本人を栄達させると共に身を滅ぼす刃ともなります。

何より人が才能によって生きようと思えば、路傍で死すことを覚悟しなければなりません。その才が人生において使う機会が来るかどうかは、生まれた場所、生きた道により確率は異なりますが、最後は運だからです。

江藤新平は大きな才を蔵して、その才を磨いて、その才を使うことだけを考えて35年の歳月を過ごしました。使わずに死ぬかもしれない才をひたすら胸中に抱えて35年という長い月日を過ごしたのです。

彼の心のうちには鬱懐が渦巻いていました。鬱懐は、人の性格を先鋭化させます。鋭く、硬く、そして脆く。

人は、才に応じた仕事、評価を得られなければ鬱懐し、先鋭化します。逆に、才に応じた仕事、評価を得られれば、人は大きくなります。

江藤新平は日本随一の、舌鋒鋭い雄弁家であったと言います。対する大久保利通は、どこまでも怜悧で底冷えする、無言の威圧感を持った沈黙家であったと言います。

鋭く尖った江藤新平が、巨大に育った大久保利通に叩き折られる物語。「歳月」はそういう物語です。

その是非はともかく、江藤新平の鬱懐は、私たちの鬱懐でもある、そう感じる何かがこの物語にはあります。誰もが持っている、あるべき自分の姿を想像するが、そこにたどりつけない鬱懐。それが江藤新平を通して示される。

「歳月」とは、そういう物語だと思いました。


司馬遼太郎の作品は、様々な人物を痛快に描いた作品が少なくありません。「竜馬がゆく」「燃えよ剣」などはその典型でしょう。そういった幕末の人々が激しく動き回る中、江藤新平はただ貧乏の中で地をはいずり回って過ごしていました。

江藤新平が司馬遼太郎の作品で登場するのは、大久保利通と西郷隆盛が西南の役で激突する「翔ぶが如く」でわずかに触れられるぐらいです。西南の役より前に、佐賀で暴発した、あまり人望の無さそうな元参議として非常に軽く扱われます。

「歳月」は、他の司馬遼太郎作品の中では、かなり異質な作品です。爽快さはなく、物語の約半分は、大久保利通が江藤新平をじわじわと追い詰めていくことに紙数が割かれています。

追い詰められ、大久保利通の罠にはまっていっていく中、当の江藤新平だけがそのことに気付かない。その鋭く尖った視線は、堪えずその才を振るい、国家を創り上げることだけを見つめている。

残酷な物語だなあと思いました。江藤新平自身に、何の悲壮感もないのがその残酷さを際立たせていました。

才能に、しかるべき使う場所を与えなければ人間は鬱屈する。「歳月」はそういう陰性の話ですが、それだけに、司馬遼太郎の本音が語られているような気がしました。


● 参考リンク

歳月 講談社文庫 司馬 遼太郎



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