● 本のお話 ●

● 2004.10.14(木)01 佐藤卓己 「言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家」 感想

今月頭に読み終わった、佐藤卓己著「言論統制 情報官・鈴木庫三と教育の国防国家」の感想を書いておかないといけないと思ったので書いておきます。

結論から言うと、非常に面白かったです。文句なしにお勧めです。以下感想。


この本のテーマは「Why?」「なぜ?」である。上質のミステリーが、「なぜ? どうして?」と思いながら先を読み進めてしまうのと同じように、この本は読者が考えるための材料をどんどん提示しながら、「なぜそんなことが起こったのか?」「どうしてそんなことになったのか?」をずっと考えさせながら最後まで一気に読ませてくれる。

400ページを越える本だったが、寸暇を惜しんで読み進めた。ここ数ヶ月に読んだ本の中でも、出色の一冊だった。

では、この本の「なぜ?」について語ろう。本書の「なぜ?」は、一体どういった内容なのか。

「言論統制」の主人公は、第二次世界大戦直前、言論出版界で「小ヒムラー」と怖れられていた「鈴木庫三(くらぞう)」という情報官である。雑誌の検閲を担当し、さらに雑誌・新聞への用紙配給の決定権も持ち、事実上日本の出版業界を牛耳ったと言われている男だ。

戦後、言論界の人々によって悪の首魁として槍玉に上げられたこの人物。横暴な軍人のイメージで語られる鈴木庫三。しかし彼については、出版などに携わった者の口からしか語られていない。彼の実像はどうだったのか? そのことに疑問を持った著者が、一次資料として鈴木庫三本人の膨大な量の日記を読んだとき、「どうも事情が違う」「これはきちんと調べないといけない」と思い至る。物語はここから始まる。

なぜか?

戦後の言論界から、まるで暴君のように扱われてきた鈴木庫三のイメージは、「風にそよぐ葦」という終戦後の新聞連載小説で作られた。この小説はフィクションである。しかし、事実に沿った小説として多くの人々に読まれた。この小説中、唯一本名で、「鈴木少佐」は敵役として出てくる。

文章中、鈴木少佐は30代の若手将校で、無教養かつ横暴な軍人として描かれる。だが、実際の鈴木庫三は40代の壮年の人物だった。彼は極貧の農家から苦学の末に士官学校へと入り、さらに軍人としての業務をこなしながら日大の夜学部に通い、教育、倫理学を学び首席で卒業し、同大学の助手も務め、軍人のまま帝大まで進んだ。小説とは正反対の教養人だったと言える。

同小説後一般的になった、「鈴木庫三が言論界と敵対していた」というイメージも事実に反している。一部の人々とは確かに対立していた。だが、農村から必死に立身してきた彼は、プロレタリア系の文学者たちに共感を覚え、共産主義も許容する思想の持ち主だった。言論界に友人も多かった。彼は数多くの教育に関する論文を書き、雑誌などにも記事を多数寄稿している。そんな彼が目指していたのは、教育の機会均等と、そのことによる貧富の差の解消だった。

その彼がなぜ、言論界の暴君として語られるようになったのか?

「なぜ?」読者に突きつけた問いに答えるために、筆者は鈴木庫三という人物の生涯を追っていく。そして鈴木庫三のそれぞれの年齢での時代背景や、当時の人々の物の考え方、どうして彼らがその時そう考えるに至ったのかを、丁寧に検証して積み重ねていく。

だがその作業は、最初の「なぜ?」の答えを単純に導き出してはくれない。

どんどん提示されていく情報を読めば読むほど、謎はよりいっそう深まっていく。そこにあるのは明快な答えではない。第二次大戦に突入していった社会、民衆、軍部、言論人たちの生の様子が、目の前に提示されていくだけだ。

現在に住む我々は、当時の言論界と軍部との関係を、反戦と主戦の対立として捉えてしまう。だがそれは大きく間違っている。「反戦と主戦」という概念は、戦後日本が負けたからこそ台頭してきた概念だ。

明治維新からのち、諸外国に対して徹底的な敗北を喫したことのなかった日本。その日本の多くの人々には、「戦争に負けるとはどういうことか」という概念はなかった。つまり、「戦争をやる」「やらない」の対立ではなく、「戦争をどうやるか」の対立しかなかった。

統制主義か自由主義か。陸軍か海軍か。農村出身か都市出身か。貧乏人か金持ちか。存在した対立はこのようなものだ。鈴木庫三は全て前者に属する。このような社会的な対立を軸に、当時の人々は日本という枠の中で考え、行動していた。

鈴木庫三は、元々情報官を目指してその任に就いた人物ではない。彼は教育のエキスパートになろうとしていた。その彼に、日本の言論をコントロールできる職が与えられた。鈴木庫三はその時、「この権限を使えば日本を教育できる」と考えた。鈴木庫三は情報官であった期間、暴風のように活躍した。

だがそれは、戦後「風にそよぐ葦」で語られた、戦時の徹底的な言論統制のようなものではなかった。精力的に活動し過ぎた鈴木庫三は、言論統制が真に盛んになった時には既に左遷されていたからだ。戦後、言論の暗黒時代と呼ばれたまさにその時、鈴木庫三はそこにはいなかった。

ではなぜ、鈴木庫三は悪の親玉にされたのか?

事実が明らかになればなるほど、「なぜ?」の答えは混迷を極めていく。「鈴木庫三=日本思想界の独裁者」この事実と大きく違う通説が、世間にまかり通るようになったのはなぜか?

結論に至ったとき、人間の限界と、時代の恐ろしさと、人々の醜悪さに愕然としてしまう。

戦後出てきた反戦という一大潮流に乗るために、反戦など考えてもいなかった自分たちを正当化するために、言論界は生贄が必要だった。その生贄に鈴木庫三が選ばれた。

「鈴木庫三にやられた」と言えば、戦後の言論界では免罪符となった。多くの者がそう言い、自分たちは戦争に反対していたということを主張した。確かに鈴木庫三と戦った者たちもいた。しかし、それは主戦と反戦を軸とした戦いではなかった。「鈴木庫三は敵だった」多くの人が、保身のためにそう言った。

確かに鈴木庫三という人物は、敵に相応しい巨大な怪物だった。

言論界の多くの者は「たかが軍人が言論に口出しをしやがるとは」と思い、彼を見くびった。だが彼は、カントを原文で講義できるほどの教養の持ち主であり、軍人でありながら大学助手を務め、教育者であり、文人であった。鈴木庫三の演説は、彼の敵をも引きこむ魅力溢れる物だった。衆人はその文に言葉に酔った。言論界に身を置く人々は、敵を侮り足元をすくわれた。

鈴木庫三は言論界を操り「国防国家」「総力戦」を実現しようとした。だが言論界の多くの者も、そのことに賛同し自ら協力した。彼らが語りたくない暗黒面がそこにある。鈴木庫三を言論弾圧の帝王とすることは、その言論界の暗黒面を葬り去る意味も持っていた。

鈴木庫三は戦後発言の機会を失った。言論界は彼の発言を必要としなかった。

その彼が、戦後一度だけメディアに登場した。NHKの短いインタビューだ。「大東亜建設のためにしたことであり、自分の行動は一切やましいものはない」彼は絶叫しながらそう語った。

鈴木庫三だけではない。当時多くの人々が、「正しい」と思うことをやっていた。恐ろしいことに、人は今いる時代を前提にしてしか物事を考えられない。

第二次大戦前夜、日本の多くの人々は、その時代の向かう方向性に疑問を持っていなかった。未来に位置する我々から見れば、狂気としか思えない時代であるにもかかわらず。

今いる時代の中だけで物事を考えるのではなく、百年後、千年後から今の時代を振り返ったらどう見えるのか、絶えずそのことを考えていないと危険だ。

言論は政治によって簡単に変えられてしまう。だがそれよりも恐いのは、変わっていることに気付かないことだ。現に私が生まれてまだ短い時間しか経っていないが、言論に対する圧力はどんどん増しつつある。また政治や一部の集団の影響で、何度も自粛という名の変質をした。

今の日本は歴史的に見て、稀有とも言えるほど言論の自由が許されている。だが、自由に発言できないことも驚くほど多い。

恐いのは、今生きている時代がどういう時代なのか、十年後、百年後になるまで気付かないことだ。「自分の行動は一切やましいものはない」鈴木庫三は絶叫した。「だがなぜ、こうなってしまったのか……」心の中ではそう呟いていただろう。

鈴木庫三は、ただ誠実に一生懸命生きた。だが、気付けば「日本思想界の独裁者」と呼ばれるようになっていた。

独裁者になってもいけない。他人を無責任に独裁者と呼ぶ人間になってもいけない。言論統制の時代は、今我々が作っているのかもしれない。そう思わされる一冊だった。

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言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 中公新書



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