PBeM 史表(しひょう)

前談

柳井政和
ver 0.05 2004.03.12
ver 0.04 2004.03.11

目次

白賢龍と青聡竜

 ここに再びくるとは思っていなかった。
 今や大陸をおおうほどの大国になった白大国の首都である白都の王宮に、私は二度と足をふみいれる気などなかったのだ。だが、手紙がきた。大陸最大の白大国の王、白賢龍その人からである。
「青聡竜よ、私の頼みを聞いてほしい」
 その手紙には、そう書かれてあった。
 相手は大国の王。それに対して私は一浪人にすぎない。だが、この身分のへだたった二人は、幼少のころ共に生活をし、長じてはたがいに白大国の建国、富強のために馬をならべてきた。白賢龍と青聡竜は親友であった。しかしそれは昔のことである。
 白大国は白賢龍のおこした国だ。この王国は、彼の一代で大きくなり、数年で大陸の一角を占有するまでになった。国としての体制があらかた整ったそのとき、私は白賢龍に隠居を申しでた。
 白大国は、数年後には大陸をおおう巨大な国になるだろう。そうなったとき、私のように、昔からの功臣は邪魔になるはずだ。特に大功のあったものはなおさらである。私は白賢龍と二人だけのときにそういった。
 それから数ヵ月後、王宮の議事堂で私は白賢龍に隠居を申しでた。そのとき、白大国は陽ののぼる勢いであった。議事堂には、白賢龍をはじめ、白大国の重臣たちが全て出席していた。重臣たちは、なぜ今隠居なのかと問うてきた。私はその理由を答えなかった。ただ、隠居をするとだけつげた。白賢龍は寂しい目をして、そうかとつぶやいた。

 白賢龍と私は、その昔、僧房で古い書を共によみあさった。そこで昔の英雄や王たちの戦いのすべや、国の納め方をまなんだのだ。白賢龍には、私が隠居を申しでた理由がよくわかっていただろう。急激に大きくなった国が、その膨張をとめたとき、国王が功臣にあたえる土地はなくなってしまう。そうなれば国王は、功臣たちに理由をつけ、葬っていくしかなくなるのだ。
 私が隠居を申しでたのは十年前のことだ。この十年で、白大国は、大国の名に相応しい領土を獲得していった。あと少しで白大国は大陸全てを平らげてしまうだろう。
 私は大きく息をはいた。今私は、その強大な王国の王宮にきている。

 庭園で白王様がまっております。王宮についた私に、護衛の兵士はそうつげた。私は、兵士たちにみちびかれながら庭園までやってきた。
 庭園には、季節の花が咲きみだれていた。春風が、心地よく頬をなでる。庭園の中央には、白髪の男がたたずんでいる。白賢龍だ。十年前と比べて老いた。この老いは、年のせいだけではないだろう。護衛の兵士たちは、私をのこして庭園からたちさった。
「青聡竜、ひさしぶりだな」
 白賢龍、いや白王と呼んだほうがよいだろうか。彼は私を手まねきした。私は一礼し、彼の元まで歩みよる。彼はなぜ隠居した私をよんだのだろうか。
「なぜよんだのか、いぶかしがっている顔だな」
「当然です。私は隠居した身ですから」
 白賢龍の顔にはかげりがある。しかし、目には精気があふれていた。白賢龍は私の目を凝視し、頬を紅潮させながら口をひらいた。
「私は、世を憂いておるのだ。あと少しで大陸は白大国の元に統一されるであろう。しかし、百年もたてば、また国は崩壊して戦乱の世がきてしまう。なぜ人はこんなばかげたことを繰り返すのだ。青聡竜、共に僧房で書をよみ歴史をまなんだお前なら私の嘆きがわかるだろう。なぜ、なぜなのだ。人は過去に起こったことを、なぜ繰りかえすのだ」
 庭園には、私と白賢龍の二人しかいない。私の前で声を荒げる白賢龍は、幼き頃、共に夢を語りあった、あの頃のままの表情をしている。
「白王様、王の力をもってすれば、百年といわず、千年つづく王国を築くこともできましょう」
 相手は王だ、幼馴染として振舞うわけにはいかない。私は、表情をくずさず、そう答えた。
「青聡竜、ここにはお前と私の二人しかいない。私は白王ではなく、お前の若き頃よりの友、白賢龍として問うているのだ。なぜ、人は過去のあやまちを繰り返すのだ」  白賢龍の声には、怒気がこもっていた。目には狂気の光がやどっている。私は、少しためらいを覚えながらこたえた。
「それは、人が人だからでしょう。人は過去に起こったことを忘れます。人は死に、新たに生まれた人は、先人たちがおこなったことを知らないまま人生をすごします。大切なことを忘れたり、大切なことを知らないまま人生をすごす人間は、同じあやまちを何度も繰り返すのでしょう。人は基本的に無知なのです。それが人の本質なのでしょう」
 果たして王に対して、このような答えをしてよいものか。私は白賢龍の顔をおそるおそるうかがった。彼の目には、先ほどと変わらない狂気の光がやどっている
「青聡竜よ。お前なら私の考えを理解してくれると思っていた。それは正しかったようだ。そうだ、人は無知なのだ。過去のことを振り返ろうとせず、大切な何かをたえず忘れたまますごそうとする。今、わが白大国は大陸を覆おうとしている。しかし、わが国の重臣たちの振るまい、考えはどうであろう。自分たちの功ばかりを考えて、国が大陸を統一したときに、どのような利益をえるかばかりを考えている。このままでは、国は百年ももたないだろう。そして民衆はまた戦の中に投げだされるのだ。人は愚かにも、何度も何度も同じことを繰り返している」
 白賢龍は私の目を見つめている。
「青聡竜よ、私はこの時の流れを変えたいと思っている」
 さけぶように声を発する白賢龍の姿は、老練な国王の姿には見えなかった。まるで、激しい情熱をもった若者の姿のように見えた。白賢龍は、懐から二巻の巻物をとりだした。
「青聡竜よ、これをみよ」
 白賢龍はその二巻の巻物のひもをとき、天にむかって投げあげた。巻物は勢いよくひらき、二人の間にひらいた巻物が転がった。一巻はびっしりと文字でうめられた巻物だ。そしてもう一巻は白紙の巻物。
「これは一体何ですか」
 私は白賢龍に問うた。二巻の巻物に、私は狂気がやどっているような気がした。天地をふるわす大声で、白賢龍がさけんだ。
「史表だ」
 声を発した白賢龍の目は雷光をはなっていた。
「一巻目には、私が必要だと思う歴史の全てをかきこんだ。人があやまちを犯さないように、戦、政治、経済、あらゆる問題の解決方法を十年かけて書きあらわした。これは、世界の歴史をしるす、過去に関する書物だ。そして二巻目は白紙だ。このニ巻目には、これからおこる全ての歴史をかきつづるのだ。
 青聡竜よ、この二巻の史表をお前にたくす。過去の書は、できうるかぎりの写本をつくれ、そして人がいつでも過去に起こった出来事を知ることができるように、各地に配布し閲覧可能にするのだ。そして、未来の書はお前が国中の情報をあつめ、あまねく出来事をかきしるすのだ。そのための人と金をお前にあたえる。青聡竜よ、お前はこれから司表と名のれ。そして、史表を広め、編纂するために余生の全てをつかうのだ。
 お前だけ隠居するなど許しはせぬ。われらは二人で、世界を変える大事業をなすのだ」

 私のような一介の浪人に、今や大陸全土を統一しようかという力をもつ白王の命令を断れるわけがない。私は青聡竜の名をすて、司表と名のることになった。白賢龍の手配は早かった。その日の夜には、僧房から百人の秀才をあつめ、私の部下とした。翌日には、さらに百人、各地の情報を集めるための兵士が私の配下となった。さらに翌日には、馬車数十台分の黄金が用意された。次の日に、白賢龍は私をよびだした。
「司表よ、史表の仕事をおこなうための本陣をさだめよ」
 白賢龍の問いに、私は少し考えてからこたえた。
「海都がよいかと思います。この白都は、政治の中心ではありますが、経済の中心ではありません。白都の東、巨大な海港をようする海都には、大陸中の物産、情報があつまっております。史表の仕事をおこなううえでは、この白都より、海都の方が適しているといえましょう」 「わかった。早速海都にむかい、史表殿をたて、すぐさま仕事にかかるのだ」
 目まぐるしく全てのことが決まっていった。私は、百人の僧、百人の兵をつれて海都にむかった。二巻の史表をたずさえて。


赤栄虎

 大陸の西方、草原が広がる地に、赤族と呼ばれる放牧をなりわいとする一族が住んでいる。彼らは騎馬をかり、弓をもち、戦ともなれば他の民族を圧倒する能力をもっていた。そして大陸の北東を中心とする白大国から離れていることもあり、この地は白大国の支配をまだ受けていなかった。赤族は定住先をもたず、組み立て式の簡易家屋をつかい、草原をいつも放浪していた。
 この赤族では、一年前に族長がかわった。赤栄虎とよばれる若い男が新しい族長になった。前族長である赤堅虎の息子である。年は二十を越えたぐらいであろうか。族長をつぐまでの数年間、各地を放浪していた。十年その旅はつづいた。
 そして十年後、赤族の陣営に顔をだした赤栄虎に、父であり赤族の族長である赤堅虎は族長を継げとめいじた。本人はまだ族長を継ぐ気はなかったようだが、赤族では族長の命令は絶対である。赤栄虎は、その日から新たな族長となった。
 この赤族の住む草原にも、白大国の脅威は徐々に迫りつつあった。あまたの国が白大国の強大な軍事力に飲みこまれていったように、数年後にはこの地も白大国に飲みこまれてしまうだろう。
 白大国の脅威は、大陸の各地を旅してきた赤栄虎にはよくわかっていた。赤族の土地をまもるには、早晩白大国と激突することは必死である。これまでにも、赤族と白大国の軍団が衝突したことはあった。そのいずれも小競り合いであった。赤族の軍団は勝つこともあったし、負けることもあった。
 騎馬と弓の力では、圧倒的に他の民族よりまさる赤族だが、白大国に大勝することはなぜかできなかった。戦い方が悪い。赤栄虎はそう考えていた。俺が軍団を率いれば、白大国に勝てる。そうも考えていた。赤栄虎にはその才があり、また彼はそのための準備もおこなっていた。

「赤栄虎様、白大国に勝つって、いったいどうやるんですか」
 天幕のなかで寝そべっている赤栄虎に、軍団長の一人である赤朗羊が問いかけてきた。若い赤栄虎に、壮年の赤朗羊がまるで自分が年下であるかのように語りかける。
 赤栄虎は、面倒くさそうに寝床からおきあがった。赤栄虎は、ひまがあったら天幕の中で寝ている。そんな怠け者の族長ではあるが、軍団長たちの間での評判は悪くなかった。戦いのときになれば、誰よりも勇敢に戦うし、酒を飲めば誰よりもうまく歌うからだ。
「寝させてくれよ」
 ふらふらとした足取りで、赤栄虎は天幕からでてきた。昨日も軍団長たちと朝まで酒を飲んでいたのだ。赤栄虎は両頬を力強くたたいた。少し目も覚めてきたようだ。
「赤栄虎様。昨日も白大国に勝つのは簡単だと豪語していたじゃないですか。どうやって勝つんですか。わしらにも教えてくださいよ」
 赤朗羊が笑顔で赤栄虎にせがむ。 「お前はさあ、この大陸がどういう形をしているか知っているか」
 赤栄虎は空を見つめながらこたえた。
「いやー、とんと、知りませんなあ」
 笑顔で赤朗羊が頭をかく。 「じゃあ、どこにどんな都市があるかを知っているか」
 赤栄虎の問いに、赤朗羊は困った顔をする。 「わしは赤栄虎様のように、大陸中を旅したわけじゃないですから。そんなことを知っているわけがないじゃないですか」
「まあそうだろうなあ。この一点に関していえば、白大国の奴らもたいして変わりはない。奴らは、大陸のだいたいの形を知っていて、どんな都市があるかぐらいは知っている。でも、厳密にどの都市がどの位置にあり、森がどんな形をしていて、川がどう流れているかなんて知ってはいない」
 赤栄虎は天に広がる青空にむかって胸をはる。赤朗羊は、期待に満ちた顔で赤栄虎の言葉をまつ。
「なあ、赤朗羊よ。もし、この大陸の正確な形、都市の位置、森の形、川の流れを知っていれば、お前は白大国に勝てるか」
「赤栄虎様、そりゃあ勝てるでしょう。相手は自分がどこにいるかもわからず、逆に自分たちは今いる場所が正確にわかり、どこに何があるかも全て知っていれば勝つのは簡単でしょう。わしでも勝てますよ」
 赤栄虎は天にむかって大声でさけぶ。赤朗羊も天に向かって雄叫びをあげる。天に二人の声が響きわたる。
「赤朗羊よ。俺にはなあ、昔から不思議な能力があったのさ。自分がいる場所の正確な位置がわかり、移動したならばその距離や方角が全部なぜかわかるんだよ。親父はそのことを知っていてこう言ったんだ。赤栄虎よ、お前の能力は、将来赤族を救うことになるだろう。だから、お前は大陸中の各場所をくまなく旅をしてまわれ。そして、全ての土地を記憶しろ。
 そして、親父は言ったんだ。赤栄虎よ、ある物をつくれと」
「ある物?」  赤朗羊は、期待の目で赤栄虎をみる。 「赤堅虎様は、赤栄虎様に何をつくれと命令したんですか?」
 赤栄虎は天に向かってさけぶ。 「市表だ」
「市表?」
「そう。大陸中の都市の位置を正確にしるした、かつてない地図だ。各都市の正確な位置、方角、間の道の様子、森、川の位置や距離、軍団が通れる間道、連絡兵が通れる獣道、かつてないほどの正確な地図だ。
 その市表がなあ、とうとう完成した。赤朗羊よ、市表はいま天幕のなかにある。軍団長はいつでもこの市表をみることができる。もちろん、赤族の外に市表の存在をもらした者は死刑だ。市表は、赤族が白大国に勝つための切り札だ」
「ななっ、そんな便利な物があれば、神出鬼没の用兵など思いのままではありませんか」
 赤朗羊が満面の笑みをうかべて赤栄虎にとびつく。 「そうだろうなあ。白大国は、市表をもっていないからなあ。赤族の動きには、さぞびっくりするだろう」
 赤栄虎は、青く広がる天にむかって雄叫びをあげた。父が見出した赤栄虎の才が、今動きはじめようとしている。
「戦かあ、勝つぞ。白大国などけちらしてやる」
 赤栄虎は天幕の外でさけんだ。白大国は、赤栄虎の存在を知らない。


青美鶴

 大陸の東方にある海都とよばれる都市は、白大国の経済の一大拠点となっている。いや、大陸の経済の中心といったほうがふさわしいだろう。海都は、大陸の各地に通じる海路の最大の中継点である。多くの船や人、農産物や工芸品などは、いったんこの都市にあつまり、そして各地にむけてはこばれていく。
 この海都は、いくつかの大家とよばれる商業貴族たちに支配されている。この大家は、あつかっている商品によって、米大家、磁器大家などと商品名を冠してよばれている。この海都でも特に大きな勢力をもっている大家がある。その大家は五大家とよばれており、その強大な大家の一つに、舟大家があった。当代の舟大家の家長は女性である。名を青美鶴といった。白賢龍とともに白大国の建国に功のあった青聡竜の姪にあたる。青美鶴の父である青捷狸は、青聡竜の兄である。
 青美鶴は、まだ年齢は二十だが、この年にして舟大家の全ての実権をまかされる家長となっていた。青捷狸が若くして隠居してしまったからだ。若き女性が家長になるということを奇異に感じるかもしれない。だが、実力を重んじる五大家の中では珍しいことではなかった。若くても、ふさわしい能力を持っていると認められれば家長につくことができる。青美鶴にはその能力があると、舟大家の大物たちは考えていた。
 青美鶴は、若くして強大な権力をもった舟大家の家長として君臨していた。しかし、彼女はそのことに不満をもっていた。

 海都の昼飯時は、この大陸のどの都市の昼よりも活気がある。大陸のあらゆる物産がつどう土地なのだ。食事もうまい、値段もやすい、種類も豊富である。少々食事で散財してしまっても心配はいらない。仕事はいくらでもあるからだ。海都は、大陸で一番幸福な場所だ。
 しかしそれは過去の話だ。
 青美鶴はそう思った。海都が大陸で一番幸福な場所だったのは、父が舟大家の家長を引退するまでの話だった。今や海都は、この世で一番不幸な場所になってしまった。そう、私は不幸なのだ。私の一日は、朝起きる時間も、食事をする時間も、どこにいくかも、何を食べるのかも、誰に会うのかも全て決められているのだ。舟大家の家長といえば、人がうらやむような大貴族だ。その生活が、これほど不自由なものだとは思ってもいなかった。これでは拷問だ。
「あのたぬき親父め、だましやがったな」
 父親の青捷狸の顔がうかぶ。次の会合の場所まで行く途中、馬車でゆられながら、青美鶴は一人毒づいた。そうでもしなければやっていられない。私の声が聞こえたのか、御者が怪訝そうにふりかえる。
「青美鶴様、あと少々で刀大家の館につきます」
「ああ、そうかい」
 ぞんざいにこたえてやった。数ヶ月前、私が二十の誕生日をむかえたとき、突如父の青捷狸が引退を宣言した。舟大家の家長の子供は二十になれば、家長をつぐ資格ができる。父は私が二十になるのをまっていたのだ。あの男は、自分が自由になるために、娘の私を舟大家の家長にしたのだ。
「ああ、こんなときに叔父さんがいてくれればなあ」
 馬車の手すりによりかかって、ボーッと町の情景をながめる。青く広がる海、石造りの町並み、海都の景色はどこよりもきれいだ。
 青聡竜の叔父さんがいれば、きっと私のこの不幸な境遇をどうにかしてくれる。青美鶴はため息をついた。しかし、青聡竜の叔父さんは、数ヶ月前、なぜか白都にいってしまったのだ。白王によばれたとかいっていた。ああ、私より、きっとしょぼくれた白王の方が好みなんだろう。なんか、むかつく。御者の野郎は、気持ちよさそうに馬車をはしらせている。こんな奴でも、話し相手にはなるかなあ。そう思って口を開くことにした。
「ねえねえ、最近何か面白い話はないの? 海都ですごい事件が起こったとかさあ」
 本当に凄い事件が起こったのなら、舟大家の家長の私の耳に届かないわけがない。でもまあ、聞いてみる価値はあるかもしれない。どうせ暇つぶしだし。
「そうですねえ、青美鶴様。世間では、黒陽会の教会ができたということが話題になっているようですよ」
 黒陽会? そう言えばそんな宗教の教会が建設されたとかいう話が報告にあったわねえ。
「そんなことが話題になるっていうからには、何か変わった特徴でもあるの? 寺院や教会は、海都にはいくらでもあるじゃない」
「それがですね。黒陽会では、唯一太陽のみが神であると説いているのですよ。神様が一つしかないなんて、それはすごい突飛な考え方じゃないですか。さらに黒陽会では、その太陽を見るための黒い板を配布しているんですよ」
「黒い板?」
 少し興味がわいてきた。聞いてみるものだ。
「黒くて、半透明の板でして、それを太陽にかざして見あげると、太陽の姿がくっきりと見えるのですよ。みな珍しがって、黒陽会の教会の前には黒い板をもらおうと連日列ができているそうですよ」
「へー、おもしろいわね。それじゃあ、今から黒陽会の教会にいきなさい」
「駄目です。青美鶴様のご予定はきちんと決まっていますから。青美鶴様が勝手に行動すると、私はおまんまの食いあげですから。きちんと予定通りに動いてもらいますよ」
 そう、いつでも、誰もがこの調子なのだ。舟大家の家長は世間では偉い人のように思われているが、内実は違うのだ。舟大家の奴隷なのだ。はあ、青聡竜の叔父様が早く帰ってこないかなあ。そうすれば、いい考えを授けてくれると思うのに。


黒陽会

 海都に建設された黒陽会の教会は、他の宗教の寺院、教会とくらべて規模は大きくなかったが、非常に目立つ存在であった。理由は色である。外壁が全て黒塗りなのだ。町の中に、巨大な闇がおりてきたかのように、その建物だけが真っ黒なのだ。
 海都は商業都市である。この土地では、宗教とは富を約束してくれる神を祭るためのものであった。そのため、多くの寺院、教会が、きそって壮麗な建物をたて、金色で外壁を飾りたてていた。それは、その神に祈ることによって多くの富がもたらされるということを、人々にしらしめるためであった。
 しかし、黒陽会の教会はちがっていた。そもそも、黒陽会では、神は人に富をもたらすものではないといっている。さらに変わったことに、この世には神は一柱しか存在せず、その他の神は全てまやかしだと言いはなっているのだ。自然、この黒陽会には敵が多く、信者も数が少ない。
 だが不思議なことに、黒陽会は豊富な資金をもっている。そして、不可思議な物をつくり、それを人々に配布したりしている。黒陽会の教会の地下には、見なれぬ道具が数多くあり、黄金が山のように積まれていると噂されている。人々は、この噂に対して半信半疑であった。
 海都の黒陽会は、ある一人の男によって導かれている。黒壮猿とよばれる導師だ。年は五十に届こうというくらいであろうか、顔には深いしわがより、頭は禿上がっており、巨大な目をしている。人々の前ではいつも笑っており、その名の通り、猿のように愛嬌をふりまいている。
 この黒陽会とは、いったいどういう組織なのか。

 海都の夜。黒陽会の教会の地下に、人があつまっている。
 夜は魔の時間帯だ。唯一真実の神である太陽神が、かくれて姿をあらわさないからだ。このような時間帯があるために、人は唯一神の存在を軽んじ、虚構の神をつくり崇めるようになった。黒陽会の教義では、そう教えている。
「太陽神の光の届かぬこの場所、時に、太陽神の意志を代行する我らがいる」
 黒壮猿は小さい声でつぶやいた。いや、心の中では絶叫したであろう。彼の右手には剣、左手には太陽を模した盾がにぎられている。今日は、黒陽会の信者の一人が、幹部に昇格する日だ。その儀式をとりおこなうために、海都の黒陽会の主要な構成員たちが、この教会の地下にあつまっていた。新たに幹部となる信者は、壮年の男性である。男は幹部達の前でひざまずき、天をあおぐ身振りをおこなった。
「そなたは今日より唯一神の代行者となった」
 黒壮猿の言葉に、新たに幹部となった男はかしこまる。
「ついてくるがよい。この教会におさめられている神器をみせる」
 黒壮猿を先頭に、幹部たちは奥の部屋へとすすんだ。部屋の床にはいくつかのランプがおかれており、壁には巨大な石板がたてかけられていた。黒壮猿が、新たに幹部となった男を石板の前に手まねきする。男はかしこまり、おずおずとすすんだ。黒壮猿と男は、石板の前で足をとめる。男は石板をみあげた。ランプのあかりが弱いために、その全容はわからないが、何か小さなひび割れがみえる。いや、
「これは字ですか。名前のようですね」
 男が石板に顔を近づける。石板には、細かなひび割れでえがかれた、無数の名前が見てとれた。男はその名前を目で追いながら、ふと思いついたことを口にした。
「この名前は、過去、様々な国の王であった者や、歴史上重要であった者たちの名前ではありませんか」
 黒壮猿は会心の笑みをうかべてうなずく。男は、なお石板に目をはしらせる。石板には、名前とともに数字がかかれている。恐ろしく桁の大きな数字だ。
「黒壮猿様、この数字の意味は私にはわかりません」
 男は黒壮猿に教えをこう姿勢をとる。黒壮猿は満足そうにうなずく。
「この数字は、石板ができてからの時間にあたる」
「時間ですか。いったい何の時間なのですか」
 男は黒壮猿に問う。 「その数字は、石板に刻まれた名前の者が、死んだ時をあらわしている」
 男は黒壮猿のいわんとしていることがわからぬまま、石板の文字をよみすすめた。……白賢龍。男の目に、ふとその三文字がとびこんできた。
「白賢龍とは、白大国の白王のことですか」
 白王はまだ生きている。
「そうだ」
 黒壮猿はうれしそうにこたえた。
「しかし、白王はまだ生きて……」
 そこまで言いかけて、男は口をつぐんだ。男にとって、そもそも黒陽会は謎の存在だった。黒陽会が海都に進出してきてから、わずか数年で勢力を広げたのが謎だった。信者の数が少ないのに、潤沢な資金をもっているのも謎であった。このような教会を建てる資金をいつ集めたのかも謎であった。
 資金については黒陽会にはいったあとに理由がわかった。彼らは、鉛から金をうみだす秘術をもっていた。しかし、それだけでは理解できないこともあった。  彼らは、しかるべき時に、しかるべき場所に必ずいることによって、先行者の利益をえて、勢力を拡大していったのだ。まるで未来でもよみとることができるように。
「黒壮猿様、この巨大な石板は一体何なのですか」
 男はおそるおそる黒壮猿にきいた。
「死表」
 黒壮猿の口から、重々しくその名前は発せられた。
「死表?」  男は言葉を反芻する。 「死表とは、いったい何物なのですか」
 男は額に汗をうかべながら黒壮猿に問うた。
「死表とはこの世の写しである。この世でおこる重要人物の死をあらかじめ察知するための道具である。この死表は、我ら黒陽会の至宝だ。この死表さえあれば、何者をも出しぬいて、しかるべき時、しかるべき場所に立つことができる。そして、我らのおこなうべき仕事を成し遂げることができるのだ」
 黒壮猿は、口から火をふくようにこたえた。
「成し遂げるべき仕事とは」
 男は膝を床におとし、震えながら声をふりしぼる。
「唯一神である太陽神による、この大陸の完全なる支配」
 黒壮猿の言葉に、幹部達が一斉に唱和した。その瞬間、死表はまばゆい光を発し、白賢龍の名前の下に、新しく数字がきざまれた。
「歴史は動きだした。白賢龍の死とともに、我ら黒陽会は、さらなる発展を遂げるのだ」
 男には、その数字がいったいいつを指し示しているのかわからなかった。それはあまりにも大きな数字で、人が記憶できるものではなかった。暗がりのなか、黒陽会の幹部たちは、太陽神をたたえる歌を唱和した。


白麗蝶と白大狼

 白都の王宮では今日も会議がつづいている。あと少しで大陸を完全に制覇できる。そのことが、軍をひきいる軍団長たちの奢りをうんでいた。いや、それどころか、戦争に勝った後の任地獲得にむけて、政治的野心をむきだしにして、彼らは議論をかさねていた。
 これでは会議が終わるわけがない。かつては有能で信頼できる部下であった軍団長たちを、白賢龍は冷めた目でみた。青聡竜よ、お前の辞めどきは正しかったようだな。国が若いころは、彼らの野心が国を大きくする原動力となっていた。しかし今は、同じ野心が白大国の結束を乱そうとしている。
 彼らを一掃することはたやすい。しかし、彼らは国が小さいころから苦楽をともにしてきた仲間たちだ。私は王にはむいていないな。そう白賢龍は心のなかでつぶやいた。

「白王様、どこにいかれるのですか」
「少し、外の空気をすってくる」
 席をたち、私は部屋をあとにした。庭園にむかおう。王宮の中で、あそこが一番落ちつく。廊下をぬけ、私は庭園へとでた。陽が温かく体をつつんでくれる。あのような、四方を壁で囲まれた部屋で議論をしていては、悪い方にしか話はすすまないだろう。明日は庭園ででも会議をするか。
 白大国は、既に大陸のほとんどを覆うまでに成長している。急いで兵を派遣しなければならないような戦場は、もうそれほど多くはない。既にその根拠地を包囲していたり、もしくは帰順の時期を考えているような国が大半だ。会議が一日長引いたとしても、大勢は変わらない。
 庭園の鮮やかな花の色が目にとびこんでくる。  いや、だからこそ、早く大陸を統一するべきなのだ。機会をのがせば、大陸の統一は夢とおわる。そう、私は年を取りすぎた。大陸統一前に私が死ねば、白大国はどうなることであろうか。
 重い足どりで庭園をあるいていると、前方から少女の笑い声がきこえてきた。白麗蝶か。頬が自然とほころぶ。白麗蝶は、十歳に満たない娘だが、私の子供の中では最も年上だ。私が死んだら、この子が王位をつぐことになるだろう。思わず感慨にふけっていると、茂みをかきわけて、幼い少女がとびだしてきた。
「あっ、お父様。うっ、やばい」
 白麗蝶は、あわてて手にもっていた物を後ろ手にかくした。
「麗蝶、何をもっていたのだね」
「いや、何ももっていません。ええ、何ももっていませんとも」
 白麗蝶は、必死に笑みをつくる。茂みの中から、一人の青年がゆっくりとあるいてでてきた。
「もっているのは剣ですよ」
 青年はニコニコと笑いながらいった。
「こらっ、大狼。お父様にばらしてどうする」
 少女はあわてて青年を怒鳴りつけた。
「こら麗蝶。白大狼にはお前の世話を申しつけておる。しかし、きちんと礼節をわきまえた態度を取れとも申しているではないか」
 私は厳しい目で白麗蝶の顔を見た。
「うわっちゃー、お父様がおかんむりだわ。逃げろ大狼」
 少女はその場に剣を放りだして、走って逃げだした。白大狼は白麗蝶が投げすてた剣の柄を空中でつかんだ。庭園には、白賢龍と、白大狼の二人がのこされた。
「大狼よ、もう少し麗蝶を御することはできぬのか」
「いやー、伯父さん。僕は麗蝶の単なる世話係ですからねえ。何か特別な期待をされても困りますよ」
 白大狼はわらった。
「私が死ねば、白大国は麗蝶が継ぐことになる。しかし麗蝶はいまだおさない。きっと麗蝶の夫となろうとする野心家たちがあとをたたず、国は戦乱に叩き込まれるであろう。だが、お前が夫となり、お前が国を治めてくれれば、戦乱は起こらずに白大国は百年の安定をむかえることができるだろう。
 大狼、お前は我が子以外では、最も私の血を濃く引いている。お前が麗蝶の夫として名乗りをあげさえすれば、誰も文句はいわないであろう。大狼よ、麗蝶の夫として名乗りをあげるのだ。そうすれば、白大国は磐石になるだろう」
 白大狼はかぶりをふった。
「すみません。残念ながら、私は国のことなどまったくわからないのです。だから今こうして生きている。やんちゃでおてんばな姫様の尻拭いをするぐらいが私の器です」
 白大狼は、一礼をして庭園からさっていった。白大狼は、今は亡き私の弟の長子だ。誰もが彼を無能とよんでいる。だが私は知っている、彼の才能を。その昔、白大狼が青聡竜と話しをしているのを覗きみたことがあるのだ。白大狼は、十歳に満たない年でありながら、青聡竜と徹底的に議論を戦いあわせていたのだ。
 私が亡きあと、白大国を治められるのは、血筋からいっても、才能からいっても白大狼しかありえない。だが、その事を強要しすぎれば、白大狼は王宮からでていくだろう。彼が慕っていた青聡竜が、この国をでたのと同じように。
 私は椅子に腰かけた。庭園でまどろんでいると、白麗蝶が小走りにやってきた。白麗蝶は、口に手をあて私の耳に近づき、小声で話しかけてきた。
「大狼から聞いたんだけど、お父様何か悩んでいるみたいだって。理由は何だかわからないけど、お父様元気をだしてね」
 それだけいうと、白麗蝶は一目散に庭園からはしりさっていった。仕方がない、会議の席に戻るとするか。麗蝶のためにも、私はまだやることがあるのだ。


史表

 白都から海都の間は、馬の脚で急いでも数日はかかる。広河をくだっていくという選択肢もあったのだが、今回は海都にいたるまでの時間をかせぎたかったので、陸路をいくことにした。白賢龍の真の意図はどこにあるのか。そのことを見極めなければならない。そのために陸路をとったのはよいが、たいそうな行列になってしまった。
 今回は、百人の僧、百人の兵、そして黄金を積んだ馬車をまじえての道程だ。そのため、海都につくまでには数週間はかかるだろう。青聡竜は馬車の上でゆられながら、白賢龍の書いた史表をよんでいた。二巻ある史表のうち、白賢龍のかいた史表を前巻、白紙の史表を後巻と便宜的によぶことにしていた。  ニ巻といったが、前巻史表は実際には数十巻にわたっている。白賢龍があの日、空に投げ上げたのは、その最初の巻に過ぎない。海都につくまでに、全てよめるだろうか。
 史表の暦数は、白賢龍が史表をかきはじめた年を基準に定められている。白賢龍が前巻史表をかきはじめた年が後史表一年、その前の年が前史表一年。後はその年から離れていくごとに、年数が一年ずつ加算される。史表歴でいえば、今年は後史表十年ということになる。
 前巻史表は、前史表一年からはじまり、前史表千年でおわる。白賢龍の言葉をかりるならば、千年の中に人の歴史は何度も繰り返されているということだ。人は何度も同じあやまちを繰り返している。それは千年の悠久のときをへても変わらぬものだ。白賢龍はなげきながらそうかたった。
 青聡竜は馬車の上で空をあおぎみた。
「白賢龍め、私にこんなものをわたして、何をしろというのだ」
 青空をながめながら青聡竜はつぶやいた。難儀なものをわたされたなあ。正直そういう気分だ。世俗の政争にまみれるのが嫌で、若くして隠居した身だ。それが、世俗の政争を記録する立場にされてしまった。白賢龍め、私をうらんでいたか。そうかもしれない、そうでないかもしれない。
 視線を空からはなして、隊列にむける。一人の兵が馬車にむかってはしってきた。
「どうした」
 兵に声をかけてやる。
「司表様、大変です。盗賊の一味が道の先に陣取っています」
 司表様か。そういえば白賢龍は、私に新しい名前をさずけたな。
「数は」
「百人ほどです」
 分が悪い。こちらは、非戦闘員の僧を百人かかえている。黄金をつんだ馬車もあり、動きにくい。困ったな。兵士が哀願するような目で私をみている。
「司表様は、かつて高名な軍団長であったと聞きます。この場をうまくきりぬける策をさずけてください」
 おいおい、軍団長だったのは十年も前だぞ。白賢龍め、百人の兵はさずけたが、それをひきいる将はさずけなかったか。私に働けというのか。よくよく考えれば、盗賊が襲ってくることは考えられないことではなかった。白王によばれた男に、これだけの人員や馬車が下賜されたのだ。それを奪ってしまおうという奴があらわれるのは不思議ではないことだ。
 さて困ったな。史表にまた目をもどす。そこには、一つの話がかかれていた。今の状況と非常に似ている話だ。場所も同じだ。昔の王国で、盗賊に囲まれた貴族がとった策が、そこにはかかれていた。
「兵士よ、今からさずける策の通りにうごけ」
 史表によると、この場所には、相手に気づかれずに敵を囲む抜け道がいくつかあるらしい。兵士に調べさせたら確かにあった。伏兵をその場所に配置して、盗賊を迎え撃つことにした。この土地になれているはずの盗賊が、意外な場所からの攻撃をうけて潰走する。逃げこんだ先にも兵士がいる。百人ほどいた盗賊たちが、みるみる数をへらしていく。数分後、戦闘の声はおさまり、兵士が報告にきた。
「敵盗賊を全滅させました。こちらの被害はありません」
「敵は全員死に、こちらは無傷だったというのか」
 予想外の報告に、思わず問いかえす。
「はい、司表様のおっしゃる通りです」
 驚くべき報告であった。少しは有利に戦えるだろうと思っていたが、ここまで圧倒的な勝利をおさめられるとは思っていなかった。兵士たちは喜びの声をあげている。だが、私は腹の底に氷を投げこまれたような気持ちになった。
 もう一度前巻史表に目をおとす。そこには、政治、戦争、経済、あらゆる問題に対する明快な解答がかかれている。こんな地方での小競り合いの勝ち方までがかかれているのだ。この前巻史表があれば、凡庸な人間でも、国を切りとれるのではないか。そう思う根拠はある。何せ、二十年程度で大陸の大半を平らげたあの男が、十年の歳月をかけて著した書物だ。
 この史表は百人の白賢龍を生む。私の脳裏に戦慄がはしった。大陸を恒久の平和にみちびくだと。思わず心の中でさけんだ。こんなものを、誰もが閲覧でき、活用できるようにしろだと。背中に汗がにじむ。白賢龍よ、いったい何を考えていやがる。恐怖が頭の中をかけめぐった。
 頬を汗がつたう。この史表は単なる歴史書ではない。大陸をたいらげる方法がかかれた禁断の書だ。
「司表様、出発してよろしいでしょうか」
 兵士が確認にきた。
「ああ、海都を目指してすすめ」
 空は晴れわたっている。しかし私の心中には暗雲がたれこめていた。兵士の問いに対して、私はかすれる声でこたえるしかなかった。


前談 了


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