2001.09.05(水)03 バリアフリーマンの予習

 2001年9月4日。

 世の中は「ディズニーシー」のオープン日で賑わっているというのに、私は今の所「ディズニーシー」に行く予定がありません。

 というか行く相手がいない。

 ガックシ。

 だが、そんなことにもめげず、今日はプレイボーイの「キン肉マンII世」を読んでいました。

 いよいよ、「II世」「バリアフリーマン」との戦いが始まります。

 ここ数ヶ月、ずっと「バリアフリーマン」のことが気になって仕方がなかったのです。

 というわけで、「バリアフリー」の予習でもしておこうかと思いました(参考ページ:バリアフリーリンク集)。

 「バリアフリーって段差のない住宅のことか?」ぐらいしか私には「バリアフリー」の認識はありません。

 というわけで、「バリアフリー」検索して数十ページほど読んでみました。

(不思議なことに、私的にサイトのデザインの良くないページがやたら多かった)

 どうも、「バリアフリー」という言葉、はじめは建築関係の言葉だったみたいです。

 元々「バリアフリー」は、ビルなどを建築するときに階段の代わりに緩やかなスロープを付けたり、つまずきやすい段差をなくすなど、障害者や高齢者の「建築上の不便さ(障壁:バリア)を取り除く」という意味で使われていた言葉のようです。

 これが転じて、現在では各種商品・サービスなどにも広く使われており、「人間が社会の中で人間として自立する上での不便さ(障壁:バリア)を取り除く」ことに拡大して使われているそうです。

 「障害って言っても人によって違うしなあ」と思っていたら、視覚、聴覚、口腔、上肢(指腕)、下肢(足腰)、知的(うっかりミス)と色々あるようです。

 ここまで調べて、「この手の話しは切りがないぞ」と少し不安がよぎります。

 「誰もが同じように」というのは程度の問題で、どこまでやるかの線引きが非常に難しいものです。

 この手の問題では「こうしなければならない」という論法で話しを進められるのが常なのですが、本当にそうするのかどうかは費用対効果の問題だと思っています。

 かけたコストに見合うだけの物理的、精神的利益のある問題であれば人はコストをかけますが、そうでなければ人はコストをかけません。

 歴史的に見て、現在の生活水準が過去よりも高くなり、社会に余裕が出てきたからこそ「バリアフリー」と唱えるだけの余力を生み出せるものだと私は思っています。

 余った時間や労働力を福祉などに回して精神的利益を得ることができる。

 そういう余力が今の社会にはあるのだと思います。

 今後社会が発展し、人類の余力が増えることが前提にあるからこそ、「バリアフリー」は成立するのだと思います。

 なので私は同じ障害を取り除くのなら、様々な研究や開発にコストをかけ、社会の発展速度を上げる方を取ります。

 社会の底力を上げることは、相対的に社会の余力を増やすことになりますので。

 これは方向性の問題なので、どっちが良いとは言えません。

 まあ程度問題なのですが。

 何だか話がそれました。

 どうも、「バリアフリー」とは、誰もが同じように情報やサービスを入手でき、かつ活用できる社会作りを目指すムーブメントのようです。

 「物理的、心理的な問題が、社会の中で障害にならないように」ということのようです。

 そのために、もっと考えて物を作ったり社会制度を変えたりしていこうと。

 そういうことだと思います。

 さて、話は「キン肉マンII世」に戻ります。

 色々とこういう背景があるようですが、でもきっと「バリアフリーマン」はそんなことをお構いなしに戦ってくれると思っています。

 そして色々と「II世」「バリアフリーマン」的お説教をしてくれると思います。

 どうなるのかさっぱり分からない戦いなので、どういう展開になるのか非常に楽しみです。

 追伸:

 せっかく調べたのに、「バリアフリーマン」の予習にさっぱりならなかったです(T_T

 支離滅裂、嗚呼無常。

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