● 2002.03.07(木)01 情報の規制について考える

 本日は珍しく真面目な話です。ここ数日の流れで、書かなければならないと思ったので、この文章を書きます。

 大枠だけ書きます。細かな例外は省きますので、そう言った揚げ足取りはご遠慮ください。言葉という伝達手段の限界、各個人の前提認識、これまで得た情報の差があるために、私の意図は正確には伝わらないと思います。

 けれども、誤解が生じることを覚悟した上で、敢えて文章を書きます。

 また、あくまで以下の文章は私一個人の見解であり、これが真実とは限りません。各人が御一考いただくきっかけとなってくれれば幸いです。

 では以下本文です。


● 人類史上の異常事態

 まず、前提認識として持っていただきたいのが、現在の情報に関する私たちを取り巻く状況が、人類史上かつてないほどの異常事態だということです。

 これほどの情報の量に、かつて人類は出会ったことがありません。情報を発信することに、命がけでなくてもよい状況も非常に特殊な状況です。これまで表面化しなかった情報に、簡単にアクセスできることに多くの人は戸惑っています。

 こんな異常事態は、ここ数十年という非常に短い期間に起こった現象です。少し100年ほど時代を遡れば、この今日の状況がどれだけ異常な事態かが分かると思います。

 まず第一に私が言いたいことは、現代の視点で情報の問題を考えるのは非常に危険だと言う事です。

 特に私自身を含めた戦後生まれの人間は、生涯を通して強い情報弾圧に合ったことがないという、極めて稀な環境で育っています。言わば、無菌室で育てられた実験動物のような、抵抗力のない状態にあると言えます。

 病気にかかったことがない人間が、病気のことについて深く悩まないのと同様に、現在の私たちは、情報に関する危機意識が希薄です。今情報について考えるならば、過去1000年、未来1000年の視点を持って物事を考えていかなければなりません。

 第二に自分たちが、今いかに特殊な時期にいるかを認識するべきです。

 これが一過性の特殊な状況であれば、特に私も目くじらを立てることはありません。今が社会的に不安定な状態であるのなれば、この異常事態が収束し、安定状態に入ることが社会的には望ましいことかもしれないからです。

 しかし、今の異常事態は理由のある異常事態です。「異常」と書いてきまいたが、これは実は必然的な状態です。

 現在の状態を異常と感じているのならば、その価値観を捨てる必要があるでしょう。これまでの数十年の人生で、そう感じる価値観を築いてきたのならば、その価値観は変えるべき時期に差し掛かっているからです。


● 自然現象としての革命

 人類史上には、転換点となる革命がいくつかあります。

 例えば稲作、小麦作による農業革命。この革命により、食料が一気に増加し、人類は狩猟、採集の生活から定住の生活へと移行しました。

 農業革命により、人口が増えた結果、社会構造の革命というべき村、国家の誕生も起こりました。そしてさらに技術の進歩による農業革命で、余剰作物ができ、商品経済の流通革命がおこりました。

 私たちにとって、もっとも身近で分かりやすい革命は、工業化により余剰生産物が激増した産業革命でしょう。

 こういった革命は、全て一定の法則を持っています。法則は簡単です。複数の原因が元で何らかの物品が増え、既存社会の許容量を越えたときに、これまでの社会の構造が変わる。法則はこれだけです。

 例えるならば、バケツに水を注いで行き、水が溢れた時点で新しいバケツを作りなおす。これと同じです。

 社会の枠組というダムが決壊し、社会の枠組自体を変える必要が生じるのが革命なわけです。

 これは特殊なことなのでしょうか?

 違います。これは自然界ではごく自然な現象です。生物というものは、量の肥大、臨界点の突破、質の変化というサイクルをほぼ繰り返してこれまでの歴史を刻んできました。

 これは、生物の細胞分裂と同じです。多量のエネルギーを蓄積した細胞は、分裂し、複数の細胞となり、これまでと違う段階に入ります。生物は同じ割合で延々と大きくなるわけではありません。これは社会も同じです。

 社会という生物も細胞と同じで、量の飽和が臨界点を越えてしまえば、社会の質そのものが変わってしまいます。細胞ではこれを細胞分裂と呼びます。社会ではこれを革命と言います。


● 現在進行形の革命

 現在、社会において情報の飽和が起こりつつあります。この内圧は、皆さん日常的に感じていると思います。

 紙媒体、電波媒体、インターネットと、この100年ほどで情報量が急増しました。このことについては、異論はないと思います。現在は、情報革命というべき社会の変革期に入っています。

 前述の自然現象としての革命から考えれば、現在は、情報という側面から社会の枠組が変わろうとしている時期だと言えます。

 媒体による過激、過剰な情報発信、ソフト、デジタルデータの不正コピーによる著作権問題などは、社会の枠組が変わり始めていることが震源となっておこっている現象です。情報の量、種類、速度が過剰になったために、これまでの社会の枠組で発生しなかった問題がおこっています。

 私たちは、この現在進行形の革命の、真っ只中にいることを認識しなければなりません。


● 変革期の闘争

 変革期には闘争が起こります。

 生物は、環境の変化に対して、自己を安定化させようという性質を持っています。これを恒常性と言います。社会も同様で、自己を安定化しようという性質を持っています。これは、法や慣習、常識や文化などです。

 変革期には、これらの枠組を大きく変えようという、内部からの圧力が発生します。社会は、その安定を維持するためにこの内圧に抵抗します。これは、社会的摩擦として表面化してきます。

 分かりやすい例で言うと、変革期には、これまでの既得権を持った側と、急進的な勢力との間で争いが起こります。

 歴史を振りかえれば分かる通り、時代の境目には、時の勢いを受けた人物、集団が現れます。これらは、その時代から見れば急進的勢力であることがほとんどです。

 急進的勢力の多くは、特に明確な意識を持たない、その時代を反映した波に乗っている人々です。これらの人々は、守旧派から見れば異常な集団にしか見えません。

 なぜならば、急進的勢力のほとんどは、ただ新しい時代の流れに乗っているだけの、守旧派と変わらない人々たちだからです。そのため、守旧派にとってはその行動原理が分からず、なぜ彼等が自分たちと違うのかも分かりません。社会が革命期に入った状態では、明確に急進派、守旧派と色分けをすることができないことがあるのもそのためです。革命の焦点となっていることが分かり難い場合には、集団は非常に細分化されます。

 こういった急進派、守旧派の間には、往々にして激しい摩擦が生じます。

 しかし、そもそも社会基盤が変わってしまったために急進的勢力が現れるのです。そのためこの争いは、最終的に急進的勢力が勝つことになります。

 こういった事情から、守旧派の抵抗が激しいほど、争いは泥沼化します。

 最悪のケースは、一旦守旧派が勝ち、時代の流れが一次的に止まり、社会の枠組が変わるのが遅れ、摩擦が長い期間に渡って起こることです。

 社会構造が既に新しくなった外部の勢力がある場合、この外部の勢力による収奪にさらされる危険性もあります。世界史的に見て、植民地時代というのは、そういった社会構造の変化の差によっておこった部分が多いと思われます。

 現在は、この変革期の闘争時代に突入しています。


● 情報革命で起こる問題

 情報革命によって情報量が増大している社会においては、これまで流通しなかった情報が流通し始めます。それは、エロであったり、グロであったりする可能性もあります。これまでの社会の枠組で、青少年にとって好ましくないとされていた情報である可能性もあります。また、著作権によって保護されていた情報も同様です。

 しかし、まだ現在が変革期であることを考えると、これ以降の時代では、もっと多くの情報が流通するものと予想されます。

 経済格差ならぬ、情報格差が深刻となるはずです。それがどういうものかは、まだ人類が体験をしたことのない状態ですので、推測の域を出ません。


● 規制について考える

 現時点での情報の規制を考えるときに、こういった革命時期であるということも考慮に入れる必要があります。単に権利、義務の問題ではなく、変革期の摩擦の一つとして、規制問題があるということを考えなければなりません。これは、ある意味戦争に近いものだと認識する必要があります。

 現在の革命の焦点が、情報という肉体的苦痛を伴わないもののために気付きにくいのですが、実は現在は人類史上重要な闘争時代に入っています。

 これまでの時代の情報規制と違い、現時点での情報規制は、これまでの社会における戦争と非常に近い行為であると言えます。

 もちろん、いつの時代も情報の規制は歓迎されるべきではありません。情報の遮断は思考の停止につながり、個人の価値の低下を招くものだからです。第二次世界大戦のような悪夢は、できるなら体験したくありません。

 戦争は避けるべきだと私は考えています。

 情報の規制とは、現時点で守旧派が急進派に仕掛ける戦争に近いものだと認識しています。個人的には、また歴史を繰り返すのかという気持ちが強いです。私たちは、意志を持っている人間です。できればこの自然の流れを変えたいと思います。

 そのためには、今の状態を認識し、これからの社会が、これまでの社会とは違う社会になるということにまず気付かなければなりません。そして、そういった視点に立って議論をしていかなければならないと考えています。

 今私たちに必要なのは、真に新しい枠組を作っていくことです。私は、まだその枠組がどういうものなのかまでは分かっていません。


● 個人的に思うこと

 情報の活用と発信の重要さを認識し、あたり前の感覚として持っている子供達を教育していかなければならないと思っています。これは、変革期に生きる私たちの責務です。

 人間の時間は有限です。全ての情報を同じ時間で扱うことは不可能です。そのために、私たちはもっと知恵を絞り、情報を加工していく術を身につける必要があります。

 例えば小学生が微分積分を学んでいないのはなぜでしょうか。それは、小学生に微分積分を教える方法をまだ開発していないからです。

 ほんの数百年前までは、大人でも分数というものを知らなかったのです。

 今後、情報革命によって、人間が一生で取り扱うべき情報が飛躍的に増えます。この革命に対応するために、情報技術をもっと真剣に研究、開発しなければなりません。

 20世紀が経済技術、科学技術の時代だとしたら、21世紀は情報技術の時代になると言えるでしょう。

 これは、私自身にとっても課題であります。自分を変えていかなければ次の時代には生き残れない。その危機感にいつもさらされています。

 情報を規制することが、これからの時代を生き抜かなければならない子供達にとって本当に重要なのか、一考する余地があると思います。それよりも、子供達に情報技術を伝えられる、よきアドバイザーとしての大人を育てていくことが必要なのではないでしょうか。

 思考を停止して、ただ線引きをして規制するのではなく、子供に何が重要かを伝えられ、選別の能力を与えていける大人が必要だと思います。

 これからの来るべき時代に、何が必要なのかを考え、実践していく必要があると思います。

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