2009年07月31日 12:53:39
映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」を劇場で七月上旬と中旬で二回見てきました。
2009年の作品で、監督は摩砂雪と鶴巻和哉。総監督・原作・脚本は庵野秀明です。
mixiの日記でみんな大絶賛だったので、これは見ておかないといけないと思って見に行きました。
これは私も大絶賛です。
久しぶりに、二回見たくなる映画でしたので、二回見てきました。
さて、よいところが多すぎて、「見所は?」と聞かれると困るような映画なのですが、その中で、私が注目した部分を中心に感想を書いていこうと思います。
● 世界の実在性
「破」を見て最初に思ったのは、「世界の実在性」という部分です。
今回の映画では、その世界の中での日常や、世界観、そういったものが、確かな手ごたえを持って表現されています。
これに近いような感覚は、アニメで言うと、過去に「パトレイバー」の映画で感じたものです。
そういった風に感じたのは、「TV版エヴァ」という「ベースの作品」があるのが大きいと思います。
今回の映画版では、その「過去の作品」をベースに、「何を足すか」を考えたのだと、私は推測しています。
エヴァを取り巻く環境や、様々な機械や装置がよく描かれているというのはもちろんあるのですが、世界の実在性をより強固にしているのは、今回の「破」で執拗に描かれていた「日常世界」だと思います。
これこそが、今回大幅に足したものではないかと感じています。
そして、その日常世界とは、第3新東京市の光景と、田舎の風景に尽きると思います。
CGを駆使することで、超遠景まで描きこまれた町や風景が、世界の実在性を嫌が応にも高めている。
これらが対比としてあるために、キーワードの羅列と、絵のインパクトで構成されている「エヴァ」を中心とした世界が生きてくる。
これは今回本当に思いました。
そして、その「実在性のある世界」の中に、「異形の存在」であるエヴァと使徒がいて、その存在理由があり、必然性がある。さらに、その「異形」が社会の中心にいて、きちんと機能している。
そういった「異形」を含めた世界に住む一般人の「生活感」が伝わってきたので、今回の映画を見て、「世界ができている」と感じました。
● アニメーションの力
プログラムを買って読んだのですが、今回のエヴァでは、最初の仮設5号機の戦闘シーンはフルCG、後半の疾走シーンなどもフルCGだそうです。
とはいえ、モデルを作ってただ動かしているわけではなく、「アニメとしての絵」に合わせるために、モデルを激しく変形させたり、モデルをシーンごとに作りなおしたり、そういったことで、「アニメ演出」に対応させているそうです。
ある意味、怪獣映画で、シーンごとに、様々なモデルを作るようなやり方です。
なので、こういう部分もまとめて「アニメーションの力」として括ってしまってよいと思います。
その「アニメーション」を駆使した使徒との戦闘が、もう鳥肌物に格好いい。
よくハリウッドの映画などで、3Dモデルを動かして凄いシーンを作っているんだけど、重量感がない映像というのがよくあります。
逆に今回見たエヴァは、ともかく「重く」「痛く」「障壁感のある」アニメーションが続きます。
ある意味、エヴァの「ATフィールド」というのは、こういった「アニメーションの力」、もっというと「アニメーション世界の物理力」を「演出として」発揮する「映像的ギミック」なんだなと実感しました。
特に、「破」の最後の戦闘シーンのATフィールドの使い方は、まさに「力場」を感じるシーンです。
全身が硬くなるほど、強烈な物理抵抗を感じるシーンの連続。
これはもう「アニメーションの力」と呼んでよいのではないかと思いました。
個人的には、戦闘シーンの中では、「破」の最後の使徒との戦闘シーンが一番凄いと感じました。
特に、電柱みたいな柱で「ゴンッ!」と殴られるシーンの演出が上手いと思いました。欧米アニメーションとは違う次元の、日本のアニメーションの文脈での演出の付け方の最たるものだと感じました。
ともかく、あれが痛そうでよかったです。
あと、その後の、シンジの掻き分けるシーンの「重さ」の演出。あれもよかった。
全体的に見て、使徒の物理法則を無視した「軽さ」の演出と、そこから攻撃に転じる時の「重さ」の演出が、メリハリが利いていてよかったです。
なんというか、超次元に投げ込まれたような戦闘体験ができます。
ハリウッド映画などでは、頑張って「重さ」の演出を付けようとしていると感じることはあるのですが、今回のエヴァのような「絶対0重量+浮遊的時間演出」と「無限大重量+0秒衝撃演出」のような対比演出はあまり見ないので、この演出は堪能しました。
● 演出力
各シーンに、過剰なほどサービス精神たっぷりの演出が入っています。
「映画」は、ストーリーを追うだけでは駄目で、「映像的フルコース」でなければ駄目なんだなと、今回の「破」を見て、あらためて実感させられました。
ストーリーに対する「映像的演出」が、ともかくふんだんに盛り込まれています。
序盤で特にそれを感じたのは、水質改善プラントを上空から見たシーンです。セフィロトの樹に見えるような外見にすることで、そこに映像的フックを設けている。
全編そんな感じで、脚本で書くとするっと流されそうな場所にも、ともかく見た目のアイデアが大量に盛り込まれている。
おかげで、ストーリー的にはそこまで複雑ではないにも関わらず、見終わった後の満腹感が凄いことになっている映画でした。
正直、見終わった直後は、しばらく映画はいいやと思うぐらいに、久しぶりにお腹いっぱいになりました。
● ストーリーの改善
さすがに下敷きがあって、尺的にそのまま利用できないこともあり、物語の構成が改善されていました。
TV版がグタグタ(後半)という部分もありますし。
綾波を中心とした料理エピソードを使い、シンジとゲンドウの接近と乖離を描くことで、話の構成が骨太になり、物語としての質が上昇していました。
あと、どうでもいいですが、料理を頑張っているのを、絆創膏の数で表すのは、単なる「不器用合戦」だよなと思いました。
まあ、映像的に分かりやすくするためなの演出なのは分かるのですが。
また、プログラムを見た後に、脚本にかなりの変遷があることが分かりました。
そして、その変遷を読む限り、結果的に今回の着地点で正解だったと感じました。
きっちりと面白くなっていましたので。
● キャラ
キャラに関しては、みんなマリが好きみたいですが、私は特にマリに思い入れはなかったです。
映画版として、入れて正解だと思いますが、あくまでサブのピエロだよなと思いましたので。
それよりは、「使徒だよな」というのが個人的な感想です。
映画として、「現在」作って、「CGをふんだんに入れられる」ことで出来た、あの奇妙奇天烈な絵面と動きの使徒たち。
あれこそが、今回の映画の最も大活躍の新キャラだよなと思います。
ともかく、気持ちよすぎるほどの浮遊感と、痛さを感じるほどの重量感が、瞬間的に切り替わるあの使徒たちの凄さ。
あの動きを見るためだけに、もう一度映画館に足を運んでもいいと思いました。
● 歌
ずるい。
日本人で、あれらの歌を、あんな風に使われると、これはもう、脳みそに針を突っ込んで、掻き回されるような気分になる。
あの「歌」による演出部分は、外国には翻訳できないなと思いました。
● まとめ
いいところが多すぎて書ききれないです。
これは、完全に当たり映画です。
本当に楽しめました。
今回、粗筋は「ネタバレだらけ」になり、ネタバレを気にする人は「地雷だらけ」になるので書かないことにします。
いやー、映画館で見てよかったです。