映画「悪魔の赤ちゃん」のDVDを一月中旬に見ました。
1974年の作品で、監督・脚本はラリー・コーエン。
原題は「It's Alive」で、「フランケンシュタイン」の中の有名なセリフから採られたものだそうです。
映画中、フランケンシュタインに言及する台詞も出てきます。「フランケンシュタインの本当の怪物は、作られた生物ではなく、作った科学者の方だと思った」といった内容です。
凄い面白いわけではないですが、なかなか面白かったです。
さて、この映画は、「悪魔の赤ちゃん」というからには、恐ろしい赤ん坊が出てきて、人間を襲う恐怖映画だと思われるかもしれません。
事実、私は映画を見るまでは、そう思っていました。
確かに、恐ろしい赤ん坊が出てきて、人間を襲う映画なのですが、恐怖はそこではなく別のところに仕込まれています。
それは、そういった「普通ではない子供」が産まれた夫婦を襲う、周囲の人間や世間からの扱いです。
赤ん坊が人間を襲って殺していく部分は、全くと言っていいほど怖くはありません。
しかし、夫婦が周囲から追い詰められていく様子はリアルさを感じて、じわじわとした恐怖をもたらします。
この映画の恐怖は、社会の持つ、偏見や差別の比喩になっています。
夫は会社を首になり、妻は精神を追い詰められて頭がおかしくなっていきます。そして夫は、「社会」の側に立つために、怪物とした生まれた子供を狩る側に身を置くことになります。
怪物は、赤ん坊ではなく、その一家を取り囲む大人たちとして表現されています。
この映画には、特に表に出ていませんが、もう一つの恐怖が盛り込まれていると思います。
以下は、作者側が意図したかどうかは分かりませんが、「私にはそう見えた」内容です。
その恐怖とは、「父親になる恐怖」です。
主人公夫婦には既に一人子供がいますので、初めて父親になるわけではありません。なので、この恐怖を感じたのは製作者側の意図かどうかは分かりません。
主人公の父親は、映画の序盤で子供の誕生をそれほど望んでいない様子を見せます。そして、子供が生まれたせいで、社会的立場が変わり、職を失ったり、夫婦の関係が変わったりします。
望まない形で大きな変化が起きるわけです。
これは、「父親になる恐怖」ではないかと思いました。父親になるということは、これまでの自分の人生を、ある程度捨てることになります。これは男性にとっては、大きな恐怖だと思いました。
そういう意図があるのかどうかは分かりませんが、終盤、子供を狩る側に回った父親が、異形の子供と対面した後、それを守る側に回ります。
その様子を見て、「父親になる恐怖」から「父親になることを受け入れ」「父親になった」話だと感じました。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。あまりネタバレが関係ある映画ではありません。終盤の半ばまで書いています)
主人公は一子を持つ男性。彼の妻は妊娠しており、その出産で病院に行く。
だが、その出産の現場で変事が起こる。産まれた赤ん坊が、医師たちを殺して逃亡したのだ。にわかに信じられない事態だったが、それは事実だった。
逃亡して潜伏した子供は、次々と人間を殺害し始める。
警察は赤ん坊の捜索を始める。医師や研究者は、研究材料として赤ん坊を追う。製薬会社は、自社の薬が原因ではないかと考え、赤ん坊を葬り去ろうとする。
その中、夫婦は追い詰められていく。会社は夫を首にし、マスコミは夫婦を実名報道する。周囲からの非難の声に、妻は精神を犯されていく。
夫は、赤ん坊を研究機関に譲り渡す書類にサインする。そして、警察とともに赤ん坊を追う。
彼は銃を持ち、赤ん坊を狩る側に回る。だが、下水道で赤ん坊と対面したことで、その赤ん坊を守ろうとし始める……。
映画を見ながら、産まれたばかりの赤ん坊が他人を殺せるほどの力を持っている話って、昔話で何かあったなと思い出しました。
少し記憶を探ってみましたが、酒呑童子だったような気がします。他に何かあったような気もしますが、載っていたと思われる本を探してみましたが、出てきませんでした。
記憶力がよくないのが悔やまれます。