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2010年10月16日 14:38:31
昨日のタモリ倶楽部で、エロ漫画雑誌投稿者の中でも最も有名な人物、三峯徹氏の特集が組まれました。
その特集を、私は楽しみにしており、昨日は家でしっかりと準備をして見ました。
たぶん、私のように、実名で活動をしており、マンガ関係ではない業界で働いており、そして、エロ漫画雑誌の投稿者だったことを公表している人間はそれほど多くはないと思います。
私は学生時代から社会人初期の頃にかけて、いわゆるエロ漫画雑誌の投稿欄に、イラスト投稿を行っていました。いわゆるハガキ職人という奴です。
(エロ漫画雑誌への投稿は、会社でも公言していたし、取引先にも知られていた)
多い時で、10誌以上にイラストを送っていました。そして、当時の横の繋がりは、今でも続いています。
三峯徹氏の存在を知ったのは、ちょうどそういった頃、私の青春時代でした。
そういった「エロ漫画雑誌の投稿者」というアングラな趣味を持っていた人間として、昨日の番組は非常に感慨深いものがありました。
というわけで、「これは感想を書かねば」と思ったので、以下いろいろと書いていきます。
● 20年続けている重み
これは、本当に凄いことです。私が投稿を始めたのは、18〜19年ぐらい前のことでした。その頃には既に、三峯徹氏のハガキは雑誌に掲載されていました。そして今でも現役で活躍(?)しています。
同じことを20年続ける。それも、社会的に評価されないことを20年続け、「死ぬまで続けていきたい」と語れることは尋常ではありません。
三峯徹氏を見て思うことは、「人間なんでも一徹に20年続けると、そこに時間の重みによって価値が生まれてくる」ということです。
世間的に全く評価されないような趣味でも、気の遠くなるような年月続けると、その人の存在でしか語れない何かが生まれてきます。
三峯徹氏に、何か特殊な才能があるわけではありません。唯一あるとすれば、「続ける」という類稀なる素質があるだけです。
彼を見ていると、人間はイチローのようにはなれなくても、三峯徹にはなれる可能性を持っているんだと思わされます。
三峯徹になりたいかどうかは別として、1つのことをやり続けることで、その価値を認める人(私もその1人)が生まれてきて、リスペクトを得ることができるんだという勇気を、彼は与えてくれます。
● 現役で30誌に投稿している重み
私が最も投稿を行っていた時期、投稿していた雑誌は10誌強でした。その数を2〜3年維持していたのですが、その3倍に近い数を、現時点で続けているのは凄すぎです。
三峯徹氏は、1枚のハガキに5時間ぐらいかけるそうです。そのうち、作画作業は1〜2時間程度だそうです。
考えている時間は仕事中でもできるので、実作業は1〜2時間と見るのが正しいでしょう。
1ヶ月30誌、1誌2時間とするならば、ほぼ毎日2時間ずつ、時間を費やしているわけです。
これは、尋常な量ではありません。はっきり言って凄いです。2時間というと映画1本分ですから、年間365本映画を見るような時間を投稿に使っているわけです。
三峯徹氏の重みは、「時間×量」の重みです。
量は質に転化するとよく言いますが、絵の質はともかくとして、何もないところに、彼一人しか勝ち得ない価値を作り出していることは確かだと思います。
ちなみに、私の場合、ハガキ1枚当たりの作画時間は30分〜1時間程度でした。友人の中には、下書きなしで、1枚5〜10分程度で描く人もいました。その友人は、物凄い多くの雑誌に同時に投稿していました。
人によって、ハガキを1枚仕上げる速度は、かなりのばらつきがあります。
● 封書でのハガキ投稿
テレビ放送中、三峯徹氏が、「封書でハガキ投稿をする」という話をしていました。
投稿経験がない人は、この「封書でハガキを送る」という意味が分かり難いと思いますので、少し解説しておきたいと思います。
これは、ハガキ大の紙にイラストを描いて、封書でその紙を送るという意味です。
いわゆる一般の「ハガキ」は、イラストを描くための紙の質ではありません。そのため、ペンの走りが悪いです。
デザイン用品店や文房具店に行くと、上質紙でできた、イラスト投稿用のハガキサイズの紙が売っています。でも、これを直接送るのは色々と問題があります。
実家暮らしの人は、郵便物が戻って来て、家族バレする可能性があります。しかし、そのことよりも切実な問題が、「イラスト投稿」には存在します。
それは、郵便局で、少なからぬ確率で、イラスト側にスタンプを押されてしまうということです。そうすると、1時間ぐらいかけて描いたイラストが死んでしまいます。
また、ハガキが折れ曲がってしまう可能性もあります。汚れてしまう可能性もあります。スクリーントーンが剥げてしまう可能性もあります。
人によっては、イラストとは別に、ハガキの宛名の下に、担当者への私信を書く人もいます。
あと、実は2枚以上ハガキを送るなら、封書に入れて送った方が安く付きます。
そういった諸々の事情から、「ハガキを封書に入れて送る」という、投稿経験者以外には分かり難い送り方が発生します。
● 趣味のヒエラルキーの最下層に近い立場
私自身が身を置いていたので、言い切ってもよいと思うのですが、エロ漫画雑誌投稿者というのは、趣味のヒエラルキーの中では、最下層に近い立場の人間です。
「マンガ」というジャンルで見れば、三大少年誌が頂点にあり、その下に大手出版社の出す少女マンガ雑誌や青年誌があり、その下に弱小・零細出版社が出すその他の一般向け雑誌があります。
ここまでが、いわゆる「表」のマンガ趣味に当たります。世間一般で胸を張って「マンガ」と言えるのは、たぶんここまでです。
その下に、18禁の「エロ漫画雑誌」というジャンルが存在します。
このエロ漫画雑誌の多くは、中綴じの質の悪い紙で印刷されています。コンビニで流通している雑誌もありますが、そのほとんどは、町の小さな本屋の、本棚の影になるようなコーナーで販売されています。
当然、このジャンルにも、人気雑誌、人気作家というのは存在します。
エロ漫画雑誌は、印刷部数が少ないこともあり、自由度がかなり高いです。そのため、そういった雑誌から人気が出て、メジャー誌に進出して、三大少年誌で連載を勝ち取るまで行った人も少なくありません。
ここらへんまでが、「マンガ」を趣味としている人が認識している、「マンガ趣味ヒエラルキー」の範囲です。
実は、この下に「エロ漫画雑誌の投稿欄」という、非常に狭い範囲の趣味があります。
これは始めてみると分かるのですが、なかなか面白く、人によっては「投稿欄のために、雑誌を買う」という人も出るぐらいの、マニアックな楽しさを提供してくれます。
たぶん、多くの人は「何を言っているんだ、こいつは?」「頭がおかしいんじゃないか?」と思うかもしれません。
しかし、「雑誌に数ページだけ載っている読者投稿欄」に熱中する、一部の層がいるということは事実です。
こういった特殊趣味の人間は、「マンガ」ジャンルの趣味の人間としても、ヒエラルキーの最下層に位置します。
また、もっと言うと、趣味全体のヒエラルキーの中でも、非常に低い地位になります(本来は、趣味に上下なんて存在しないはずですが)。
この「エロ漫画雑誌の投稿欄」という趣味は、普通に「マンガを読んでいる」というレベルの人間には通じません。
また、「エロ漫画雑誌を読んでいる」という間口の広い人間にも、なかなか伝わり難いです。
そういった、ある意味「アングラの最下層」でありながら、さらに「趣味の極北」的な立場にあるのが、「エロ漫画雑誌の投稿」という分野だということを、理解しておいていただきたいです。
● 三峯徹氏が、地上波に乗ったことの意味
上記のような「趣味のヒエラルキーの最下層」に当たり、ジャンルが「エロ漫画」で、その趣味の面白さが分かる人間がほとんどいないというのが、「エロ漫画雑誌の投稿」というジャンルです。
その業界(?)の主というか、妖怪というか、生き神的な立場に当たるのが、三峯徹という特殊な人物です。
その彼が「エロ」の壁を突破し、ジャンルの「微小さ」を突破し、深夜枠ながらも、タモリ倶楽部という有名番組で取り上げられ、地上波に乗ったことの意味は大きいです。
そして、出演者のほとんどがその意味を理解できない中でも、それほど色物的な取り上げられ方をせず、淡々と紹介されたことに非常に感銘を受けました。
正直言って、日本は捨てたものではないと思いました。
昨今、表現の規制や、言論の自由を奪う風潮が強い中、そういった人たちが封殺しようとしているジャンルの中でも、そういった人たちが「存在すら気付いていないような微小ジャンルの鉄人」が、地上波で特集を組まれたことに、言いようのない爽快感を覚えました。
この凄さに鳥肌が立った人間は、たぶん日本でもそんなにいないのではないかと思います。
普通の人は、「なんか、エロ漫画雑誌に、変な絵を投稿し続けている人だよね」というぐらいの認識しか、三峯徹氏に対しては、持っていないと思いますので。
でも彼は、私のような立場の人間から見れば、その活動の蓄積によって、一つの存在意義を獲得した、アイコン的立場の人間です。そのため、大きな感慨を持って、番組を見ることができました。
● 雑誌投稿の面白さ
さて、話を少しライトな内容にします。雑誌投稿の面白さについて、少し語ろうと思います。
「エロ漫画雑誌にハガキを送って、何が楽しいんだ?」と思う人が、世の中のほとんどの人だと思います。
これが、実は面白いんですね。その魅力について、語ってみようかと思います。
まず、エロ漫画雑誌の投稿欄というのが、非常にパーソナルなものであるということを知ることが必要です。
似たジャンルで「ラジオ投稿」というものがあります。このラジオ投稿ですが、何が面白いかと言うと、パーソナリティが、どのハガキを取り上げるか、そして、どういったコメントを下すかだったりします。
実はエロ漫画雑誌の投稿欄の楽しさの大部分もそこにあります。
エロ漫画雑誌の投稿欄は、多くの場合、一人の担当者によって作成されています。だいたい「お姉さん」であることが多く、マンガやイラストを描ける女性に、コーナーを丸投げして、その人がハガキを選んで、コメントを書きます。
つまり、その人が構成する数ページは、雑誌のカラーや内容とは関係なく、独自の空間になっているのです。
エロ漫画雑誌は、「ラジオのチャンネル」で、投稿欄は、その中の「番組」のような存在です。そして、その番組を面白いと思えば、投稿をするわけです。
ラジオとエロ漫画雑誌の投稿の違いは、ラジオが文字(読み上げるネタ)ベースの投稿であるのに対して、エロ漫画雑誌は、イラストと文字(ビジュアル)ベースの投稿である点です。
中には、文字だけの投稿者もいて、文章として取り上げられる人もいます。ただ、多くの人は「イラスト」中心の投稿を行います。
その中には、絵の上手い人気投稿者もいて、後にマンガ家としてデビューしたりもします。
実際、ラジオとエロ漫画雑誌の投稿は相性がよく、掛け持ちしている人も何人かいました。
このジャンルの趣味を知らない人が、この趣味の特性を何となく理解するには、「イラスト中心のラジオ投稿」ぐらいに思っておくとちょうどよいです。
この趣味の面白いところは、決して「絵の上手さだけ」でハガキが選ばれるわけではないことです。
基本が「担当者のパーソナルな選択」に掛かっているので、その人の琴線に触れたり、思惑に乗ったりすれば、「絵が下手」でもハガキは採用されます。
タモリ倶楽部の番組中、「三峯氏のハガキが来たら、読まずに捨てるという雑誌もあると聞きます」とコメントが出ていたように、担当の人に嫌われていると、そういったケースも発生します。
こういった部分も含めて、非常にバーソナルな選択が入るところが、エロ漫画雑誌の投稿欄の面白さです。
なので投稿者は、誌面から担当者の趣味嗜好を読み解き、自分の手持ちの絵や文章の持ち味と上手く整合性を付け、「これなら採用されるだろう」というハガキを仕上げて投稿するのです。
これが心理戦のような様相を呈していて、なかなか面白いです。
当然、担当者ごとに好みや方向性が違います。なので、「この雑誌にはイラスト重視で」「この雑誌には、心温まるネタを中心に」など、微妙にカスタマイズして、ハガキを作成します。
投稿者の中には「○○の雑誌の担当者とは相性がいいので、ほぼ採用されるけど、△△の雑誌は全然載らないですね」といったケースが生じます。
私も何誌か、相性が悪くて、ほとんど攻略できない雑誌がありました。
そういった部分は、エロ漫画雑誌の投稿の楽しさの非常に大きな部分でした。
また、担当者からもらえるコメントも、大きな喜びでした。これは本当に、素直に嬉しいんですね。いいものですよ。
そして、最大の楽しさは、「雑誌に自分が描いたものが載った」という充実感です。
私が投稿をメインにやっていた当時は、現在のように、インターネットといった、手軽に表現を公表できる場所がありませんでした。
そういった時代に、全国で販売されている雑誌に、自分が書いた絵や文章が載る機会というのは非常にレアなケースでした。それも、競争倍率が非常に低く、かなりの高率で掲載を勝ち取ることができるのです。
この「雑誌掲載」の喜びは、それだけで1〜2週間は喜びが持続する充実感を持っていました。
たぶん、インターネット全盛となった今の時代には、分かり難い喜びだと思います。
しかし当時は、こういった掲載の喜びは、掛け値なしのものでした。
● インターネットの登場
しかし、時代は移ります。インターネットの登場で、エロ漫画雑誌への投稿という趣味の刺激性は大きく減退しました。
誰もが手軽に自分の絵や文章を、世界に向けて発信できるようになり、さらに、パーソナリティ的立場でもコメントもできるようになりました。
私は、活動の場をインターネットに移してから、徐々に投稿の数を減らし、数年後には完全に雑誌投稿をやめました。
これは、時代の移り変わりだと思います。あとは、社会人になって、忙しくなったということもあります。
こういった変化は、私の周囲の雑誌投稿者の多くが経験しています。
このような時代の変遷と、自分自身の環境の変化を体験してきた人間として、その間、何のぶれもなくエロ漫画雑誌への投稿を続けている三峯徹氏は、「凄い」と思える存在なわけです。
まるでシーラカンスのように、時代の流れに取り残されたような印象を持つこともあります。
しかし、それが時代から大きく剥離すればするほど、彼の独自性は強調されて、価値は上がり続けるのです。
● 投稿者の横の交流
話は変わります。
基本的に、雑誌への投稿というのは孤独な作業です。全国に散らばる投稿者たちは、他の投稿者たちの実名や顔を知る機会はほとんどありません。
しかし、実際には、投稿者の横の繋がりがあったりします。
90年代に、そういった交流が盛んにありました。これは、雑誌上で投稿者が呼びかけて、コミケの時にオフ会するという形式でした。
こういった雑誌を読んでいる人たちなので、コミケ時期には、多くの人が上京してきます。そのため、全国に散らばっていても、実際に顔を合わせることができました。
また、雑誌で参加者を募集して、会誌を作るということで、交流が始まるケースもありました。
私自身は、雑誌で参加者を募集して、PBMを始めることで、横の繋がりを始めました。
その後、その時知り合った友人が始めた「雑誌投稿者の交流誌」に関係したりして(一時期、取りまとめ役もやっていた)、多くの投稿者と知り合いになりました。
コミケの時期は、投稿者仲間で交流会をしたり、飲み会をしたりということで、複数の雑誌の投稿者の方々と付き合っていました。
この人間関係は今でも続いています。
こういった交流も、読者投稿を続けていくことで知った、楽しみの一つでした。
● アングラ者という自覚
さて、「エロ漫画雑誌への投稿」ということを行っていた私ですが、その時の体験から、自分がアングラ者だという強い自覚はあります。
少なくとも、世間一般的には、胸を張って自慢できるような趣味でないことは確かです。
エロ漫画雑誌という18禁の媒体での活動ということもあり、地下趣味者であるということは重々承知しています。
私が「マイノリティ」の立場の保護の重要性をいつも説くのは、こういった趣味を持っていたことが非常に大きいです。
趣味嗜好や精神活動は、人それぞれだし、それは阻害されるべきではないです。
私がそう考えているのは、誰もが自由に、自分の楽しめるものを発見する権利を持っていると思うからです。
● 表現の場、繋がりの場
エロ漫画雑誌の投稿欄は、表現の場であり、繋がりの場でした。
人はそれぞれ表現への欲求を持っており、その表現を人に認めてもらいたいという欲望を持っています。エロ漫画雑誌の投稿欄は、そういった望みを、比較的安いコストで満たしてくれるものでした。
そして、その表現へのレスポンスは、今はともかくとして、当時は非常に心地よいものでした。
また、そこは繋がりの場でもありました。自分以外にも、同じようなことをしている人間がいるということを知るのは、精神の充足にとても大切なことです。
世の中には、多数派に属することをよしとしない人間もいます。私もそういった、ひねくれた性格の人間です。
そういった人間にとって、少数派の人たちが集う場所があり、ペンと紙だけあれば、その場に参加できるということは非常に重要でした。
世界には、教会に行くのではなく、エロ漫画雑誌に投稿することで、精神の安寧を得ることのできる人間もいるのです。
これは、常に多数派の立場で暮らしている人には分かり難い感覚だと思います。しかし、世の中には様々な人間がいるのです。
● 表現規制への立場
最後に少し、政治的なことを書こうと思います。
こういった経験と体験をしてきた人間として、私は表現規制には反対の立場を取っています。
たぶん、世の中の多くの人とは、明らかに違う立場での反対表明だと思います。
人は誰もが自分にとっての教会を持つ権利があります。それが聖書なのか、エロ漫画雑誌なのかは、その人次第です。
それは親や世間が決めることではありません。私にとっては、聖書もエロ漫画雑誌も同列です。
自分の若い頃の経験から、世間に対して「何かが違う」と思った時に、「これは面白い」と思う何かに出会えることは大切です。
それが、現在住んでいる社会や家庭から飛躍できるほど、そこには価値があります。
というわけで、三峯徹氏の特集を見て、これは何か書いておきたいなと思ったので、つらつらと感想を書いてみました。