映画「時をかける少女」(2006年のアニメ)のDVDを五月中旬に見ました。
細田守監督の作品です。原田知世主演、大林宣彦監督の1983年の同名作品を受けた作品です。
友人の家での、DVD鑑賞会での視聴です。相変わらず、酒を飲みながら、ぐたぐたとDVDを見てきました。
さて、やたらと評判のよかった本作ですが、実際よくできていました。
傑作かどうかは分かりませんが、秀作以上のできでした。上手いなと思う部分が随所にある、よい映画でした。
この作品は、大林宣彦版を見ていない人でも楽しめるとは思いますが、見ていた方が楽しめると思います。
オマージュとなっているんだろうなと思われる描写が結構多かったので。
理科室の描き方や、主人公の家の雰囲気作りなど、大林宣彦版を彷彿とさせられる美術が多かったです。
話自体の展開も、大林宣彦版を受けて、ひねりを加えるものとなっていました。
大林宣彦版を見ている人を、わざと引っ掛けて誤誘導させる部分もありました。なので、大林宣彦版を見ている人の方が「やられた」と思う回数が多くなるようになっていました。
(見ていない人も、問題なく楽しめます)
あと、微妙にパラレルワールドだなとも思いました。細かな設定が違っていましたし。特に、タイムリープの設定が違っていました。
いや、単に「大林宣彦版が相当古い作品だから」という話もありますが。でもまあパラレルワールドだろうなと、私は思いました。
以下、ネタバレが入ります。
まだ、映画を見ていない人は、読まない方がいいと思います。
シナリオは上手いなと思いました。
話自体は単純なのに、ぱっと見た目は入り組んでいるように思わせており、その複雑化が、実は後半の驚きを喚起させるための伏線と誤誘導になっています。
話自体は本当に単純で、「タイムリープに回数制限がある。その最後の一回で大切な友人を救う。だけれども、そのせいで恋している人との関係を失う」というものです(内容自体は、初恋失恋物です)。
そして、その「最後の一回」という事実を主人公が気付く前と後でシナリオは大きく分かれます。
前は、徹底的に楽しい日常を描きます。
後は、徹底的に苦悩を描きます。
この落差で映画の感動を盛り上げます。こういったやり方は、大林宣彦監督の「さみしんぼう」を思い出しました。
前半部分では、タイムリープを身に付け、利用することで、楽しい日常を満喫するという描写をこれでもかというほど描きます。
さらに、後半部分では、自分が楽しんだせいで、大切な使用回数を失い、自分の大切な友人たちや恋していた人の心を傷付けたという事実を突き付けます。
そして、最後のタイムリープをどう使うかという部分で、切なさとカタルシスを味わわせます。
様々なエピソードが盛り込まれていますが、基本的にタイムリープという設定を徹底的に使い尽くし、「最後の一回」の前と後で違う立場からその使用を描き、ドラマを作っています。
こういった、「ずっと同じルールだけど、ゲームの開始時期と終了時期では、その質が変わる」というのは、よくできたゲームの基本です。
特に傑作ボードゲームには必須の要素です。
この「時をかける少女」は、「共通のルール」を使い、その「ルールの適用の質」を映画の前半と後半で変えてきます。
全く同じことを繰り返しているだけなのに、その集積によって、質的変換を起こさせる。これは、とてもよい仕事です。
また、本来だったら一番気になるはずの「タイムリープをなぜ身に付けたか?」という根本的な理由を、観客の目から上手く逸らすことにも成功しています。
それは、大林宣彦版の映画の「続編」だという刷り込みを上手く利用した方法です。(実際には、パラレルワールドで、続編ではないだろうと私は思いますが)
状況設定を、徹底的に映画の仕掛けに利用しているという点で、これはやられたなと思いました。
そして、そうやって注意を逸らした上で、物語の転換点でその理由を明かす。そのことで話の視点を、一気に一段高いところに押し上げる。
そうやって、視点が高くなったことで、主人公はこれまで自分がしてきたことを俯瞰して見ることができるようになり、自分のやっていたことの駄目さを一気に理解します。
こういった視点の転換は、推理物のミステリーのような驚きを与えてくれます。
なるほどなと思いました。
いくつかの点で、「なんで?」「あっているの?」と思う点もありましたが、そういった部分をあまり気にさせない、基本的によくできた映画だなと思いました。
ちなみに、私が見ていてハテナが付いた点。
・発動条件が謎。(動きの大きな演出なので、楽しくてよいのだけれど)
・二人でタイムリープしているが、質量制限はないのか?
・時間を戻るのと、時間を止めるのはだいぶ違う能力なのでは?
・他人のタイムリープで過去に戻った時に、記憶は残っていていいのか?(一緒にタイムリープしたということでよいのかもしれませんが)
・チャージ数が戻るように過去に戻っているということは、記憶は失われていないと辻褄が合わないのではないか?(記憶が残ったままチャージ数が増えるということは、脳内の時間情報と、肉体の時間情報が繋がっていないのではないか?)
まあ、細かな論破があるのかもしれませんが、見ている時に、こういったことは気になりました。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後の方まで書いています)
主人公は女子高生。仲のよい男二人と三人で野球をする毎日だ。
彼女はある日、時間を逆行する現象を体験する。それは、自転車のブレーキが壊れ、電車に轢かれそうになった時に発揮された。
彼女はそのことを伯母に話す。伯母はそれはタイムリープだと教えてくれる。主人公は、その能力を使って、徹底的に日常を楽しむ。
だが、そうやって時間を何度も遡っているうちに、自分のせいで、誰かが不幸になったりすることを体験する。
彼女は、全てが上手くいく方法はないかと模索し始める。
そんな彼女の腕にデジタル数字が現れる。タイムリープの残り回数だ。そして、それが最後の一回になる。
彼女はその最後の一回を使い切る。その直後、野球仲間の友人が、新しく出来た彼女とともに、主人公の自転車を借りて乗っていることを知る。
その自転車はブレーキが壊れており、そのまま乗っていれば、電車に轢かれてしまうものだ。
主人公は大切な人を失うことに恐れ慄く。その時、時間が止まった。その時間を止めたのは、もう一人の野球仲間だった。
彼は、未来から来た人間だった。そして、時間旅行する能力をチャージする機械をなくし、それを主人公が拾って使っていた。
彼は去り、友人の命は救われ、主人公は過去に戻る。
そのことで、主人公は、タイムリープの回数制限が一回分戻った。
主人公は、その未来人に恋していたことを知る。彼女は、今度こそ全てが上手くいくように、そして、大切な人たちの心を傷付けないように、最後の奔走を行う。
映画が始まって最初に気になったことがあります。
それは色味です。
なんだか少し変わっています。ネットで見た画像では、こういった特殊な色味をしていなかったので気になりました。
後で分かりましたが、友人の家の色設定が、かなり特殊だったようです。
やられました。
最後に、どうでもいいけど少し嬉しかったことです。
映画の途中で、国立博物館の常設展の部屋が出て来たことです。
自分が知っている場所が出て来ると、少しうれしくなりますね。時々行く場所なので、嬉しかったです。