映画「男と女」のDVDを十一月中旬に見ました。
1966年のフランス映画で、監督・製作・脚本はクロード・ルルーシュ。
白黒の映像とカラーの映像がどんどん切り替わって、男女の出会いと恋愛の発展を描いていく、なかなか面白い映画でした。
この映画には、監督のインタビューなどの映像特典が多く入っていました。
映画を見た後に、それらを見て「あっ!」と思いました。
この映画の映像は非常に独特で、ハリウッド映画の映像文法とは大きく違っています。
最初、そのことにだいぶ戸惑い、その映像文法に慣れてくると、映画を素直に楽しめるようになりました。
これは、「監督のそういった映像方針なんだろう」と思っていましたが、インタビューを見て「予算の都合だった」というのが分かりました。
インタビューで監督はこう言いました。
「お金がなかったから、最初は全部白黒で作るつもりだったんだ。でも、映画製作の話を聞いたテレビ局の人が、お金を出すからカラーで作ってくれと言ったんだ。当時は、カラーテレビが出てきた頃で、カラーのコンテンツを探していたんだよ」
なるほど。
さらに続けて、監督はこう言います。
「でも、予算がないから、近づいてカラーのフィルムで撮ると、粗が目立つのが問題だったんだ。だから、カラーは遠くから撮れる野外に使い、屋内は白黒で撮る方針にしたんだ」
そんな理由があったとは。
よく、物を作る現場では、技術的な制限があった方が、時にいい作品が生まれることがあるという話をするのですが、まさに、この映画はそれに当てはまるのだなと思いました。
非常に低予算の映画ですが、この映画はアカデミー賞を取っていますので。
あと、映画の後半はラリーのレースシーンがあるのですが、この撮影についての話も驚きました。
「予算がなかったから、俳優と一緒に本物のラリーに実際に登録して参加して、その車の中でカメラを回していたんだ。自分自身でカメラを持って撮影するからこそ、できる方法だよね」
ハリウッド映画だと、ラリーのシーン用に、偽者のラリーを作り上げてしまうのでしょうが、低予算映画では何でもありなんだなと思いました。
だから、映画の中で主人公が「繰上げで優勝になりました」という、変な優勝の仕方をするのだと理解できました。
優勝のシーンを撮る予算がなかったわけですから。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています)
スタントマンの夫を撮影中の事故で失った女性は、娘を寄宿舎に預けていた。
彼女は、ある日、その寄宿舎に息子を預けている一人の男性に出会う。
彼も妻を亡くしていた。
彼はレース・ドライバーで、事故を起こしていた。そしてその時、ショックで妻が命を絶っていた。
二人は、互いに距離を置きながらも付き合いだす。しかし、さらに一歩を踏み出すことができない。
ドライバーは、復帰レースとして、冬場の長距離ラリーを選んだ。そして、彼はそこで繰り上げ優勝となる。
そのニュースをテレビで見た彼女は、電報で愛の言葉を送る。
男は、すぐさま車に乗り込み、夜を徹して女性の許に向かう。だが彼女は家におらず、寄宿舎のある町に行っていた。
男はさらにそこまで行く。そして彼女と出会い、ホテルに行き、ベッドに入る。
しかし、女性はまだ亡くした夫のことを忘れていなかった。行為は失敗に終わる。
女性は、寄宿舎の町から、電車で自分の家に戻る。
男は悩んだ末、車を飛ばして電車に先回りする。
電車で考えることで、男性への愛を募らせていた女性は、彼の姿を見て、その愛を受け入れる。
二人はようやく結ばれる。
男性の心の中での逡巡を、モノローグとして延々と映像に被せてあるシーンがよかったです。
「ああしよう。でも、そうしたら、彼女はこう思うかも。やっぱり、こうしよう。でも、それだと……」と、延々と悶々としながら考え続けるのが面白かったです。
車を飛ばしながら、ぐるぐる頭の中で回っているので、事故を起こさないかはらはらしていました。
こういった、緊迫感の出し方もあるのだなと思いました。