先週、LEGIOんさんのOFF会に行った後の飲み会で、「田舎にいると突っ走る」という話が出ました。どういうことかと言うと、田舎にいると情報が少ないので、思春期に出会った面白い何かに溺れるようにはまってしまうということ(ハマリ道な人だけという話もありますが)。
まあ、確かにそういう所があって、私の場合はそれがTRPGでした。雑誌TACTICSの必要なページを20円のコピー機でコピーして、熱心に読みふけっていた少年時代でした。ただその頃は、田舎であろうが都会であろうが、趣味の情報というのは、月に雑誌1〜2冊程度で、あとは月に数冊出るか出ないかの書籍ぐらいだったろうと思います。まあ、ジャンルにもよるし、過去の書籍の漁り具合にもよるのでしょうが。
そういうわけで、少ない情報を少ない人数で回し読みして、長いこと意見を言い合って、物事を反芻するように考えていたわけです。よく言うと熟考していたわけで、悪く言うと同じことをグルグルと妄想し続けていたわけです。
しかし、インターネットが登場して以来、誰でも簡単に情報を入手できるようになりました。このインターネット効果は、情報の量が増えたことよりも、情報の時間軸がなくなったことの方が大きいと思っています。
時間軸がなくなったと言っても、時間軸は存在するだろうがと突っ込まれそうですので少し補足します。雑誌や書籍の時代では、待たないと次の情報が来なかったわけです。でも、インターネットの時代では欲しい時に欲しい情報を取りに行くようになったわけです。
つまり、情報の“おあずけ”期間(=時間軸)がなくなったわけです。
最近何だか思考が上滑りするなあと思っていたのですが、どうもこの原因はインターネットにあるようです。つまり、知識を自分のものにするための醸造期間がなくなりつつあるなあと。上滑りというのは、情報が脳細胞の上を流れて行ってしまう感覚です。
学生時代以来、インプットの時期とアウトプットの時期を意識的に制御してきたのですが、どうも最近インプットの時期がインプットの時期になっていないような気がします。真のインプットの時期は、情報を頭に入れるだけでなく、その情報を醸造する期間も含みます。ある特定の分野に特化した脳の回路を作る期間とも言うことができます。
最近、情報のインプットが簡単になり、情報の単位も小さくなってきたために、どうも脳の断片化が著しいなあと思っています。今後はインプットの時期には、情報の種類だけでなく、情報の体系度も考えないといけないなあと思いました。体系化されていない情報は意図的に切り捨てないといけないです。時間は有限なので。
インターネットは、断片的な情報を身につけるのには適しているのですが、体系的な情報を身につけるのには適していないです。
同じくLEGIOんさんのオフ会に来ていた、加野瀬さんの
今のオタクは文脈よりグルーヴという文章を読んで、何となく最近のもやもやを文章化しようかなあと考えました。