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2004年09月01日 03:17:22
最近思うこと。
「口語は冗長性のアルゴリズムで、文語は圧縮のアルゴリズムで成り立っている」
言い回しは特にそうで、口語だと文末が冗長になり、文語では切れ味が鋭くなる。
口語が冗長になるのは、デジタルの通信と同じで、冗長性がある程度ないと、コミュニケーションエラーが生じてしまうからである。そして、通信の同期を取るために、相槌を打ったり、ええと、などの意味のない言葉を入れる必要がある。つまり、口語はコミュニケーションをするための言語で、そのためのルールが言語の大きな部分を支配している。
対して文語は、読解の経済性を維持するために、口語のような冗長性を排除する必要がある。データ圧縮のアルゴリズムで、繰り返し出てくる部分を圧縮してデータ量を削るように、文語文章では、同じ意味を表わしている部分を極力削ぎ落とし、簡潔な表現にしていく必要がある。文語は、双方向コミュニケーションではないので、冗長性は読解の妨げにしかならない。
口語と文語は違うということを改めて考えると、普段書いている自分の文章が口語なのに驚いてしまう。文章を書くときも口語を使って書いていることがほとんどで、まともな文語は使っていない。口語を文字に写しているだけで、文語を書いているわけではない。
現代の日本語では、近代の多くの人の努力の結果、口語と文語の距離がだいぶ近くなっている。そのため、自分が口語を使っているのか、文語を使っているのか気付かずに文章を書いてしまう。
特に最近はメール文化となり、これまでの文語の流れではなく、口語から新たに派生したメール文化圏の文語もできている。なかなかに、口語と文語の世界も奥が深いと思う。