2006年01月16日 19:15:00
映画「ホテル・ルワンダ」を本日劇場で見てきました。
本作は、もともと映画評論家の町山智浩氏の日記で知り、かねてから「見たい」と思っていました。
この映画は、日本での公開が一旦見送られたあと、署名が集まり、ようやく日本公開になったという経緯のある映画です。
月曜の朝一という時間にも関わらず、長蛇の列になっていました。
「ホテル・ルワンダ」は、実話を映画化したものです。
1994年、アフリカのルワンダという国で民族の対立から大虐殺が行なわれ、三ヶ月で百万人の命が奪われました。
この映画は、その困難な時期に、自らが支配人を勤めるホテルに人々を匿い、千二百人の命を救った男の物語です。
人が人を虐殺することの愚かさを、ひしひしと感じさせる作品でした。とても素晴らしい内容でした。
映画を見ているあいだ、怒涛のように押し寄せてくる危機に緊張しっぱなしでした。
そして、映画が終わったあとに流れた歌の歌詞を聞いて涙が浮かんできました。
「アメリカ合衆国は合衆国なのに、なぜアフリカはアフリカ合衆国になれないの?」
「イギリスは連合王国なのに、なぜアフリカは連合王国になれないの?」
決してこれらの国が素晴らしい国だとは言いません。しかし、“虐殺のルワンダよりはまし”と言うことはできます。
スタッフロールに被さるように流れる歌詞は、非常に考えさせられるものでした。
さて、この物語の本質を示すために、映画のなかから幾つかの言葉を拾ってみたいと思います。
映画の途中にはこんな台詞がありました。
「少数派のツチ族が、多数派のフツ族を押さえつけていた」
だから、「フツ族は復讐をしようとしているのだ」と男たちは言います。
そして、こんな話も明らかにされます。
「白人が植民地政策として、自分たちの肌の色や顔立ちに近かったツチ族を支配階級につけて、ルワンダの人々を対立させた」
ルワンダの情勢を取材に来たジャーナリストは、この話を聞いたあとに一言漏らします。
「私には、フツ族とツチ族の見分けがつかないんだが……」
この国の人々はIDカードを持ち歩いています。そしてそのカードには、どの民族に属すかが書かれています。
しかし、二つの民族のあいだでは混血が多く行なわれているために、血統の差はほとんどないそうです。
主人公であるポールはフツ族の男です。そして妻はツチ族です。
大虐殺は、フツ族の民軍が、ツチ族を根絶しようとする目的で起こります。
民軍の目的は“ツチ族を根絶やしにすること”です。“根絶やし”とは、文字通り“一人残らず殺すこと”です。
ポールは家族を守るために、自分の持っている全ての能力を活用します。
彼には、外資のホテルで支配人まで上り詰めた才覚があります。そして、日頃からいざというときのために準備していた有力者へのコネがあります。また、客の要求にこたえるために、様々な場所から物資を調達してくる人脈を持っています。
ポールの能力と、ツチ族の妻を持っている立場を頼って、多数の隣人、難民、孤児たちがホテルに集まってきます。
彼はいつしか家族を守るだけでなく、それらの人々をも大量虐殺から救うために動き出します。
ときには、その重圧と恐怖から、一人むせび泣きながらも。
ともかく、息もつかせぬ緊迫した映画でした。
そして、「聞いたことはあるが、ほとんど知らないも同然だったルワンダの虐殺」が、たった10年そこら前に、これだけの狂気と規模で行なわれたのかということを、まざまざと見せつけられました。
これは価値ある映画だと思いました。
メッセージ性の強い映画がよくできた映画だとは限りませんが、よくできた映画は強いメッセージを人の心に刻みます。
内容的に“面白い”と軽々とは言えない映画です。なので、“胸に強く響く映画だった”と言いたいと思います。