2006年02月24日 04:21:15
映画「ロード・トゥ・パーディション」のDVDを1月下旬にに見ました。
アメリカ版「子連れ狼」です。無茶な派手さはないけど、きっちりと面白い。
こういう真面目な映画ばかりだと飽きてしまいますが、何本かに一本だと楽しめます。
基本的に、ある程度キレた映画のほうが好きなので。
以下、粗筋です。(中盤までのネタばれあり)
主人公は、街のヤクザのボスに仕える男。ボスを父のように慕い、ボスも彼を子供のように可愛がっている。
主人公は家族を持っている。妻がおり、二人の息子がいる。
彼は自分の仕事のことを子供には告げず、黙々と“汚れた”仕事をこなしていた。
ある日主人公は、ボスの息子とともに、ボスにたてついた男の許を訪れた。男は、ボスの息子に不審な点があることを告げる。
その瞬間、ボスの息子は男を撃ち殺した。
主人公は唖然とする。しかし、その直後にさらに唖然とする出来事が起こる。殺しの現場を、主人公の息子が見ていたのだ。
息子は父の仕事を知りたがっていた。そしてこっそりと付いて来ていたのだ。
ボスは、主人公の息子が黙っているのなら不問にすると告げる。しかし、ボスの息子にとって、その場での会話は彼の進退に関わる出来事だった。
ボスの息子は、主人公を罠にはめ、彼の家も襲撃する。
主人公は命からがら生き延び、難を逃れた息子の一人、現場を目撃した少年とともに逃亡生活に入る。
だが彼は、逃げるだけの男ではなかった。妻と息子の仇を討つために動き始める。その彼を排除するために殺し屋が雇われた。
主人公はボスの息子を追い、さらに殺し屋に追われる。
そして彼の息子は逃亡生活のなか、父の背中を見ながら成長していく。
映画中、ぐっときたのは、父と息子が交わした以下のような会話です。
「お父さんは、僕と弟と、どっちが好きだったの?」
「二人とも愛していたさ。どちらのほうが、より好きだったということはなかったよ。……なぜ、そんなことを聞くんだ?」
「お父さんは、僕よりも弟の方を可愛がっていたみたいだから」
「……そういう風に見えたのか」
「うん。……なぜなの?」
「それは、お前が俺に似ていたからさ。お前には、俺のような男にはなって欲しくなかった。だから、そのせいかもしれない」
家族とはいえ、互いの考えていることが分かっているわけではない。
話すことでしか埋められない距離というものがある。
でも、日常生活のなかでは、その距離は埋められなかったりします。
逃亡劇という非日常な時間。そういうときだからこそ、普段しない会話を交わし、互いの距離を縮められることもある。
親子の関係。そして、その距離感。
そういった微妙な機微を表わしているよいシーンだと思いました。
最近、部屋で映画を見るときは、ストップウォッチできちんと時間を計りながら見ています。
ハリウッド映画の内、ある程度ヒットした作品は、ほぼ教科書通りのプロットの展開を見せています。
この映画「ロード・トゥ・パーディション」も、例に漏れず、セオリー通りの展開を見せていました。誤差は大きくても1〜2分。
「そろそろ、こういうプロットが来て、その数分後には、こういう展開が来て……」
という展開を見せます。
時間計測を重ねていくことで、頭のなかで、物語の分解精度を高めていかないといけないと思っています。
より細かいところまで読み取れるように、映画を大量に頭に叩き込んでいかないといけません。