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2006年07月05日 01:48:21
基本的に、私は他人ほどにスポーツに興味がない人間です。
なので、オリンピックのときも結果を追ったり応援をしたりはしないですし、ワールド・カップでもそれは同じです。
それでもラジオを付けたり、食事どきにテレビを見たりすれば、その報道は目に飛び込んできます。
そういったわけで、私は今回のワールド・カップ報道を世間の人とは違ってかなり冷めた目で視聴していました。
これらの報道を見ながら感じたのは「民衆を煽る報道とはこういったものなのか?」ということです。
まず第一に、「絶対に勝つ」という精神論しか言わない。第二に、願望と予想をわざと混同させる。
明らかにおかしな言説なのに、人々はそれを心地良い幻想として受け入れている。
はっきり言って、かなり気持ち悪かったです。
あの状況を見て、不安や不快にならない人が多いのは非常に危険なことだと思いました。
私は今回のワールド・カップ報道を上記のような視点で観察していました。
そして観察しているなかで、“にわかサッカーファン”という層に非常に興味を持ちました。
これらの人々は、物販業界、マスコミなどが作った“ワールド・カップ商戦情報”に乗り、物凄い勢いで時間と金と感情を突っ込んでいました。
そういった人々の間には奇妙な空気が醸成されており、「日本はどう考えても予選落ちだろう」とは言えないような状態を作っていました。
この空気って、戦争直前や、戦時中の空気にある意味近いのではないか……。
世間の動向を見ながら、私はそう感じていました。
「戦争の気運は、トップが作るだけではなく、ボトムも作る。それは相乗効果である」
独裁制ではない民主制の国家でも、人々は戦争に突っ走ります。
そういった国家をよくよく観察してみれば、戦争をしたがっているのは民衆か為政者かよく分からない状況になっている。歴史を見てみると、そういった事態が散見されます。
“国家対抗のスポーツ”というのは、ある意味戦争の代替品です。そのため、こういった大会は、戦争について考える際の一助になります。
今回のワールド・カップの世間の動向を見て、「人間はかなり簡単に煽られるな」と感じました。
私の記憶が正しければ、日本にとって「ワールド・カップが金になる」ということになったのは、前回の大会からです。
そこから数えてもたかだか数年で今回のような“にわかサッカーファンを大量に生み出す”ことに成功している。
そしてそこには「金になる」と考えている人たちの思惑と、「そのために宣伝する」と思って動いた人たちがいる。
これは、物販・サッカー利権マスコミを“軍需産業”、各種報道機関を“政府”に置き換えると、そのまま戦争の簡易シミュレーションになる。
日本のどこかで、本気で戦争をしたがっている人がいれば、今回のワールド・カップのデータをきちんと取っているだろうなと思いました。
非常にいいデータが取れそう。
少なくとも、私がそういう立場の人間なら、リサーチをするとともに、いくつかの実験も紛れ込ませます。
人間は群集になると途端に自己触媒的に意見が偏っていきます。
お隣の国での抗議行動などを見ていると、思ったよりも簡単に戦争の気運を作れそうだなと感じました。
だいたい人間は、少し油断をするとすぐに戦争をしたくなる動物です。
ワールド・カップ報道を見ながら、「こんなに簡単に群集を操れるんだ」と薄ら寒い気分になっていました。
(注:本文は、サッカーファンをけなしているわけではありません。完全に個人的な視点での感想なので、感情的な反論はご遠慮下さい)