国立劇場でやっている文楽「仮名手本忠臣蔵」を九月十日に見てきました。
国立劇場開場四十周年記念のものです。期間は、九月八日〜九月二十四日なので、まだやっています。
□国立劇場 - 9月文楽公演
http://www.ntj.jac.go.jp/performance/674.html ちょうど、ドナルド・キーンの「能・文楽・歌舞伎」を読み終わったので、まだ見たことがなかった文楽をに見に行ってきたわけです。
□能・文楽・歌舞伎
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4061594850 国立劇場も文楽も未体験だったのですが、なかなか面白かったです。
見たのは第三幕。以下の段です。
八段目 道行旅路の嫁入
九段目 雪転しの段/山科閑居の段
十一段目 花水橋引揚の段
十段目の討ち入りに行く段は、時間の都合でカットだそうです。(全部やると、終了が十時過ぎになってしまうためとのこと)
とはいえ、第三幕だけ見る人には、特に問題のないストーリー構成でした。ただ、全部通しで見た人には、討ち入りなしは不満だろうなと思いました。
さて、まずは国立劇場の話から。どこにあるかと言うと、永田町駅の近くです。
隣は最高裁判所、その隣は国立国会図書館というロケーション。個人的には国会図書館にもそのうち行かないといけないなと思いました。
□国立劇場 - 地図
http://www.ntj.jac.go.jp/gekijo/kokuritsu/map.html この国立劇場に行ってまず最初に驚いたのは、やたらとでかいことです。
永田町駅からだと、ちょうど裏手から表側に回り込むような形で入るのですが、相当歩かないといけないです。
劇場も、“国立”ともなると、こんなにでかいのかと思いました。
まあ、新国立劇場もたいがいなでかさ(要塞みたい)になっているので、国の威信をかけた劇場というのは凄いことになるのだろうなと思いました。
□新国立劇場 - 施設概要
http://www.nntt.jac.go.jp/about/teatre/outline/index.html というわけで、国立劇場のなかにある小劇場で、文楽を見てきました。
小劇場に入って、まず最初に驚いたのは、劇場ではなくお客さんです。
ロビーで、滅茶苦茶たくさんの人が弁当を食べています。なぜ弁当? 歌舞伎などでは舞台を見ながら弁当を食べるという習慣は知っていましたが、文楽も弁当なのでしょうか?
ロビーには専用の弁当売り場があり、四十周年記念弁当なるものも売っていました。
どうやら、ここでは弁当を食べるもののようです。
ロビーの椅子も、弁当を食べやすいように、ちゃんとテーブルが付いています。
「仕方がない。郷に行っては郷に従えと言うし」ということで、試しに四十周年記念弁当を買って食べてみました。
白ご飯と赤飯と煮物とエビフライが入っており、ちょうど駅弁のような感じでした。
開演前だけでなく、中休みのときも、みんな弁当を食べていました。
開演前はロビーで食べている人ばかりだったのですが、中休みのときは、みんな自分の席で食事をしていました。
座っている人のだいたい半分以上ぐらいが、むしゃむしゃ、ぱくぱく、しています。和風の弁当だけでなく、サンドイッチを食べている人もかなりいます。
かなり面食らってしまいました。
また、入り口近くで映画のようにプログラムが売っていたので、こちらも購入しました。六百円のものでしたが、中身はなかなか豪華です。
各段の筋書きや見所、そして出演者の一覧や、会場図、英語での説明などが印刷されていました。
当然のことながら、登場する人の中には“重要無形文化財保持者”という人がごろごろいます。国立劇場の四十周年記念ですから。
きっと、分かる人には、凄いラインナップなんだろうなと思いました。
さらに、プログラムには、おまけのミニ冊子「文楽床本集」というのが付いていました。こちらは、太夫がしゃべる全台詞が振り仮名付きで印刷されていました。
台詞集は、非常に得をした感じです。舞台を見ながら、ずっと開いてチェックしていました。
(台詞自体は、舞台の両脇に大きな字で表示してくれます。映画の字幕みたいなものです)
なんだか至れり尽くせりという感じで、さすが国立劇場だなと思いました。
さらに、ロビーでは、イヤホン・ガイドの貸し出しも行なっていました。
歌舞伎での経験上、イヤホン・ガイドは絶対に借りないと駄目だ(借りた方が何倍も楽しめる)と分かっていたので、借りることにしました。
まあ、美術館に行っても、イヤホン・ガイドは必ず利用する人なので。
ちなみに、イヤホン・ガイドは、借りて正解でした。
特に、八段目の「道行旅路の嫁入」は、イヤホン・ガイドなしでは意味不明でした。
借りるときにちょっと危険だったのは、日本語版と英語版があることです。何気なくお金を払って借りようとしたら、「英語版でよろしいですか?」と言われました。
えー、英語圏の人に見えたのでしょうか? 「日本語版でお願いします」と言い、日本語版を借りました。
今回、イヤホン・ガイドで面白かったのは、文楽は大阪が本場なせいもあって、ガイドの人がやたら関西乗りだったことです。
休憩時間中もずっと喋りっぱなしだったのですが、ネタを仕込んでいて、聞いている人を笑わそう、笑わそうとしてきます。
まあ、休憩時間中は、“ガイド”ではないので、笑わせてきてもOKなのですが。ちょっと面白かったです。
というわけで、いよいよ文楽についての話です。
感想の前に、文楽について少し説明をしておきます。
文楽は、三つの芸人の組み合わせで行なわれる演劇です。
一つめは、太夫(たゆう)と呼ばれる語り師です。太夫は、文楽の台本を、節を付けて朗読します。そして、この台本は、現代の小説にそっくりです。
台本には、“地の文”と“台詞”があるのです。
この“地の文”は、地の文として朗読します、そして、“台詞”は感情を込めて、女なら女っぽい声で、中年男性なら中年男性風の声で演じます。
“感情を込めた小説の朗読”を想像すると分かりやすいです。文楽では、この太夫の朗読が最も重要なものだそうです。
二つめは、三味線です。これは説明の必要はないと思います。物語の“BGM”兼、太夫の朗読の“リズム取り”です。
この太夫と三味線は、一人ずつのときもあれば、段によっては複数のときもあります。同じ段でも、座っているところ(文楽廻し)がくるりと半回転して、新しい人に交替するときもあります。
そして三つめが、人形使いです。この人形使いは、ひとつの人形を三人で操ります。
主使いという人は、顔と右手を操ります。左手使いは、左手を、足使いは、足を担当します。この三人が一体となることで、複雑な演技をこなします。
この、太夫と三味線と人形使いの三つの要素がセットとなって、文楽は構成されています。
さて、実際に文楽を見た感想です。
見る前に一番興味を持っていたのは「人形使いは本当に気にならなくなるのか?」ということです。
これは、結論から言うと、気にならなくなりました。
舞台が始まっても照明は特に暗くならず、「こんなに明るくても大丈夫なのか?」と思ったのですが、全然心配はなかったです。
次に興味を持っていたのは、文楽では重要度が、「太夫、三味線、人形」の順番だということです。
「人形劇だから、人形が一番重要じゃないのか?」と思っていたのですが、実際に見てみると「太夫が主役だな」と思いました。
太夫の語りに合わせて人形が動くという感じで、人形が主役ではありませんでした。
太夫で印象的だったのは、読み始める前と後に、台本を掲げて礼を捧げることです。文楽では台本を神聖なものと見なしているようです。
こういう部分は、本で読んだだけでは正しい印象は分からないので、やはり実際に見てみないと駄目だなと思いました。
次に、今回見た第三幕の感想です。
小浪(こなみ)ちゃんが可愛かった。
そして、小浪と継母の戸無瀬(となせ)が、大変仲がよくて楽しそうだった。
この二つに尽きます。
第八〜第十一段の粗筋は以下で述べますが、簡単に言うと、「小浪という娘が、大星力也という青年のところに押し掛けて嫁ぐ」というお話です。
イヤホン・ガイドのおじさんの言によると、小浪は十五〜六歳だそうです。(耳にタコができるほど、十五〜六歳を強調していました)
その小浪が、やたら可愛い仕草で天真爛漫にはしゃぎます。
いちいち仕草が可愛過ぎるのです。
「ぬおっ、この時代から、日本人は可愛い女の子を再現することに、やたら情熱を燃やしていたのか!」と、少し感動を覚えました。
アニメなどの萌え仕草の伝統は、日本人の遺伝子に刻み込まれているのかもしれないと思いました。
ともかく、文楽を見た最大の感想は、「女の子の仕草が非常に可愛かったこと」でした。
そして、女二人の、“キャピキャピ(死語)の仲のよさ”がとても微笑ましかったです。
いやー、伝統芸能とか関係なく、「可愛いは正義だな」と思いました。
結局、忠臣蔵なのに、女の子の可愛さばかりが目に付きました。そりゃあ、討ち入りの段を削ってでも、女の子中心のお話で構成するよなと思いました。
討ち入りシーンがない忠臣蔵でも、個人的には十分満足しました。
以下、粗筋です。
● 八段目「道行旅路の嫁入」
“加古川 本蔵”の娘 “小浪”は、継母の“戸無瀬”とともに、婚約していた“大星 力也”の家へと嫁入りのために旅を重ねる。
力也の主家は、殿中の事件のために取り潰しになっていたが、小浪は健気にも彼のもとに嫁ごうと決意している。
そんな小浪を、戸無瀬はいとおしく思い、義理の娘の願いを絶対叶えてやろうと意気込んでいる。
● 九段目(前半)「雪転しの段」
大星家では、主家の仇討ちの準備を進めていた。しかし、世間にそれを察知されてはいけないために、“大星 由良助”もその息子“力也”も、放蕩の限りを尽くしているように見せていた。
だが、そろそろ決起のときは近付いてきていた。力也はそのことを話題にするが、由良助はまだ時が熟していないと諭す。
敵を討つために必要な、“屋敷の見取り図”を彼らはまだ入手していなかった。
● 九段目(後半)「山科閑居の段」
小浪と戸無瀬は大星家にたどり着く。しかし、大星 由良助の妻であり、力也の母である“お石”の態度は冷たい。
結婚の件を切り出す二人に、お石はある引き出物を要求する。それは小浪の父親である加古川 本蔵の首であった。
大星家の主家が断絶になった殿中での事件で、刀を抜いた主人を、加古川 本蔵が慌てて止めてしまったのだ。そのために、主人は思いを遂げられぬまま死罪になった。
加古川 本蔵さえ、邪魔をしていなければ……。
そのことを知らされた小浪と戸無瀬は狼狽し、絶望する。
このまま家に帰るわけにもいかない。かくなる上は死ぬしかない……と二人は考える。
そこに、謎の虚無僧が現れ、二人を思い止まらせる。その虚無僧こそは、加古川 本蔵その人だった。
彼は由良助と力也を、放蕩の限りを尽くす堕落した親子と嘲笑する。怒った力也は本蔵を槍で刺す。
本蔵は、「これで首を捧げられる。娘を嫁にもらってくれ」と言う。
混乱する力也に、由良助は語る。「加古川 本蔵は、わざとお前に刺されるつもりだったのだ」と。
そして本蔵は、「忠義のために死ぬのが侍だというが、娘の結婚のために死ぬ侍がいてもよいだろう」と言う。
彼は由良助に、“屋敷の見取り図”を引き出物として与えて死んでいく。これで、大星 由良助の討ち入りの準備は完成する。
力也と小浪は、一夜限りの夫婦となる。
● 十一段目「花水橋引揚の段」
討ち入りは成功して、忠臣たちは屋敷を去る。
文楽の説明で書きましたが、ひとつの人形が出て来ると、人形使いが三人出てきます。
九段目後半の「山科閑居の段」では、六体の人形が、狭い大星家の座敷に並びます。六体なので十八人の人形使いが入り乱れます。
互いに足を踏みそうなぐらい混雑していました。
たくさん人が出て来ると大変だなと思いました。
文楽はなかなか面白かったです。他の段も見てみたいなと思いました。
しかしまあ、忠臣蔵は、全部見ると一日がかりで大変だと思います。
あと、席は一等席、二等席、三等席とありますが、見るなら一等席がいいです。それも、かなり早めに予約しておくか、平日にした方がよいです。
一等、二等、三等とありますが、実は席のほとんどが一等席です。二等席は一番うしろの席で、三等席は、“文楽廻し”という“太夫や三味線が座っている台”の陰です。
つまり、二等、三等は、あまりまともな席ではありません。そして、一等席でも、チケットを遅くとれば、相当うしろの方になります。
早めにチケットを取り、前の方で見るようにするのがよいと思います。