映画「美しき諍い女」の無修正版を十二月上旬に見ました。
アート強化期間中だったので、画家とモデルが主人公の映画ということで借りてきました。
本作は、ヘア論争で話題になった映画です。そういった論争があったので、激しい濡れ場でもあるのかと思っていました。
しかし、そんな濡れ場を期待する作品ではありませんでした。確かにモデルは裸になり、ヘアは見えます。けれども、作品の本質はそんなところにはありません。
これは、老いた画家のなかで再燃する情熱と、モデルの女が自我に目覚める様が、激しく火花を散らす精神世界のバトル物です。
239分という“超”の付く長編映画ですが、その激闘の様子に始終興奮しながら一気に見ました。
映画を見終わったあとは、「ヘアだ何だと言っていた奴は馬鹿だ」と思いました。そんなことをとやかく言う人には、「まずは映画を見ろ」と言いたくなります。
きっと、当時論争していた擁護派、公開派の人たちはそう言いたかったんだろうなと思いました。
これは傑作映画でした。見て、損のない映画でした。
以下、粗筋です。(中盤の終わりぐらいまで書いています)
若い画家は、恋人の女とともに、老いた画家夫婦の館に行く。
老いた画家は筆を持たなくなって数年を経ていたが、若い画家は彼のことを尊敬していた。
かつて老いた画家は、「美しき諍い女」という小説に出て来る娼婦を題材にした絵を、妻をモデルにして描き、途中で挫折していた。
若い画家の恋人を一目見た老画家は、「彼女をモデルにすれば、再び『美しき諍い女』を描けるかもしれない」と漏らす。
その言葉を若い画家は受け入れる。彼は恋人に、老画家のモデルになるように勧める。だがそれは、他人の前で裸になることを意味する。恋人は断わった。
だが翌日、彼女は突如としてやる気になる。そして、若い画家に黙ったまま、老画家の許へと行く。
彼女は、悩みを抱えていた。彼女はまだ駆け出しの小説家である。恋人同士になったとき、二人は対等の関係だったが、若い画家はその後成功した。
彼女は老画家のモデルになることで、新しい自分を掴みたいと思っていた。
画家は女をモデルにして絵を描き始める。だが、彼は直接キャンバスに絵を描こうとはしない。彼女に様々なポーズを取らせながら、スケッチを続ける。
彼は手探りのようにして絵を描く。かつての自分の情熱を呼び戻そうとするかのように、筆やペンを動かして女の形を紙の上に刻んでいく。
画家は徐々に調子を取り戻し、女にさらに難しいポーズを要求しだす。
「私が描きたいのは、お前の剥き出しの心だ。私はかつてモデルを脱臼させたことがある。激しいポーズを取ることで、お前の精神を解放するのだ」
そして、徐々に彼女は心を露にし始める。画家は下絵を終え、キャンバスに向けて筆を取る。
だが、その頃から二人の関係はわずかずつであるが変わってきた。服を脱ぎ、自分の全てをさらけ出した女は、画家の思惑を超え、その場の主導権を握り始める……。
徐々に立場が変わる二人の様子、恋人の変化に翻弄される若い画家、夫にかつての情熱を取り戻させるために女を誘導する老いた画家の妻。
メインに激しい精神世界のバトルを据え、それにいくつかの変化を付けながら、映画はラストに雪崩込みます。
結末の付け方も非常によかったです。文句なしに面白かったです。
登場人物も絞られ、舞台も絞られ、それでいて観客を引き込む魔術的な話運びは圧巻でした。
未見の方は、見ることをお薦めします。
さて、映画中、面白かったシーンがありますので、そのことについて少し触れておきたいと思います。
劇中、老いた画家が、女の姿をスケッチブックに描くシーンがあるのですが、このシーンがとても面白かったです。
紙に対してカメラを向け、延々と描く工程を映し続けるのです。
でも、これが退屈ではなく、なかなか見応えがあります。ペンと筆を使って紙のなかから掘り出すようにして女の姿を浮かび上がらせていくのです。
私の個人的な経験として、絵を描く人たちで集まったときに、互いに絵を描きながら、相手がどういう方法で描いていくのかを見合うことがあります。
そういったとき、その人の絵に対するアプローチの仕方や、物の見方が分かり、非常に知的興奮を得ます。
このシーンには、そういった楽しみがありました。
絵を描くところをじっと見せるだけで、老いた画家がどういった物の見方をするのか、絵に対してどんなアプローチをするのかがよく分かるようになっていました。
上手いなあと思いました。