映画「クレイマー、クレイマー」のDVDを四月上旬に見ました。
1979年の作品で、主演はダスティン・ホフマン。助演はメリル・ストリープです。
邦題の「クレイマー、クレイマー」だけを見ると、「クレームを言う人の映画か?」と思うのですが、原題を見れば意味が分かります。
原題は「Kramer v.s. Kramer」。クレイマー夫とクレイマー妻が、子供の親権争いをするという、裁判系映画です。
映画としてはよく出来ています。
ダスティン・ホフマンの演技が非常に素晴らしく、父と子の関係がとても温かく描かれています。
しかし、作品自体の感想は、正直「むかつく」でした。
その理由はこの一家の妻の行動にあります。まずは粗筋を書き、その「むかつく」理由を書きたいと思います。
以下、粗筋です。(ネタバレを含みます。最後まで書いています。予備知識なしで楽しみたい人は読まないで下さい)
主人公は会社で支店長に抜擢され、この仕事に成功すれば取締役も夢ではないという昇進を決める。
彼は妻と喜びを分かち合おうと思い、家に帰る。すると妻は家を出て行くという。その理由について彼女は語らない。
そして夫と子供を捨て、彼女は姿を消す。
主人公は、慣れない家事と、急激に増大する仕事の二つに追われる。
そんな中、彼は息子に愛情を注ぎ続け、息子もそんな父の愛に応えていく。主人公は家庭的な男になっていく。
それから数ヶ月が過ぎ、ふらりと妻が顔を見せる。そして、新しい自分を見付けて、仕事をしているという。
そして、子供を渡して欲しいと夫に言う。
主人公は断固拒否する。なぜならば、彼女は自分勝手に家庭を捨て、家族の心を傷付けた女だからだ。
だが彼女は息子を諦めなかった。彼女は正式に離婚し、裁判を起こして、夫と徹底的にやりあって、息子を奪おうとする。
主人公は、仕事に、子育てに、裁判に忙殺される。そして、その目の回るような忙しさから、いくつかのミスを犯して仕事を首になる。
彼は、裁判に不利にならないために、無職の状態を避けて、給料が下がることを覚悟の上で次の職を決める。
妻が家を出て行って一年八ヶ月後、法廷での親権争いの裁判が始まる。
それは、互いの欠点や過去を非難し合い、相手がいかに親として不適格かを主張するという醜いものだった。
主人公も、元妻も、その過激な傷のえぐりあいで心をぼろぼろにしていく。そんな中、主人公は妻への労わりの心を見せるが、元妻は母親であるということを主張して裁判に勝つ。
息子と別れる日、父と子はその別離を悲しむ。
そして、迎えに来た元妻は、主人公を家の外に呼び出す。そして、「息子にとっては、育った家こそが本当の家だ」と告げ、主人公に息子を託すと話をする。
なんというか、振り回されっぱなしの夫と、心に深い傷を負う息子がかわいそうで仕方のない映画でした。
結局妻は、自分の身勝手で家を飛び出して家族を傷付け、自分の思い通りにならないからと互いの傷をえぐりあう裁判をして傷を広げ、最終的に、今までの争いを完全に無駄にする結論を出して去っていきます。
非常にむかつきます。現状を引っかき回して、混乱させて、周囲にダメージを負わせて、自分が被害者面しているだけの女です。最悪の人物です。
そもそも私は、こういった「事前の交渉の努力をしない人間」が大嫌いです。
この映画のような行為は、外交努力をせずに戦争を行う行為に等しいです。最後の一線まで、外交努力は放棄するべきではありません。
簡単に交渉を諦めることは、関係者に対する裏切りです。
この映画の妻のように、外交努力をせずに戦争をして、相手方を焦土にして去っていくというのは最低最悪の行為です。
外交努力については、「過去に様々な交渉に失敗しているので無理だという判断だった」という考え方もあるでしょう。
しかしそれは、単に彼女の交渉能力が低かったからで、能力が低いことは行為をしないことの言い訳にはなりません。
特に、自分にとって大切であるはずの息子の心を傷付けるという戦争を起こすのならば、ありとあらゆる外交努力は払うべきです。
この映画を見て、母親の一番の被害者は息子だと思いました。
ともかく、主人公の妻にむかつきまくりの映画でした。
感想としてはむかつきまくりのこの映画ですが、映画としてのできは非常によかったです。
特に、ダスティン・ホフマンの演技は非常に素晴らしかったです。
DVDにはメイキングが付いていました。それによると、この映画を撮る時期、ダスティン・ホフマン自身も離婚調停中だったそうです。
そういった状況の彼の許に、製作と監督の人が行き、出演のために様々な説得を試みたそうですが、最初は完全に無視されたそうです。
そりゃあまあ、そうでしょう。「現在進行中の辛い行為を、なぜ同時進行で追体験しないといけないのか?」と考えるのが普通です。
しかし、やって来た人たちが言った「俳優にとって一番演じるのが難しいのは、自分自身を演じることだ」という言葉で、出演を決意したそうです。
それから、ダスティン・ホフマンと監督たちはこもり、リアルに離婚調停を体験中のダスティン・ホフマン自身が脚本に筆を入れ、徹底的に書き直したそうです。
なるほど、真に迫っているはずです。
また、なによりもダスティン・ホフマンが素晴らしかったのはその表情です。
息子に見せる愛情。周囲の人間に対する思いやり。そういったものが体の奥底から滲み出てくるような表情はとてもよいものでした。
その、素晴らしい顔をする主人公が、どんどんぼろぼろに心を削られていく様が、本当に見ていて辛かったです。
映画の狙い通りの感情操作をされているのですが、それが嫌味にならず、ダスティン・ホフマンの演技に引き寄せられました。
また、メイキングによると、この映画は、アドリブが非常に多いらしいのですが、それも感情移入のしやすさを助けているのかもしれないなと思いました。
なお、この映画には一点だけ公平さを欠いている部分があることは書いておかなければなりません。
製作、脚本、主演、全員男性で、映画も主人公視点でしか語られていません。
あくまで男性側から見た映画です。女性側の視点は一切入っていません。なので、女性は徹底的に叩かれてしかるべき悪人になっています。
映画中、一番心に残ったシーンについて書いておきます。
それは、母親が何も言わずに消えたあと、息子が父親にそのことについて聞くシーンです。
「ママは、僕が嫌いになったの?」
このシーンのやり取りは、非常に心に来るものがありました。
どうでもよいですが、この映画を見ると、フレンチトーストが食べたくなります。
息子との二人きりの生活が始まった頃はまともに作れなかったフレンチトーストですが、最後には非常に手際よく作れるようになります。
思わず、自分でも作ろうかなと思ってしまう、上手いシーンでした。
(追記)
それから、数日後に、実際にフレンチトーストを作って食べました。