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2007年05月25日 13:20:33
三十四丁目の奇跡
34丁目の奇跡
 映画「三十四丁目の奇跡」の旧作のDVDを四月中旬に、新作のDVDを四月の下旬に見ました。

 珍しく、オリジナル作品とリメイク作品をほぼ同時に見ました。なぜならば、横に並べて置いてあったからです。

 比較することで、何か学ぶべきことがあるかもしれないと思い、借りてきました。

 旧版「三十四丁目の奇跡」は、1947年のジョージ・ソートン監督・脚本作品で、白黒映画です。

 新版「34丁目の奇跡」は、1994年の作品で、「ホームアローン」のジョン・ヒューズ製作・脚本の映画です。

 旧版は、とても素晴らしい作品でした。第二十回のアカデミー賞で、助演男優賞、脚本賞(脚色)、脚本賞(オリジナルストーリー)の三部門を取っているだけあります。見事な脚本でした。

 新版は、とてもひどいリメイクでした。旧版のいいところを全部潰している。見ながらムカムカ来ました。

 本当に腹が立ちました。なので長文を書きます。



 しかし、新版を見てよかったこともあります。旧版がなぜ素晴らしかったかを、炙り出してくれたからです。

 なぜならば、新版では、わざと旧版と逆の方針で脚本を書いており、そのために差がはっきりと出ていたからです。

 基本的なストーリーの構成は同じですが、明確に企画意図が違います。

 その違いが、如実に映画に反映されていて、まったく逆の方向性の作品になっています。

 これぐらい、オリジナルとリメイクで、同じストーリーなのに、言っていることが違う作品も珍しいです。

 アマゾンなどの評価を見ていると、リメイク作品を、「心温まる映画」ということで高評価している人が多いのですが、旧版、新版の順で見ると、リメイク作品に悪意すら感じます。



 新版の共同脚本には、ジョージ・ソートンの名がクレジットされているようですが、本人がどう考えていたか興味あります。

 50年近く経っているので、本人は生きていないかもしれませんが。



 では、まずは、両作品共通の基本ストーリーを書きます。(ネタバレ少しあり。細部は書いていないので、大丈夫だと思います。最後まで書いています)

 現実主義者のシングルマザーは、娘をリアリストとして育てるために、サンタを否定している。

 彼女はデパートの催事担当で、クリスマス商戦のパレードを取り仕切っている。

 ある年のパレードで、サンタ役の人間が、酒酔い状態で仕事をしようとしていることが発覚する。

 そのせいで、たまたま近くを通り掛かっていた、サンタそっくりな老人を雇うことになる。

 彼は自分のことをサンタと信じていて、「デパートの商業主義を否定して、本当のクリスマス精神を復活させよう」と考えている。

 彼は、デパートの常駐サンタになり、やって来た子供たちが欲しがる商品の最安値のお店をこっそりと親に教えだす。

 びっくりしたデパートの人間たちは、老人を追い出そうとする。しかし、正直なデパートということで、高評価を受け、一転して老人をデパートの顔にする。

 シングルマザーの部屋の向かいには、独身の男性弁護士が住んでいた。彼は向かいの女性と結婚したいと思い、その娘と仲良くなっていた。

 彼は、子供にとって夢は大切だと考えており、老人とともに少女にサンタを信じさせようとする。

 そんな折、老人を精神異常者だと告発する人が現れる。そして老人は精神異常者の収容所に入れられる。

 彼を救うために、弁護士は弁護を買って出る。世論は老人と弁護士の味方であった。

 だが、老人は法廷で、「自分はサンタだ」と主張し続け、弁護士は苦戦する。

 弁護士は、「老人がサンタだと実証する素晴らしい方法」を提示して、裁判長に「老人が本物のサンタだ」と認めさせる。

 そしてクリスマスの日になった。少女は、老人がサンタかどうかまだ信じられずに迷っている。

 なぜならば、少女は「老人が買うのは無理なプレゼント」を頼んでいたからだ。

 クリスマスの日に、プレゼントがもらえずに落胆する少女。

 しかし、意外な方法で、そのプレゼントは用意されており、少女は老人が本物のサンタだと信じるようになる。



 さて、旧版も新版も、この基本の大枠は同じです。では、どこが違うのか?

 まず、大前提が違います。そして、そこから派生して、細部が違います。

 以下、そのことについて書こうと思います。



 旧版の大前提は、「老人はサンタクロースではない」ということにあります。

 老人は、老人ホームの住人で、少し頭がおかしくなっていて、自分はサンタだと信じている、ただの人です。

 そして、そういったおかしな人が中心にいて、その周りに、自分たちの思惑だけで動く、普通の人々がいます。

 みんな、それぞれの欲望や欲得で生きているのですが、一人の異常者の混入により、どんどん騒動が大きくなって、最終的に、周りの人たちが幸せになってしまう。

 旧版は、そういった話です。

 この話は、以下のような話を思い出させます。

 民間信仰などで見られる、「知的障害者などを神様として扱い、周囲の人々が結果的に安らぎを得て幸せになる話」です。

 ただ、神様として信じて動くか動かないかが、大きく違います。

 この映画では、登場人物のほとんどの人は、サンタクロースを信じてはおらず、自分の利益のために動きます。

 その相互作用の中に、「自分はサンタクロースだと信じている一人の異物」が紛れ込むことで、全員が「サンタクロースはいる」という結論に達してしまうのです。

 そこがファンタジーであり、旧版の素晴らしいところです。

 非現実的なことを一切描かずに、素晴らしいファンタジーを感じさせる。この部分が、この映画の最大の魅力です。

 そして、その魅力が最大限に発揮されているのが、後半部分に当たる「サンタ裁判」です。

 弁護士は、非常に現実的な方法を駆使していき、最終的に「法律的にサンタは実在する」という結論を裁判長に認めさせます。

 そこにファンタジーはありますが、それは非現実的な話ではなく、映画で一貫して描かれる「それぞれの人が、それぞれの人生を生きている」結果として出て来る、素晴らしい相互作用です。

 旧版の魅力は、そういった部分にあります。

 素晴らしい脚本だと唸らされるのは、この部分です。



 新版の大前提は、「老人はサンタクロースである」ということにあります。

 そのため、「信じる力があれば何でも上手くいく」という展開になっています。

 端的に言うと、宗教映画。

 たとえば裁判シーン。ここは、旧版と新版の方針の違いが最も顕著にあらわれる部分です。

 旧版の裁判は、あくまでもロジカルに攻めます。その結果、思わぬところで世間の歯車が噛み合い、「サンタは実在する」という結論に至ります。

 新版の裁判は、お涙頂戴です。裁判長の心に訴え、相手の共感を呼んで裁判に勝ちます。つまり、泣き落としです。

 どちらが、脚本として素晴らしいかは、一目瞭然です。

 万事がこの調子です。

 旧版で、うまく組み立ててあった仕掛けを、片っ端から取り払って、「信じる心があればいいんだ」という、単なるキリスト教礼讃宗教映画になっています。

 その、あまりにも180度違う方向性に、頭がくらくらしました。

 これは、リメイクというよりは、悪意を持った上書きだなと思いました。

 旧版を見る人がほとんどいないだろうということを考えると、「製作者はオリジナルが嫌いなんだろうな」と感じました。

 もしくは、「オリジナルのどこがよかったのか全く理解していない」かのどちらかです。



 単なるハートフルな物語が見たい人は、新版で満足するかもしれません。

 しかし、新版を見て、「『34丁目の奇跡』という映画は、こういう映画なんだ」と思う人がいるかと思うと、オリジナルは報われないなと思いました。

 リメイクのレベルが低いということはよくありますが、ここまで大前提をひっくり返している映画は少ないと思います。

 新版は、アマゾンで星五つの人が多いです。そういうことを考えれば、映画としてのレベルは決して低くはないのでしょう。

 なんというか、製作者の悪意を感じました。



 あと、新版は、全体的に情緒を盛り上げようとし過ぎているなという印象でした。

 恋愛の雰囲気を盛り上げたり、そんな感じです。

 また、その逆に要素を削っている部分もあります。

 わざわざ要素を削って、映画を間延びさせるように改変するのはどうかなと思いました。

 プロット上、省略し過ぎたせいで、説明不足になっている場面もいくつかありました。旧版を見ていないと意味不明の台詞もありましたし。

 なんというか、旧版を見たあとだと、いろんな意味でがっかりする映画でした。



 また、新版は、現代に合わせて、いくつかの場所が誇張されていました。

 たとえば、以下のような感じです。

旧版:二つのデパートが売り上げ競争をしている。

新版:物語の舞台のデパートが、買収の危機に瀕している。

旧版:母子には旦那はいない(理由は触れない)。

新版:母子の旦那は、酒癖が悪く暴力的で離婚した。

旧版:デパート付きの精神科医が、老人を精神障害者だとする。

新版:買収先の陰謀で、老人に暴力事件を起こさせる。

 誇張のし過ぎで、少し痛々しい場面もありました。特に、映画の中とはいえ、サンタに露骨に暴力事件を起こさせるのはどうかなと思いました。



 というわけで、旧版はよい映画です。

 新版で一番がっかりしたのは、せっかくオリジナルに「楽しくて劇的な勝利方法」があるのに、その部分を削って、「信じる者は救われる」という安易な勝利方法を持って来たことです。

 いくらなんでもそれはなと思いました。

 本当にひどいです。



 旧版で、一つ気になったことがあります。

 それは、「対象年齢は何歳だ?」ということです。

 映画が始まって裁判が始まるまで、使われている英語が非常に簡単で、私でも字幕なしでほぼ全部理解できる内容だったので、「対象年齢は子供だろう」と思っていました。

 しかし、裁判が始まってからは、「これは大人向けの映画だろう」と感じ、違和感を覚えました。

 これは日本人だからそう思うのかもしれません。

 アメリカでは、子供でも裁判が身近なものなのかもしれません。

 そういったところは文化の違いを感じました。

 でも、旧版の大前提は「サンタはいない」なので、やはり子供向けの映画ではないよなとも感じました。

 うーん。



 あと、一つ書いておきたいことがあります。

 子供にとって、空想や妄想は大切なことです。あまりにもリアリストに育てるのは、子供にとってよくありません。

 なぜならば、空想や妄想などの遊びをすることは、子供の脳を育てるからです。

 人間の子供のこういった行為は、ライオンなどが狩りの遊びをして獲物をしとめる方法を学習するのと同じことです。考える能力を育てるために必要なことです。

 なので、そういったことをさせないというのは、子供の成長を阻害します。ライオンに狩りの遊びをさせないのと同じですので。

 人間は、目や耳から入ってくる情報以上に、脳をぶんぶんフル回転させて、過剰な情報を自分で生み出して摂取しています。

 旧版では、そういったことを感じさせてくれるよい場面があります。

 そのシーンは、以下のようなものです。

 少女は幼稚園でのお遊戯を嫌っています。彼女は、動物になり切って遊ぶのをばからしいと言います。

 その少女に対して、老人は上手く猿の真似をする方法を教えます。その真似が、本当に上手いので、少女はびっくりします。

 少女は、猿について考えだし、より猿らしい猿とはどういうものかを真剣に考えて、猿の真似をしだします。

 これは、空想や妄想の効用を、非常に分かりやすい形で伝えるよいシーンです。

 それに対して新版は、「信じれば救われる」的な思考停止の話になっており、そういった点でも、旧版が優れていて、新版が劣っていることを思い知らされました。
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