映画「トッツィー」のDVDを五月上旬に見ました。
1982年の作品で、ダスティン・ホフマンが主演です。
売れない俳優が、女装して受けたオーディションで役をもらって、成功してしまうというコメディーです。
映画中、「Tootsie」の意味が分からなかったので、後で調べてみました。意味は以下の通りでした。
(米話・時に不快)ねえちゃん, かわいこちゃん.
なるほど、名前でも略称でもなく、普通の名詞でしたか。そりゃあ、この単語の意味を知っていないと、いくら映画を見ても、「トッツィー」の意味が分かるわけがありません。
まあ、映画は、この意味が分からないでも、きちんと楽しめるものでしたが。
さて、この映画を見た理由は、映画の脚本の解説書などに、やたらこの映画の名前が出て来るからです。
そのため、前から一度見てみようと思っていたのですが、近くのレンタルビデオショップには置いておらず、ツタヤ ディスカスを導入したのを切っ掛けに、真っ先に予約リストに名前を入れて借りました。
というわけで、ツタヤ ディスカス利用一本目のDVDだったりします。
この映画を見て思ったのは、コメディ映画の脚本には、主人公にマイナス要素を適度に付けるのが大切なのだなということです。
テンポよく次々にピンチが訪れて、主人公がドタバタするためには、いろいろとマイナス要素を付けておいて、「これを躱せば、これが来て、次を躱すと、今度はあれが来て」とう設定が有効なようです。
主人公は、途切れることのないピンチに右往左往していました。
以下、粗筋です。(終盤直前まで書いています。コメディなので、ネタバレはあまり気にしないでよいと思います)
演技の指導を行っている主人公は、自分自身も俳優であった。しかし、あまりにも真面目に仕事をして、雇い主と対立することが多いために、製作者や監督たちから敬遠される人物だった。
ある時、彼は、ルームメイトの書いた脚本の公演を行うために、資金集めをしようとする。
しかし、主人公の名前のせいで敬遠される。
そこで自分の仕事で稼いだ金で公演を行おうとするが、彼自身の悪評のせいで、全く仕事が来ない状況に陥ってしまう。
彼は演技には絶大な自身があった。しかし、彼が彼であるという理由だけで敬遠されるこの状況に対して、その演技力は全くの無力だった。
思い悩む主人公。しかし、彼は、素晴らしいアイデアを思いつく。自分が駄目ならば、別人になればいい。それも、女性になってしまえば、自分を疑う人間などいなくなる。
自分の演技力なら、女性になり切れる──。
その考えに力を得て、彼は女性に変装し、テレビのドラマの役を得る。そして、女性として仕事を始める。
そこで彼は、ドラマの同僚の女性に恋をする。しかし彼はドラマの現場では女性である。女性として親しく付き合うことはできても、変装を解いた状態では全く面識がない。
また、その頃、彼は、演劇仲間の女性と成り行きから付き合うことになる。
主人公は、彼女を傷付けないようにとしながら、テレビドラマの同僚との恋をどうにか進展させようとする。
しかし、嘘を吐いたまま、彼の恋が実るはずもない。そして、悪いことに、その意中の相手の父親に、女性として惚れられてしまう。
主人公は、女優としての仕事をこなしながら、周囲を傷付けないように心を砕きながら、恋を進展させようとする。
だが、その無茶がうまくいくはずもなく、恋の道はどんどん遠のいていく。
彼は女優であることをやめ、男に戻ろうとする。しかし、ドラマの契約書でがんじがらめになっている彼には、その機会はなかなか訪れない。
だが、そんな彼の許に、自分が誰かを明らかにするチャンスがやって来る……。
やたらピンチというか、マイナス設定が多いなというのは、粗筋を書いていてもよく分かります。
「しかし」「だが」といった言葉を、やたらと使わないと粗筋が書けません。
全部細かく書いていたら、否定の接続詞だらけになってしまいます。
「クレイマー・クレイマー」の時に、「ダスティン・ホフマンはいいな」と思ったのですが、この映画でも「いいな」と思いました。
まあ、「クレイマー・クレイマー」の時のダスティン・ホフマンの方がよいとは思いますが。
あと、何気によかったのが、主人公のルームメイトの、ビル・マーレイです。
分かりやすいところでは「ゴーストバスターズ」、最近では「ロスト・イン・トランスレーション」のあの人です。
ただ部屋にいて、ダスティン・ホフマンがドタバタしている横で、冷静にしているだけなのですが、妙に存在感があってよかったです。
ダスティン・ホフマン以外では、ビル・マーレイだけが記憶に残りました。
ほとんど、何もしていないのに、不思議だなと思いました。
映画中、ひとつだけ不思議に思ったことがあります。
それは、収録時間が間に合わないからと、テレビドラマを生放送で行うことです。
アメリカでは、そういったことが、けっこう頻繁にあるのでしょうか? もしかしたら、日本でも、そういったことが行われていたりするのでしょうか?
これは、映画の筋書きの中で、かなり重要な設定になっています。そのため、この「テレビドラマの生放送」が一般的なのかどうか気になりました。
しかしまあ、もし、こういったことが多いのならば、俳優は大変だなと思いました。
(おまけ)
この件に関しては、そういったことは割りとあると、後で教えてもらいました。
□Wikipedia - 生放送 - ドラマでの生放送
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94... けっこう最近でも、テレビで生放送のドラマやっているんですね。