映画「トゥモロー・ワールド」のDVDを六月中旬に見ました。
原題は「CHILDLEN OF MEN」です。直訳すると、「人類の子供たち」といった感じだと思います。
監督は、アルフォンソ・キュアロン。この人の映画は、今回初見だと思います。
主演はクライヴ・オーウェン。最近見た映画だと、「インサイド・マン」に出ています。「キング・アーサー」にも出ていますね。
クライヴ・オーウェンは、美形というよりは、全体のパーツの作り込みが何となくゆるい、ちょっとぼやけた印象の顔の人です。
共演はジュリアン・ムーアです。
長回しが騒がれていた映画で、前から気になっていました。
「映画秘宝.com 町山智浩のアメリカ映画特電」で熱く語られていたので、見ようと思いました。
□映画秘宝.com 町山智浩のアメリカ映画特電
http://www.eigahiho.com/podcast.html ちなみに「映画秘宝.com 町山智浩のアメリカ映画特電」は、この文章を書く前日に、ようやく最新回まで追いつきました。マンガのペン入れをしながら聞いていました。
仕事をしながらだと、けっこうあっとう間に聞き終わります。「二百本ほどないと、足りないな」と思いました。
いろいろと映画人の素顔が見られる話が多くて面白かったです。見る映画リストにも何本か追加しました。
さて、映画の感想です。
「体が固くなる」です。
アクションシーンの長回しのせいで、体が硬直して肩が凝ります。
「長回し」が売りだという話でしたが、アクションシーン以外は、それほど「長回し」だと思いませんでした。実際、カット割りもきちんとしていましたし。
しかし、アクションシーンが始まると、「まるでその場所に閉じ込められたかのように」、延々と長回しが続きます。
なるほど、こうやって「逃げ場のない緊迫感」を演出しているのかと思いました。
そういう意味で、無意味な長回しではなく、企画意図に従った長回しなのだなと思いました。
「企画意図に従った長回し」だということを感じたのは、そのストーリーにもよります。
この映画の話は、ある男が、過去の経緯から重大な事件に巻き込まれて、重要な役を握らされる「巻き込まれ系」の話です。
つまり、自分の意思ではどうにもならない緊迫感の中で、何とかその場を凌ごうとして努力する話です。
そのため、主人公にはそもそも「行動の選択肢」がほとんどありません。その「身動きの取れなさ」を、こういった長回しで表現しているように思えました。
「その場にいるような臨場感や没入感」という、長回しの映像的特性以外にも、「その場から逃げられない緊張感や焦燥感」といった、心理的な特性も考慮しての長回しなのだなと感じました。
以下、粗筋です。(ネタバレ少しあり。中盤の前半ぐらいまで書いています)
人類は、ある時期を境に子供が生まれなくなった。そして、自暴自棄になった人類は、各地で紛争を繰り広げていた。
そういった中、大陸から海を隔てているイギリスだけは秩序が保たれていた。そしてイギリスには、大陸から無数の難民がやって来ていた。
だが、イギリスは鎖国政策を敷き、難民を強制収容所に送っていた。
ある日、最も若い人間が死んだというニュースが流れる。十七歳の少年が死んだというのだ。世界はそのニュースで悲しみに包まれる。
主人公は、そのニュースをカフェで見た後、その場を離れる。その直後、カフェが爆発した。
比較的治安の維持されているイギリスでも、爆弾テロが横行していた。そして、町にはフィッシュと呼ばれるテロ組織が潜入していた。
主人公は少年が死んだニュースと、爆弾テロに居合わせたことにより、仕事が手に付かずに、その日は早退する。
彼は年上の友人の家に行き、午後を過ごす。
主人公はかつて反体制的運動をしていた。その頃の彼女と結婚して、子供を儲けていたが、その子供は死に、彼女とは別れていた。
その思い出話に彼はひたる。
翌日、主人公は誘拐される。フィッシュと呼ばれるテロ組織にだ。彼らのボスは、かつての妻だった。
主人公は、彼女から旅券の手配を頼まれる。最初は拒否していた主人公だが、妻と縒りを戻せるかもと思い、入手を決める。
その旅券は、付き添い人として彼自身が同行しなければならないパスポートだった。その旅券のせいで、彼は事件に巻き込まれる。
かつての妻が国内を移動させようとしていたのは、妊娠した女性だった。人類最後の母親と子供になるかもしれない妊婦。
だが、その女性を匿っているテロ組織は一枚岩ではなかった。主人公は、かつての妻が殺されることで、一人でその妊婦を守り通さなければならない立場に置かれることになる。
基本的に、SF的「なぜ?」を追求する作品ではなく、状況による「緊張感」を味わう作品だなと思いました。
最大の謎である「不妊」と「妊娠」に、SF的解決は特に何もしていないので。
また、主人公は、重要な情報にアクセスできる立場ではない、単なる一市民です。「一市民ながら、世界の重要な現場に立ち会ってしまう」といった立ち位置の話だなと思いました。
そのことを強く感じるのは、映画の後半、誕生した子供に対して、難民もイギリス軍兵士も、宗教、人種、立場の分け隔てなく、畏敬の念を表す場面です。
正義も欲もなく、「子供のために何かをしたい」と、その場にいる人々全員が自分の意思を表します。
そういった「何だか凄い場所に立ち会ってしまったら、頑張るだろう主人公」といった感じの映画でした。
また、上記の「人々が子供に遭遇するシーン」は、赤子のキリストを崇める人々のように印象的に描かれていました。
「難民という最も貧困な階層の、黒人の女性から生まれる子供」という立ち位置も、そういった方向性を強く感じました。
世界の底辺から次世代の種が生まれ、その場を一市民が目撃する。
そういった、擬似体験映画なのだろうなと思いました。
話の筋の面白さではなく、そういった臨場感を味わうことで楽しめました。
あと、どうでもいいことですが、この映画を見ていると「マイノリティ・レポート」や「A.I.」を思い出しました。
なぜなのかは分かりません。
未来の話なのに、森が印象的だったからかもしれません。
本当によく分かりませんが、上記の二作を強く思い出しました。