映画「ガントレット」のDVDを六月中旬に見ました。
監督、主演がクリント・イーストウッドの1977年の作品です。
1977年って、30年前の映画ですか。
クリント・イーストウッドは、1930年生まれなので、この時期、47歳です。今、77歳。
□Wikipedai - クリント・イーストウッド
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82... この時期はまだ47歳なのに、結構いい年に見える顔をしていました。
ハリウッド俳優は若作りが多いのですが、この人は年齢相応の年の取り方をしていますね。
でも、この時期のクリント・イーストウッドは、実年齢より若干老けて見えると思います。
さて、この映画に興味を持った切っ掛けは、「映画秘宝.com 町山智浩のアメリカ映画特電」です。
□映画秘宝.com 町山智浩のアメリカ映画特電
http://www.eigahiho.com/podcast.html この中で、「アポカリプト」の話題を話している時に、「ガントレット」という、アメリカの西部開拓時代の私刑のことを話していました。
そして、その名前が使われている映画として、今回見た「ガントレット」のことが語られていました。
ガントレットとは、道の両側に武器を持った人たちが立ち、その間を死なずに突破できれば罪を許すというものだそうです。
□Wikipedai - ガントレット
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82... ちょうど、TUSTAYAに行った時に、DVDを見掛けたので、借りてきました。
なるほど、こういう映画でしたか。凄い面白いわけではないですが、きちんと楽しめました。
個人的には、同じ「町山智浩のアメリカ映画特電」で、愛人のサンドラ・ロックの逸話も語られており、「どんな感じの人なんだろう?」と思っていたので、その疑問も解決できたのでよかったです。
サンドラ・ロックは、ヒロイン役で出ていました。
小柄で、小尻のおねえちゃんでしたが、顔はちょっときつめでした。
しかしまあ、自分の愛人を娼婦役で映画に出して、途中で裸にして、荒くれ者にレイプをさせ、それをスクリーンで大画面で映し、そういった映画の監督をしながら、自分は彼女と親密になる刑事役を演じるというのは、どういう気持ちなのかなあと思いました。
字面だけ見たら、鬼畜のような気がします。
まあ、映画監督は屈折した人が多いようなので、特になんとも思っていないのでしょうが。ちょっと気になりました。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。終盤の冒頭まで書いています。)
飲んだくれの刑事は、上司に呼び出される。ラスベガスにいる証人を、彼がいるフェニックスまで連れていくという仕事のためだ。
彼はラスベガスに行き、証人に会う。証人は若い娼婦だった。彼女は、牢獄を出たくないという。
なぜならば、ギャングたちが、フェニックスまで彼女が無事に行けるかどうか、賭けをしているからだという。
そんな馬鹿な話はないだろう。そう思い、刑事は娼婦を連れて空港に向かう。しかし、その途中で襲撃を受けた。
刑事は、娼婦の家まで行き、そこで隠れ、上司に連絡をする。そして、ラスベガスの警察に連絡して、応援を回してもらうように頼んだ。
しかし、やってきたラスベガスの警察たちは、刑事が女を人質に立てこもっている凶悪な犯人だと言い、建物ごと銃撃してきた。
わけが分からず逃げる刑事。
娼婦と合流した刑事は、パトカーを一台カージャックしてフェニックスとの州境を目指す。
彼は上司に、そこに応援を派遣してもらうように頼む。しかし、州境に行く途中、娼婦が、「もしあなたの上司が黒幕だったら?」という話をする。
彼女は、ギャングの斡旋で、ある客を取ったことがある。その人物は殺人狂で、彼女は命からがらその場から逃げた。
彼女は、客の顔を覚えていた。その相手が刑事の上司なのではないかと、彼女は言う。
もしその話が本当なら、上司とギャングは繋がっている。
そんな馬鹿なと思いつつも、念のために車を降りて、パトカーに乗った警官だけを州境に行かせる。
そのパトカーは、無数の銃弾を浴びて炎上した。
娼婦は、「あなたは飲んだくれで、死んでも構わない人間だから、この仕事に抜擢された」と言う。しかし、刑事は、自分がはめられたということをなかなか認めようとしない。
だが、度重なる追っ手の襲撃で、ようやく刑事も現状を正しく認識できるようになった。また、命掛けの逃避行を続けた二人の間には愛が芽生える。
刑事は自分のプライドのために、そして悪に染まった上司に鉄槌を下すために、何ができるかを考える。
そして彼は、改造バスで、証人である娼婦を運び、裁判所まで向かうことを決めた。
終盤、「フェニックス(行き)」と書いたバスの運転席に鉄板を仕込んで、敵の待つ場所へと乗り込んでいきます。
バスに書いてある「フェニックス」の文字が「俺は死なずに絶対たどり着いてやる!」という決意の文字のように見えました。
これは、死んでいた刑事の魂の復活も意味しているのでしょう。
また、バスで市街に入ったあと、全警官の半分以上が銃を連射する弾丸の雨の間を進んでいきます。
文字通り、弾の雨でした。
このシーンを見ながら、「ある意味アウトローの二人が、愛を確かめ合いながら突っ走って行き」「銃弾の雨を浴びる」という意味で、「俺たちに明日はない」を思い出しました。
終盤、刑事が上司に迫って行く様は、非常に痛快でした。
立場が上だという理由だけで、相手を軽んじる人間が、その相手のせいで徐々に追い詰められていく様を見るのは、多分多くの人にとって痛快だと思います。
世の中は、ピラミッド構造になっているので、抑圧されている人間の方が多いです。そういった意味で、この映画は、人の心の琴線に触れるものがあるなと思いました。
個人的には、こういった「敵に追われている」と「敵に迫る」という「二つの別の物語の方向軸」を、「同じ地理ベクトル上に載せる」というやり方は、上手いなと思いました。
この映画では、最初はわけが分からず「敵に追われて」おり、自分の州に向かって逃げていきます。
しかし、敵がはっきりして「敵に迫る」という段になった時には、そのまま向きを変えずに、自分の州の中心地にいる敵の許に行くことになります。
これは、観客にとっては目新しい場面が次々に出てくるし、地理的な混乱も起こらないので、便利な話の組み方だなと思いました。
ちょっと感心しました。