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2007年09月03日 01:30:44
素晴らしき哉、人生!
 映画「素晴らしき哉、人生」のDVDを七月中旬に見ました。

 原題は「It's A Wonderful Life」。1946年の作品で、監督はフランク・キャプラです。



 フランク・キャプラの作品は、以前に淀川長治総監修「世界クラシック名画100撰集」で「群衆」を見ました。

 その時、とても好みの映画だったので、他の作品も見てみようと思い、淀川長治さんが勧めていた作品をツタヤ ディスカスで注文しました。

 その時の「スミス都へ行く」も、この数日後に見ました。

「群集」を見た時は、「人生の当たり前の素晴らしさや苦悩を正面から描く」ということと、「人間に対する愛が溢れている」ということを感じました。

 なんというか、「王道を王道として見せてくれるなあ」という感じです。

 最近の映画では、こういった風に、人間の問題に真正面から向き合うものは少ないと思います。

(いくつか見ると、印象は変わってくるかもしれませんが)

 フランク・キャプラの作品は、今後もいくつか見ていきたいと思います。



 さて、「素晴らしき哉、人生」は、町山智浩氏の「映画秘宝.com 町山智浩のアメリカ映画特電」で何度も言及されていました。

 さらに監督がフランク・キャプラだったので、これは借りて見ようと思い、借りました。

□映画秘宝.com 町山智浩のアメリカ映画特電
http://www.eigahiho.com/podcast.html

 この「アメリカ映画特電」の話によると、「素晴らしき哉、人生」は、フランク・キャプラが自分で立ち上げた会社で作った映画だったけれど興行的には失敗したそうです。また、それが元で倒産したということでした。

 そのせいで権利が安くテレビに流れ、テレビでやたらと放送されたおかげで人気が出た作品だと説明されていました。

 このことは、フランク・キャプラ本人としては痛恨の大打撃だったと思います。

 しかしアメリカ人の誰もが知っている映画になったということを考えれば、最終的な評価としては大成功した作品だと思います。

 なんだか、映画の内容と被るようで、不幸も見方を変えれば幸福に見えるよなと思いました(この見方の詳細は後述)。



 さて、映画はよくできていて面白かったです。

「アメリカ映画特電」では、えんどこいちの「死神くん」の元ネタって、もろにこれだよねというような話が語られていましたが、そんな感じでした。

 自殺を決意した男が二級天使に合い、「自分が生まれていなかった世界」を見せられて、自分の生の素晴らしさを知るという内容です。

 なんというか、「((-1)+(-1)+(-1)+(-1)....)*(-1)=感動」といった感じの映画です。

 いや、途中でプラスの話もあるのですが、まあそんな感じです。



 この映画を見ると、人生が幸福か不幸かは、主観次第だなと思います。

 主観的に不幸でも、他人にとっては幸福を与えていたりして、そのことを考えると幸福とも取れることもある。

 ただ、主人公は周囲の人間のために自分の夢を諦めています。この点についてだけは、どんなに人生の見方を変えても不幸だよなと思いました。結局は自分を殺しているので。

 たぶん、私が主人公本人だったら、納得のいかない人生だと感じると思います。



 以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています。まあ、古い作品なのでよいでしょう)

 主人公の父親は、低所得者向けの住宅ローンを運営する会社の社長だった。

 町には、ありとあらゆる業種で幅を利かせている富豪がおり、住宅ローンは唯一彼が市場を支配していない分野だった。

 主人公は素直で正直な子供だった。彼には、世界を旅行した後、大学に行って都市建築について学ぶという夢があった。

 だが、父親が倒れる。富豪はこのチャンスに住宅ローンを潰そうとする。その圧力を退けるために、主人公は父の跡を継がざるをえなくなる。

 彼は住宅ローンの社長をしながら、弟を大学に行かせる。そして、弟が卒業した後は、自分が大学に行こうと考えていた。

 しかし、その目論みは外れる。弟は卒業とともに結婚し、花嫁の父親の会社に入ることになったのだ。

 このように、主人公は様々な局面で、自分の思惑とは違い、周囲の人々のために奉仕する立場となる。だが、彼はそのことに不満も漏らさず、黙々と自分の仕事を続けた。

 そんな彼も、妻を得て家庭を作る。

 恐慌のせいで倒産寸前になるという危機もあったが、その後持ち直して住宅ローンの仕事も軌道に乗り、多くの人々に住居を提供する。

 だが、その間も、富豪の嫌がらせは延々と続く。

 そんな折、銀行に支払う予定のお金が叔父のミスで紛失してしまう。さらに税務署の査察も入る。

 彼は紛失したお金を、生命保険を使い補填しようとする。

 だが、主人公が自殺しようとした瞬間、そこに二級天使が現れた。天使は主人公に、彼が生まれてこなかった世界を見せる。

 そこでは、多くの人々が不幸になっていた。

 人々のために働いていた主人公がいない世界は、暗くて殺伐としたものになっていた。

 彼は、自分がいかに多くの人々を救ってきたかを知る。

 そして、妻子と再会したいと望む。

 二級天使はその願いを聞き届ける。

 そして、元の世界に戻った主人公は、自分がこの世界に生きていることは、なんと素晴らしいことなのかと思う。

 そんな主人公の許に、彼に救われた人々が集まってきた。彼らは、窮地に陥った主人公を救うために寄付をした。

 主人公は、自分は世界一幸せな人間だと実感する。



 この映画のラスト近くで気になったことがあります。

 税務署の査察で、使途不明金(お金の紛失)が見付かります。それを献金で埋めるのはありなのかと思いました。

 うーん、どうなんでしょう? そもそも献金は別口の入金になるはずですし。普通に考えれば駄目だと思います。何よりも、税務署の職員の目の前でお金を補填していますし……。

 そこだけは、非常に気になりました。



 あと、この映画は、物語が終わった後も、実は主人公を取り巻く状況は何も改善していません。

 敵の富豪はそのままいますし、彼が貧しいことも変わりがありません。

 変わったのは、主人公の主観だけです。

 これはある意味恐ろしいよなと思いました。

 主観さえ幸せならば、どんな苦境でも幸福だと感じるということです。

 逆から言えば、生活を改善することなく、主観だけ変えるようにコントロールすれば、人々は幸福になるということです。

 人の心を支配するという意味で、ぞっとする話だなと思いました。



 そういったことを感じる点がもう一つあります。

 主人公は、主観的に「自分は不幸だ」と思っていますが、人によっては彼は幸せな人生を歩んでいます。

 美人の奥さんと結婚し、子供に恵まれ、老朽化しているとはいえ広い家を持ち、仕事があり、仲のよい隣人がいます。

「どこが不幸なんだ? 幸福じゃないか」と言うこともできます。

 二級天使が出て来る前と後で変わっているのは、本当に「主観だけ」です。

 人生は気の持ちようということです。



 自分の人生を肯定して幸福になる。

 この映画は、そういった前向きのメッセージを伝えている作品だと思います。

 しかし、「幸福」よりも「不幸」の方が、多くの場合、創造の原動力となります。

 なので、この映画が伝える気の持ち方は、何かを作る人間には向いていないと思います。幸福とは、現状を肯定し、現状に甘んじることになりかねませんので。

 前進しようとする人間は、絶えず現状を否定して、現在を過去のものとして葬っていかなければなりません。それは茨の道で、不幸な人生を進むという選択です。

 なんだか、いろいろと考えてしまう映画でした。
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