映画「炎のランナー」のDVDを九月下旬に見ました。
1981年のイギリス映画で、原題は「Chariots of Fire」。
邦題の「炎のランナー」は、内容そのままを言い表していて、日本人にとって分かりやすいものだと思いました。
なぜならばこの映画は、1924年のパリ・オリンピックに出場したイギリスのランナーたちの物語だからです。
監督はヒュー・ハドソン、脚本はコリン・ウェランド。主演はベン・クロス、共演はイアン・チャールソンです。
まあ何というか、この手のスポーツ物はドラマになります。
でも、こういった個人競技の人間ドラマは、少年マンガよりも少女マンガの印象が強いです。
少年マンガは、個人競技というよりは、集団競技を描く方が向いていると個人的には思っています。
対して、少女マンガは、一人の主観に入り込んで、周囲の人間やライバル、コーチとの人間ドラマを展開していくのに向いています。
そういった小人数での濃密なドラマは、仲間とともに敵を撃破していく少年マンガよりは、心の機微をたどる少女マンガの方が相応しいと思います。
私はこの映画を見ながら、なぜか少女マンガの「光の伝説」を思い出しました。これは、新体操物ですが、個人競技の主人公ということで、強く記憶に残っています。
でもまあ、バトル物の場合は、少年マンガでも個人競技は多いです。ボクシングとかはその代表格です。
しかし、陸上物は、それに比べて少ない気がします。思い出すのは、小山ゆうの「スプリンター」ぐらいです。
というわけで話は逸れましたが、「炎のランナー」の感想を書いていきたいと思います。
以下、粗筋です。
主人公は、イギリスの名門大学に通う学生。彼はユダヤ人の家系で、父親の代からイギリスに移り住んでいた。
彼は、自分の存在に悩んでいた。出自を重んじるイギリス社会では、彼は余所者にしか過ぎなかったからだ。
自分はイギリス人だと考えている主人公は、そのことを求めれば求めるほど、自分がユダヤ人の余所者であると痛感して生きてきた。
そんな彼には、他人にはない特技があった。走ることだ。彼は、そのことを武器に、イギリスの社会で自分の存在を認めさせようとする。
そして、競技に出場しては、ライバルたちを打ち負かしていった。
だが、そんな彼の前一人のライバルが現れる。その男は、スコットランドに住む宣教師だった。
神の恩寵として走る。そんなライバルに主人公は敗北を喫する。
ライバルに勝つために主人公は、一人の男を口説き落とす。イギリス在住の最高のトレーナーだ。彼はイタリア出身で、主人公と同じように、イギリス社会の異端児だった。
大学はそんな主人公に、アマチュアとしての、そして学生らしい競技者としての生き方を望む。だが、主人公はその考えには賛同できなかった。
人生は、勝たなければ意味がない。
主人公は、トレーナーとともに、世界の強豪と戦える肉体と走りを作り上げていく。
そして、オリンピックの選考に主人公とライバルは通った。
戦いの舞台を国内からオリンピックの場に移し、主人公は自分の人生を賭けて勝利を掴もうとする。
やはり、主人公は素直な人間よりも、鬱屈した人間の方が共感を持てます。
少々捻じ曲がっている方が、私は好きです。
この映画の主人公は、自覚的に捻じ曲がっています。
「あなた方はそれを悪だという。だが僕は、その悪を自分のために使いこなす。なぜならば、僕にはそれが必要だからだ」
そんな感じの主人公です。
とはいえ、それほど頑固な人間ではありません。若者らしい、傷付きやすい心の脆さも持っています。
そして、その彼を支える女性も出てきます。
女性は、成功している舞台女優です。彼女は、主人公を愛してくれます。そして、ただ甘えるのではなく、励まし、時にはそっと距離を置いて彼の成功を待ちます。
こういった距離感の持ち方は、なかなかできないよなと思いました。
そして、よくできた人間だなと思いました。
まあそれも、「自分が成功しているから」という心の余裕があるからこそできることだとは思いますが。
また、トレーナーもよかったです。
彼も、自分の存在を自覚している人間です。
「俺は、成功する素質を持っていない人間にはトレーニングをしない。今度会う時があれば、それはお前が成功すると俺が判断した時だ」
主人公に対してそんな感じの台詞を吐きます。
こういうキャラは、姿は格好悪くても、存在は格好いいです。
また、ライバルもいいです。
私欲の塊の主人公に対して、無私を課せられたライバル。
しかし、そんなライバルも自分の欲望に悩みを持っています。
「走る時に、俺は神に近付けるんだ」
そんな感じです。
ライバルも、一筋縄ではいきません。
最初「スポーツ物か」と思って、単純な感動物と思っていましたが、主人公にや周囲の人間に、一癖も二癖もあり、なかなか楽しめました。
あと、少しだけ、映画で印象に残ったことを書いておきます。
それは、ランナーたちのタイムです。
「世界最速の男たち。彼らの100メートル走のタイムは、10秒4や、10秒3……」
そうか、この時期は、これぐらいかと思いました。
まだ、それほど競技技術が開発されていない時期ですので。
なので、オリンピックが始まってから、100メートル走から400メートル走に鞍替えして優勝する人が出て来たりと、映画も波乱含みになっています。
こういう黎明期は、面白い現象が多く出てくるので、ドラマになりやすいよなと思いました。