映画「真夜中のカーボーイ」のDVDを十二月下旬に見ました。
1969年の映画で、監督はジョン・シュレシンジャー。脚本はウォルド・ソルト。
ウォルド・ソルトは、「セルピコ」(1973年)や、「帰郷」(1978年)も書いていますね。
また、主役はジョン・ヴォイト。助演はダスティン・ホフマンです。
ジョン・ヴォイトは、どこかで見たことのある名前だなと思ったら、「帰郷」で、車椅子のベトナム帰還兵を演じていました。
さて、映画ですが、不思議な作品でした。
まずは、なぜ「真夜中」の「カーボーイ」なのか書きます。
主人公は、カーボーイの多くいる地域からカーボーイの格好をしてニューヨークに上京してきます。
そして、男娼として生計を立てようとします。
なので「真夜中」の「カーボーイ」。
そして、地元のこそ泥であるダスティン・ホフマンと腐れ縁で共同生活を始め、どんどん下降スパイラルに入っていきます。
この映画は、映像的にちょっと前衛的な表現をするところがあります。
主人公の過去は明確には語られないのですが、映像の断片から総合すると、過去に恋人がレイプされて、そのごたごたのせいで心に傷を負っているのが窺えます。
これは映画の序盤から、ことあるごとに、フラッシュバック的に挿入されます。
男娼で身を立てようというねじれた目標を立てている理由も、ここら辺にありそうです。
でも、田舎からぽっと出てきた男が、そんな道でいきなり大成するわけもなく、女や男を客にするのですが上手くいかず、こそ泥をマネージャーにするも失敗続きで、貧困で泥沼に落ちていきます。
爽快さはない映画ですが、不思議な魅力がありました。
この映画の序盤で驚いたことが一つあるので、メモしておこうと思います。
映画が開始して二十五分ほど、何もストーリーが始まりません。
主人公が田舎から出て、バスに乗って、ニューヨークに降り立ち、ぶらぶらするまでに、それだけ時間を掛けています。
普通、ここまでで一回ぐらい事件が起こるものですが、この映画はずっと何も起こりません。
でもまあ、そんなに飽きるわけではありません。
珍しいなと思いました。
あと、どうでもいい感想です。
この映画は、やたら主人公を買おうとする男が出てきます。
ニューヨークはそんなにホモやゲイが多いのか、それとも、映画で少し話が出ていたように、カーボーイはそういった相手を引っ掛けるための何かのサインなのか、微妙に悩みました。
そういった商売の知人もいないし、ウォッチに行ったこともないので、日本での事情もよく分かりません。ましてや海外事情はもっと謎です。
どう受け取ればよいのかなと、ちょっと考えました。
以下、粗筋です。(ある程度ネタバレあり。終盤の序盤まで書いています)
主人公は田舎に住む長身で体格のよい金髪の男性。彼はニューヨークで男娼として成功する夢を見て上京する。
しかし、女を引っ掛けるも支払いを拒否されたり、逆にお金をふんだくられたりして仕事は上手くいかない。
そんな時、一人の男と出会う。
その男は、ネズ公と呼ばれるイタリア移民で、彼は主人公に、「この町で成功するにはマネージャーが必要だ」と告げ、大物に紹介するから紹介料を払うようにと言う。
だがその男は主人公を騙してお金だけ持って遁走した。主人公は激怒する。
ホテルに泊まる金もなくなった主人公は町をさまよう。そこでネズ公に再び会い、お金を返すようにと迫る。
だが、その男もお金はほとんど持っていなかった。落胆する主人公。その主人公に向かい、男は自分の家に泊まるようにと言う。彼は、取り壊し前のアパートに不法に住んでいた。
こうして、主人公と男の奇妙な共同生活が始まった。
男は主人公のマネージャーとして奔走し、彼に金を持った女を宛がおうとする。
最初は上手くいかなかった二人だが、その内、金を払う女を捕まえることに成功する。
しかし、その成功とは裏腹に、男は体を壊す。元々足が悪かった男は、寝たきりになる。そして、咳き込んでいた肺が悪化して気味の悪い音を立てるようになった。
「フロリダに行きたいんだよう」
彼は言う。
季節は冬。
男は、前々から「行きたい」と言っていた土地の名前を口にする。
主人公は、友となった男とともに、バスでその場所を目指して出発する……。
映画では、途中でサイケデリックでエロティックなパーティーが出てきます。
都会の先進的な若者のパーティーのようなのですが、こういったパーティーは本当にあるのでしょうか?
経験がないのでよく分かりませんが、なんか凄いなと思いました。主人公たちもそう思っていたようですし。
世の中、体験したことのない世界がいっぱいあるなと思いました。
あと、ダスティン・ホフマンは主役食いだなと思いました。
「大統領の陰謀」でも思いましたが、共演者大変そうです。やたら目立ってしまうので。