映画「喝采」のDVDを十二月下旬に見ました。
1954年の白黒映画で、原題は「The Country Girl」。監督・脚色はジョージ・シートン。
原作の戯曲の題名は「ユーモレスク」。作者はクリフォード・オデッツです。
また、俳優と妻の主役夫婦は、ビング・クロスビーと、グレイス・ケリー。その二人に絡む演出家としてウィリアム・ホールデンが登場します。
この映画の監督のジョージ・シートンは、「三十四丁目の奇跡」(1947年)の監督・脚本の人です。
今回「喝采」を見て、この監督の他の作品も見てみたいと思いました。そう思わせる出来の作品でした。
映画は非常に面白かったです。これは大当たり。最後まで、ハラハラドキドキしながら楽しめました。
特に、中盤の超展開は、初めびっくりしましたが、終盤の緊張感を経験するにつけ「ありだ」と思うようになりました。
よい映画でした。
この作品に関しては、序盤と後半のサスペンスの入れ替えが特に上手いなと思いました。
以下、粗筋を書いたあとに、その上手さについて書いていこうと思います。
以下、粗筋です。(ネタバレ大いにあり。終盤のラスト直前まで書いています)
演出家は、新作演劇のための主役を決めなければならなかった。
その演劇では、演技だけではなく歌も重要で、彼はその主役として、歌手としても有名な往年の名俳優を起用しようとしていた。
しかし出資者でもあるプロデューサーは、彼の考えに反対する。その俳優は、公演期間中に酒を飲んで失敗した経験があるからだ。
演出家は、プロデューサーとともにその俳優のオーディションを行なう。
演出家は彼を起用することを決定する。しかしプロデューサーは、期間を区切り、いつでも首にできる状態で契約を結ぶようにする。
俳優に採用を伝えようとする演出家。しかし俳優は舞台から姿を消していた。彼はアパートにいる妻の許に戻っていた。
演出家は彼の家に行く。家には美人で若い妻がいた。俳優は主役を受けることを渋る。彼には、主役を受けたくない理由があったからだ。
最終的に俳優は主役の話を受ける。しかし、その演技や歌には往年の切れがない。練習の終わった後、演出家はそのことについて俳優に尋ねる。俳優は、自分の現状について語りだす。
彼は、妻の目を気にしていた。息子を事故で失って以来、妻は落ち込んでいた。その妻に生き甲斐を与えるために、仕事の手配などを任せるようにした。
その結果、妻は俳優を全て支配しなければ気がすまないようになった。だから自分は今、全てを妻に決定させるようにしなければ動けなくなっていると。
演出家は、その歪んだ愛に驚く。
公演の準備が進んで行くにつれ、その妻は徐々に舞台裏にやって来るようになる。そして、仕事中でも俳優に付き添うようになっていく。
演出家は、そのことを問題だと考える。そして、俳優が妻の決定に左右されずに仕事ができるようになる環境を整えるようにするべきだと判断し、俳優の妻に敵対する。
しかし、俳優と妻が二人だけしかいない時には状況は大きく違っていた。
俳優は、全ての人にいい顔をしていたが、妻には当り散らしていた。そして、全ての失敗や不調の原因を妻に押し付けようとしていた。
俳優の息子が交通事故で死んだのは、俳優が目を離したせいだった。彼はそのことで心を傷付け、自分が他人に対して責任を持つことを極度に恐れていた。
劇の主役──。全てのお金と人々の責任を一心に負う役は彼には耐え難かった。妻は献身的に彼に尽くしていたが、俳優は恐れおののくだけだった。
そして、公演が始まる。最初は地方公演から始まるが、その評価は主役のせいで散々だった。
俳優は荒れる。そして酒場で暴れて警察に捕まる。
その時、初めて演出家は、俳優が嘘を吐いており、妻がその嘘に振り回されていた現状を知る。
彼は、俳優の妻に、俳優のサポートを続けて欲しいと頼む。しかし、疲れ切った妻はそのことを断る。
その彼女に、演出家は愛の告白をする。そして、俳優を助けて欲しいと頼む。
演出家は俳優にも会う。俳優は全てを語り、前に進まなければならないことを自覚する。
俳優は立ち直った。地方公演を終え、ニューヨーク公演になる。公演は大成功。俳優は往時の輝きを取り戻す。
その復帰を見た演出家は、俳優の妻に求婚を申し出る。もう俳優には妻の助けはいらないと判断したからだ。その場所に俳優がやって来る。気まずい空気になる演出家と俳優の妻。
その二人に対して俳優は、二人が何を話していたのかは分かると告げる。
妻には迷惑を掛け続けてきた。きっと今後もそうだろう。妻が望むようにするべきだ。彼はそう言い、部屋を出て行く。
妻は、夫と演出家の間でゆれ動く。そして彼女は決断する……。
この映画は、中盤の超展開を境にして、前半のサスペンスと後半のサスペンスの切り替えが非常によくできています。
一つのサスペンスで全てを引っ張るのではなく、途中で切り替え、より本質的なところに切り込んでいく。その移行が非常に上手かったです。
以下、それぞれのサスペンスについて書いていきます。
前半のサスペンスには、大サスペンスと小サスペンスがあります。
大サスペンスは「俳優と妻の関係が本当はどうなのか」です。
最初は、俳優が駄目な人間に見え、その後、俳優の告白とともに、妻が俳優を支配しているように見え、さらに話が進んでいくと、逆かもしれないという真相が見えてきます。
この「どちらか明確に分からない演出」が非常に上手く、「どっちなんだ?」とハラハラドキドキさせられます。
前半のもう一つのサスペンスである小サスペンスは「プロデューサーの反対」です。
演出家は俳優を押しますが、プロデューサーは俳優を下ろそうとします。そして俳優自身も責任から逃げようとして役を降りようとします。
この「俳優が仕事を続けるのか辞めるのか」が小サスペンスになっています。
そして、中盤に超展開がやって来ます。
演出家による愛の告白です。
これは、妻も驚きますが、観客も驚きます。
「ええっ!」と思います。
「好きだから辛く当たっていたんだ!」と言われても、俳優の妻のように目を白黒させてしまいます。
この中盤の超展開を受け、終盤は妻がどちらを選ぶのかのサスペンスになります。
これは、映画が終了する寸前まで引っ張られ、本当にどうなるのかドキドキしました。
よくできているなと思いました。
映画の題名についてですが、原題は「The Country Girl」、邦題は「喝采」になります。
原題の方は、妻が田舎娘から俳優の妻になり、苦労するといった視点からの題名です。
対して邦題は、俳優の復帰に焦点を当てた題です。
この映画に関しては、邦題の「喝采」の方が合っていると思いました。俳優に注目しながら見ましたので。
というわけで、最近はあまりない「全く違うタイプの邦題の付け方」ですが、上手くはまっている例だなと思いました。
最後に、どうでもいいことを書きます。
俳優の妻役のグレイス・ケリーが、いくつかの場面で黒縁眼鏡を掛けています。
田舎娘だったから余りファッションにこだわらないといった象徴的なアイテムとして出てくるのですが、この眼鏡姿がなかなかキュートでした。
ずっと眼鏡を掛けていればよいのにと思いました。