アニメ「灰羽連盟」のDVDを、友人の家で三人で酒を酌み交わしながら二月中旬に見ました。
2002年の作品で、全十三話。安倍吉俊の同人誌である「オールドホームの灰羽達」を元に構成されたテレビアニメだそうです。
前々から、絶賛する人やファンだと公言する人が多かったので、そういった人を生むタイプの作品なのかと思っていたのですが、なるほどそういった感じの作品でした。
見た感想を率直に書くと「閉鎖生態系タイプの作品だな」です。別の言い方をするならば「箱庭系の作品」です。
閉じた環境での物語を丁寧に描くことで、作品の受容者に「私だけの世界」を脳内構築させるタイプの作品です。
ファンと公言する人が多いのはよく分かりました。この手の作品は、感受性が高い人ははまりやすいので。
ただ、私のストライクゾーンではなかったです。
私はもっと振れ幅の大きな作品が好きなので。私は、脳を強震させるような話が好みです。
この作品は、“もう一つの世界(仮想世界)”を丁寧に描くことで、登場人物の心の機微を描くタイプの物語です。
「なるほどねえ」とは思いましたが、こういった閉鎖環境系の話の常で、予定調和的でした。
きっちりと作られた「閉鎖世界での少人数物語」は、玄人がやるゲームのように打つ手が固定化してしまいます。
まあ、その中での微妙な揺れ動きを楽しむべきなのですが、現在の私はそういった楽しみ方をする人ではありません。
もう少し私が若ければ、そういった楽しみ方もできただろうなと思いました。この年になると、作り手がどんな技を繰り出してくるかの方に関心が向いてしまいますので。
あと、こういった「しんみり系」の作品は、男三人が集まって酒を飲みながら見るのには向いていないなと思いました。
酒を飲みながら映像作品をみんなで見ると、どうしても「大つっこみ大会」になりますので。
正直「すまんかった」という感じの会話を、私と友人で繰り広げていました。二人して、がんがん先読みしたり、設定の粗を探したり、情緒も何もない見方をしていましたので。
それと、見る前にDVDの持ち主の友人から聞いたのですが、この作品はヨーロッパでも人気があるそうですね。
まあ、分かる気がします。
世界のレイヤー構造に親和性があると思います。あと、ああいった異世界をきちんと作り上げることに評価を与える文化的土壌が、向こうにはあると思いますので。
もう一つ、友人が言っていましたが(2chで発言されていたとも言っていた)「安倍は神」というのは、私は思いませんでした。
丁寧な仕事は評価しますが、既成概念を覆すような仕事ではありませんでしたので。
私が評価するのは、衝撃とともに知の世界の地平を広げてくれるような仕事です。つまり、文化の開拓者としての仕事。
「灰羽連盟」は、既存の概念や世界観を元に丁寧に作った予定調和作品なので、私の評価基準からは外れています。
また、予定調和の終着点が見えてしまうと、どうしても作品を見るのが消化試合になってしまいます。映像的には飛び抜けて着目する点はなかったので、どうしても冗長に見えてしまいます。
たぶん、間の感覚が、作り手の想定している視聴者とずれてしまっているので、その傾向が強くなっているのだと思います。
あとはまあ、振れ幅が小さいので閾値を超えなかったというのが正直なところです。
粗筋は、書いてよいのかどうか謎です。
最初の数話で、だいたい結末の予想が付く作品です。見所は、そこに至る過程を、丁寧に、そして若干の視聴者の裏切り(メインとサブの使い方)を交えて描いていることです。
ただ、人によってはそういう見方をしないかもしれません。
というわけで、未見の人は、粗筋を見ない方がよいと思います。
以下、数行空けて粗筋です。
以下、粗筋です。(半分ちょっと過ぎまで書いています)
元いた世界での役目を終えた人物が、魂の浄化を経て次の世界へと移っていく。そのための階層が何層かある複合世界。
その一つの階層に、一人の少女がやって来る。
前の階層での記憶を全く持たずにやって来た少女は、先輩の少女たちとともに生活を始める。
彼女の面倒を見るようになったのは、同じように前の階層での記憶を持たない黒髪の少女だった。
新入りの少女は、新しい世界での生活を通して、自分たちがこの世界では特殊な存在なのだと知っていく。
ある日、その中の仲間の一人が世界から消滅する。新入りの少女はそのことを嘆くが、他の人たちは嘆かない。
新入りの少女は、自分と世界について考え始める。そんな彼女を、黒髪の少女はかいがいしく世話する。
そして、新入りの少女はこの世界がどういった場所であるのかを知り始める。そして、黒髪の少女によって救われる。
しかし、助けが必要だったのは新入りの少女だけではなかった。黒髪の少女は、彼女以上に周囲の人による助けを必要としていた……。
「住人はNPCだね」
見ながら、ずっと言っていた台詞です。
この世界の住人のほとんどは、ドラクエの町の人たちと同じです。箱庭の中を、何の疑問も持たずにうろうろと歩く人たちです。
この作品では、意図的にそういった描き方をしています。
そういった人物表現が受け入れられるのは、「ゲームの中での仮想世界」が共通認識となっている現代だからこそなのだろうなと思いました。