映画「スキャナー・ダークリー」のDVDを二月下旬に見ました。
2006年の作品で、監督・脚本はリチャード・リンクレイター。原作はフィリップ・K・ディック。
主演はキアヌ・リーヴス、その他の俳優として、 ロバート・ダウニー・Jr、ウディ・ハレルソン、ウィノナ・ライダー、ロリー・コクレインが出ています。
当たりでした。これはなかなか面白い映画でした。
大ヒットする映画ではありませんが、映画好きの人なら満足するタイプの作品です。
この映画は、冒頭で、ワーナーのインディペンデント系のレーベルらしきことが書いてありました。確かに、本流というよりは傍流の実験的な映画でした。
本作品では、俳優が演じた映画を撮った後、それを全部アニメ調のセル塗りで作り直すという手法を使っています。
監督自身が「二本分の映画を撮ったようなものだよ」と言っていました。
私は映画を見る前、このアニメ風の絵はコンピューターを使って一定のアルゴリズムで変換しているのだと思っていました。
しかし、実際は違っていました。
DVDにはメイキングが付いており、それによると、映画の画面を下敷きにして、人力で全部一枚一枚絵を描いていったそうです。びっくりしました。
そして、その絵を描いた人たちは、アニメ畑以外の人が多く、画家やマンガ絵など、普段アニメに携わっていない人たちが多いとのことでした。
映画を見ている間、「どんなアルゴリズムを使ったら、こんなにきれいにできるのだろうか?」と思っていましたが、人間の手と脳みそで描いていました。
この映像だけでも一見の価値があるなと思いました。
また、映画自体もよくできていました。
限られた人数で演じる短編小説的な作品なのですが、その少ない人数と限られた場所が、有効に働いていました。
そして、アニメ調の絵で映画を進める意味もきちんとあり、それもよくできていました。
以下、粗筋を書き、その後感想を書きます。
ネタバレが結構致命的な作品なので、中盤までで留めておきます。
以下、粗筋です。(大きなネタバレはないです。中盤ぐらいまで書いています)
主人公は潜入捜査を行う麻薬捜査官。
正体がばれることが死に直結する彼らは、無数の人間の容姿の断片を次々と浮かび上がらせ、個人を特定できなくする迷彩服を身にまとっていた。
主人公は、ある家を隠しカメラで監視していた。その家には、麻薬に溺れている数人の男が住んでいた。
彼は仕事が終わったあとに、スーツを脱いでプライベートに戻る。彼が帰宅する家こそが、彼自身が監視している場所だった。
主人公は潜入捜査のために、“仲間”たちに怪しまれないように麻薬を常用していた。そして、仲間たちの前では親友として振る舞っていた。彼には、その場所での彼女もいた。
だがその奇妙ではあるが安定した生活に、徐々に変化が訪れる。
捜査が進展してきたのだ。主人公は、プライベートで仲間とともに誰かの影に怯えながら、職場では監視対象である自分たちを観察し続ける。
彼の精神は、その奇妙な生活と麻薬の影響で分裂気味になる。
そして、その“家”に住む人間の一人が、当局にタレコミに来たことで、彼のプライベートは崩壊を始める……。
この映画は、序盤から中盤に掛けては、軽妙なトークと、夢と現がないまぜになったような奇妙な主人公の生活への好奇心で上手く引っ張っていきます。
でも、この映画(というよりも物語)の真骨頂は、終盤の畳み掛けるようなどんでん返しにあると思います。
世界がぱたぱたと裏返っていく感覚が味わえます。
そして、最後の絶望的なやるせなさ。
終盤は、強く印象に残るできになっていました。
さて、序盤から中盤に掛けて、前述のように物語自体は大きな進展を見せません。
この部分は、物語の内容で引っ張るというよりは、数々のギミックの面白さで引っ張るという感じでした。
まずは、主人公が属している組織の様子。奇妙な迷彩スーツや、麻薬に犯されていき、職場での立場が危うくなっていく主人公。
そして、家に帰った後に会う、ロバート・ダウニー・Jr演じるバリスのエキセントリックさ。
序盤から中盤に掛けての影の主役はバリスです。このキャラの面白さが映画を牽引しています。
基本的なパターンとして、リーダー的な存在のバリスが変なことを始めて、他の仲間たちが、それに反応して会話したり行動したりする繰り返しです。
その日常のだらだら感とともに、主人公の職場での危険度が徐々に進行していきます。
しかし主人公自身は麻薬に溺れ掛けているので、危機感はありつつも、有効な思考ができないまま日々を淡々と送ります。
でも、観客には徐々に破綻が近いのが分かります。
そして、破綻した後は、畳み掛けるように真実が明かされていき、主人公を通して見ていた世界観が裏返っていきます。
よくできているなと思いました。
そして、序盤中盤で飽きさせなかったのは監督の手腕だなと思いました。