映画「隠された記憶」のDVDを三月中旬に見ました。
2005年のフランス、オーストリア、ドイツ、イタリア(中心はフランス)の作品で、監督はミヒャエル・ハネケ。主演はダニエル・オートゥイユ。
ダニエル・オートゥイユは、この少し後に見た「あるいは裏切りという名の犬」(2004)の主役の人です。
映画は、ちょっと間が長過ぎるきらいがありましたが、引き込まれる内容でした。
あと、ラストの投げっぷりにびっくりしました。そして、その後、映像特典で監督のインタビューを聞いて、二度びっくりしました。それについては後述します。
少しテンポが遅い気がしましたが、内容自体は面白かったです。
さて、この映画はミステリー仕立ての映画です。
その展開の仕方もミステリーです。
しかし、結末はミステリーではありません。
「ええ〜〜!」っと思ったのですが、監督がインタビューで「これはミステリーじゃないんだ。そこはおまけみたいなものなんだ」と言っていてびっくりしました。
最初からミステリーのつもりで撮っていないそうです。
「人間の罪について描きたかったんだ」ということで、謎の解決はどうでもよかったそうです。
そりゃあ、最後が投げっぱなしみたいになるなあと思いました。まあ実際は「投げっぱなし」というよりは「ぼかし」なのですが。
でも、その部分を除くと、ミステリーとしての魅力を十分に備える内容になっていました。
いや……、ミステリー作品ではないのですが。
以下、粗筋です。(大きなネタバレはなし。中盤の前半ぐらいまで書いています)
主人公はテレビ局の人気キャスター。彼は美人の妻と思春期の息子とともに暮らしている。
そんな彼の許にある日ビデオテープが届く。それは彼の家の玄関のあたりを長い時間撮影し続けたものだった。テープは無造作にスーパーの袋に突っ込んだ状態で扉の前に置かれていた。
主人公はそのビデオを撮影していた場所を探し出す。そこは路上だった。撮影者は、車に隠れてカメラを回し続けたのだろう。
主人公は、犯人は息子かその友人たちではないかと疑う。思春期に入った少年は、最近両親に反発していたからだ。
それから、日を置き、ビデオテープが届き続ける。
そして、その袋に、奇妙な手紙が同封され始める。手紙には文字は一切なかった。その代わりに子供の殴り書きのような絵が描かれていた。その絵は、子供を殺害したような絵だった。
その内、手紙だけが、主人公の職場や、子供の学校に届き出す。さらに、妻のいる家には無言電話が掛かり始める。
主人公たちの不安と恐怖は募っていく。警察に連絡したが、まだ事件ではないと言われて、相手にしてもらえない。
そんなある日、いつものように絵だけの手紙が届く。鶏の首が切断された絵だ。その絵を見て、主人公は子供時代の記憶を蘇らせる。
自分はその光景を覚えている。
首が切断された鶏。そのままの状態で走り回り、息絶える様子。
その首なしの鶏を作ったのは、一人の少年だった。彼の家にいた、家族ではない少年。
そして主人公は、成長したその少年が犯人ではないかと疑い始める……。
確信の持てないまま、徐々に核心だと思われる場所に近付いていく様は面白かったです。
そして、最後はショッキングな結末が待っています。
謎は100%明かされませんが、たぶんそうだろうと思われる状態まで近付いていきます。まるで漸近線のように。
最後までもやもやしたまま、すっきりとしない状態で宙ぶらりんにさせられるのですが、現実の社会ではそういったことの方が多いだろうなとも思いました。
きれいに謎が解けるようなことは、実際には稀ですので。
この映画は、ビデオテープの使い方が上手かったです。
犯人が主人公を不安にさせ、恐怖感を覚えさせるために送るビデオテープ。それは徐々に、主人公のプライベートな空間に入ってきます。
しかし、その映像は、逆に主人公が犯人をたどるための手掛かりにもなります。
ビデオの映像が、主人公に何かを伝えようとすればするほど、主人公はそこから犯人に対して読み取れる情報が増えていく。
ビデオテープという視覚情報を通して、そこから相手の意図や感情を読み取り、反応する主人公。
この構図がよくできているなと思いました。
映画という映像作品ならではの駆け引きでした。
あと、この映画は映像的に面白かったです。
ビデオテープの映像をビデオと分かるように画面に写しません。映画の他の場面と同じ質感で提示します。
そして、徐々にビデオと分かるようにする。
そのため観客側からすれば、今見ている映像が現実の時間の流れなのか、ビデオを再生している映像なのかを瞬時に判断しなければなりません。
まあ、すぐにどちらか分かるのですが。
全体的に冗長な映画なのですが(フランス映画は無闇に間が長い)、このギミックの部分は緊迫感があってよかったです。
万人向けの映画ではないですが、そこそこ面白い映画でした。