2008年06月23日 15:34:10
映画「ザ・マジックアワー」を劇場で先々週見てきました。
2008年の映画で、監督・脚本は三谷幸喜です。
主役は佐藤浩市で、脇を固めるのは妻夫木聡と西田敏行です。
感想は「大当たり」。ともかく笑いっぱなしで、終盤ほろりとさせられる。
映画館から出てきた時には「俺がデラ富樫だ」と何度も言っていました。
とりあえず感想を書く前に、序盤の粗筋(というか設定)を書いていた方が分かりやすいので、先に粗筋を書きます。
以下、粗筋です。(序盤だけ書いています)
ある港町。そこのクラブの若い支配人が、町のボスのところで殺されそうになっていた。彼はボスの女に手を出したのだ。
クラブの支配人と女はコンクリートで足を固められそうになる。その時に、支配人は言葉を漏らす。「僕はデラ富樫を知っている……」
ヤクザたちの動きがぴたりと止まった。
支配人は、彼らがデラ富樫を探しているのを小耳に挟み、助かるために口からでまかせを言ったのだ。
彼らはボスのところに連れて行かれ、デラ富樫を連れてくることを条件に命を助けてやると言われる。デラ富樫とは、幻の殺し屋のことだった。
支配人とボスの女は一時的に解放される。しかし、支配人はデラ富樫が誰なのかそもそも知らない。最初の数日は真面目に調べるが、見付かりっこないことに次第に気付く。
そして、逆転の秘策として、殺し屋を演じてくれる俳優を雇うことに決める。
支配人は、“殺し屋に見えて”“最も売れていない(ボスが顔を知っていそうにない)”俳優を探す。
そして彼に、「自分は映画監督で、あなたを主役にした殺し屋の映画を撮りたい」と言って近付く。
その俳優は落ち目だった。そして、ギャング映画の主人公に憧れていた。
最初は断っていた彼だが、数々の現場での屈辱の後、その“自称映画監督”の“映画撮影”に全てを賭けてみようと決意する。
俳優のマネージャーは、その決断に反対する。しかし彼は、その言葉を無視して“現場”に乗り込む。
そして支配人は、“二つの嘘”を突き通す困難な作戦に打って出ることになった。
ボスに対し、“本物の殺し屋を連れてきた”と思わせること、そして俳優に対し、“本物の映画撮影”だと思わせること。
最初は上手くいきそうだったその作戦だが、思わぬ展開で泥沼にはまる。
ボスが“殺し屋”を気に入り、自分の部下として雇うことに決めたのだ。
そして支配人は、自分の命を守るために、途方もない嘘を貫き通さなければならなくなり、大奔走することになる。
序盤、俳優をボスのところに連れてくるまではちょっともたつく印象がありましたが、俳優がボスのところに来て以降は、ジェットコースターのように笑いの連続で楽しませてくれました。
逆に言うと、序盤はエンジンが掛かっていない感じが少しありました。
特に、最初の最初は、まるで臭い演劇のようで、そういった演出なのかもしれないのですが、映画でそれが気になるというのは、問題のある演出なのではないかと感じさせられました。
かなり強引でしたし。
さて、俳優がボスのところに来て以降の展開です。
最高です。
佐藤浩市(俳優=殺し屋)の“くどくて臭過ぎる演技”と、それを受ける西田敏行の素晴らしさ。
そして、微妙にずれている二人の認識が、支配人の言葉の綾で、微妙に噛み合い、会話が成立するおかしさ。
特にこの出会いのシーンの「俺がデラ富樫だ」と佐藤浩市がペーパーナイフを舐めながら演出過剰に言うシーンが最高です。
映画の撮影だと思っている佐藤浩市は、撮影の撮り直しと思って、何度も同じ台詞を言い、ボスには“よく分からない異常な人物”と映る様子がよかったです。
そういった感じで、話は“微妙なずれ”と“それがなぜかドンピシャにはまる爽快感”と“その陰で奔走する支配人”といった構図で進んでいきます。
その中で、売れない俳優の悲哀や、心の動き、そして心の師匠との出会いなど、きちんと成長物語が描かれています。
そして、その成長物語のために、伏線がきちんと噛み合っています。
笑いだけでなく、よくできた映画だなと思いました。
さて、俳優の力について書こうと思います。
この映画は、西田敏行が非常に素晴らしいです。この映画の説得力の多くは、西田敏行の演技力に負っています。
特にラストの、あまりにも途方もないどんでん返しは、西田敏行の演技力があって初めて成り立つなと思いました。
怖いボスから駄目人間までを同じキャラで演じ分けられる能力。これはかなり凄いなと思いました。
もう一つ書いておきたいのは、台詞の力です。
この映画が終わった直後、かなりの台詞をそのまま口に出して言えました。
それだけ、頭にするっと入ってきて、記憶に残る台詞だったんだなと思いました。
カンフー映画を見て動きを覚えてしまうように、コメディー映画を見て台詞を覚えてしまいました。
これは、他の映画では少ないことなので、特に印象に残りました。
さて、少し脚本について触れておこうと思います。
ちょうど、この映画を見る前の日まで、三谷幸喜のテレビドラマ「合い言葉は勇気」の脚本を読んでいました。
その冒頭に本人が書いていたのは、「このドラマは、僕が好きな要素を全てぶち込みました」ということでした。
その「大好きな要素」として挙げられていたのが「偽者が本物以上に活躍する話」でした。
この「ザ・マジックアワー」もそういった話です。
ちなみに「合い言葉は勇気」は、ゴミ処理場に対して暴動を起こそうとしている住人に対し、鎮めるための弁護士を探しに行った主人公が、弁護士が見付からずに弁護士役の“売れない俳優”を連れてくるといった話です。
つまり「本物を探して見付からなかった」ので、「その職業に見える売れない俳優を連れてくる」、そして、その俳優が大活躍するという話です。
基本構造は全く同じです。
三谷幸喜は、こういった設定が本当に好きなんだなと思いました。
それとともに、役者という人を本当に愛しているんだなと思いました。
「合い言葉は勇気」の中に、こういった台詞がありました。
「○○さんって、どんな人?」
「よく言えば役者バカ」
「悪く言えば?」
「バカ役者」
三谷幸喜は、そういった「役者」が大好きなんだろうなと、二つの作品を見ながら感じました。
さて、最後に二つほど疑問に思った点を書いておこうと思います。
この映画を見ていて、港町の遠景が出てきたのですが、「これって門司港だよね」と思いました。あと、夜景の遠景の光の配置も、関門海峡辺りの建物の配置に似ています。
うーん、どうなんだろうと思いましたが、映画の最後のスタッフロールの協力の中に、「下関」の名前と「門司港ホテル」がありました。
でも、プログラムには、そこらへんの情報は載っていませんでした。
どうなんだろう?
ネットで調べましたが、どうも門司港で合っているようでした。
あと「デラ富樫」という殺し屋のネーミングについてです。
「デラ」って何だよ? と思っていましたが、これはなんなんでしょうね?
「デラ・ベッピン」の「デラ」でしょうか? 謎です。
しばらく経って「デラシネ」(根無し草)かもしれないなと思いました。
「デラシネ富樫」で、「故郷や祖国から切り離された富樫」という意味。
それなら意味としては合っているけどなと思いました。でも、よく分かりません。