映画「候補者ビル・マッケイ」のDVDを五月中旬に見ました。
1972年の映画で、監督はマイケル・リッチー、脚本はジェレミー・ラーナー、主演はロバート・レッドフォードです。
ロバート・レッドフォードは、政治物の映画が多いですね。
そして、面白いですね。
今見ても十分面白い映画ですが、当時はかなりショッキングな映画だったと思います。
それは、当時は今ほど「政治がコマーシャル活動」だということが知られていなかったはずだからです。
映画は、「これでもか」というほど「候補者を商品として有権者に売り込む活動」が赤裸々に描かれています。
この映画の全てを象徴しているのは、その冒頭とラストのシーンです。
ラストシーンはネタバレになるので、ここでは書きませんが(この感想の最後に書きます)、冒頭は書いておいて問題ないので、ここで書いておきます。
この映画では、一番最初に選挙で負けるシーンから始まります。そして、選挙屋たちが“次の神輿”を探して蠢動する様子が描かれます。
つまり、「政治をするために市民が立候補する」のではなく「選挙屋が候補として使えそうな人間を物色して、その気にさせて立候補させる」という構図がいきなり示されます。
その後は、立候補した人間の理想を打ち砕きながら、徹底的にコマーシャル活動として選挙屋たちが選挙を展開していきます。
CMを絨毯爆撃のように打ち、テレビにばんばん出演し、パレードをして徹底的に名前と顔を売る。
言っている内容はどうでもよく、ともかく有権者に名前と顔を覚えてもらう。
徹頭徹尾この戦いです。
そして初心だった候補者は次第に“政治家”に変貌していきます。
面白かったです。
ラストも含めて、よくできた映画だなと思いました。
以下、粗筋です。
ある選挙が終わり、選挙屋たちは神輿として担ぐ次の候補者探しを始めた。
目を付けたのは、ビル・マッケイという一人の青年弁護士だ。彼の父は州知事まで務めた政治の世界の重鎮。
最初は断ったビル・マッケイだが、執拗な勧誘のため、選挙に打って出る気になる。
父と反目していた主人公は、選挙活動に身を投じ、理想と現実の違いを知る。無名の彼の声に耳を貸してくれる人はほとんどいなかった。
彼の選挙スタッフたちは、まずは名前と顔を売ることが先決として、テレビCMを大量に作り、アピール活動を行う。
主人公は、自分の言葉で自分のメッセージを伝えようとするが、それは上手くいかず、選挙スタッフたちとの溝は深まっていく。また主人公は、選挙スタッフたちから、父と和解するようにと圧力を掛けられる。
そして、主人公の思惑とは別に、選挙スタッフが作った名前と顔だけを売る戦略で彼の知名度は徐々に上がっていく。
そんな主人公には、ライバルがいた。現職の再選を狙う老練な候補者だ。
主人公はことあるごとに、彼に実力差を見せ付けられる。テレビでのしゃべり方、表情、そして災害時の演説など、どれをとってもその差は歴然としている。
だが、知名度が上がり、予想得票数が接近してくるにつれ、ライバルも彼のことを意識し始めた。
そしていよいよ公開討論に引きずり出すところまでやって来た。
主人公は公開討論でライバルと互角に渡り合い波に乗る。主人公は父と和解し、選挙のサポートに入ってもらう。
そして、選挙終盤に向けて、熱狂の中、選挙戦を戦い続けた……。
物語は、断片的なエピソードが次から次に出てくる形式で進んでいきます。
そのどれもが「ありそう」と感じさせる話で、リアリティーを感じさせます。
そして、徐々に主人公が熱にほだされ、変質していく様が描かれていきます。
やはり、選挙や裁判などの、勝敗がはっきりしている系の話は盛り上がるなと思います。
以下、改行を入れて、ラストの話です。
ラストは選挙が終わり、主人公がインタビューを受ける直前で終わります。
選挙は開票途中で当確状態。
主人公は選挙参謀と個室に入り、彼に尋ねます。
「俺は、これからどうすればいいんだ?」
選挙に勝つことだけに邁進していた主人公は、政策もやりたいことも何もない状態で選挙に勝ってしまったわけです。
選挙参謀は「何を言っているんだこいつは?」といった顔をした後、「インタビューが待っている。さっさと行くんだ」と主人公を急かします。
ブラックだなと思いました。
このラストは、冒頭と対になっているシーンだと思います。
選挙に通りそうな人間を探して担ぎ上げ、終わった後は去っていく選挙屋。
いいように言われて担ぎ上げられ、選挙に勝った後は何をしていいのか分からない候補者。
非常にシュールな光景です。
よくできた映画だなと思いました。