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2008年10月06日 18:07:35
 演劇「マトリョーシカ」のDVDを、八月下旬に見ました。

 1999年5月にパルコ劇場にて収録されたものです。作、演出は三谷幸喜。出演は松本幸四郎、市川染五郎、松本紀保の親子です。

 ryota氏の家での、高校時代同級生仲間(ryota氏、はやかわ氏、柳井)による飲み会(もつ鍋+蜂蜜酒+焼酎+ビール)で見たものです。

 非常に面白かったです。

 マトリョーシカの名に恥じない、多重入れ子構造の物語でした。

 これは、粗筋を先に書いた方がよい作品ですので先に書きます。



 以下、粗筋です。(序盤だけネタバレあり。設定中心で、核心に触れるネタバレは書きません)

 名のある劇団。そこの看板俳優は、名作の主人公を長く務めていた。

 その役を、今度若手が演じることになった。彼は若手を呼び、その役を演じるのに相応しいかどうかプライベートなオーディションを行う。

 若手は緊張しながらも、看板俳優の命じるままに、様々な演技をしたり、メモを取ったりする。

 しかし、それらの行動は全て看板俳優の罠だった。看板俳優は、若手に役を渡さないつもりだった。

 彼は、若手俳優に遺書の代わりになる文章をメモさせ、実家の母に自殺をほのめかす電話をさせ、自分のアリバイ作りの手助けもさせた。

 追い詰められた若手俳優は、看板俳優に自殺させられる……。

 ……といった演劇を今度演じるようになった、看板俳優と若手俳優は、プライベートなオーディションを行っていた。

 看板俳優は、長く演じてきた名作を若手俳優に引き継ぐかどうか見極めようとしていた……。



 という感じで、話は上書き上書きで、真実がどんどん覆い被さり進んでいきます。

 話自体の構成も非常によくできていて、演じる役者のレベルもハイレベルで、とても楽しめました。

 以下、この演劇を見て、気付いた点を二つ書いていこうと思います。



 一点目は、三谷幸喜の笑いの組み立てへのこだわりです。

 笑いというのは高度な知的活動です。

 笑いには前提知識が必要です。

 この演劇を見て、三谷幸喜が目指している笑いのターゲットは非常に広いなと感じました。

 その理由は、笑いのための前提知識自体も、演劇の中で提供しているからです。

 本作「マトリョーシカ」は入れ子構造になっています。

 その設定を最大限に活かして、最初の前振りが次の展開のネタ振りになって、連鎖的に笑いに繋がるように構成されています。

 状況設定や登場人物の内面を伝えられない「演劇」という物語形式では、序盤での設定伝達が非常に重要になります。

 これは、最近読んだ三島由紀夫の「鹿鳴館」(こちらは戯曲)の後書きにも強く語られていました。

 その「構造」自体をネタにして、この作品は笑いが組み立てられています。

 このネタ振りの構造で特に凄いなと感じたのは、飲み会に遅れて来たはやかわ氏が、「途中から見ても非常に面白かった」と語ったことでした。

 直前の話が、次の話のネタ振りになる構造から、途中から見ても笑いがきちんと生み出されていたわけです。

 これは凄いなと思いました。



 この「笑い」の作り方で思い出したのですが、三谷幸喜の作品には繰り返しギャグが多いです。

 これも、こういった笑いの組み立て方に対する意識が反映しているのではないかと思いました。



 ただ、こういった笑いの仕掛けには一つだけ弱点があります。

 演劇の開始直後は情報伝達だけに終始することになり、何も笑いを生み出さないことです。

 この「序盤の笑いのなさ」は、今年公開された「ザ・マジックアワー」でも同じでした。

 元ネタありの笑いではない、笑いの種を自己構築する笑いの作り方は、最初のセットアップが終わるまではどうしても仕方がないのかなと思いました。



 気付いた二点目は、実はこの演劇を見たタイミングではなく、この後、途中まで他の演劇のDVDを見た時に気付いた点です。

 この後、後藤ひろひと作の「天才脚本家」という演劇のDVDを見ました。

 しかし、こちらは「マトリョーシカ」と違って映像の世界に入れませんでした。

 舞台もやっている俳優のryota氏の話では、こちらの作品は「演劇らしい演劇」で、「背景を作る代わりに、抽象的な箱などを利用して場面を作っている」ために、「演劇慣れしていないと見るのは辛いと思う」ということでした。

 この「天才脚本家」を見ていて気付いた点が何点かあり、それとの対比で「マトリョーシカ」の特徴を感じたので、まずは「天才脚本家」を見て感じた点を書き出そうと思います。

・場面転換が多く、シーンがぽんぽん飛ぶので、ちょっと目を離すと話が繋がらない(飲み会なので、ちょっと目を離すことが多い。「マトリョーシカ」は、舞台転換なしの一場面物だった)。

・カメラが役者を追い、アップなどの画面割りが結構あるのだが、舞台ではそういった見方を前提にしていないために、カメラワークがストレスを感じさせる(舞台俯瞰のカメラで固定してくれた方がありがたい)。

・役者の存在感が足りない。舞台では肉体そのものがあるので存在感を生で感じることができるのだが、画面を通してみるとキャラが平板に見えてしまう。

・台詞のマシンガン・トークで笑いを取っていて、笑いの原動力が刹那的(「マトリョーシカ」のような構造による笑いではなく、瞬間的なネタ披露による笑い)。

・台詞が多くて速い。舞台で演技をしているのではなく、舞台でしゃべっているように見える。



 ずらずらと並べました。

 たぶん、これらの特徴の多くは、舞台で見れば何の問題もないものだと思います。舞台前提の作品ですので。

 逆にこのことから、「マトリョーシカ」=「三谷幸喜作品」の凄さが理解できました。

 舞台でも面白く、舞台でない形で見ても面白い。

 そして思ったのは、一場面物でじっくりした演技で面白いということは、構造力が強いのだということです。

 ばらばらのネタの集積としての脚本ではなく、構造自体が強固に笑いを生み出している脚本。

 そういった構造を作り出す能力と技術が突出しているのだと思いました。



 いろいろと書きましたが、何はともあれ面白かったです。

 そして「どうやって落ちを付けるんだ?」と思っていましたが、きれいに落ちが付いていました。

 演劇好きの三谷幸喜らしいラストが待っていて、最後まで見て大満足しました。

 また、演劇のお約束自体を大量に笑いのネタにしているのが楽しい作品でした。

 その「演劇のお約束」も、きちんとお約束を先に出して、二周目でそのお約束をネタにするという丁寧な作りでした。

 三谷幸喜の作劇の上手さが目立つ作品でした。
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