映画「わが谷は緑なりき」のDVD八月下旬に見ました。
1941年の白黒映画で、監督はジョン・フォード、脚色はフィリップ・ダン。
炭鉱で働く労働者一家の一代期。
118分の映画なのですが、なんだかもっと長く感じました。
見た感想は、「ああ、ここは盛り上げ要素だな」「ああ、ここは感動要素だな」と分かるけど、素直にそれを感じられないというものでした。
一番楽しめた部分は、一家の末弟が学校に通い出し、そこに高慢な先生がいて、炭鉱労働者が学校に行ってノックダウンさせるところです。
次によかったなと思うのは、若い牧師の存在です。
彼は、聖職者は人間のことを扱うべきだと考えており、神のために生きることではなく、人間自身のために生きるべきだと考えています。
向こうの映画には、たまにこういったタイプの聖職者が出てきますが、自分の立場を自覚し、神という概念に縛られず、社会に有用なことは何かを考えて動ける人間は許容できますね。
その二点がよかったです。
それ以外は、楽しめる部分がほとんどなかったです。
基本的に労働者礼賛の映画で、労働者が労働者であることを賞賛している部分があります。
特にそれが如実に感じられるのは、末弟の決断です。
せっかく頭がよくて学校に通い、首席で卒業したのにも関わらず、死んだ兄の妻に恋をしていると言う理由で炭鉱夫になります。
その根底には、親を尊敬していて、その仕事を継ぐことが正しいと思っている価値観があります。
このシーンで、父親が非常にがっかりするのですが、その気持ちは分かります。
映画はずっと、炭鉱夫たちの仕事が斜陽に向かうことを描いています。
その上で、せっかく上の階層に行けそうな息子が自分の後を追う決断をしてしまうのです。
そりゃあ、がっかりすると思います。
そういった意味で、社会の流動性をあまり許容しない基調の映画なので、感動要素にブレーキが掛かってしまいます。
現代とは価値観の違いが大きすぎるというのが、評価を下げている要因だと思います。
また、映画には、強烈な上昇や強烈な下降が欲しいところです。その意味でも、この映画は物足りませんでした。
以下、粗筋です。(非常に端折って最後まで書いています)
ウェールズの炭鉱労働者の一家。主人公はその家の末弟でまだ幼かった。
ある時、炭鉱の賃金カットが行われることになる。炭鉱夫たちはストライキを始め、一家の若手たちは労働組合を作るべきだと主張し、父親と対立する。
紆余曲折の末、その対立は解消され、炭鉱は再開される。
しかしその間に主人公は事故で川に落ち、しばらく寝たきりになる。だが、そのことで多くの本を読む機会を得た主人公は、学校に進むことになる。
主人公が成長するにつれ、一家の人数は徐々に減っていく。
姉は炭鉱の経営者の息子に嫁ぎ、兄たちは死んだり、首になった末にアメリカに渡ったりした。
主人公は学校を首席で卒業する。しかし、彼は高収入を得られる道を選ばず、炭鉱夫となる。
そして父親は炭鉱の事故で死亡する。
映画の中で、若い聖職者に対立する、頭がガチガチの聖職者が出てきます。
実際、この時代(十九世紀)だと、こういう人が多かったんだろうなと思いました。
映画中、憎々しげに描かれていますが、こういう価値観の方が一般的だったんだろうと感じました。
アカデミー賞を取っている作品ですが、ちょっと古臭すぎるし、盛り上がりに欠けるし、価値観も偏っているし、面白くない映画だなと思いました。