映画「巨星ジーグフェルド」のDVDを、十一月上旬に見ました。
1936年の白黒映画で、監督はロバート・Z・レオナード、脚本はウィリアム・アンソニー・マクガイアです。
映画の内容は、天才舞台演出家フローレンツ・ジーグフェルドの半生を描いた一代記です。
この映画で、何よりも凄いのは、後半出てくるミュージカルの舞台が、どれも豪華絢爛で「これなら、これを見るだけで満足できる」という出来になっているところです。
何というか、「金を掛けたショーとはこういうものなのか」と納得させてくれます。
少し前に見た「ブロードウェイ・メロディー」(1929)という映画で、1929年の頃は、まだブロードウェイからハリウッドに人材が流入していなかったということを知りましたが、「巨星ジーグフェルド」(1936)の時にはもう流入していたんだろうなと思いました。
ともかく、舞台の出来が素晴らしかったです。
だいたい映画内で、舞台のシーンが延々と続くと普通は飽きるものですが、この映画に限っては見とれてしまいました。
一度でいいから、こういった舞台を生で見ないといけないなと思いました。金を払ってでも見る価値があると感じさせる内容でしたので。
さて、どうしてこの映画の舞台が、そういった見る価値のある内容だと感じたのか、書いておこうと思います。
それは、「舞台装置にお金が掛かっているのが、ありありと分かる」というのが大きいです。
舞台は立体的に派手に飾り付けられ、それだけでなく「舞台自体」が前後左右上下に自在に動きます。
それも、同期したり個別に動いたりしながら、分離、合体します。本当に自由自在という感じです。
さらに、個々の舞台がアイデアに満ち溢れており、回転したり、飛び出したり、何でもありです。
これだけでも、見る価値があると思わされました。
その中でも、特に印象的だったのが、主人公のジーグフェルドが、舞台を高く、高くしようとすることです。
冒頭、全く客が入っていないような時期でも、一番後ろからでもよく見えるようにと舞台を高くしようとします。
後半、大量の金が唸り出してからの舞台も、立体的に雛壇のように高い舞台が多かったです。
そしてもう一点、見る価値があると感じたのは、その訓練の練度の高さです。
大量の俳優が出てきたり、動物と一緒に歌姫が歌ったりするのですが、非常によく同期しています。
独裁国家のマスゲームではないですが、こういったよく訓練された動きを見せられると、唸らされてしまいます。
まあ、こちらは、独裁国家のマスゲームと違って、薄ら寒いところはないですが。
そういった感じで、この映画は、ともかく舞台が圧巻という感じでした。
話の筋についても書きます。
話としては、主人公の女性遍歴が主軸といった感じでした。
と言っても、極度の女たらしという感じではなく、誰にでも愛想のよい博愛主義者という感じでした。
あとは、「詐欺師すれすれの図々しさ」と「紳士然とした態度で、平気な顔で借金をしながら、ひょうひょうと世の中を渡っていく面白さ」が前面に出ていました。
なかなか面白かったです。
しかし、映画の尺は177分あるので、今見るには、ちょっと根性がいるといった感じでした。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています)
主人公は、音楽教師として一流の男だったが、縛られない生き方を好み、興行の世界にのめり込んでいく。
彼は、怪力男をプロデュースしたり、仕込みすぎてインチキ騒ぎを起こしてしまったりしながら、大金を手に入れる。
しかし、モナコのカジノで有り金を全部すってしまい、ロンドンに渡る。
そこで主人公は、興行仲間が目を付けていたフランスの歌手をかっさらい、アメリカで成功させ結婚する。
彼は、次々と新しいショーを手掛けるが、女性に対して八方美人のために妻に離縁される。
新たな妻を得た主人公は、どんどん奇抜で素晴らしいショーを作り上げていく。
だが、世の中は不況の時代に突入した。株に失敗した主人公は、借金を抱える。再興を図るものの、時代は大きく変わりつつあった。
主人公は老い、妻と娘とともにアパート暮らしになる。そして、波乱万丈の生涯を終える。
主人公は、ことあるごとに女性に花を贈りまくるのですが、いつの時代も女性は花が好きなんだなと思いました。
それにしても、借金してまで女性に花を贈るぐらいの根性がないと、そちら方面では大成しないんだろうなと思いました。