2009年01月26日 19:35:26
映画「007 慰めの報酬」を劇場で、一月中旬に見てきました。
2008年の映画で、原題は「QUANTUM OF SOLACE」、監督はマーク・フォースターで、脚本はニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、ポール・ハギスです。
監督のマーク・フォースターは「ネバーランド」(2004)の人です。まだ未見ですが「君のためなら千回でも」(2007)も見る予定に入れています。
脚本の三人は、前作の「007 カジノ・ロワイヤル」(2006)でも脚本を書いています。ポール・ハギスに関しては、現在ハリウッドで最も脂の乗った脚本家です。
先行上映を見に行ったので、プログラムは翌週買いました。
さて、映画ですが、前作が面白くて、脚本陣が同じようなので安心して見に行きましたが、期待通り面白かったです。
相変わらず標準を超える出来です。
これでもか、これでもかという密度の濃さと、アクションの格好よさと、そして007の男っぷりを堪能できました。
とはいえ、100点の出来ではありません。
以下、その「よかった点」と「よくなかった点」を書いていこうと思います。
まず「よかった点」です。
ともかく格好よかったところ。
前作の終わりからいきなり続きが再起動する映画の立ち上がりの早さ(前作を見ていないでも大丈夫だけど、見ておいた方が圧倒的に面白い)。
オープニングのカーチェース・シーンから、裏切り者追跡までの一連のシーンのクールさ。
そして、その間に挟まる「砂漠」をテーマにしたオープニング・アニメーションの、背筋がぞくぞくするようなクールさと、音楽と歌詞のキレ。
オープニング・シークエンスのラストは、前作でも楽しませてくれた、立体アクションのバトル。
そして、携帯電話をとことんまで利用した、新世代スパイの活躍の見せ方。
世界を股にかけ、次から次に舞台を移していく、プチ世界旅行的なワールド・ワイド感。
ともかく肉体派で、ガンガン殴り合った後、次には女性相手に上手い台詞を吐いてみせる切り替えの早さ。
スパイとしての身分を剥ぎ取られて追い詰められていきながら、蛇のようにしつこく敵に食い下がっていく追跡劇。
復讐を望んでいたのに、自分よりも強く復讐を望む女性と同行することにより、微妙に成長していく007の姿。
そして、ラストは、一皮向けて「007という存在になる」主人公。
それらが、息つく暇もなく進んでいきます。よくできていました。
ともかく「格好いい」がテーマとも言えるこの映画なのですが、ニヤリとさせられるユーモアの要素や、しんみりとさせられる人間劇の要素も多数入っています。
その中でも、一番面白いのは、ジュディ・デンチ演じるMと007のやり取りです。
「できの悪い子供ほど母親にとってはかわいい」という感じで、言うことを聞かない007を、Mは母親のように叱ったり、庇ったりします。そして、007もMを母のように慕います。
これは、二人の関係が、傍目から見ていると非常にかわいらしく感じて、よかったです。
また、「容疑者をすぐ殺してしまう」007は、Mから苦情を言われるのですが(一応、殺されそうになり、生き残るために殺しているのですが)、途中から自分がやっていない殺人まで全部自分のせいにされるようになります。
これには007も非常に不満げで、「釈明するのも面倒臭い」という感じでガン無視し始めます。
こういった、繰り返しコメディ風の演出がさりげなく入っているのもよかったです。
それと、前作にも出て来ている、CIAのフィリックスが相変わらずよかったです。
正義感が強いのに、汚いことを平気でやる上司の下で仕事をする羽目になり、不満たらたらの顔付きになっています。
彼は、国を超えた友情を007に見せたりします。
なかなか楽しいキャラでした。
また、引退したスパイであるマティスとのエピソードもよかったです。
007の内なる闘志を盛り上げるよいサブストーリーでした。
あと、今回のボンドガールとなるオルガ・キュリレンコは、ドレスなどの派手な服を着ている時よりも、終盤の敵地潜入時に着ていた、地味な感じのシャツ姿の方がよかったです。
少し幼く、かわいらしく見えましたので。
それと、敵のドミニク・グリーン役のマチュー・アマルリックは、なんだか弱そうでにやけた感じで、「どう見ても中ボス」といった感じでした。
まあ、ラフな姿で表に出てくる人は、最後の黒幕っぽくは見えないですし、非常に現代的な、表層で動いているプレイヤー(ホリエモンなど)に見えますので。
というわけで、まだシリーズは続くなという感じでした。
ざっと、よかったと思った点をズラズラと書いたので、よくなかったと思った点についても書くことにします。
まず、一番悪かったと思うのは、カメラワークです。
カット割が異常に細かく、カメラが縦揺れしている映像が多く、目が非常に疲れました。
迫力を出すためだと思うのですが、切り替え過ぎです。
たまたま取れた席がスクリーンに近かったというのもあるでしょうが、それでもきつかったです。
横に座っていたカップルの男性も「カット割りが多過ぎて見づらかった」と言っていました。
この映画を見に行く時は、なるべく後ろの方に座った方がいいと思います。
次に思ったのは、派手さや盛り上がりでは前作に遅れを取っていたなという点です。(逆に、脚本のまとまり具合とラストの締めの内容では前作を凌いでいました)
この問題は、「盛り上げ」として脚本に盛り込んだ映像が、画面栄えや盛り上がりがないものだったというのが大きいです。
前作では、「カジノ」と「崩壊して水に沈んでいくヴェネチアの建物」という、盛り上がって映像的にも派手なシーンがありました。
この二つのシーンにテーマカラーを当てはめるとすれば、「カジノ=緑」「ヴェネチア=青」という感じです。
007のスーツは黒で、バトルによる爆発炎上は赤なので、これで「緑、青、黒、赤」と、シーンが変わるごとに画面が華やかになります。
対して今回の映画では、海でのボートのチェイスで青などもあるのですが、基本的に「黄〜赤」のレンジの色が多かったです。
特に終盤は、ボリビアの礫砂漠にある燃料電池で動いているホテルに乗り込むのですが、赤系の背景に、赤系の建物に、赤系の爆発シーンが重なるので、色のレンジが狭いです。
また、盛り上がり的にも「爆発炎上するホテルからの脱出」となっているのですが「脱出を演出するために、ホテルの動力を燃料電池にしたんじゃないの?」と、逆算的設定に見えてしまい、盛り上がりが半減していました。
そういった部分を色々と総合した結果、派手さや盛り上がりでは前作に遅れを取っていたと感じました。
逆に、脚本のストレートさや、ラストの結末の明快さは、今作の方がよかったと感じました。
もう一つ、脚本上問題があるなと感じた部分がありました。
以下、少しネタバレが入ります。
本作では、世界中の民間水道会社を、少数の巨大企業が独占しているという「世界の水事情」が社会的背景となっているのですが、その部分の説明が一切(と言っていいほどちょっとしか)ありません。
私は、たまたま事前知識を仕入れて見にいったので、その部分で困らなかったのですが、予備知識なしで見に行くと、敵がどれぐらい悪いことをしようとしているのかピンと来ないだろうと思いました。
貴重な天然資源は、石油ではなく水! と言われても、日本人には直感的ではありませんので。
ここら辺は、プログラムなどが買えれば、詳しく書いてあるのではないかと思いました。でも、書いていませんでした。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。中盤の途中まで書いています)
主人公は、イギリスMI6の諜報員007。彼は心に傷を負っていた。恋に落ちた相手が敵方の女で、その女性が殺されてしまうという事件を経験したからだ。
MI6のボスのMは、007が「死んだ恋人の復讐」を考えているのではないかと疑いを抱く。
その中、007は事件の調査を進め、恋人が死んだ一件の背後で動いていた人間たちに肉薄していく。
彼は、残された手掛かりから、一人の人物に目を付ける。その男は環境保護企業の経営者だったが、裏で世界中の怪しい人間たちと繋がりを持っていた。
007はその男を追う。そして、彼の元に出入りしている若い女性と知り合う。彼女は、子供の頃に両親を殺されていた。殺したのは、ボリビアで失脚して再起を図っている将軍。環境保護企業の経営者は、その男に革命の資金を提供しようとしていた。
環境保護企業の経営者は、ボリビアの一部の土地を手に入れる代わりに、その金を出す約束をしていた。
007は彼を追うことで、数多くの火の粉を振り払うことになる。007は多くの敵を殺していく。そのせいで、上司であるMから危険人物と見なされるようになる。
決定的だったのは、彼が殺したとされる人間の中に、イギリスの別の組織の人間がいたことだった。
諜報員としての権限を剥奪された007は、かつて一緒に働いたことのある、既に引退した諜報員に協力を要請する。
そして二人でボリビア入りし、環境保護企業の経営者の企みを暴こうとする。
以下、どうでもいいことです。
MI6の情報ツールが、「マイノリティ・リポート」(2002)ばりのインターフェースになっていたのですが、どう考えても諜報機関がそんなところにお金を突っ込まないよなと思いました。
そんな独自仕様のグラフィカルなOSを開発する理由はどこにもないですから。
あと、本当にどうでもいいのですが、ダニエル・クレイグを見ていると、プーチンを思い出します。
ともあれ、映画は面白かったです。