映画「ロープ」のDVDを十二月下旬に見ました。
1948年の作品で、監督はアルフレッド・ヒッチコック、脚本はアーサー・ローレンツです。
原作は「ガス燈」も書いている英国の劇作家のパトリック・ハミルトン。
DVDにはインタビューが入っていました。そこでは、「この映画は、イギリスの貴族社会が舞台の原作を元にして、舞台をアメリカに置き換えて作った」と語っていました。
また、この映画には、アメリカで起こった事件「レオポルドとローブ」も強く影響を与えているとのことでした。
□Wikipedia - レオポルドとローブ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83... インタビューで面白かったのは、「この映画は元々同性愛の話が下地になっているけれど、同性愛の色を一切出さないようにして作られた」という話です。
実際、映画の撮影現場でも「あれ」として、そのことが互いに会話されていたということでした。
映画を見ている間、「なんとなくそうかも」と思っていたのですが、そうだと確定して人間関係を見ると、だいぶ生々しい話になるなと思いました。
さて、この映画は、かなり実験的な手法で作られています。
全編ワンシーンで、映画の時間が実時間と同じという試みです。これは、「舞台劇のような映画を作りたかった」からだそうです。
このため、窓の外がだんだん夕焼けになって暗くなっていく面白い演出も入っています。
ただ、当時の技術では、フィルムの長さの都合上、一定の長さ以上のシーンを撮ることができなかったために、人の背中などで画面を隠して、フィルムを繋ぎ直すようにしてあります。
この繋ぎ直しは、けっこう目立ちます。
インタビューでは、こういった特殊な作り方のために、俳優よりも撮影や大道具のスタッフの方が、リハーサルが大変だったと話していました。
俳優は演じるだけですが、スタッフは、それに合わせてカメラをどう動かすか、室内の壁をどう取っ払ったり、戻したりするかなど、綿密な計画を立てる必要があったからだそうです。
映画はなかなか面白かったです。
ニーチェの超人思想の信奉者の若者二人が、その体現のために殺人を犯し、それを二人の師匠の大学教授が気付いていくという話です。
この思想を授けたのが大学教授自身で、彼は謎に迫ることで罪悪感を覚えていきます。
大学教授役は、ジェームズ・ステュアートです。「スミス都へ行く」(1938)や「素晴らしき哉、人生!」(1946)の主人公で、誠実そうな役者です。
この「ジェームズ・ステュアート」という役者のために、同性愛の雰囲気は一切ないですが、これが同性愛の臭いを感じさせる役者だと、かなり愛憎乱れた内容になるなと思いました。
あと、このDVDでは、教授のことを、舎長か何かといったように訳しており、途中で「あれ、おかしいな」と思い、会話の内容から「大学教授じゃないの?」と思いました。
誤訳だったのでしょうか? 謎です。
以下、粗筋です。(あまりネタばれ的な話ではないので、終盤の冒頭までそのまま書いています)
大学を卒業したばかりの二人の若い男が、一人の友人を絞殺した。二人はニーチェの超人思想を体現するために、完全犯罪の殺人をしようとしたのだ。
彼らは、その仕上げとして、殺した若者の両親や関係者を招き、死体を隠した殺害現場でパーティーを開くことにした。
二人の内の一人は、この殺人事件を計画した主導的な男で、もう一人は彼の追従者だった。
パーティーは始まる。招かれた客の中には、二人を指導し、超人思想を授けた大学教授もいた。
教授は、二人の様子がいつもと違うことを不審に思う。また、殺された友人がこの場にいないことにも疑いを持つ。しかしそれは、殺人事件を考えるほどのものではなかった。
パーティーは進んでいく。その場には、死んだ若者の婚約者や、その女性の元恋人もいた。
教授は会話の断片や、二人の態度から、次第に疑いを抱いていく。そして、悲嘆にくれる追従者から、執拗に情報を引き出そうとし始める。
パーティーは終わる。全員が帰る際、教授は、偶然に起こった出来事から、疑いを確信に変える。そして、全員が引き上げた後、単身戻ってきて、二人と対峙する。
80分という短めな作品ですが、終始飽きずにドキドキしながら見ることができました。
途中、二人の内の主導的な男が、しゃべろうとしてどもります。その瞬間に「こいつも緊張しているんだな」というのが分かり、破綻の糸口が見えたような気がして興奮しました。
面白かったです。こういう実験的な作品もありだなと思いました。