映画「プレステージ」のDVDを一月中旬に見ました。
2006年の作品で、監督・脚本はクリストファー・ノーラン、原作はクリストファー・プリーストの「奇術師」です。
クリストファー・ノーランは、「メメント」(2000)、「バットマン ビギンズ」(2005)、「ダークナイト」(2008)の人なので、鉄板だと思い、安心して借りてきました。
期待通り面白かったです。
題名の「プレステージ」は「偉業」という意味で、手品における三つの段階の最終段階を指す言葉だそうです。
ちなみに、三つの段階とは、確認(プレッジ)、展開(ターン)、偉業(プレステージ)だそうです。
さて、この映画は、二人の奇術師が泥沼のバトルを行う作品です。そこに、稀代の天才奇人ニコラ・テスラが絡んできます。
手品のタネを盗もうとしたり、相手のショーをめちゃくちゃにしたり、憎悪は憎悪を呼び、壮絶な潰し合いになっていきます。
しかし、そういった憎しみの中でも、二人は「奇術師」として、相手の凄い手品は本心から「凄い」と思います。
そのため、憎悪の中に、嫉妬や羨望が加わり、蠢くような感情のエネルギーで話が進んでいきます。
そこに、「圧倒的にわけの分からない」「こいつなら何を作ってもおかしくない」と思わせる歴史上の人物ニコラ・テスラが絡んできます。
そして「騙し合い」が畳み掛けるように積み重なっていき、最後は映画に散りばめられた伏線がどんどん解決されていき、連続コンボのように驚かせてくれます。
よくできていました。
基本的によくできている映画なのですが、序盤は時間関係が分かり難かったです。
ある程度進むと時間関係が分かるようになるのですが、三つの時間が平行して進む部分があるので、そこは構成をもう少し整理してくれればよかったのにと思いました。
さて、この映画は、人間瞬間移動の手品を中心に描かれています。
話として上手いなと思ったのは、「手品対決」を「人間瞬間移動」という種類に限定することで、その優劣が分かりやすく比較できるようになっている点です。
「手品」と一言で言っても、種類は非常に多いです。そして、素人にはその優劣は分かりません。
しかし、ジャンルを限定して、その違いを説明すれば、素人でもその凄さは理解できます。
物語は、誰かが凄いことをした時に、受け手に「凄い」と思ってもらわないと成立しません。
そして、知らないジャンルについての物語では、何が「凄い」のか説明しなければなりません。
その説明が多過ぎると、受け手は退屈します。なので、この「ジャンルの限定」が強い効果を持ってきます。
そして、この「瞬間移動」に、「ニコラ・テスラ」を絡ませている部分が、この話の憎いところだと思います。
テスラなら、何かやってくれそうな気がしますので。
ちなみに、この映画のニコラ・テスラは、デヴィッド・ボウイが演じています。デヴィッド・ボウイは、私の中では、「ラビリンス 魔王の迷宮」(1986)の印象が鮮烈です。
以下、粗筋です。(終盤の冒頭まで書いています。終盤直前までのネタバレあり)
十九世紀末。ロンドンには、二人の奇術師がいた。一人は華麗なるパフォーマンスで魅せる“グレート・ダントン”、もう一人は生活全てを奇術に捧げる天才的なトリックメーカー“ザ・プロフェッサー”。
この二人にまつわる裁判が、法廷で開かれる。ザ・プロフェッサーが、グレート・ダントンを殺したというのが理由だった。
グレート・ダントンは、人間瞬間移動の手品を行っていた。その手品では、マジシャンは床下に素早く消える。その床下に、人間が溺れる大きさの水槽を置いたというのが殺害方法だった。
ザ・プロフェッサーは、自分は殺していないと言う。だが、その場には、死んだグレート・ダントンと、その姿を呆然と眺めていたザ・プロフェッサーしかいなかった。
遥か昔。彼らは同じ師の許で修行をしていた。しかし、二人の仲には決定的な亀裂が入る。
ある日、水槽脱出の手品で、グレート・ダントンの妻が死んだ。その妻の手首を縄で縛る役目だったのがザ・プロフェッサーだった。彼は、師から禁じられていた二重結びをした疑いを掛けられる。
グレート・ダントンは葬式の席でザ・プロフェッサーを問い詰める。しかし、ザ・プロフェッサーは「覚えていない」の一点張りで、自らの潔白を証明しようとはしなかった。
その後、ザ・プロフェッサーは奇術師として人気を得始める。そして妻子を得る。
その幸せそうな姿を見て、グレート・ダントンは憎悪を覚える。自分から全てを奪った男が、自分が失った物を手に入れている様子を目撃したからだ。
グレート・ダントンは変装して、ザ・プロフェッサーのショーに潜り込む。ザ・プロフェッサーは、弾丸掴みの手品をしていた。それは、火薬を残したまま弾丸を抜き取れる銃を使ったものだった。
仕掛けを知っているグレート・ダントンは、銃口に詰め物をしてザ・プロフェッサーを撃つ。ザ・プロフェッサーはその“暴発事故”で指を数本失う。
今度はグレート・ダントンが大舞台でのデビューを飾る。だが、その場に変装したザ・プロフェッサーがやって来て、ショーをめちゃくちゃにする。
こうして、二人の泥沼の戦いの火蓋は切って落とされた。
その後、ザ・プロフェッサーは人間瞬間移動の手品で脚光を浴び始める。グレート・ダントンも同じショーを行い人気を博すが、手品の質自体はザ・プロフェッサーの方が上だった。
グレート・ダントンのショーは、姿が似ている替え玉を使うというものだった。その替え玉の俳優は飲んだくれで、あまり使えない男だった。
ザ・プロフェッサーのショーは、どう見ても本人が瞬間移動しているようにしか見えなかった。
グレート・ダントンは、恋人となったアシスタントの女性を、ザ・プロフェッサーの許に送り込む。だが、彼女はザ・プロフェッサーの愛人となってしまう。グレート・ダントンが得たのは、暗号が掛かったザ・プロフェッサーの手品のネタ帳だけだった。
グレート・ダントンは、ザ・プロフェッサーの助手を地下に埋めて脅迫し、ザ・プロフェッサーからネタ帳の内容を聞き出そうとする。ザ・プロフェッサーは「テスラ」と答える。グレート・ダントンは、テスラに会うために渡米する。
彼は、テスラに瞬間移動装置の開発を依頼する。グレート・ダントンは、ザ・プロフェッサーの瞬間移動のネタが欲しかった。同じネタがあれば、パフォーマンス能力の高い彼の方が、素晴らしいステージを作れるからだ。
テスラの機械はなかなか完成しない。その間、グレート・ダントンは、ザ・プロフェッサーのネタ帳の解読を進める。
解読を終えたグレート・ダントンは愕然とする。そのノートには、手品の仕掛けなど書かれていなかった。グレート・ダントンが必死に解読することを見越して、彼をあざ笑うために仕組まれた偽のネタ帳だったのだ。
そして、「テスラ」と語った言葉も、その偽のネタ帳の暗号解読キーに過ぎなかった。テスラは、ザ・プロフェッサーの手品に関係なかった。ザ・プロフェッサーは、単にグレート・ダントンをイギリスから追い払うためにその言葉を使っただけだった。
怒りに身を震わせるグレート・ダントンの許に、失意を加速させる報せが入る。テスラが消えたのだ。テスラの家は、エジソンの手の者に破壊され、彼はその地を去っていた。
壊れた家を呆然と眺めるグレート・ダントン。だが、テスラは、グレート・ダントンのために一つの機械を残していた……。
映画を見ていて、悪いのはザ・プロフェッサーの方だよなと思いました。
人の生死が掛かった手品で悪ふざけをしようとしていたわけですから。そして、「自分は危険なことはしていない」と否定できなかったわけですから。
その結果、グレート・ダントンは妻を失っています。
心の中で「グレート・ダントン頑張れ」と思いながら映画を見ていました。