映画「華麗なるギャツビー」のDVDを一月下旬に見ました。
1974年の作品で、監督はジャック・クレイトン、脚本はフランシス・フォード・コッポラ、原作はF・スコット・フィッツジェラルドです。
題名にもなっている人物ジェイ・ギャツビーはロバート・レッドフォードが演じています。また、実質的な主人公のニックは、サム・ウォーターストンが演じています。
原題は「The Great Gatsby」ですが、邦題の「華麗なるギャツビー」の方が、映画のイメージに合っています。
「Great」だと、力強い印象があるのですが、この映画のギャツビーは壊れやすい脆さを持った繊細さを見せています。なので「華麗なる」の方が、形容として近いと感じました。
映画は非常に面白かったです。
特にラストの何とも言えないサム・ウォーターストンの表情が最高でした。振り上げた拳の持って行き場がないやるせなさ、諦め、悔しさ。そういったものがない交ぜになった感情。そういったものが、ぐっと胸に迫ってきました。
物事を理解できない相手に、どれだけ言葉を尽くしても何も伝わらないことが分かるからこそ、そこで黙るしかない主人公。しかし感情は滲み出るようにして顔から溢れ出てくる。この映画は、そのラスト・シーンに全てが集約されています。
そして、映画全体を支配する、ギャツビーの圧倒的なアップダウンの落差と恋愛の不器用さ。それを見て、理解できる立場に立つ主人公の共感とラストでの感情移入。
正直、やられたなと思いました。とても面白かったです。
この映画は、たぶん原作の魅力とは違う部分が強調されているのだと思います。
映画を見る限り、たぶん原作は1920年代のアメリカの上流階級の風俗や精神的状態を色濃く反映したところが魅力だったのではないかと思います。
それに対して、映画はそれらの要素はあくまで脇に置き、物語を強調しています。
そして、「描写されないギャツビーの苦闘」を、会話などの情報やロバート・レッドフォードの演技の端々から推測させてラストへと引っ張っていきます。
たぶん映画では「原作で精密に描写されていた部分」を大胆にカットしているのだと思います。映画を見た実感からはそう思いました。
そして、そういった強調点の変更が成功しているのは、ロバート・レッドフォードの存在に負う部分が大きいと思います。
繊細で壊れやそうでありながら、背後での圧倒的な苦闘を感じさせる佇まい。悲しいほど恋愛下手でありながら、豪腕とでも言うべき方法で現実を捻じ曲げようとする行動家としての側面。
そういった相反するものが共存していながら、「ありえないほどのピュアさ」を感じさせる人間像を、ロバート・レッドフォードは造形していました。
映画では、ギャツビーの過去が徐々に明かされていきます。そして全ては明かされないけれど、その背後で血の滲むような努力をしていることが分かってきます。
その危うさと、そこからラストに向かう悲しい展開。最後の瞬間まで、ロバート・レッドフォードの演じるギャツビーはキラキラと輝いていました。
以下、感想です。(ラスト以外のネタバレあり。終盤の出だしまで書いています)
主人公は証券会社にいたが失職した。彼は、富豪に嫁いだ従姉妹の近くに引っ越してきた。
彼の家の隣には、ギャツビーと言う謎の富豪がいて、毎週パーティーを開いていた。ギャツビーは、来歴も商売も分からぬ人物だった。
主人公は従姉妹の家に出入りする。従姉妹とその夫には娘が一人いた。彼ら夫婦は不仲だった。夫に愛人がいたからである。
主人公は、ある日ギャツビーのパーティーに招かれる。そこで彼は、ギャツビーの部屋に招待される。ギャツビーは人と会うのが苦手だと言う。彼は、パーティーの主催者であるのに人前に姿を見せていなかった。
なぜ、そんな人間が毎週パーティーを開いているのか? それも、誰でも訪れて無料で飲み食いできるパーティーを?
ギャツビーは主人公に接近してくる。そして主人公の家に訪れるようになる。そんなある日、ギャツビーは主人公に頼み事をしてきた。主人公の従姉妹を、主人公の家に招いて欲しいというものである。
ギャツビーの目的は、主人公の従姉妹だった。ギャツビーと彼女は旧知の仲だった。そして、かつて恋人だった。
戦争に行き、姿を消していたギャツビーは、身分の違いを克服するために、血の滲むような努力で富豪となって戻ってきた。彼は再び彼女に近付くために、屋敷を買い、パーティーを開いて彼女を呼び寄せようとし、それが叶わず、主人公に接近してきたのだ。
彼女には夫がいた。だが夫は不倫中である。彼女の心は揺れ動く。
主人公は、成り行き上、ギャツビーの側に立つことになる。そして、従姉妹の家族とギャツビーの間を取り持つことになる。従姉妹夫妻とギャツビーが同席したテーブルは緊張感が支配するものとなる。
従姉妹夫婦とギャツビー。そのぎくしゃくとした関係は、一つの事故が切っ掛けで破綻することになる……。
全部ではないですが、少し、ラスト後のネタバレを書きます。
主人公の従姉妹の短慮さは絶望的です。間違いを犯す人間とかではなく、そもそも考えることが苦手で、考えなければならない状況から逃れることができれば、全ての苦痛が消えてハッピーになるという人間です。
彼女は、自分が犯した過ちをきれいさっぱり忘れて笑顔になれます。そして、夫も似たような精神構造の人間です。ある意味、似たもの夫婦だと思います。
そして、そういった人物なので、さすがに主人公も愛想が尽きます。……自分の従姉妹でも。そして二度と関わり合いたくないと考えます。……当然だよなと思いました。