映画「スケアクロウ」のDVDを一月下旬に見ました。
1973年の作品で、監督はジェリー・シャッツバーグ、脚本はギャリー・マイケル・ホワイトです。
本作は、ジーン・ハックマンとアル・パチーノが共演する、アメリカン・ニューシネマのロード・ムービーです。
途中まで面白く見ていたのですが、ラストで顎が外れそうになりました。こういった終わり方は、当時のトレンドなのでしょうか?
ラストについてはネタバレになってしまうので、後で書くことにします。
ちなみに、「スケアクロウ」とは案山子(かかし)のことです。
この映画では、二人の俳優が性格の大きく違うキャラクターを演じています。
ジーン・ハックマンが演じるキャラクターは、刑務所帰りの乱暴者です。
彼は、自分はしっかりしていると考えていますが、本当は抜けているところがあります。そして、喧嘩っぱやいです。でもそれは、仲間や家族を愛する気持ちが普通の人より大きく、不正を許せない性格のせいだったりします。
アル・パチーノ演じるキャラクターは、いつも笑顔を絶やさない、ひょうきん者の青年です。
彼は暴力よりも笑いを好み、周囲の人々を楽しませて笑わせようと振舞います。でも彼は、妻と出産直後の子供を残して家出をしている過去があります。
この二人が、ふとしたことから出会い、アメリカを横断することになる。それがこの映画の内容です。
二人にはそれぞれ目的があります。ジーン・ハックマン演じる大男は、お金を預けている銀行がある町まで行き、洗車屋を開くことが目的です。アル・パチーノ演じる小男の目的は、性別も知らない我が子に会うために、五年ぶりに帰省することです。
二人の目的には、それぞれ不安要素があります。本人たちは「そんなことはない」と考えていますが、観客や相方の視点から見れば、それは「ありそうなこと」に見えます。
まず、ジーン・ハックマン演じる大男については、「銀行に、そんなにお金があるのかよ?」という不安です。彼は、どう考えても金勘定が得意そうではないキャラクターです。
そして、「本当に商売ができるのか?」という不安もあります。他人に頭を下げるのは苦手そうですし。
次にアル・パチーノ演じる小男は、「子供の出産も見ずに家出をして五年も放っておけば、さすがに見捨てられているだろう」という不安です。これは、ジーン・ハックマン演じる大男も何度も口にします。
そして、二人はヒッチハイクをしながら、それぞれの目的の場所へと近付いていきます。
こういった、「明確なゴール」と「そのゴールに対する不安要素がある」という構図は、観客の興味を上手く引っ張ってくれるなと思いました。「早くラストが見たい」という気にさせてくれますので。
映画は、ジーン・ハックマンとアル・パチーノの二人ともよかったのですが、特にアル・パチーノがよかったです。
それは、「明るくひょうきんなアル・パチーノが見られる」といった点です。
今まで持っていたアル・パチーノに対するイメージと180度違うので最初驚きました。さすが役者だなと思いました。
「スケアクロウ」という表題に関しては、アル・パチーノ演じる小男が、序盤でこういった台詞を吐くのが名前の由来になっています。
案山子が立っている場所にカラスが寄り付かないのは、案山子がカラスを笑わせるから。笑わせられたカラスは、こんないい奴がいる畑を荒らすのはよそうと、その畑を避けるようになる。
アル・パチーノ演じる小男は、その話の案山子のように、人々を笑わせて、和ませようと振舞い続けます。
以下、粗筋です。(ネタバレあり。最後まで書いています。映画をネタバレなしで見たい人は、以下の文章は読まないで下さい)
刑務所上がりの大男と、船乗り上がりの小男がヒッチハイクの途中で出会った。最初は小男を無視していた大男だが、最後の一本のマッチをくれたことが切っ掛けで小男に心を開く。
大男は、喧嘩っぱやく、そのせいで刑務所に入っていた。彼は昔貯めた金と、刑務所で貯めた金で洗車屋を始めると言う。彼はそのために、貯金をしている銀行がある町まで、ヒッチハイクで移動しようとしていた。
小男は、五年前に妻の許を飛び出していた。彼には子供がいたが、その子供が生まれる前に家出していた。そのせいで、彼は子供の性別すら分からない。彼はその子供に始めて会いに行こうとしており、お土産を買っていた。彼は人々に愛嬌を振りまく男で、人を笑わせることが大好きだった。
二人はヒッチハイクをしながら旅を続ける。途中、大男の妹の家に立ち寄ったり、飲んで喧嘩をして一ヶ月刑務所に入れられたりしながら旅を続ける。
そして二人は、小男の妻子がいる町にやって来る。小男は、妻の許に電話を掛けるが、彼女は既に再婚していた。元妻は「なぜ家出をしたの」と小男を責める。
小男は子供に一目会いたいと言うが、元妻は彼を子供に近づけさせないために嘘を吐く。子供は生まれずに死んだ。洗礼も受けられずに死んでしまった。その言葉を聞いた小男は、呆然としてそのまま電話を切る。
小男は大男に「子供は元気に大きくなっている」と明るく答える。彼は親友に心配を掛けさせないために嘘を吐く。そして陽気に振舞う。
だがそのあと、子供たち相手に即興の芝居をしている小男の様子を見て、大男は違和感を覚える。小男は、子供を抱えて噴水に入っていく。小男の精神は変調を来たしていた。
大男は小男から子供を奪い、小男を問い質す。だが小男は精神だけでなく、生きるための体力も急速に失っていた。彼は風邪をこじらせ、体力を衰弱させ入院することになる。
大男は、小男の元気を取り戻させようと考え、病院から連れ出そうとする。だが医者に止められる。失意の大男は、一人でその町を離れる。
映画が終わった後、その救いも何もない、投げっぱなしのラストに一瞬ぽかんとしました。「えっ、ここで終わりなの!?」と。
ニューシネマっぽいと言えばそうなのですが、あまりの展開に驚きました。
映画自体は面白かったのですが、ラストでブルーな気分になりました。気になっていた映画なのですが、こういった映画だとは知りませんでした。