映画「ワイルド・バンチ」のDVDを八月下旬に見ました。
1969年の映画で、監督はサム・ペキンパー、脚本はワロン・グリーンとサム・ペキンパーです。
監督のサム・ペキンパーは、他の作品では「わらの犬」(1971)を見ています。
映画は、「ワイルド・バンチ特別版〜ディレクターズ・カット」ということで、全部で177分でした。10分長いと書いていました。
映画は、とても面白かったです。
● キャラ配置とその回収
序盤のキャラ配置が燃えます。以下のような感じです。
・悪党一味とそのボス。
・元悪党一味だけど捕まっていて、刑務所から出る代わりに悪党一味を倒せと命じられた男。彼はボスの元親友。そして、彼の下につけられた囚人上がりの荒くれ者たち。
この設定がまず燃えます。でも、映画は、この設定から考えるようには素直にいかないです。話は悪党一味が中心となり、思わぬ方向に発展していきます。
そして、完全に悪党一味の話になり、「どうなるんだ?」と思っていたら、ラストのラスト、本当に最後でこの設定が回収されます。
渋い終わり方だなと思いました。
● 積み重ね
映画は、悪党一味の話が中心に進んでいきます。でも、悪党一味は悪党では終わらないです。そこから、話の積み重ねで、違う存在に変化していきます。
その、積み重ねの描写がよかったです。
逃亡先のメキシコで立ち寄った村で、民衆たちの現状を知り、その村出身の仲間の気持ちを察し、自分たちの行く末について考えていく。そういった一つ一つの積み重ねが、ラストの重みに繋がっていく。
最後には、壮絶な結末が待っているのですが、この積み重ねがあるからこそ納得するし、カタルシスを感じる。
映画の序盤と中盤以降では、映画の方向性がだいぶ変わるのですが、終盤での感情の積み上がりは非常によかったです。
● 風呂敷の広げ具合
中盤以降の風呂敷の広げ具合がいいです。
序盤は、ある意味単なるアメリカの西部劇のドンパチなのですが、中盤から様相がぐっと変わります。
追跡をかわすためにメキシコに入り、そこから、メキシコの将軍や、アメリカ軍からの兵器の強奪、民衆の怒りと闘争など、一気に話のスケールが大きくなります。
その過程で、単なるちんぴらだった悪党たちが、伝説の男たちへと変貌していく。
やはり、話は広げられるだけ広げないといけないなと思いました。
もう一つ思ったのは、話が広がり、主人公たちの立ち位置が変わると、世界の見え方が変わり、そのことで行動も変わるということです。
単なる強盗だった主人公たちが、逃亡の過程とはいえ、世界を見て、そこで虐げられている人たちを見る。そして、その人たちと同じ階層出身である仲間がいることで、そういった人たちを身近に感じるようになる。
人間が変わるということは、環境が変わるということなんだなと、本当に思いました。
● ラストへの盛り上げ
伝説のシーンです。
無言のウォーキングと、その後の壮絶なガン・アクション。ともかく凄かったです。特にウォーキング。シーンが凄かった。
仲間を捕らえられた悪党たちが、銃を持って、敵のところまで、ただ歩いていくシーンです。何も言わず、何もしないで、ただ歩くだけ。
そのシーンがともかく感情豊かです。
ガンアクションも凄かったのですが、私は何よりも、このロング・ウォークのシーンがよかったです。
このシーンは、スタッフたちは、監督に指示されるまま、意味が分からず撮影したそうです。そして、映画が完成したあと、ただ歩いているシーンが雄弁に言葉を語っている様子を見て、非常にびっくりしたそうです。
いろんな映画評で引き合いに出される映画なので、一度見ておこうと思ったのですが、見てよかったです。
● 弾丸舞い踊る壮絶な銃撃戦
当然、ガンアクションも凄かったです。もう、何と言うか、弾丸が舞い踊っている。空間と時間全部が弾丸で埋め尽くされている感じです。それも、そのシーンが延々と続く。
これも非常によかったです。
このシーンは、六台のマルチカメラを使って十一日間ぶっ通しで撮影したそうです。そして、穴の開いた洋服を繕いながら、延々と撮影したそうです。「デス・バレエ」(死のバレエ)、「ボリスティック・バレティックス」(弾道バレエ)などと呼ばれるのも頷けます。
ともかくお腹一杯。げっぷが出るぐらいの銃撃戦です。当時だけでなく、今の時代でもそう思います。
でも、このロング・ウォークと銃撃戦が盛り上がるのは、その前に、きちんと積み重ねをやっているからだよなとも思いました。
● 冒頭のアリとサソリのシーン
映画の冒頭で、無数のアリがサソリを襲うシーンがあります。これが、なかなか気持ち悪くてよかったです。
インタビューで監督が言っていたのですが、脚本には特にそういったシーンはなかったそうです。しかし、撮影に入ったあと、スタッフに「子供の頃に見たものを思い出す」とアリとサソリの話を聞き、シーンを追加したそうです。
意味深で印象深いシーンになっていました。
こういった、よく分からないけど、何かを感じさせるシーンは、映画の冒頭に持ってくると効果的だなと思いました。
また、インタビューには、「演出」というのものが何なのかを、いろいろと示唆してくれる話が多く、興味深かったです。
● 粗筋
以下、粗筋です(ネタバレあり。最後まで書いています)。
主人公は強盗団の首領。彼らは鉄道会社の金を奪おうとして、ある町を襲う。しかしそこには待ち伏せがいた。
待ち伏せていたのは、鉄道会社に雇われた荒くれ者たちだった。彼らは囚人で、強盗団を倒せば恩赦がもらえる約束になっていた。その一団を率いていたのは、同じく囚人で、強盗団の元メンバーだった男だ。彼は、主人公の親友でもあった。
待ち伏せを食らった強盗団は、金を持って逃げる。しかしそれは、金に見せかけたナットだった。
首領、相棒、兄と弟、若者、老人の六人になった強盗団は、新たな標的を探して移動を始める。しかし、彼らを殺そうとする、追撃の一団が迫っていた。
強盗団は、逃亡のためにメキシコの国境を越える。そして、ある町にたどり着く。そこは強盗団の若手の出身地だった。そこで歓待を受けた強盗団たちは、その町に愛着を抱く。
メキシコでは軍部が圧制を布いていた。民衆は抵抗運動を続けていたが、武器がなく苦戦していた。
強盗団は、ある町を訪れる。そこに、メキシコの将軍がやって来た。メキシコ人の若者は、そこで、姉と慕っていた女性を見る。彼女は将軍に取り入っていた。若者は涙ながらにその女性を撃つ。
若者は殺されそうになる。主人公たちは彼を庇う。その夜、彼らは、将軍たちに仕事を依頼される。それはアメリカ軍が鉄道で運ぶ武器を強奪するというものだった。
若者は、民衆を弾圧する武器になると言い、反対する。主人公たちは、高額の報酬につられて仕事を請ける。
主人公たちは、アメリカ軍の鉄道を襲う。そこには、若者も加わっていた。武器の一部を、彼の報酬として民衆に渡すことを、強盗団のボスが了承したからだ。
彼らは、鉄道を襲う。その鉄道には、最初の町で待ち伏せしていた追撃の一団も同乗していた。主人公たちは武器を奪い、馬車で国境の川を渡る。追撃の一団は背後から迫ってくる。主人公たちは、追撃の一団に追いつかれる寸前に、橋を爆破した。
その頃、メキシコでは、抵抗勢力と軍部が戦闘を繰り広げていた。
主人公たちは、若者との約束通り、武器の一部を抵抗勢力に渡す。そして、武器を小出しに軍部に引き渡し、金を受け取っていく。その最後の段階で、若者が武器の輸送に加わった。彼は軍部に立てつき、捕まってしまう。
軍のど真ん中で立ち回りはできない。同行した仲間は、仕方なく引き返す。
追撃の一団は、橋の爆破で全滅していなかった。彼らは執拗に、強盗団を追ってくる。強盗団の老人は、その追撃のためにはぐれてしまう。
主人公たちは、追っ手から逃れるために、軍部が駐屯している町に逃げ込む。
彼らは、そこで、玩具のように拷問されている若者を見る。仲間に対する仕打ちを見た彼らは、怒りを持つ。だが、その怒りをためこんだまま一夜を過ごす。
朝になった。主人公は、三人の仲間と視線を交わす。彼らは、無言のまま、銃を構え、将軍の許まで歩いていく。
主人公は将軍に、若者を引き渡すように言う。そのために、大金を支払うという。将軍は若者を連れて来いと言う。そして、引き渡す間際に、若者の首を掻っ切る。
主人公たちの怒りが爆発する。彼らは、町に駐屯する軍隊に対して、たった四人で銃撃戦を挑む。壮絶な打ち合いが続く。銃を連射し、敵を盾にし、機関銃を奪い、彼らは自らも傷つきながら戦いを続ける。
そして銃声がやみ、硝煙が晴れたあと、そこには誰も立っていなかった。
しばらく経ち、追撃の一団がやって来る。彼らは無数の死体を目にする。
追撃の一団を率いていた元強盗団の男は、その壮絶な光景を見る。そして、親友だった首領の銃を形見としてもらう。
町を出ると、強盗団の生き残りで、途中ではぐれて抵抗組織に助けられた老人がいた。彼は、元首領の親友に、どうするかと聞く。老人は抵抗組織に加わるという。元首領の親友は頷き、老人とともに、その場を去った。
● ラスト
ラストに主人公の友人が来て、壮絶な光景を見た時に、「ああ、このキャラは、“伝説”の語り手になる位置付けのキャラなのか」と思いました。
序盤では、主人公と対決するのがラストの仕事だと思っていたので。
そういった意味でも、この映画は、前半と後半では異質な映画だと思いました。でも、後半の伝説の階段を上っていく過程は非常に印象深かったです。