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2009年11月18日 13:58:05
我が家の楽園
 映画「我が家の楽園」のDVDを、九月上旬に見ました。

 1938年の映画で、監督はフランク・キャプラ、脚本はロバート・リスキン、原作は、ジョージ・S・カウフマン、モス・ハートです。

 また、出演はジェームズ・スチュワート、ジーン・アーサー他です。



● フランク・キャプラ

 映画の感想を書き始めるようになって、フランク・キャプラの映画を見るようになりました。それまでは、一切見ていなかったです。

 映画史として重要な作品を遡るようになって、初めてキャプラの映画を見るようになったという感じです。まあ、白黒時代の作品ですので、普通には見ないと思いますし。

 というわけで、今まで、以下の作品を見てきました。

・或る夜の出来事(1934)
・オペラハット(1936)
・我が家の楽園(1938)
・スミス都へ行く(1939)
・群衆(1941)
・素晴らしき哉、人生!(1946)

 有名どころは、だいぶ押さえてきたかなと思います。

 これらの映画を見て共通していたのは、「純真で正直な人間が世の中のおかしさに気付き、その世の中に問題提起をして、人々に影響を与える」という構造です。

 これはある意味、正直者が馬鹿を見ない社会の提案と言うべきものです。

 世の中で生きていると、だいたいの場合は、正直者が馬鹿を見ます。「でも、それって、生き方としてどうなの? おかしいんじゃないの?」という提案を、フランク・キャプラの映画はしてくれます。

 それも、敵を打ち倒すのではなく、よい方向に変える場合が多いです。

 そのため、この人の映画を見終わったあとは、温かい心になり、前向きに生きようという意欲が湧いてきます。

 こういうメッセージ性を持ち、それも小難しいメッセージではなくて、ストレートに伝えてくる映画というのは、最近ではあまり見ないような気がします。

 なので、フランク・キャプラの映画は好きです。



● ジェームズ・スチュワート

 このフランク・キャプラの映画に、よく登場してくるのが、ジェームズ・スチュワートです。

 この人は、どこか間が抜けてそうで、でも真摯に物事を考えてそうで、本当は周りよりも賢いのではないかと思わせる雰囲気を持っています。

 また、すぐに答えを出すような頭の速さはもっていなさそうですが、じっくりと考えて正しい答えを出しそうな性格に見えます。

 そして、線が細くて頼りなさそうなのに、背が高くてしっかりとしていそうな外見を持っています。

 この人の持つ味が、フランク・キャプラの映画によく合っています。

 なかなか替えが利かない俳優だなと思います。



● 自由な生活とは

 この映画は、究極的に要約すると、二つの家族の話です。

 一つの家族は自由奔放で、浮世離れしていて、好きなことだけをやっている家族。もう一つの家族は、仕事中心で、上流社会に属している家族です。

 主人公は、後者の家族です。でも、仕事を好んではおらず、前者の家族の女性と付き合っています。

 この映画を見て「自由」ということに、少し疑問を持ちました。

 この映画で描いている自由は「行動の自由」です。自分の内なる声に忠実に、やりたいことをして、人生を送る自由です。

 でも、そこには、何の進展もない。

 この家族を見ていて思ったのは、全てが素人芸の域を出ていないということです。

 戯曲を書く人や、バレーを踊る人など、いろんな人が出てくるのですが、それは「楽しんでいる素人」たちばかりです。

 たとえ自由でも、私はこういった人たちは、あまり好みではないなと思いました。

 私が得たいと思う自由は、「行動の自由」ではなく、「挑戦の自由」です。より高みに上るために、戦い続ける自由です。

「行動の自由」は、自分が今いる場所で、今見える範囲で何かを行う自由です。

 対して「挑戦の自由」は、自分が今いる場所から出て、まだ見えない何かを見て、その先の人生を選べる自由です。

 この映画の「自由な家族」は、行動の自由は持っているけど、それはある意味、無知ゆえの自由だよなと思いました。

 それはそれで幸福なのかもしれませんが、この自由に、私は満足できません。

 ある意味、知を求めない、一神教的価値観の範囲のなかの自由なのかもしれないなと思いました。



 以下、ネタバレが入ります。



● 父親の悲哀

 この映画で、大企業の社長をしている父親が、二つの家族の一方として出てきます。

 彼は仕事の鬼だけど、実はそれほど仕事を愛していないです。それなのに、自分の仕事を、息子に継がせようと考えています。

 その父親が、映画の後半で畳み掛けるようにして、「自分が何をやっているのか」を気付かされるシーンに出会います。そのなかで、この父親が、息子に言われた台詞が痛烈でした。

「父さんは好きなことをやっているかもしれないけど、僕はこの仕事が好きではない。だから、仕事をやめる」

 そして、息子は家を出ます。

 父親は、息子に仕事を継がせようとしていましたが、自分自身は、仕事を決して好きでやっているわけではありませんでした。

 なのに、「父さんは好きなことをやっている」と言われます。

 父親は、肉親なのに、息子から本心を理解されていない。それが、傍から見ていて悲しいなと思いました。

 まあ、父親と息子では、生きている年月と、事前に得ている情報の量が違います。いつの時代も、父親は子供に理解されない存在なんだろうなと思いました。



● 粗筋

 以下、粗筋です(ネタバレあり。最後まで書いています)。

 主人公は大企業の跡取り、彼は秘書の女性と恋をしていた。

 主人公の父親は、ライバル企業を倒すために、その工場の周囲の土地の買収を進めていた。しかし、立ち退きに応じない家があって、その作戦は頓挫していた。

 その家は、秘書の家族が住む家だった。そして、その家には、自由奔放な人たちが住んでいた。それは、家長である、彼女の祖父の方針だった。

 主人公は、秘書との結婚を両親に認めさせようとする。しかし両親はそのことに反対する。

 主人公は、秘書の家に、両親とともに行く。だがその日、その家に警察が踏み込んでくる。警察は、自由奔放な家を、不穏分子の潜伏の場所だと勘違いしていた。

 二つの家族は刑務所に入れられて裁判にかけられる。その場で、秘書の祖父は、主人公の両親たちの対面を保つための証言をする。秘書は、そのことで家を飛び出す。

 主人公は、彼女を探すが見つからない。主人公の父親は、ライバル企業を倒して吸収する。そして彼は、息子をその企業の社長に就けようとする。しかし主人公は父親に、自分はこの仕事を続ける気はないと言い、家を出る。

 主人公は、秘書の家に行く。引越しの準備を進めるその家に、秘書が訪れていた。主人公は、再会に喜ぶ。

 主人公の父は、失意のうちに会社を飛び出し、秘書の家に行く。そこで父と息子は再会して和解し、秘書との結婚は認められる。



● 影の主役

 この映画の影の主役は、主人公の父親だと思います。

 一番、内面が変化しているのは、彼でしたので。

 というわけで、今まで見た、フランク・キャプラの映画には及びませんでしたが、これはこれで、なかなか楽しめました。
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