映画「華麗なる週末」のDVDを、十月中旬に見ました。
1969年の映画で、監督はマーク・ライデル、脚本はアーヴィング・ラヴェッチ他です。原題は「THE REIVERS」。主演はスティーブ・マックィーンです。
● 男子三日会わざれば刮目して見よ
この映画は、思春期ちょっと前ぐらいの男の子が、年上の不良の友人に連れられて、短い期間で大人の世界を垣間見て成長するという話です。
素直でよい子が、ちょっとした悪事に関わり、傷つき、思い悩み、成長する。こういったことは、人間なら、誰しも通ってきた道だと思います。
この映画では、主人公は巻き込まれ型とはいえ、そういったことをジェットコースターのように体験します。
● 二人のならず者
基本的には、子供である主人公と、先輩である不良の、二人が物語の中心になっています。
この三人で、子供の祖父の車を勝手に借りて、町に遊びに行きます。子供の祖父は、家のボスで、物凄い強面です。
この映画の上手いのは、その先輩である不良を、七対三ぐらいの比率で、二人のキャラに割っているところです。
主人公の子供は、ある程度資産家のお坊ちゃんです。不良の先輩のメインとなる方は、スティーブ・マックィーンで、その家に子供時代に拾われた使用人です。もう一人の不良は、その家の人間が黒人に産ませたハーフです。舞台は二十世紀初めのアメリカ南部の町なので、この黒人のハーフの立場はけっこう微妙です。
この不良二人は、よくつるんで遊んでいますが、よく喧嘩もします。この二人の掛け合いが物語のエンジンになって、まだ自意識の芽生えていない子供を外の世界に連れ出します。
この映画のように、主人公自体に問題がなく、話が動き出さない時は、その相方となるキャラに問題を起こして、話を牽引させるのは上手いやり方だと思います。
主人公は、映画の物語の視点なので、割るのは適切ではないので、相方を割って、自己内で対立を起こして、物語を動かしています。
そして、この黒人のハーフが、トラブル・メーカーでトリック・スターになっています。悪びれずに、トラブルをどんどん引き起こします。
こういった、キャラの割り方もあるんだなと思いました。
● 子供から見た美人
映画では、使用人は、子供を馴染みの娼館に連れていきます。子供は、娼婦というものが何となくにしか分からず、そこで出会った美人の女性を素直に崇めます。そして、徐々に現実を知り、世の中の理不尽さについて考え出します。
「籠の中の鳥だった子供が、世間の風を知る」という部分が、この娼婦に対する世間の目や行動という部分を通して、上手く語られていました。
それが正しくないと分かっていて、改善したいのだけど、自分の力ではどうにもならない。その理不尽さと無力感。そういったものを描くことで、子供が、自分と世間との相対化を出来るようになる。
映画は、様々なトラブルが数珠繋ぎで起こり、コメディーのように展開していくのですが、根底はしっかりとしたテーマが貫かれていると感じました。
原作者のウィリアム・フォークナーは、ノーベル文学賞やピューリッツァー賞を取っている人ですので、原作の力が強いのではないかと思いました。
● 勝負から逃げるなの方便
映画は終盤、競馬の勝負になります。そこで子供が騎手として乗って、全てを挽回するための勝負をすることになります。
この時、黒人のハーフの男が、ぐずる少年をけしかけます。全てが終わったあと、失敗や間違いをしたことよりも、勝負から逃げたことの方が、問題になるのではないかと。
言っていることは正しいのですが、映画を通してこの場面まで見てきた感想としては、「お前が言うなよ」と思いました。全てのトラブルの源なので。
あと、私は個人的に「勝負を選ぶ権利」は、その個人が有すると思っています。全ての勝負に挑むことが正しいのではなく、自分が戦うべき勝負を選ぶべきなのではないかと考えています。「勝負しない」ことも決断なので。そうでないと、変な方向に人生を踏み外すこともありますし。
以下、ラスト近くのネタバレを挟みます。
● 祖父の優しさ
映画自体の出来や演出よりも、物語の方に目がいった本作ですが、ラストの締めも同じように物語の方に目が行きました。
映画は主人公が家に戻り、叱られるところがラストの中心になります。
この時、地下室に子供は連れていかれて、祖父と父親が説教の相談をします。このシーンが、非常に印象的でした。
子供の父親は、嫌々ながらも、子供に体罰を与えようとします。その父親に、祖父が体罰を与えないようにと言うのです。
父親は「私は、あなたにそうやって叱られました」と言います。すると祖父は「あの頃は、私が未熟だったのだ」と、子供の父親に対して、自分の過去の非を認めます。
このくだりが、よかったです。この部分があるおかげで、祖父が単なる怖い人ではないと、映画の観客は気付きます。これまで隠されていた祖父の内面を観客は共有して、物語の共犯者になります。
その後、祖父が、子供に対して語る台詞が胸に響きました。そのやり取りの最後に、祖父は子供から尋ねられます。「嘘を付いたことの辛さを、一生持って過ごせばよいのか」と。その質問に対して祖父は、「当分の間だけだよ」と答えます。その祖父の優しさが身に染みました。
人間は誰しも間違いを犯します。そして、その反省で成長していきます。でも、一生悩む必要はない。時間の流れに許されてもよい。そういった温かさが伝わってくるやり取りでした。
映画自体は、テーマ性も高く、よくできているのですが、このシーンがなければ評価はだいぶ下がっているなと思いました。最後の締めの部分でぐっと来たので、映画の評価は上がりました。
● 粗筋
二十世紀初頭のアメリカ南部。主人公は良家のお坊ちゃん。彼は素直でよい子だった。彼の家には、二人の青年がいた。一人は使用人の白人、もう一人は、この家の者が黒人との間に作った男だった。二人は悪ガキで、警察の厄介になることが多かった。
ある日、少年の家に車が来た。家のボスである祖父が買った車は、非常に優美で、町で初めての車だった。
使用人の青年は、この車を愛して磨き上げる。黒人のハーフは、その車と青年にちょっかいを出す。
ある日、家族が留守になり、少年だけが家に残ることになった。使用人は少年をけしかけ、町に車で遠出しようとする。そこに黒人のハーフも相乗りして、三人で、こっそりと町に行くことになった。
使用人の目的は、馴染みの娼館に行くことだった。使用人は、まだ子供の主人公を、娼館の別室に預けて遊ぼうとする。主人公は、初めて見る世界と、美しい女性に驚く。しかし、男女の関係などは、まだよく分かっていなかった。
このまま数日遊んで帰るだけ……。当初の予定はそうだった。だが、黒人のハーフの男が、車を売って、馬を買ってしまったために事態は急変する。車を勝手に持ち出したことがばれてしまう。それも、車自体がなくなっている。
黒人のハーフは、その馬で競馬に勝って車を取り返して、馬をつけて車を返せば、ボスが喜ぶという。その滅茶苦茶な行動に、使用人と主人公は頭を悩ます。そして、どうにかその馬で競馬に勝つための算段を整えようとする。
主人公と使用人、彼の馴染みである娼婦と、黒人のハーフ。彼ら四人は奔走する。しかし、その中で、主人公は世の中の様々な理不尽に遭遇する。偏見、差別、権力を傘に着る警官。主人公の価値観は揺れ動き、世の中の現実を知っていく。彼らは、刑務所にも一日拘留される。
そして、競馬の日がやって来た。全てをチャラにして、家に帰るためには、この競馬で勝たなければならない。主人公は騎手となり、馬に乗り込み、大勝負に挑むことになる……。
● その他
スティーブ・マックィーンは、当時の大スターですが、決して優男ではないですね。
優男というよりは、精悍なナイフのようなような容貌だなと思いました。
映画は、凄い面白いというわけではないですが楽しめました。