映画「おいしいコーヒーの真実」のDVDを、十月下旬に見ました。
2006年のイギリス・アメリカ共同製作のドキュメンタリー映画で、監督はマーク・フランシスとニック・フランシスです。
原題は「BLACK GOLD」黒い黄金です。石油に次ぐ取引規模を誇る国際商品「コーヒー」の生産者の窮状から、先進国とアフリカの対立と矛盾を描いています。
● コーヒーの経済
最近、コーヒーについて少し調べていた絡みで、この映画を見ました。以下、把握している範囲での概略です。
コーヒーという商品作物について重要なのは、先進国と発展途上国の格差だけではありません。
実は、この商品作物は、投機の対象になったことがあり、1990年から2000年頃に大暴落して生産者に致命的ダメージがいきました。
それまでは食えていた人々が食えなくなって、子供を学校に通わせられなくなり、麻薬栽培に手を出し……、そういった流れがありました。
昨今、見かけるようになってきたスペシャリティ・コーヒーは、こういった流れの反作用として、商品価値を上げて、より高く売るための努力として出てきたものと考えると分かりやすいです。
そういった背景があるので、資本力に乏しい、多くの発展途上国のコーヒー農家の人々の窮状は、単なる経済格差では片付けられないものになっています。
このドキュメンタリーは、そういった世界的な背景の下に、コーヒー農家の窮状と、それを取り巻く販売店までの経済活動の流れ、そして国際間での経済対立までを包括的に扱った作品になっています。
描いている範囲が大きいので、だいぶ端折っている部分もあると思うのですが、それでも現状の問題を訴えかけるだけの力がある映画でした。
● 先進国とアフリカの対立
この映画は、コーヒーという一つの商品作物から入ります。しかし、その問題だけでなく、先進国による「グローバルな経済活動からのアフリカの締め出し」と言う問題にも踏み込みます。
映画中で語られていた、以下の情報がそれらの実体を浮き彫りにしていました。
──アフリカは、世界の貿易全体の比率の1%しかなく、世界の貿易から締め出されている。この1%が、2%になれば、アフリカ全体の援助金の5倍の700億ドルになる。
アフリカを貧しい状態にして援助を与えるのは、実は安上がりな方法だということを数字で示しています。
ではなぜそうなっているのか? この映画では、その説明を、世界貿易機関(WTO)の会議の場で描いていました。
この会議では、様々な経済活動に関する話し合いが行われます。そして、それらは、多数の分科会に分かれています。この会議に出席できるのは、EUは630人、アフリカは1つの国で3人、分科会は無数。アフリカの国々は、そもそも話し合いの席にもつけない状態でした。
また、先進国の農家を守るために、発展途上国からの作物の流入を制限しているという問題も挙げていました。
しかしまあ、これは難しい問題だと思います。富の分配は、持っている人から持っていない人への富の受け渡しを意味します。自分の国の経済を悪化させて他国に渡すかと言うと、それは難しいです。
ただ、たとえ先進国でも、持ちすぎている上位数パーセントの人たちがその富のほとんどを持っている状態なので、これは本来は分配しなければならないのだと思います。
どこかのタイミングで革命が起きて、そういった人たちの皆殺しが発生しないと難しいとは思いますが。
それが、私が生きている間に起こるかどうかは分かりませんが、富が蓄積されている場所には、知識や知恵も蓄積されているので、そうは簡単に殺されてくれないと思います。そして、全滅しないと思います。
でもまあ、100年後、200百年後には起こるかもしれません。富を蓄えるということは、搾取している人の攻撃の的になることとイコールですので。
● エチオピアの活動家
映画は、様々な局面を切り取ったドキュメンタリーになっています。その中に、一人だけ主人公的な役割の人が出てきます。エチオピアの商人で活動家のタデッセ・メスケラさんです。
イメージとしては、日本の幕末時期の、国を憂う商人に近いかもしれません。とはいえ、豪商ではありません。質素な家に住んでいますし、「活動家」という呼び方に相応しい、つつましい暮らしのようです。
映画では、このタデッセさんが、エチオピアのコーヒーを高く売るために、イギリスなどにわたって直接交渉して奔走する姿や、エチオピアの農家の人たちと活動する様子が描かれています。
ネットで感想を見ていると、正義の味方みたいに描いているけど、そんなによい面ばかりじゃないはずだといったようなことが書かれていました。
まあ、商売をやっていれば、きれいごとばかりではないだろうというのは想像がつきます。
特に、そういった感想で目を引いたのは、集まったお金で学校を建てるといったくだりです。映画では、誰も反対せずに、足りないお金を全員で出し合って学校を建てるという話に決まります。
確かにここは、少し演出が入っているのではと思う部分でした。映画の構成として、「金がない→子供が学校に行けない→教育が必要」という流れで来ているので、そこで反対すると、話が成り立ちません。どうなんだろうと思いました。
個人的にはそれよりも「投機による社会の破壊」といった部分の方の感想の方が強かったです。
● フェアトレードとその問題
映画は、こういった問題の対策の一つとして、フェアトレードを取り上げていました。
私が飲むコーヒーの中にも、フェアトレードのものが混じっています。
このフェアトレードは、こういった現状を打破し、高い品質の商品にお墨付きを与え、作り手に金銭的に「フェア」な形で還元するというシステムです。
DVDには、映像特典でフェアトレードに関する話もいろいろと入っていました。そこで出てきていたのですが、フェアトレードも万能ではなく、フェアトレード認証を取るためにお金が掛かり、そのために先行投資が必要という問題が挙げられていました。
そのため、フェアトレードも、あくまで方法の一つでしかないということでした。
世の中、悪循環から抜け出すのは大変で、それは本人の努力ではどうにもならない部分が大きいです。
よく「本人の努力の問題」という論調を見ますが、「努力の道を整備し、道しるべを用意するのは、持つ者の義務」という観点が抜けています。
自分の義務も果たさずに、他人の努力を要求するのは、自分の現状に胡坐をかいている人間の傲慢です。
私は、世の中、格差や差別があるのは当然だと思っています。問題なのは、それを認めて、改善する努力をしないことだと考えています。世の中は、気付いている人にしか改善できませんので。
そういう観点から言うと、私は何もやっていないなと思います。