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2010年01月19日 14:28:04
レイジング・ブル
 映画「レイジング・ブル」のDVDを十月中旬に見ました。

 1980年の映画で、監督はマーティン・スコセッシ、脚本はポール・シュレイダー、マーディク・マーティン、主演はロバート・デ・ニーロです。

 実在のボクシング選手ジェイク・ラモッタの自伝を元に作られた映画です。



● 徹底的にこだわった映像

 映画は、全編ほとんど白黒で進みます。この映像が、ともかく凄い。シーンに合わせて、徹底的に空気を感じさせる映像に作り込んでいます。これは、素直に驚きました。

 特に、映画中何度もあるボクシングの試合の映像の空気感は凄かったです。触れることができそうな空気が、画面内に凝結していました。

 これは、撮影がかなり大変だったのではないだろうかと思いました。



● デ・ニーロ・アプローチ

 精悍なボクサーの体型から、引退後の劇太りの体型までを、一人で体重を増減させて行っています。その差、27Kgだそうです。大変だったと思います。

 そういった体型の変化よりも驚いたのは、精悍な頃のボクサーを演じるロバート・デ・ニーロを見て、「俳優ロバート・デ・ニーロ」にほとんど見えなかったことです。

 そりゃあ、節目節目で、彼の顔は覗くのですが、それでも、俳優としてのロバート・デ・ニーロに見えないシーンが多かったです。あれは演技なのか、肉体改造の結果なのか、よく分からなかったですが、不思議でした。



● 上り詰める人間は、性格が破綻していなければならない

 映画は、たぶん主人公であるジェイク・ラモッタの猜疑心の強さや、傲慢さなどを炙り出して、そのことによる転落を描いているのだと思います。

 でも私は常々、「上り詰める人間は尖がっていなければならない」「上り詰めた人間は、性格が破綻していて、社会に迷惑をかけても、本人に価値があるならば許されるべき」だと考えています。

 だって、いびつでとんがっていないと、極北にはいけないから。そして、極北を見せてくれる人は、ある程度の社会の犠牲を払っても存在させる価値があるから。

 こういった私の考え方は、多数派ではないのは承知しています。

 だからこの映画を見て思ったのは、主人公が自らのいびつさで自滅することへの問題ではなく、チャンピオンである彼を、もっと周囲の人間はサポートしなければならないということです。

 チャンピオンは特別な存在なので、彼のために周囲はもっと気を配って動くべきです。だって、彼以外の人間はチャンピオンにはなれないので。

 特に、そのチャンピオンにぶら下がって食っている人は、そうするべきです。

 祭り上げられて盲目になるという問題はあると思いますが、どうせなら、祭り上げて、天を越えさせて、異次元に送り込むのがよいと思います。そういった存在を、私は見たいので。

 あまり一般的な考え方ではないと思いますが、私はそういったことを考えながら、この映画を見ました。



● 猜疑心と尻軽美女

 映画の主人公のジェイク・ラモッタは、尻軽美女と結婚します。そりゃあ、猜疑心と嫉妬心も強くなるだろうと思いました。

 男性は、美女と一緒になるほど、その美女がいつ他人に奪われるのではないかと不安になるでしょうから。それが、なびきやすい女性なら尚更です。

 この映画の主人公のジェイク・ラモッタのような人には、全体を見回して采配を振るう、姉さん女房的な人物の方がよいでしょう。

 そういった意味で、落合監督の奥さんのような人が、この人には必要だろうと思いました。



● 敵はボクサーではなく、権力であり社会

 この映画はボクシング映画ですが、主人公が一番戦っているのは権力であり社会です。

 彼は自分の実力で道を切り開いてチャンピオンになりたいと思っています。でも、チャンピオンに挑戦するには、興行を仕切っているヤクザに頭を下げ、時には八百長も引き受けなければなりません。

 主人公は、そのことが許せない。

 実力では既にチャンピオンなのに、自分が最も嫌いな相手に頭を下げなければ、その道が開かれない。

 だから彼は、いつも苛立っていて、全てが許せない。憤りを抱えている。そして、主人公の敵であるマフィアのボスは、自分のために働こうとしない主人公に怒りを覚えている。

 この権力や社会との対立構造は、主人公がボクサーを引退したあとも続きます。

 マフィアの次は、公権力によって彼は拘束され、自由を奪われ、投獄されます。

 この映画は、実はボクシング映画を借りた、社会への鬱屈の映画だと感じながら私は見ました。

 そういう意味では、同じ監督の「タクシードライバー」(1976年)と、本質的に同じ映画なのかもしれません。



● 粗筋

 以下、粗筋です(最後まで書いています)。

 主人公はイタリア系ボクサー。彼は、マネージャーを務める弟とともに、チャンピオンを目指していた。

 彼は、実力は十分だったが、チャンピオンに挑む勝負のカードを組めないでいた。それは、主人公が、興行を仕切るマフィアのボスを毛嫌いしていて、彼に頭を下げようとしないからだ。

 そういった中、主人公は若くて美人の女性を見つけて恋に落ちる。そして、妻と別れて、その美女と結婚する。しかし、それからの彼は、嫉妬と猜疑心で悩まされることになる。

 主人公は試合を重ねるが、チャンピオンに挑む権利は回ってこない。そして、弟に説得されて、渋々マフィアのボスの軍門に下り、八百長の試合をする。

 しかしそれは、誰の目にも八百長だと分かる試合だった。主人公の実力は懸絶していた。そのため、試合放棄という形で負ける以外に、負ける方法がなかったからだ。

 マフィアのボスは、そんな主人公の態度に激怒する。しかし主人公は、どうにかチャンピオンへの挑戦権を獲得する。それからの彼は、破竹の勢いで快進撃を続ける。

 だが、次第に彼の周囲の人間関係は分解していく。弟と対立し、妻と不仲になる。妻の嘘が、兄弟の袂を分かつ原因となる。

 ボクサーを辞めた主人公は、ナイトクラブの経営を始める。しかし、妻に離縁を突きつけられ、家も子供も奪われてしまう。そして、追い討ちをかけるようにして、未成年を男に紹介した罪で起訴される。それは、言いがかりに近いようなものだった。

 彼を助けてくれる人は誰もいなかった。保釈金も払えず、彼は投獄されてしまう。

 出所した主人公は、飲み屋で話芸を使って小銭を稼ぐ。だが彼は腐った表情は見せなかった。ボクシングで殴り合うよりは気楽だとうそぶき、彼は舞台へと上がる。
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