映画「ブロンコ・ビリー」のDVDを、十二月上旬に見ました。
1980年の映画で、監督はクリント・イーストウッド、脚本はデニス・ハッキン、主演はクリント・イーストウッドで、共演はソンドラ・ロックです。
イーストウッドが監督作品ということで見ましたが、面白かったです。
● 前後関係
2009年に「グラン・トリノ」を見て、「イーストウッドの監督作品を、もう少しいろいろと見てみよう」と思い、積極的に見るようになりました。
というわけで、この「ブロンコ・ビリー」の前後の、イーストウッドの監督および主演作をいくつか並べてみます。
・1971年「ダーティハリー」出演
・1971年「恐怖のメロディ」初監督作品
・1973年「ダーティハリー2」出演
・1976年「ダーティハリー3」出演
・1980年「ブロンコ・ビリー」今回見た映画、監督/出演
・1982年「ファイヤーフォックス」監督/製作/出演
・1982年「センチメンタル・アドベンチャー」監督/製作/出演
・1983年「ダーティハリー4」監督/製作/出演
途中省略して書いていますが、「恐怖のメロディ」から「ダーティハリー4」までの十二年の間に監督作品は十本になります。そして、1982年以降、監督・出演だけでなく、製作にもクレジットされるようになります。
「ブロンコ・ビリー」は、ちょうど、監督として力を付けて、製作にまで進出する直前の作品になります。
そういった意味で、実力が充実してきている頃の作品なのだろうと思いました。
● 予算と映画の出来
実は、この映画を見た直後に「サンゲリア」(1979年)を見ました。そして思ったのは、「ブロンコ・ビリー」は、そんなに予算的には大きな映画ではないのに、映画の質が格段に違うということです。
映画としてのシーンの演出や画面作り、そして進行というのが、監督の実力によってこんなに違うのかと思いました。
そして一番違うなと感じたのは、登場人物の切り取り方です。
「ブロンコ・ビリー」では、1シーン1シーンで、キャラクターが印象に残っているのに、「サンゲリア」は印象がほとんど残っていない。
どこが違うのかなと考えて思ったのは、「サンゲリア」は映画の進行を画面として追っているのに対して、「ブロンコ・ビリー」では、登場人物の演技を追っている。
あと、カメラの位置が「サンゲリア」は終始遠い印象なのに、「ブロンコ・ビリー」は印象的な人物アップシーンが多いです。
そして、「ブロンコ・ビリー」では、その人間描写の積み重ねとして、映画の時間の流れを追っています。そこが大きな違いかなと思いました。
また、それとともに思ったのは、たとえ低い予算の映画でも、きちんと人間描写が描ければ、面白い映画になるのかなと思いました。
でも、そういったことをするのには、逆に力量のあるスタッフが必要で、実は人件費はけっこうかかるのかなとも思いました。
● イーストウッドの映画の時間
この映画を見ていて感じたのは、「イーストウッドの作る映画の時間の流れ」です。
「グラン・トリノ」でも感じたのですが、時間の流れがやたらゆったりと感じます。最近の映画に多いような、せせこましさがありません。
だからといって退屈かというと、そうではありません。
なぜそういう風な映画の作り方をしているのかなと思った時に、「表情を見せているからかな」と頭に浮かびました。
イーストウッドの映画は、終わったあとに、けっこうな数のシーンの「登場人物の表情」を覚えています。かなり丁寧に、人物の表情や演技を追っている印象があります。
そういった見せ方をしているから、映画の時間がゆっくりと感じるのかなと思いました。
● イーストウッド演じる偽物の西部劇のヒーロー
西部劇のヒーローを演じてきたイーストウッドですが、この映画で彼が演じるのは「偽物の西部劇のヒーロー」です。
この映画の主人公は、現代の旅芸人の一座を率いる座長で、彼は西部のガンマンの役を演じます。
つまり、「偽者の西部劇のヒーロー」なわけです。
この「偽者」っぷりは徹底していて、映画の進行とともに、彼と彼の一座の過去が暴かれていきます。そして、ヒーローとは対極の存在であることが明かされていきます。
しかし、そのことによって主人公は「悪人」とはなりません。現在の彼を丁寧に描くことで、「善人」っぷりが強調されます。そこが面白いです。
そして、この役を演じるイーストウッドの演じてきた役柄を知っている人間には、その意味の深さを感じさせられます。そういった点で、メタ的な視点の入った映画だなと思いました。
● ソンドラ・ロックの表情の変化
映画は、イーストウッド率いる旅芸人の一座に、性格の悪い富豪の娘が紛れ込むことで話が転がっていきます。この娘をソンドラ・ロックが演じています。
このヒロインは、性格がギスギスしていて、一座にとっては疫病神で、ずっとしかめっ面をしています。
しかし、次第に主人公に引かれていき、彼を愛するようになったあと、表情が一変します。この表情の変化は、思わずはっとさせられます。非常に美しく変化するからです。
人の表情は、内面の変化でここまで変わるのかと感じさせられるような変化でした。
このシーンを見た瞬間、「ああ、この映画は、よい映画だな」と思いました。
● イーストウッドの醸し出すユーモア
しかしまあ、イーストウッドの醸し出すユーモアの空気感はいいですね。
単なるイケメンではなく、愛嬌があり、思わず許してしまう茶目っ気があります。そして、頑固さの中に子供っぽさがあります。
こういった独特の空気感を持っている役者は、よい役者だなと思いました。
● 粗筋
以下、粗筋です。(終盤の直前まで書いています。大きなネタバレはないです)
主人公は、旅芸人の一座の座長。彼自身は、西部劇のガンマンの格好をして、投げられた皿を射撃で割ったり、投げナイフをしたりしていた。
彼は女性のアシスタントとともにその役をやっていたが、アシスタントは毎回長持ちしない。危険な役から逃げ出してしまったり、主人公が怪我をさせてしまったりするからだ。
一座には金はなかったが、行く先々で歓迎を受けていた。彼らは子供たちにタダ券を配ったりして、子供たちを楽しませようとしていた。
ある時、彼らは一人の女性を拾う。彼女は富豪の娘で、遺産相続の条件を満たすために、好きでもない男と結婚していた。彼女は新婚旅行の最中だったが、あまりにもわがままで男性に放り出されて取り残されていた。
彼女は、自分の身分を隠したまま一座に入り、座長のアシスタントをすることになる。主人公と女性は、ことあるごとに衝突する。
一座は、無料で孤児院を慰問したりと、金にならないことばかりをし続ける。一座の人間たちは、毎回トラブルを起こす女性を、疫病神のように思う。
そうやって旅を続けるうちに、女性は徐々に、この一座の人間たちの前歴や、主人公の人となりを知り始める。そして、次第に主人公に好意を抱くようになる。
だが、公演の途中でテントが燃えて、公演が行えなくなる。彼らは、慰問先の一つである精神病院を訪れる。そこには、紆余曲折の上で放り込まれていた、女性の夫が入所していた……。
● その他
どうでもよいですが、主人公のナイフ投げは危険だなと思いました。
女性を円盤に貼り付けてぐるぐると回し、その女性の足や手の間の風船を、ナイフを投げて割るというものです。それも目隠しをして。
映画の冒頭でいきなり失敗して、女性が足から血を噴き出します。
いくらなんでも、それは危険過ぎだろうと思いました。