映画「アニー」のDVDを、六月上旬に見ました。
1982年のミュージカル映画で、監督はジョン・ヒューストン。脚本はキャロル・ソビエスキー。主演はアイリーン・クインで、富豪役はアルバート・フィニーです。
Wikipediaによると、元々は新聞連載漫画の舞台化(1977年)で、後に映画化されたそうです。なかなか楽しめました。
● アメリカ的な映画
この映画の内容は、「オリヴァ・ツイスト」(1947、イギリス、原作チャールズ・ディケンズ)の女の子版という感じでした。
ただし、雰囲気で「大きく違う」と感じた点があります。それは、貧者と富者の扱いです。
「オリヴァ・ツイスト」は、イギリスの階級社会の厳格さと、その中で貴族が貧者に向ける「上から目線」を感じるものでした。
この閉塞感と、偽善による慈善の目線は、「ピグマリオン」(1938)と、そのミュージカル化である「マイ・フェア・レディ」(1964)でも感じました。
それは、これらの作品がイギリスを舞台にしたものだからだと思います。
対してこの「アニー」はアメリカの作品です。時代も世界恐慌のあと、ニューディール政策の直前という設定です。
この映画の話は、「オリヴァ・ツイスト」などとそれほど違うものではありません。孤児がいて、大金持ちがいて、孤児が大金持ちと出会うという内容です。
しかしそこには、「オリヴァ・ツイスト」とは対照的な雰囲気が漂っています。
「アニー」では、大金持ちは、偽善的な慈善の目線で孤児を見ません。階級社会的な価値感も持っていません。
なぜならば、この映画の富豪は、生まれた時からの金持ちではないからです。彼は移民としてアメリカに渡り、そこでゼロからお金を稼いで成り上がった人間です。
彼は若い頃に、貧困で弟を失っています。そういった経歴を持つ人間なので、独善的で傲慢ですが、身分による偏見を孤児に対して見せません。
そこが、先述の映画と「アニー」で感じた一番の違いであり、この作品が「イギリスの映画」ではなく、「アメリカの映画」だと感じた理由でした。
また、この富豪は、非常に「アメリカらしさ」を備えています。
彼は、移民として成功しただけではありません。この映画には、フランクリン・ルーズベルトが出てきます。ルーズベルトは、ニューディール政策に、富豪を協力させようとします。
そのことに対して、富豪は拒否の姿勢を取ります。なぜならば、彼はアメリカの自由な資本主義で成功した人間だからです。
そして万人に、その成功の道が開かれているべきだと考えているからです。そんな彼は、イギリスからアメリカにやって来ました。
こういった点で、この映画を見て、私は「オリヴァ・ツイスト」との対比を考えてしまいました。
アニーについては、以下の文章も面白かったです。
□Annie by John Huston - Some Came Running
http://d.hatena.ne.jp/SomeCameRunning/20090624 原作はかなり過激な内容のようです。映画は、砂糖菓子のようにシュガーコーティングされているみたいです。
原作をちょっと見てみたいと思いました。
● キャスト
監督のジョン・ヒューストンは、脚本家を経て、「マルタの鷹」(1941)で監督デビューした人です。ヒット作を多く撮っている監督で、俳優としても活躍しています。
この映画も面白かったです。
また、富豪役のアルバート・フィニーもよかったです。最近も色々と有名映画に出ていますね。
2000年以降では「トラフィック」(2000)、「エリン・ブロコビッチ」(2000)、「ビッグ・フィッシュ」(2003)、「オーシャンズ12」(2004)、「ボーン・アルティメイタム」(2007)と有名作品に出ています。
この映画の富豪役は、なかなかよかったです。
あと、アニー役の子役は、表情があると可愛いのですが、普通にしているとへちゃむくれでした。8000人から選ばれただけあり、演技は上手かったですが。
● インドと中国
映画には、富豪の部下としてイギリス人と中国人が登場します。中国人は当然カンフーの達人なのですが、もう一方のインド人の設定がぶっ飛んでいました。
このインド人、肉体能力が凄いだけでなく、超能力を使います。使用するのは念動力です。花瓶ぐらいなら、念力で持ち上げます。
凄いなインド人と思いました。
アメリカ映画には、その時代々々の、各民族への見方が反映されていることが多いです。なので、この時期のインドは、そういう風に見られていたのかなと思いました。
でもまあ、このインド人の用心棒兼召使は非常に有能です。どこの007だというぐらい活躍します。ハードなアクションもこなします。素直に、凄いなと思いました。
● 賢すぎる子供は不幸になる
この映画の主人公のアニーは十歳の女の子です。彼女は勝気で腕っ節が強く、度胸があります。そして聡明です。
しかし、年齢に似合わない頭のよさは、時に不幸を招くなと、この映画を見て思いました。
彼女は、頭がよすぎて先回りで行動をしてしまうために、大人の庇護を得られずに損をするからです。
自己解決をする能力があり、それをしようとするがために、利益を逃しがちです。
人間は個人で生きることはできず、互いに補完しあって生きざるをえません。そのため、自分が欠けていることを自覚して、甘えるなり頼るなりしなければ、世間で上手く生きていくことはできません。
そういう意味では、賢すぎるのではなく、中途半端に賢いのかもしれません。
「自分でできる子供」は損をするなと、この映画を見て思いました。
● Tomorrow
この映画の主題歌とでも言うべき曲です。やっぱ名曲です。映画中、何度も出てきますが、よい曲だなと思いました。
● 粗筋
以下、粗筋です(ネタバレあり。ほぼ最後まで書いています)。
世界恐慌の直後、アメリカでは孤児が溢れていた。親たちは生活の糧を稼ぐために、子供を手放して仕事に出ていたからだ。
そういった時代の孤児院に一人の少女がいた。彼女は孤児院の院長に嫌われていた。可愛げがないからだ。
その孤児院に一人の女性がやって来た。富豪の秘書である彼女は、仕事でこの孤児院を訪れる。富豪のイメージアップのために、孤児を家に招待するためだ。彼女は、主人公のことを気に入る。
主人公は富豪の家に行き、最初は対立するが次第に気に入られる。そして、養女になるようにと誘われる。だが、彼女はその申し出を辞退する。彼女は真の両親を探していたからだ。
富豪は主人公のために、全国規模で募集をかけて両親を探す。だが、現れたのは金目当ての偽者ばかりだった。そんな中、一組の夫婦が現れる。だがそれは、孤児院の院長と結託した者だった。
主人公の両親は既に死んでいた。院長は、その遺品を管理していた。彼女は、詐欺師の弟に誘われて、その遺品を利用する。
主人公は、偽の両親に連れられて屋敷を出る。だがその直後に、孤児院の子供たちがやって来た。両親は偽者だ。その事実を知らされた富豪は、主人公を救い出すために街へと乗り出す。